『MAZE』(2001年)、『クレオパトラの夢』(2003年)、『ブラック・ベルベット』(2015年)と四半世紀にわたって書き継がれてきた、恩田陸さんの「神原恵弥」シリーズ。世界をまたにかけて活躍する凄腕ウイルスハンターの神原恵弥が、待望の最新作『傾斜のマリア』で向かうのは九州のN崎。土地の力に導かれて数多くの名作を生み出してきた恩田さんが、新作の舞台にこの町を選んだのはなぜなのか。恩田さんいわく「トラベル会話ミステリー」という本書の魅力尽きない世界について、著者にインタビューした。
取材・文=朝宮運河
撮影=後藤利江
神原恵弥シリーズは、わたしのなかでは「癒やし系」かもしれないですね
──長崎名物の料理やお菓子もたくさん出てきます。恵弥たちがあれこれ会話しながら、食事をするシーンもひとつの読みどころですね。
恩田陸(以下=恩田):やっぱりトラベルミステリーなので、名物はひととおり出しておかないと、と。旅行にグルメは欠かせないですからね。油断していたら食事のシーンがずいぶん多くなってしまいました(笑)。長崎はオランダや中国から砂糖が入ってきた土地なので、お菓子の文化が豊かだし、煮物などの味つけも甘いんです。
──九州はお刺身も甘いたまり醤油で食べますからね。
恩田:学生時代、初めてたまり醤油でお刺身を食べた時は、甘くて苦手だったんですけど、取材であらためて食べてみたら美味しかったですね。やっぱりその土地のお料理には地元の調味料が合うんです。長崎料理はどれも美味しかったので、プライベートでもまた食べに行きたいです。
──「太平燕」という華僑料理を食べるシーンも印象的でした。
恩田:春雨と野菜が主体の五目スープみたいな料理ですね。日本では春雨を主食にするというイメージがあまりないので、いくら食べても達成感がないというか、不思議な感じでしたね。作中で恵弥も言っていますが、食べ物文化の受容ってとても面白い。長崎は地理的にも歴史的にも、中国やヨーロッパとの結びつきが強かったですが、それが長崎名物の料理やお菓子となって今に伝わっているというのは、興味深いことだなと思います。
──小説の舞台として長崎という町の魅力はどんなところにあるのでしょうか。
恩田:それはたくさんありますが、まず坂道の多い地形ですよね。普通、小高いところの方が地価が高いものですが、長崎だと逆らしいんです。坂を上るのが大変だから、低地の方が人気がある。自転車もほとんど見なかったですね。その代わり原付がたくさん走っていた。宅配便の人とかは大変だろうなと思います。
──作中では「傾斜都市」という言葉が使われています。これは『傾斜のマリア』というタイトルとも関わりがある重要なキーワードですね。
恩田:これは現地で見かけた表現で、世界三大傾斜都市らしいんです。それと長崎はいろんな祈りの地でもありますよね。世界中からカトリックの信者が訪れる二十六聖人殉教地をはじめとして、神社、お寺、中華街の寺院。これらが無理なくひとつの町の中で溶け合っているのは、大きな特徴だなと思いました。
──前作『ブラック・ベルベット』に登場した科学者アキコ・スタンバーグの影もちらつき、不穏なムードが高まるなかで、恵弥はついに数え唄に込められた謎を解き明かします。
恩田:もちろん最初から考えていたわけではなく、連載終盤になって考えました。くり返しますが謎解きがメインではなく、恵弥たちのおしゃべりを楽しんでもらうシリーズですから、そこは深く考えずに読んでもらえれば。
──長崎の歴史と深く関わる、鮮やかな謎解きになっていて、さすがと思いましたが。
恩田:なんとかまとまってよかったです。いつもプロットを作らずに書き始めるので、最終回がどうなるか自分でも書いてみるまで分からないんですよ。
──恩田さんは来年デビュー35周年を迎えられますが、以前と比べて執筆スタンスなどに変化した部分はありますか。
恩田:大体いつも何本か並行して連載しているんですけど、頭がうまく切り替えられなくなりましたね。昔だったら一本書き終えて、次の作品にすぐ移れたんですけど、最近はそれが難しくなってきた。年を取ってきたんですかね。創作姿勢みたいなものは、あんまり変わらないかなあ。自分が好きな小説や映画、音楽に憧れて書いているという部分は、ずっと一貫しています。締めきりぎりぎりまで粘って、なんとか書き上げるというのも変わらないです(笑)。
──多くの人気作を抱える恩田さんにとって、神原恵弥シリーズとはどんな存在ですか。
恩田:わたしのなかでは「癒やし系」かもしれないですね。この世界に戻ってくると安心するというか、「知ってるよ、この人たち」と懐かしい気持ちになれる。作家にとってシリーズものの醍醐味って、こういう部分にあるのかなと思います。読者の皆さんもそう思っていただけると嬉しいです。
──シリーズ第1作『MAZE』から四半世紀、初登場時から恵弥のイメージもだいぶ変化しました。
恩田:まさか彼が主役を張ることになるとは。『MAZE』を書き上げた頃は、まったく予想していませんでした。それなりに長い年月を積み重ねてきたキャラクターなので、『MAZE』からお読みの方には、成長を感じてもらえるんじゃないでしょうか。
──ありがとうございました。シリーズ次回作も楽しみにしています。