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「――君は、実は両刀遣いだったんだねえ」
多田が何気なく呟いた一言を、恵弥は聞きとがめた。
「あんた、何を今更、そんなことにしみじみ感動してるわけ? あたしら、結構長いつきあいだと思うんだけど」
「違う、違う」
多田は苦笑して首を振った。
「僕が言っているのは甘いものと辛いもののことだよ」
「なんだ、そっちか。紛らわしいわね」
「紛らわしいのは君のほうだろ」
互いに鼻を鳴らす。
海の気配は、ずっと続いていた。大きな建物が増えてきて視界からは消えたものの、そばに海があるという存在感が消えることはない。
多田は人差し指でヒゲを掻いた。
「だって、酒は何度も一緒に飲んでるけど、甘いものを食べてるところを見たことがなかったからな」
二人とも黙り込み、これまで共有した歳月をほんの少し振り返った。
恵弥が肩をすくめる。
「そういやそうかもね。だけどさ、考えてもみなさいよ、これまでのあたしたちの置かれてた状況を。あんなサスペンスフルな状況で、野郎二人でお茶してケーキ食うヒマなんかなかったでしょうが」
「それはそうだな」
多田は大きく頷いた。
「あんたは辛党? 甘いもんダメなの?」
「いや。あえて自分で買って食べようとは思わないけど、昔ながらのシュークリームとかショートケーキなんかは、あれば食べるよ。もちろん、カステラも」
「お子ちゃまの基準だわね」
「最近のお菓子はあまりにもいろいろあって、名前も難しくて覚えられないよ」
「それには同感だわ。いつのまにかパティシエっつうのも珍しくない職業になっちゃったものね」
「たまにデパートの地下のお菓子売り場に行くと眩暈がする。世の中にはこんなにお菓子がいっぱいあるんだって」
「うんうん」
多田は思い出すような表情になった。
「そうか、君のうちは女系家族だから、甘いものは見慣れてるんだな」
「ご明察。うちのばあさんは裏千家の先生だったから、ちっちゃい頃からみんなでお茶菓子だのなんだの、しょっちゅういろんなお菓子食べてたわ」
「それが、その、N崎出身のおばあさんなのかい?」
「うん、そう」
「その――暗号みたいな遺書を残した人だね?」
「暗号なのかなんなのかも分からないけどね」
二人の周りは、少しずつ賑やかさを増してきた。繁華街が近付いてきているという雰囲気がある。
どことなく空気が甘い。
南のほうに来ていると自覚しているせいだろうか。この街は二月という厳寒期なのに寒さが柔らかい。あるいは、単に久しぶりにフリーな立場で旅に出ているからウキウキしていてそう感じるだけなのかもしれない。
「――『N崎が遠いので』」
「え? 何?」
恵弥の呟きが聞こえなかったのか、多田が声を張り上げた。
「『N崎が遠いので』。そういう言葉があるんだって」
恵弥がもう一度繰り返すと、多田はきょとんとした。
「初めて聞いた。それもおばあさんに聞いたの? どういう意味?」
「要するに、N崎から離れたところにあるんで、おいしいものは出せません。たいしたご馳走はできません、っていう謙遜っつーか、卑下っつーか、家に来たお客さんに言う決まり文句みたいなもんだったらしいわ」
「へえー。面白いね。それ、九州地方の? エリア的には、どの辺りまで使えるんだろう? つまりは、N崎というとご馳走というイメージがあったわけか」
「そうみたい。特に、砂糖ね。昔は砂糖は貴重品だったから、すっごいご馳走だった。今だって、あたしたちが子供の頃くらいまでは、『甘ければ甘いほどご馳走』みたいなところがあったじゃない?」
「あった、あった。田舎に行くと、出てくる料理がやたら甘いんだよね。煮物とか、ちらし寿司とか」
「日本の料理は、砂糖よく使うのよね」
「遠足の麦茶にも砂糖入れてたよな」
「あー、あたし、あれすっごく苦手だったわ」
「僕もだよ。だけど、そうしてる子、結構いたな」
「今飲んでみたら、どうなのかしらね。意外にイケたりして」
「そのうち商品化されるかもな」
二人で声を揃えて笑った。
恵弥は、ふと、懐かしいような心地になった。
祖母と話したのは大昔のことだが、ふわりと頬を撫でた風の中に、彼女がいるような気配を感じたのだ。
反射的に周囲を見回す。
んまあ。これまでろくろくばあさんのことなんか思い出したことなかったのに。あたしってば、感傷的になってる? それとも、やっぱフリーになって余裕こいて、余計なこと考えるヒマができたってことかしら。
恵弥は幹線道路を走る車に目をやった。
「N崎から佐賀を抜けて小倉に向かうN崎街道は、別名シュガーロードと呼ばれたんだって。きっと、砂糖はN崎から来る宝物、みたいな感じだったんじゃない?」
「シュガーロードか。夢のあるネーミングだね」
「昔は医薬品だったわけだしね、砂糖は」
「嗜好品のほとんどは、最初のうちは薬だったわけだろ。『カステラ』も、卵ボーロの『ボーロ』も、語源はポルトガル語だよね」
「お菓子でなくとも、ポルトガル語が語源て言葉、結構あるのよね」
「ポルトガルって国、普段はほとんど忘れてるな」
「カステラも、日本で独特な進化を遂げたらしいわ。本家のもんとはずいぶん違うらしいの。前に、N崎のカステラ屋の息子が本家のポルトガルのお菓子屋に修業に行くっていうドキュメンタリー、見たことあるわ。向こうのは素朴な焼き菓子って感じ。正直いって、日本で進化したカステラのほうが断然おいしくて、向こうの菓子職人がその子の実家のカステラを逆輸入するってオチがついてたけど」
「ははは」
多田は愉快そうに笑う。
「砂糖ってすっごい魔力があるわよねー。甘いもの中毒の人、いっぱいいるじゃない? やっぱ、中毒性があるものってたいていイケナイものよね」
「過ぎたるは及ばざるがごとし、さ」
「狂言にもあったじゃん。主人が砂糖のことを『毒だから絶対に口にしてはいけない』っていって出かけるんだけど、おバカな家来が全部食べちゃうって話」
「『附子』だね」
恵弥は凄い形相で多田を見た。
「ブス? なにそれ、あたしに言ってる?」
多田が苦笑した。
「違うって。狂言のタイトルだよ。主人が砂糖のことを『附子』という名前の毒だと言うんで、そういうタイトルが付いてるんだ」
「それってすごいネーミングねえ。確かにすごく毒っぽい名前だし、実際当たってなくもないしー。昔の人は偉いわねえ」
「どこに感心してるんだか、今いちよく分からないな」
「とにかくー、今回あたし、ばあさんの形見をお供にして、スイーツなツアーもするから、よろしくね。別につきあわなくてもいいけどさ」
「ご自由に。ほどほどにつきあわせてもらうよ」
「あ、そうだ」
恵弥は突然立ち止まり、膝を叩いた。
「あんた、お醤油持ってきた?」
「醤油?」
「こっちのお醤油は甘いのよねえ。たまり醤油ってやつ?」
「ああ、そうか。いや、持ってきてない。君は?」
「あたし、持ってきたわ。もしかして、甘すぎたら困るかなと思って」
「用意周到だねえ」
「だって、バカンスなんですもの。愉しむためには準備が大事よね」
恵弥は「くふふ」と口の前に手を当てて笑ってみせ、多田を軽く睨んだ。
「あんたはリハビリと悪巧みよねえ? そろそろ打ち明けてみない? なんでわざわざこんなところまで付いてきて、大学の先生を紹介しようなんて思いついたのか」
多田はぎょっとしたような顔になり、一瞬動きが止まった。
「ほら、見なさい。何か後ろめたいことがあるんなら、告白は今のうちよ。またあたしを騙そうってんなら、今度こそ倍返しするからね」
恵弥も足を止め、腕組みしてじっと多田を見つめる。
多田の顔に、ほんの少し赤みが差してきた。かすかに逡巡したようにも見えたのだが、やがて笑って首を振った。
「滅相もない。本当に、今回は他意はないよ」
「本当に? 鳩が出たり、バケモノが出たりしない?」
「何も出やしないよ」
多田はそう言って、また歩き出した。
が、恵弥の前でもう一度立ち止まる。
杖を握る手に、力がこもるのが分かった。
「ただ」
「ただ、何? あんたの苗字で駄洒落を言ってるだけなら殴るわよ」
恵弥がそう背中に声を掛けると、多田はひと呼吸おいて振り向いた。
「先生と一緒に会ってほしい人がいるんだ」
「はい?」
恵弥は顔を突き出した。
「誰よ、それは?」
「君の見合い相手」
恵弥は黙り込み、真顔の多田を見た。
「――嘘でしょ?」
「――嘘だよ」
真顔で答える多田。
「あんた、ほんとに殴られたいの?」
「いや、ちょっと前回のことを思い出して、言ってみただけだ」
「あんたの冗談は冗談に聞こえないところが欠点ね」
「たいした話じゃないよ――せっかくだから一緒に紹介しようと思っただけで」
「だから、誰なのよ」
恵弥は多田に詰め寄った。
多田はニヤリと笑う。
「まあ、それは会ってのお楽しみということで。大丈夫、今回は絶対に危険なことはないから」
「だからさあ、あんたのそれが当てにならないんだってば」
やっぱり、こいつと一緒にいるとロクなことがないってこと? おばあちゃん、こいつのせいでひどい目に遭いそうになったら、あたしを守ってね。
「あー、やっぱり、杖で長いこと歩くと、だんだんきつくなってきたなあ」
多田はわざとらしく哀れっぽい溜息をついてみせた。
「タクシー拾って、ホテルにチェックインしよう」
なーにが、リハビリよ。
恵弥を無視して、タクシーに向かって手を上げる多田の横顔を、恵弥はむかむかするデジャ・ビュと共に、今にも噛み付きそうな表情で見つめていた。
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