プロローグ
その日は四月二十三日、清明祭の日だったの。本土の人は知らんはずやしが、親戚一同が門中墓に集まって、先祖供養するお祭りど。うちの門中、知花家は屋号が次郎知花小、山原一の人数を集めるわけさ。あの日は六十七人が集まって、レジャーシート何枚も敷いて重箱並べて、泡盛片手にゆんたくしてさ。
この一年で新しく生まれた赤ん坊をご先祖様に紹介して、子供が亀甲墓を滑り台にして遊んでな。
うちの喜寿になる次男は軍属でね。普段は嘉手納基地でアメリカーの通訳してるんだけど、三線持たせたら沖縄一の腕前よ。コザロック顔負けのこぶしを利かせて唐船ドーイを弾けば、オリオンビール勤めの孫が指笛吹いてね、子供も私のような百歳超えのおばあもカチャーシーを踊り出すわけさ。
そんなときよ、手にピストル持って返り血を浴びた男が、蓬莱鏡の草原の向こうから現れたのは。あが、驚いた。
怖くはなかったよ。その男は夢遊病者みたいな足取りなわけさ。それで自分で言うのよ、警察呼んでくれって。人を殺したって。しかも二人も。
その男はヤクザ者って感じではなかったね。やせっぽっちで、手足ばっかり長くて猫背でね。「組長と沖縄県警の女刑事を殺した」って言うわけさ。
言ったそばから、俺は殺してないとも言う。元々あの二人は死んでたと叫ぶんよ。
「これはなにかの策略、陰謀さ。第七次沖縄抗争は終わってなかったんやさ。みんな、いますぐここから逃げて! またいくさ世が始まるよ!」って大騒ぎなわけさ。
第一章 臓器
「そもそもの発端は、日本最大ヤクザ、吉竹組の跡目争いでした」
桜庭誓は電子ホワイトボードの脇に立ち、表示されているピラミッド型の組織図を指した。赤い点が『五代目吉竹組』の文字の上で躍る。レーザーポインターを持つ手が震えていた。
目の前の十二人がけテーブルの一番奥、上座にいる刑事部長が、気軽な調子で声をかけてくる。
「長期安定政権だった四代目吉竹組組長が亡くなって、五代目は誰になるのかでもめて分裂したんだったね。関東吉竹組と、本家吉竹組に」
三十一歳、巡査部長でしかない誓の緊張を、刑事部長は察しているようだ。彼は六階級上の警視監。あと上にいるのは警視総監だけだ。
誓の直属の上司である刑事部暴力団対策課長の乗鞍匡司警視が末席にいる。三枚の写真を出して電子ホワイトボードに貼りつけていった。アナログ人間の乗鞍は、刑事部長を前に粗相が許されないからとわざわざ印刷していた。
「本家吉竹組を率いていたのが、矢島勇、進という一卵性双生児です」
同じ顔の写真が二枚並べられる。どちらも髪の後退具合や張り出した額などが同じだが、黒子の位置や顔の傷だけが微妙に違う。
三枚目にはロマンスグレーの髪をした男が写っている。
「こちらが、五代目体制に反旗を翻して関東吉竹組を立ち上げた泉勝です」
刑事部長の脇には、誓も何度か顔を合わせたことがある白髪頭のキャリア官僚がいた。現在は警察庁の組織犯罪対策部長をやっているが、この春まで、警視庁の組織犯罪対策部長だった。
「分裂した吉竹組の管内での抗争は刑事部長もご存じかと思いますので割愛しますが、死者が四名も出た近年まれに見る壮絶なものとなりました。これが二年前の二〇二三年の話で……」
誓の手は汗で濡れていた。分裂抗争の話は大好物なのに。
「都内での抗争がおさまるや、本家の双子組長が抗争終結宣言を出しました。ところがその三か月後、双子は不審死を遂げます」
和歌山県警から提供を受けた遺体画像に切り替える。和歌山港で引き上げられた全裸の死体は、水を吸ってでっぷりと膨れ、血の気を失って真っ白だ。木の葉や海藻ゴミがへばりつき、あちこちぱっくりとあいたピンク色の傷がある。右手はもげてしまっていた。
「これが矢島進の遺体です」
河川敷で発見された太い一本の人骨の画像を表示する。
「こちらは翌年に紀の川で発見された、矢島勇の大腿骨です。二人は二〇二三年九月に渓流釣りに行っていますが、脚を滑らせ、兄弟もろとも激流に呑まれたたようです。岩場のコケに兄弟の足跡や滑ったような跡も見つかりました。第三者の痕跡がなかったことから、和歌山県警は事故と断定しました」
次に関東吉竹組組長、泉勝の写真を指す。
「ほぼ同時期、泉勝は旅行先の石垣島で失踪しています。誰かと争った痕跡はなく自主的に宿泊先から出て行ったことから、事件性はないと沖縄県警は判断、捜査を打ち切っています」
窓の外の桜田通りではなんらかのデモが行われているのか、シュプレヒコールが聞こえてきた。
「分裂騒動を引き起こした張本人であるこの三人が謎の死と失踪を遂げて間もなく、吉竹組の統一を宣言し、六代目の名乗りを上げたヤクザがいました」
誓は拍動が収まらなくなっていた。
「向島春刀、四十九歳」
電子ホワイトボード一杯に、オールバックに青い色付き眼鏡をかけた男の画像を表示させる。彼の一張羅である黒い光沢スーツに、深緑色の格子柄ネクタイ。色付き眼鏡では隠せないほどに切れ長の鋭い目が現れる。
「彼はもともと、警視庁管内、墨田区曳舟一帯を縄張りとする向島一家の二代目総長でした。四十代で四代目吉竹組の若頭補佐に抜擢されるほどでしたが、五代目になって分裂したときは、どちらとも盃を交わさず、独立を保っていました」
「それが、三人が謎の死と失踪を遂げた途端に六代目の名乗りを上げた、と」
刑事部長はヤクザ映画の感想でも述べているような口調だった。
いま刑事部長室には、警視庁の刑事部内にある各課の幹部が勢ぞろいしている。暴力団対策課長の乗鞍の他、捜査一課長、二課長の他、各課の管理官の姿もあった。
科学捜査を基本とする証拠第一主義の叩き上げ刑事たちは、不用意な発言はしない。誰しもが心の中で思っているはずなのに。
――向島春刀が三人を亡き者にして吉竹組を統一、トップに躍り出た。
証拠はなにもない。吉竹組総本部は大阪府警管内にあるし、矢島の双子が死んだのは和歌山県警管内、泉勝が失踪したのは沖縄県警管内。警視庁は捜査の主導権を握れなかった。誓はこの二年の間に大阪、和歌山、沖縄へ何度も足を運んだが、捜査費用が出たのはごく一部で、あとは自腹だった。
「よくわかりました、桜庭巡査部長。ではそろそろ、本題に入ってもらいましょうか」
刑事部のナンバー2である参事官が、刑事部長の顔色を窺っていた。
誓は六代目の組織図を出そうとしたが、当該のファイルがなかなか見つからない。高級官僚の沈黙でこんなに焦ってしまうとは思わなかった。手あたり次第に画像ファイルをクリックしていく。
二十三歳、金髪の向島春刀の画像が出てきた。初代向島一家のボディガードをやっていたころだ。
「すみません、これは若かりし頃の六代目の画像ですね。ええと、これかな」
大阪府警が吉竹組総本部のガサ入れをする際の騒動を写した一枚が表示された。上半身裸でサラシを巻き木刀を持った少年に赤丸がついている。
「あ、これは向島春刀が十三歳の時と思われる画像です。彼は無戸籍で義務教育を受けておらず、吉竹組系の三次団体だった右翼系暴力団、黒憂会の親分のもとで下働きをしながら育ちました」
乗鞍に「おい」と咎められる。刑事部長殿は忙しいんだから、と言わんばかりだ。この会議をセッティングしてくれたのは乗鞍だが、たったの十五分しか時間を取れなかった。
「すみません、これかしら」
クリックしたら、紋付き袴を着た向島春刀が、向島一家初代総長と盃を交わしたときの画像が出てきた。もう手のべたつきはない。向島の顔写真を見ているうちに、自分のペースを取り戻していた。
「三十年前、向島が二十歳のころの写真です。この時ようやく彼は初代向島昭雪と養子縁組を結び、名実共に子となりました。ちなみにそれまではコオロギと呼ばれていました」
捜査一課長が噴き出した。
「君、向島春刀のファンなの?」
あちこちで失笑が漏れ、張りつめていた刑事部長室の空気が緩んだ。
「いやいや。こんな怖いヤクザいないですから。見て下さいよコレ」
向島春刀の背中の刺青の画像を表示させた。ちょんまげの男が人の顔面を剥ぐ残酷絵が彫られていた。
「これは英名二十八衆句という、十四枚ある無惨絵の連作のうちの一枚、月岡芳年の『直助権兵衛』です。この残酷な絵の通りに、向島春刀は人の顔面を剥いだことがあるとか、ないとか。しかも見ての通り、彼、左腕がありません」
左肘から腕が断絶している部分に誓はポインターを当てた。
「十八歳の頃に腕を落としています。事故によるものか、なにかのけじめをつけさせられてのことか、詳細はわかっていません」
「桜庭」
乗鞍がかなりきつい調子でたしなめた。高級官僚や敏腕刑事たちがすっかり冷めた目でこちらを見ていた。
「で、君の希望はなんなんだね」
時計を気にする参事官に、誓は背筋を伸ばした。
「この十月より組織犯罪対策部がなくなり、暴力団対策課が刑事部の傘下に入ると聞きました」
昨今社会問題化している匿名流動型犯罪、通称トクリュウはそのバックに暴力団がいることが多く、捜査を円滑に進めるために刑事部と組織犯罪対策部は一本化されたわけだが、誓がいた『四課』は基本的には暴力団に張り付いて内偵し、その組織図や力関係を解明する捜査を基本としてきた。事件が起これば、それが抗争なのかどうかを人間関係からひも解くのを得意とする。内偵から暴力団の実態を解明する捜査の重要性が低くなり、この春から再編に向けて着々と人員が減らされていた。
「しかし、暴力団の脅威が去ったわけではありません」
「警視庁管内では暴力団の数も人数も減っています。当然、それを内偵する人員が余剰になっていたのは否めません」
参事官が言った。掛け時計を何度も見ていた。捜査一課長が口出しをしてくる。
「ようは君はさ、三人の組長の首を取った向島春刀を逮捕したいんだろ」
捜査一課長の隣にいる管理官が首を横に振った。
「いまや彼は曳舟の暴力団組長ではなくて、吉竹組の組長でしょう。総本部は大阪、管轄は大阪府警。警視庁は手を出せない」
誓が発言する間もなく、捜査二課長がこの場で初めて口を開いた。
「正直なところどうなんでしょう」
二課長は全国のマル暴刑事を統べる立場にある警察庁の組織犯罪対策部長を見た。
「私は部外者ですから若干無責任な言い方になりますから、オフレコで」
二課長が咳ばらいを挟む。
「五年に及ぶ血で血を洗う抗争を経て、吉竹組は六代目体制で統一され、いま平穏を取り戻しているんですよね」
組織犯罪対策部長は人差し指をぺろっと舐めて、資料を開いた。大阪府警からレポートが毎週届いているとして、読み上げる。
「統一から二年、組織改革を断行した向島組長に対し、末端から異論や不満の声は全くと言っていいほど聞こえてこない。四代目体制のころから武闘派として知られていた向島を恐れているのだろうし、本部への上納金が半額以下になり感謝している者もいる。彼のカリスマ性に陶酔している組員も少なくない。ヤクザウォッチャーや実話系雑誌の記者などは、三十五年も続いた四代目体制に次ぐ長期政権になるのでは、と向島春刀のカリスマ性を絶賛し、六代目の目の黒いうちは吉竹組は安泰だろうと書いている」
二課長が誓を見た。
「その向島を三人の殺人罪で逮捕・起訴したら、おそらく彼はもう二度と娑婆に出ることはないだろう。再び跡目争いが起き、全国規模の抗争に発展するんじゃないか? 混乱の引き金を警視庁が引くことになる」
「私は三人の組長の不審死や失踪を改めて捜査したいと訴えたいわけではないんです。捜査権が警視庁にない以上、どうすることもできないことも理解しています」
じれったそうな視線が次々と誓に注がれる。誓はようやく、六代目の組織図と、日本地図の白地図を見つけて、電子ホワイトボードに表示した。
吉竹組の組織図は三次団体まである巨大ピラミッドになっている。その頂点にいる向島春刀。続くナンバー2の水本哲夫若頭、ナンバー3の本多義之総本部長、幹事長の加藤隆の名前を見たとき、やっぱりあの話をしたくなった。ポインターで誓が彼らの名前を指そうとしたとき、乗鞍が察して誓の腕を引いて囁いた。
「決死十四人衆の話はするな、日が暮れるぞ」
誓はあきらめて、白地図を示した。
「これから六代目吉竹組の関連団体がいる都道府県を赤塗りにします。見ていてください」
動画を再生した。白地図が真っ赤になった。吉竹組が日本最大の暴力団として全国を統一したのは、四代目体制のころだ。いまさらなにを、という顔が並ぶ中で誓は訴える。
「では五代目――つまりは分裂抗争時のものを表示します。当時の関東・本家両方を合わせて、関連団体がいる都道府県を赤塗りしてみます」
「なにも変わっていないじゃないか」
参事官はいらだちを隠さなくなっている。早く会議を終わらせたいのだろう。この後、刑事部長は警視総監と共に官邸へ定期報告に行くと聞いている。
「変わっています。よく見てください」
何人かの男たちが掛けている眼鏡を外し、目を凝らす。新たに掛ける者もいた。
「沖縄が抜けたね」
組織犯罪対策部長が言った。
「ああ、本当だ。沖縄県が六代目体制で抜けている」
刑事部長も頷いた。
「沖縄最大のヤクザは二代目琉世会という下部団体十七、構成員数三百二十八名の組織です。吉竹組とは三代目のころから五分の兄弟盃関係を維持しています。五分というのはつまり対等で上下関係がないことを意味しています」
琉世会が吉竹組の傘下に入ったことはない。五分の兄弟関係は一九八〇年から続いてきた。
「実に五十年近く円満な関係を続けて来た両者が、ここに来て関係が切れていることがわかったのです。理由はわかりませんが、私はこれを抗争の火種と見ています」
乗鞍は目を伏せたままだ。刑事部の幹部たちは誓の次の言葉を待っている。
「六代目がなぜ二代目琉世会と兄弟盃を交わさないのか。その理由がわからない限り、向島が全国ヤクザを平定して長期政権に入ったとか、しばらく抗争はないだろうとか、言えないわけです」
つまりなにを言いたいかというと――誓は改めて背筋を伸ばした。
「組織再編で、暴力団対策課は人員を減らされつつあります。これでは、次に起こるかもしれない抗争を止めることはできません。事実、吉竹組系二次団体の中で最も重要視している、向島一家。三代目総長の倉敷和成は吉竹組の若頭補佐です。この一家の内偵についても予算と人員を削られ、二十四時間態勢の監視ができなくなりました。向島は一家の顧問として月に一度は上京しています。彼が東京の拠点としている曳舟のマンション、ここの監視拠点は長らく警視庁が借り上げていましたが、いまや大阪府警がその予算を出している状態です。これは首都東京を守る警視庁にあって、あまりに情けないことではないですか」
乗鞍はなにかをこらえるように肩をすぼませている。刑事部長の表情は穏やかなまま、変わらない。
「よくわかりました。では桜庭巡査部長が希望しているのは、予算と人員の倍増ということでよろしいですか」
「まあ、あの、端的に言えばそうですけど、きっと吉竹組は沖縄と揉めそうな気配を感じておりまして」
「それは大阪府警と沖縄県警に任せておきましょう。予算と人員については検討します」
刑事部長が立ち上がりかけたので、誓は慌てた。
「この要望はもうずっと前から乗鞍課長からなされているはずです。しかしなかなか結果が見えないものですから、こうして時間を頂き……」
「では、検討を加速します」
「はあ?」
封印していた本性が出かけた。乗鞍が止めなかったら、誓は立ち去りかけた刑事部長の尻を蹴り上げていただろう。さっさと金を出さんかいこのクソメガネ、とか言って。
(つづく)