3
数日後、道雄と部下たちは捕虜収容所から解放された。迎えに来た日本軍の自動貨車に乗り、第七団が駐留する越村まで戻ることができた。
越村では、約束通り、部下たちに帰国の許可が下りた。皆は跳びあがって喜び、帰国用の汽車に乗る準備を始めた。が、道雄だけが大陸に残ると知れ渡ると、部下たちは絶句し、お通夜の席のように静まりかえった。
道雄は朗らかに告げた。「心配するな。残務整理が終われば、おれもすぐに帰国する。乗る船は異なるから無駄に捜さんようにな」
表情を和らげてほっとすると、部下たちは再び作業に戻った。
道雄の元には、坂木から荷物がひとつ届いていた。
包みを開いてみると、平凡な夏向けの平服一式が出てきた。駐屯地を出発する時点から、軍服ではなく平服を着てこいという意味だ。今回の任務は、軍服では行動できないというわけか。
駅で部下たちを見送るとき、道雄はこの服を着て出かけた。
平服姿の道雄を見て、『おれもあとから帰国する』と告げた嘘を、部下たちは信じた様子だった。坂木の配慮が、ちょうどいい目くらましになった。
汽車に乗り込む人々の後方で、道雄は吉永伍長をつかまえて耳元で囁いた。「無事に日本へ戻るまで皆の面倒をみてやってくれ。日本の土を踏むまでは何が起きるかわからん。別の戦線へ送られそうになったら、徹底的に抵抗するか、すぐにその場から逃げ出せ。大連以外では、青島からも引き揚げ船が出ている」
「承知いたしました。軍曹殿もお気をつけて。また日本でお目にかかりましょう」
「ああ、達者でな」
警笛が鳴り汽車が動き始めると、部下たちが次々と窓から身を乗り出した。道雄に向かって大きく手を振った。念願かなって日本へ帰れるのに、皆、ぽろぽろと涙をこぼしていた。「軍曹殿! お世話になりました、ありがとうございます」「本当は一緒に帰りたかったです」「どうかご無事で」「一日も早く、日本へ戻ってきてください」
汽車の騒音に掻き消されぬよう、道雄も大声で叫び返した。「おれのことは気にするな。故郷へ帰ったら、これまでの分も親孝行しろ。家族をいたわってやれ。わかったな!」
溢れんばかりに引き揚げ者を詰め込んだ汽車が、遠くかすみ、完全に見えなくなるまで道雄は手を振り続けた。
手をおろしたとき、曰く言いがたい脱力感が、どっと押し寄せてきた。
口を半開きにして空を仰ぐ。
ああ、おれも日本へ帰りてえ。
新たな任務に対する不安に悶々としつつ、道雄は駅舎の外へ向かって歩いた。
道雄が捕虜収容所に入るきっかけとなった曜邱の戦い。これに駆り出されたのは一九四七年五月。先月のことである。
戦争が終われば、軍隊は武装解除し、戦地から兵隊を帰国させるのが通常の流れだ。ところが兵の一部は、第一軍の軍司令部から山西省に留まれと命じられた。
軍司令部から兵隊への圧迫は強烈だった。いますぐ帰国したいと言い出す者を懇々と説得し、ときには最初から選択の余地を与えない形で話を進め、承諾するまで解放しようとしなかった。
それと同時に、部隊内には、なんの根拠もない噂や、ことさらに恐怖心を煽る噂なども広がっていった。『中国に対して勤労奉仕を行わなければ日本兵は帰国できない』とか『苦労して帰っても、社会は荒廃しきっており、食べ物すらない』とか『いまの日本ではアメリカ兵が傍若無人に跋扈しており、男はみんな去勢され、女は慰みものにされている』等々。つまり、まだ大陸に残って様子を見るべきだ、日本へ帰るのは世の中が落ち着いてからでいい、という考え方が徐々に浸透していったのだ。
これらの重圧に耐えかねて、「仕方がない」とか「誰かが残らねばならぬのであれば自分が」と、命令を受け入れる者が徐々に現れた。道雄も強く説得され、渋々「わかりました」と応えた。直属の上官も含めて皆が残ると言うので、どうにも断りづらかったのである。
このとき道雄は上官から、「山西省に残す部下の人選は、五嶋曹長とおまえに任せる」と上官から言われた。帰国したがる兵隊たちを抑え込み、必ず、一定数を残留させろと命じられたのだ。
胃がきりきりと痛む作業が始まった。
残留兵に関しては、「従軍年数の長い古参兵から先に帰国させる」という取り決めがなされたため、従軍年数が少ない者や初年兵ほど強く慰留される形になった。だが、一日も早く帰国したいのは古参兵も初年兵も同じだ。帰国を後回しにされたい者など、ただのひとりもいない。自分も日本へ帰りたいと訴える若い兵隊を、道雄は懇々と説得し、ひとりずつ残留の意思を取り付けていった。
道雄はこの残留任務を、「せいぜい鉄路の警備ぐらいだろう」とたかをくくっていた。鉄路周辺を見張り、共産党軍の工作員を見つければ、小銃で狙い撃ちにすればいいのだと。
だが、実際に始まったのは戦中と変わらぬ戦闘だった。いや、それ以上に激しかった。共産党軍はいつのまにか膨大な兵数を擁し、兵隊の練度も上がっていた。かつてと同じ軍隊とは思えぬほどだった。
五嶋曹長は、ある日、ついに軍司令部に直訴した。『共産党軍の動きが想定していたものと異なります。我が軍の部隊を率いる隊長の戦死報告が、各所から次々と届いております。状況から鑑みるに、共産党軍が山西省を包囲する形で動いているのは明らかです。もはや、鉄路の周辺を警備すれば事足りるという話ではありません。我々は危機的な状況にあり、早急に作戦を練り直す必要があるかと存じます』
黙れとその場で一喝された。貴様は軍司令部の判断に逆らう気か、戦争は終わったが我が軍は解散しておらん、お国の未来のために大陸で踏ん張っておるのだ等々、わけのわからぬ説教をされ、なおも反論すると拳で猛烈に殴られた。
軍隊においては司令部や上官の命令は絶対だ。絶対である代わりに、すべての責任は上が背負い、部下には担わせない。
だが、もし、上の判断が間違っていたら?
間違いを指摘して作戦を変えてもらうのか。あるいは、ひたすら上を信じて、不利な戦いでも続けるべきなのか。
五嶋曹長とて悩みに悩んだ末の直訴だったが、それは虚しい結末を招いただけだった。
肩を落として戻ってきた五嶋曹長に、道雄は彼を慰めるつもりで声をかけた。「我々は、まだ粘れます。上が『退くべきではない』と言うなら、兵隊はそれに従うだけですよ」と。
すると、温厚で知られた五嶋曹長が顔を朱に染め、激しく言い放った。「このままでは、残留期限が切れるまでに我が軍の兵はひとり残らず死ぬ。だが、おれもおまえも、死なせるために部下を大陸に残したわけではあるまい。必ず生き延びて日本へ帰る。そのために全力を尽くしてきたはずだ」
その直後の戦いで、五嶋曹長は戦死した。
訃報を聞かされた道雄は呆然となった。
そして、終戦から一年九ヶ月が経過したある日。
曜邱を巡回中の特務団の小隊から、『中共軍と交戦中、救援頼む』と緊迫した内容の無線連絡が飛び込んできた。
すぐさま道雄が所属する第七団が応じ、他の団や、山西省軍の二個団も前線へ駆けつけた。
曜邱で交戦した共産党軍は驚くほど手強かった。軽装ながら一歩も退かぬ勇猛な兵隊が、小銃を手に怒濤の如く押し寄せてきた。撃たれても撃たれても前進をやめない。
道雄は直感的に「このままでは、まずい」と察し、吉永伍長に声をかけた。「ここはもうだめだ。退くぞ」
吉永は非難の目を向けてきた。「軍曹殿、そのような命令は出ておりません」
「こんなところで無駄死にする気か。さっさと逃げるぞ、皆を集めろ」
退却をためらう吉永は、かつての道雄と同じだった。五嶋曹長に向かって、『我々は、まだ粘れます』と言ってしまった自分と。あの戦いで五嶋曹長だけでなく、どれほどの数の若者が命を失ったことか。皆、故郷へ帰る日を夢みながら戦っていたのだ。戦争が終わったと知っていながら、帰るに帰れず、散っていったのだ。
道雄は語気を強めて言い返した。「退却する。急げ」
そのとき遠方から、びりびりと大気を震わせる咆哮が押し寄せてきた。前線の一角が破られ、一万人を超える共産党軍の兵隊がなだれ込んできたのだった。
道雄の部隊は敵兵と激しく撃ち合いながら後退し、曜邱の近くに広がる森へ逃げ込んだ。藪に身を潜め、敵に見つからぬように慎重に移動した。後方陣地へ戻るまでにかなりの時間を要したので、辿り着いてみれば味方はひとりも残っていなかった。第七団の駐屯地である越村へ引き揚げてしまったのだ。
共産党軍による攻勢の激しさに、道雄の部隊は全滅したと見なされたらしい。あとで知ったのだが、実際、このときに複数の分隊が全滅し、隊長は敵に処刑されたという。
幸い、曜邱から太原に向かっては、石太線という名の鉄路が続いていた。これに沿って歩けば、太原を経由して、迷わず越村まで戻れる。
道雄は生き残った兵を引き連れ、鉄路に沿って歩き始めた。初年兵たちは、魂が抜けたような虚ろな表情で黙々とついてきた。
この後、まさかスパイ容疑で山西省軍に捕縛され、捕虜収容所に放り込まれるとは、誰ひとり想像せぬままに。
4
道雄が駅の外へ出ると、坂木が迎えの車の傍らで待っていた。今日は中国人のように中山服を着て、丸い黒眼鏡をかけている。そんな格好をしていると、本物の中国人と区別がつかなかった。
運転手は収容所で出会ったあの記録係だった。こちらは道雄と同じく、シャツにズボンという西洋式の出で立ちである。この男が運転してくれるなら、車内でも安心して作戦について話し合える。
坂木に「乗れ」と命じられ、道雄は黙ってうなずいた。
黒塗りのフォードのトランクには、既に、道雄の私物をまとめた荷物が積まれていた。チベットに持参するもの以外は先に港へ届けるのだ。任務の性質上、どこの港からの帰国になるかわからない。今後の動き方によって荷物の送り先は変更となる。道雄たちがチベットから戻るまでは、信用できる貿易商が倉庫で保管してくれるらしい。任務の途中で道雄が死亡すれば、これらは遺品として、日本で待つ家族に届けられる。
道雄が後部座席に乗り込み扉を閉めると、坂木は言った。
「極秘任務である以上、本日以降、君は日本兵と名乗ることを許されない。誰かが君の身元を調べるために軍司令部に問い合わせても、該当者はいないという返事がなされる。軍隊手帳は作戦の担当者に預ける。チベットへ持ち込むわけにはいかんのでな」
「兵隊でなかったら、自分はなんなのですか」
「さあ、なんだろうな。それは君が自分で決めたまえ」
道雄は黙り込んだ。日本兵ではない自分。それは何者なのだろうか。
坂木は続けた。「ここから軍の飛行場へ向かい、四川省の成都へ飛ぶ。そちらで必要品をそろえ、他の兵と合流する」
「自分は、チベット語をまったく喋れないのですが」
「彼が担うから心配はいらん」坂木は運転席を親指で指し示した。
道雄は目を丸くした。「中国人を我々の部隊に加えるのですか」
「そうだ」
国民党軍からの監視役だろうか。日本兵が任務を放棄しないように見張り、ときには処分も担うのかもしれない。
坂木は言った。「彼はチベットに住んでいた時期がある。複数の外国語に堪能だ」
「成都からチベットへは、どうやって」
「大半の移動手段は徒歩だ」
「は?」
「チベット近辺の上空は気流の状態が不安定だ。ベテランのパイロットでも飛びたがらない。戦中、アメリカ軍は、インドやビルマから国民党軍へ援助物資を運んでいた。知っているな」
「はい」
「そのとき陸路だけでなく空路も使った。ところが、多くの航空機がこの空域で墜落した。それぐらい、この周辺の気流の乱れは読みづらい。加えて、チベット付近には高山地帯が広がっている。機内の気圧を下げすぎないためには一定の高度を保つ必要があるが、下げすぎると高山地帯に衝突しやすい。操縦を誤れば山肌に激突しておしまいだ」
「落下傘での降下も無理ですか」
「この空域で、かつて空輸機の事故によって、やむなく落下傘で脱出したアメリカ兵がいる。幸い、チベット領内で救助されたそうだが、これは非常に特殊な例だ。落下傘の流され方によっては、道もない険しい山腹に取り残される。季節や場所によっては、夜間の気温が氷点下二十度あたりまで下がる地域だ。すぐに体力を奪われて凍死する」
「では、時間や手間がかかっても、地上から入るのが確実だと」
「そういうことだ。日本人は、明治時代から仏教関係者が徒歩でチベットに入っている。近年では陸軍の密偵が潜伏していた時期もある」
坂木は服のポケットから煙草の箱を出し、一本抜いた。今日は道雄には勧めなかった。煙草を指に挟んだまま喋り続けた。「チベットは中国と対立しているから、敵の敵は味方という理屈で、戦前から日本にも多少は関心を持っていた。だが、目下のところチベットが最も頼りにしているのはアメリカだ。アメリカの助力を得られれば、中国に対抗して、国としての立場を保てると考えている」
「アメリカは戦後も蒋介石を支援してきたのに?」
「それは、あくまでも反共政策においてだ。チベットについてはまた別の話だよ。蒋介石は、清王朝時代のようにチベットを支配下に置き続けたい。チベットはこれに強く反発している。アメリカはどちらの味方をする気か。まだ読めん」
複雑な関係だ。
敵と味方を単純には色分けできない、大陸の混沌そのもののような状況。
坂木は指先で煙草を弄びながら言った。「陸路でチベットに入るには三つのルートがある。ひとつ目は北側、青海省を経由して入る道だ。戦中までは日本人もよく使った。だが、目下のところ、共産党軍との遭遇率が最も高いルートだから危険すぎて使えない」
煙草を口にくわえると、坂木は鞄に手を伸ばし、折りたたまれた地図を取り出した。道雄の膝に置く。開いてみると、中国からインドあたりまでを詳細に見渡せた。
山西省から青海省への最短ルートを選ぶと、どうしても、共産党軍がいる陝西省を横切る形になる。かといって、モンゴル側へ迂回すると、かなりの遠回りになってしまう。
煙草を唇から引き抜くと、坂木は続けた。「ふたつ目は南側、ネパールを経由して入る道だ。南側の国々との交易ルートにもなっており、過去には、こちらから入った日本人もいる。ヒマラヤ山脈を越えていく、かなり急峻な道だ。ただ、山西省からネパールへ赴くには、航空機による長距離の移動が必須だ。複数の国をまたぐ形となる。各国を通過する際に、政治的な理由で足止めを食らうと身動きがとれん」
「なるほど」
「下手をすると、ここでアメリカの諜報員と鉢合わせだ。チベットに入る前に揉め事が起きる」
「昆明とディンジャン間をなんらかの方法で経由し、ディンジャンから北上して、チベットの首都へ至る方法はないのですか。地図で見ると、ここが最も近いようですが」
「残念ながら、この地点からチベットへ入れる道はない。道案内できる者もいない。無理に入れば遭難確実というルートだ。それに、インドはイギリスの統治下にある。ここもまた、アメリカの諜報員や部隊と遭遇する可能性が高い。チベットへ入るルートは限られているからな」
チベットが未だに秘境と呼ばれるのは、この自然環境の過酷さに理由があると坂木は言った。「大隊や師団のように装備も物資も大量に備えた集団なら、山越えにはさほど苦労しない。だが、個人や小集団が潜入するには、未だに苦労が多い」
「では、どこから入るのですか」
「ここだ」坂木は地図の一点を指で押さえた。「三つ目は、中国の四川省から入る道。山西省にいる我々からは、最も近く、共産党軍による妨害も受けにくい。この道は、磚茶(「だんちゃ」とも読む)をチベットへ輸出するために、千年以上も使われてきた道だ。茶馬古道と呼ばれている。戦中には、援蒋ルートとしても使われた。茶馬古道は、雲南省と四川省の二ヶ所に出発点があるが今回は後者を使う。四川省の外へ出たら、そこから先は、もうチベットの土地だ。まっすぐに首都のラサまで進んでいける。我々は雑貨商人に扮し、ラバを連れた隊商に加わる。ベテランの隊商の頭目に大金を払い、道案内を頼んでおいた」
「これはラサへの直通ルートですか」
「そうだ。案内人がいれば迷いはしない。我々が使うのは多くの隊商が行き来する道だ。平坦な道ではないが、君たち歩兵の足なら大丈夫だろう」
「チベットの平均標高は」
「四千メートル以上だ」
富士山の頂上よりも高い。
周囲には六千メートルを超える急峻な山々が連なる、と坂木は続けた。
道雄は溜め息を洩らした。「慣れないと高山病で倒れますね」
「時間をかけて到達すれば体は慣れていく。日数を費やし、徒歩で入国する利点のひとつがこれだ。現地で高山病を理由に動けなくなるなど、洒落にならんからな」
「最も警戒が必要なのは、どこの国の部隊ですか」
「この情報が外部に洩れているなら、まず、アメリカは絶対に黙っていない。該当人物を取り戻すために部隊を送り込んでくるだろう。共産党軍も、事の重要性を知れば該当人物を欲しがるはずだ。党の将来のためにな」
複数国の部隊を警戒するわけか。
遭遇と衝突の瞬間を想像すると頭が痛い。
道雄は訊ねた。「そこまでわかっていて、この任務を受けたのですか」
「このまま山西省にいても埒が明かんだろう。国民党軍の盾として使われているのは同じだ。君は『残留期限が切れれば帰国できるはずだ』と言ったが、現状、そう簡単には済まん状況になっている。第二次残留組の選定が始まっているぞ。二年の期限が来ても、帰れない者は帰れない」
道雄は愕然とした。
二年の約束が反故になるだと?
軍司令部は、どこまで兵隊を粗雑に扱う気だ。
坂木は、にやりと笑った。「山西省での戦いなんかで、くたばってたまるかということなのさ。少しでも生き延びられる可能性があるなら、私はそちらのほうに賭ける。我々には日本へ帰る権利がある。空襲でどれほど破壊されようが、生活苦から人心が荒れ果てていようが、日本だけが私の祖国だ。君だって同じだろう」
拳をつくると、坂木は道雄の胸をぽんと叩いた。「こんな任務で死ぬな。なんとしてでも生きて日本へ帰るのだ。今回の目標は敵の殲滅ではない。いかにして、目的の人物を連れ出せるか。ここに要点がある。極端な話、一発も弾を撃たずに目標を達成できるなら最高だが、まあ、現実にはそれは有り得ない」
「他人から死ぬなと言われたのは二度目です」
「ほう」
「曜邱に出撃する少し前、お世話になった曹長から『逃げろ』と。自分はその言葉の重みを理解できず、部下を大勢死なせてしまいました」
「ふむ」
「だから今度は本気です。この任務に加わる者が、全員、無事に生きて帰れる道を探しましょう。生きて日本へ戻れるなら、自分も、どんなことでもやります」
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