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第二章 アカムヤーのユタ

 

 赤坂にある高級中華料理店『山東飯店』の最上階VIPフロアでエレベーターを降りた。蝶ネクタイを締めた給仕二人がタイミングを合わせ、黒壇仕様の観音扉を開ける。

 向島が回転テーブルに座るや、娘は真っ先に向島の正面を陣取る。その右隣に藪が座った。向島も座ったが、いつまでも娘の目に追われている。あの粘っこい表情を本多はいつもスケベな方に解釈するのだ。

 本多が向島の右隣に座った。女刑事たちにメニューが渡るが、「捜査なので」を繰り返し、ウーロン茶しか頼まなかった。

「ま、円卓ですから。適当に分けて食べましょうや。お嬢さん方もどうぞお好きに」

 ビールとウーロン茶が運ばれてきた。誰も乾杯の音頭は取らなかった。

「池袋のゾーキチャンプルー事件、知ってますか」

 藪が切り出した。ゾーキという食べ物があったか、と本多がなにか言いたげな顔をする。

「報道は控えめになってるんですね。ガイシャの喜屋武、腹を切り裂かれて内臓をミキサーでチャンプルーされていたんです」

 睾丸や陰茎が切り取られて口に突っ込まれていたとか、目玉は腹の中のミンチ肉に添えられていたとか、詳細を聞かされる。

「向島さん。こういう猟奇的な手口を好むやつの目星はないですか」

 誓がじっと向島を見つめてきた。

「全くありません」

 向島の皿に視線を投げてくる。

「食べないんですか」

 円卓にはすでにふかひれスープに前菜四種盛り、蟹みそと海老の煮込みが並んでいた。ボディガードが料理を取り分けていたが、断り、円卓を回して、一皿分残されたスープ皿を誓の前へ移動させた。

「どうぞ。ふかひれ。お好きでしたら」

「いらない。中華は太っちゃう。向島さんこそ栄養をとった方がいいですよ。また痩せたでしょ」

 誓が円卓を逆回転させ、再びスープが目の前に戻ってきた。向島はスープ皿を取り、蓮華で口に運んだ。誓がまとわりつくような視線を送ってくるので落ち着かない。教師のくせに若いヤクザにおせっかいを焼いた母親そっくりだ。

「それでね、ちょっとお耳に入れておきたいことがあるんですけど、ゾーキチャンプルーされた遺体の第一発見者。向島一家の三下だったんですよ」

 倉敷が身を隠したのはこれが理由か。厄介なことになったが、顔には出さない。

「比嘉ですか」

 藪が口角を上げる。

「よくわかりましたね」

「現在の向島一家で沖縄出身者は比嘉だけです。私は直接盃を交わしていないので、どういう青年かは知りません」

「倉敷総長と連絡がつかないんです。自宅にもいないし。GRヤリスを置きっぱなしにしてどこへ出かけたんでしょう」

「さあ。私は知りません」

「本当に? 日本一のヤクザになりあがった親分が上京してきているのに、もてなしもせずにどこかへ行っちゃうだなんて」

「もてなしは昨晩受けました」

 暗に倉敷のアリバイを示唆した。一旦、この刑事たちの注目を他に逸らしてやらねばならない。

「うちの若中わかなかに西池袋を拠点にしている清池會せいちかいの総長がいます。総長に一報を入れましょうか。件の沖縄料理店や喜屋武のこと、なにか知っているかもしれません」

 ガードに合図し、清池會の総長に電話をかけさせた。繋がったスマホを耳に当て、事情を話す。

 明日の十三時からなら一時間だけ時間が取れるという。二人の女に伝えて了承を取り、電話を切った。

「直接、事務所にいらしてください。北池袋の林ビル三階です」

 二人ともメモを取らなかった。都下の暴力団組織の名前と住所ぐらい、頭に入っているか。ウニ料理が運ばれてくる。ひとくちで飲み込んだ本多が女刑事を見る。

「お嬢さんら、遠慮せず食えよ。油淋鶏を追加注文してやろうか? 別会計にすりゃいいだろ」

 本多がボーイを呼んで、油淋鶏と紹興酒を頼んだ。藪が伝票を別にするよう、念を押している。

「最近、曾根崎の方はどうですか」

 誓が北京ダックの向こうから、尋ねてくる。給仕がナイフでその腹を裂くのを見て、藪は気持ち悪そうな顔をしている。

「移転してもう一年ですね。かつて五代目時代には吉竹組総本部にお招きいただいたこともあったんですけど」

 本多がぶっと噴き出した。

「聞いてますよ。瓶ビールを柱に叩きつけて大立ち回りをしたとか」

 誓は肩をすくめただけで、こちらから目を離さない。

「あれは矢島の双子が私をホステス扱いするからですよ。向島さんは紳士だからそんなことしませんよね」

 向島が育ったあの家、初めて人を殺したあの曾根崎の家に、誓を招くのか。

 ふとありえない光景が脳裏に差し込む。向島が暮らしている離れの前の縁側で、誓がマムと日向ぼっこをしている。小さな庭園の鹿威ししおどしが耳に心地よい。こちらに気づいて、お父さん、と微笑む。その光景が現実になるなら、向島は毎日、熟睡できることだろう。

「向島さん。聞いてますか」

 北京ダックの向こうから誓が呼ぶ。所詮、絵空事だ。

 誓の手元ではスマホがひっきりなしにバイブしていた。彼女は一瞥するのみで、スマホを手に取ろうとしない。

「出なくていいんですか。緊急の電話では」

「いいんです、彼氏だから」

 頬が緩んでいたらしい。誓はずいぶんと嬉しそうな顔で自分の反応を眺めている。やがて藪に視線を移すや厳しい目を作り、顎を振る。

 藪が「トイレ」と言って席を立った。誓は向島に向かって、本多を顎で指すようなそぶりを見せた。本多がムッとしたように睨み返したが、向島はタバコを勧め、退室を促した。本多はニヤついて、席を立った。

「しょうがねぇな。組長、このお姉ちゃんにかどわかされないでくださいよ。十分だけな」

「十五分でお願い、本多さん」

 誓が媚びを売った。みな出ていく。

 氷しか残っていないグラスを持って、誓が右隣に移動してきた。皿を取り、あれやこれやと盛って世話を焼いてくる。向島は自然と箸が進んだ。

「ねえ、私、プロポーズされているの」

 困ったような顔をわざと作って上目遣いにこちらを見る。甘えているのか、なにか聞き出そうという魂胆なのか。

「どんな男なんだ」

 誓は感激したように瞼を震わせた。

「わあ、お父さんっぽい」

 向島は黙って紹興酒を口にした。本多が言っていたマムシ入りのものか。生臭さはあるが、喉の奥に落ちた途端に奮い立つものがある。

「府警の今仲よ。知っているでしょう」

 向島は二口目の酒を噴きそうになった。なんとか飲みほした途端、笑いがこみ上げてきた。勝手に上下する肩が止まらない。こんなに笑ったのは何年ぶりだろう。誓はたいそう嬉しそうな顔をした。

「ねえ、どうして笑うの。そんなにおかしい?」

「いや、お似合いだから」

「ところで二代目琉世会と兄弟盃が交わせていないみたいだけど、どうなってるの」

 なるほど、今日の会合で本当に聞きたかったことはそれか。喜屋武の事件とどう繋げて考えているのかは読めない。

「沖縄は遠い。あちらも忙しく、機会に恵まれないんだ」

「機会なんていくらでもあったでしょう。あなたが六代目の名乗りをあげてもう二年、抗争指定だって解除されたんだから、移動は自由よ」

「どこへ行こうと見張りはついてくる。お前の未来の旦那とか」

「まだ結婚するとは言ってない」

「断るのか? あいつはいい男だと思うぞ。他にお前のような娘を好きになる男もいないだろ」

「失礼ね、どういう意味よ」

「俺の血が入っている」

 差し込むような沈黙があった。この部屋は二人では広すぎる。

「あちらは知っているのか」

「知ってるわ」

 誓の口にまた髪の毛が入っていた。グラスを置いて、指でその髪を取ってやる。右手の指先に彼女の熱い頬が触れたとき、娘は甘えるように、首を倒してきた。手のひらの神経全てが奮い立ち、娘に触れる喜びに震えた。

「機会がないなんて嘘。事実、琉世会は九州ブロックの盃の場に来なかった」

 夢見心地だったのに、娘はすぐ仕事の話を差し込んでくる。

「あちらに用事があったようだ」

「関空と那覇を結ぶ便が一日に何本ある? いくらでも行き来するチャンスはあったはず」

「早く結婚しろ。女は子供を産めるリミットがあるだろ。お前はもう三十一か」

 口にして初めて気が付いた。菊美が――誓の実母が亡くなった年齢に、娘は追い付こうとしている。

「早く子供を産むといい。子孫繁栄こそが真の幸福だ」

「右翼っぽい。そうだった。あなたは右翼系の団体で育ったんだものね。でもいまは令和よ」

「俺とお前の、二人しかいないんだぞ」

 誓は深刻そうに視線を外した。そっぽを向いてウーロン茶を口にする。

「あなたが若い女でも侍らせたら?」

「お前のお母さんがあの世で嫉妬する。口うるさくて寂しがり屋だった」

 彼女の目はうっとりと輝いていた。実の両親の話を、こんなにも欲していたのか。

「私が子供を産んだら、うれしい? 不眠症から解放されそう?」

 誓が向島の顔を覗き込んでくる。

「きっと、そうなる」

「で、どうして琉世会と兄弟盃を交わさないの?」

「十五分経った」

 向島は本多を呼んだ。誓のむくれた顔は、赤ん坊のころにふざけておしゃぶりを取り上げたときのまんまだった。この娘は泣かず、にらみつけてくるのだ。

 

 二十一時にはお開きにして曳舟のマンションに帰宅した。留守番していたマムが右手を執拗に嗅いでいる。

 今日はよく眠れそうだった。マムシ入り紹興酒のおかげか。娘のおかげか。

「明日、予定通り浦安で下見をしてくるが、本当に行くのか、沖縄」

 本多が腰に手をあて、向島を見下ろす。

「ゾーキチャンプルー事件のせいで警察の動きも活発だ。お前も散々あの小娘から詰められただろ。沖縄行きは白紙の方がいいんじゃないか」

 本多がスマホを見せた。すでにディスプレイに『島袋和良』と表示されている。

「俺から断る。途中で代わってくれ」

 向島はソファにもたれた。

「ディズニーランドでも行くか? 同じ浦安だぞ」

 おもしろくもない冗談を本多は言い、スマホを耳にあてた。島袋はすぐに出たようだ。西池袋の事件について話している。相手の返答が気になったが、じっと待った。やがて本多がスマホを突き出してくる。

 向島はスマホを受け取り、耳に当てた。名乗るや、島袋は唐突に切り出した。

「矢島の兄貴のご意向なんですよ」

 本土から遠く離れた離島にいて本土の抗争を眺めていただけのくせに、その決着がどうつけられたのか、島袋はお見通しかのような言い方をするのだ。

「あれから三年、もう先延ばしにはできません。私は矢島の兄貴の遺言を預かっています」

 矢島勇を絞め殺したときの右手の感触が再び蘇った。涼やかな渓流の底に沈めた鬼の形相が、フラッシュバックする。

 ――後悔するぞ、コオロギ。

「あなたには矢島の兄貴の言葉を聞く義務がある。戦国武将でもあるまいし、矢島の兄貴を殺害して組長の座を手に入れたわけではないでしょう?」

 そんな行為はヤクザらしくない、と言いたいようだ。わざとらしい。任侠の伝統を持たない沖縄ヤクザがよく言ったものだ。

「私がそちらに伺えば、大阪府警だけでなく警視庁もついてきますよ」

 向島はスマホを握り直す。

「お宅の系列の者が東京で惨殺されている。喜屋武孝明。知っていますよね」

 返答は聞こえなかった。向島も無言を貫き、島袋の出方を待った。

「桜庭誓、という女マル暴が警視庁にいますね」

 唐突だった。向島は喉に言葉が詰まる。

「あなたの娘さんだとか」

 背筋が粟立ち、拍動が激しくなる。矢島勇から聞いたのか。矢島と島袋は、向島が考えていた以上に、親密だったようだ。

「予定通りのご来沖、お待ちしております」

 電話は切れた。結局今晩も眠れない。

 

(つづく)