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 頭をさげた小林が、親身な目を和樹に向けた。

「話を戻しますが、唐津沖での散骨を終えた晩に、嬉野温泉の宿で、意を決した瑤子さんに迫られたら、どうするつもりなんですか? 法廷では〝鬼〟の異名をとっていても、お義兄さんをよく知る者としては、蛇に睨まれた蛙で、女性の言いなりになってしまうというのが、大変失礼ながら、最もありがちな展開に思えますが」

「うん。ぼくもそうなったら切り抜けられる気がしない。でも、こっちには奥の手、切り札があるんだ」

「例の不同意性交罪を男性の側から訴えて、理性的に窮地を脱するつもりですか?」

「違う。きみも知ってのとおり、ぼくは酒が一滴も飲めないだろ。瑤子さんも、それほど強くはないようだが、多少は飲めるらしい。つまり、テーブルには、白ワインかビールか、なんらかのアルコール類が入ったグラスが置かれているはずだから、もうダメだとなったら、ぼくにとっては毒薬同然であるそいつをグイっとあおっちまう。急性アルコール中毒をおこして、救急車で病院に担ぎ込まれるハメになることはあっても、死にはしないと思う。そのあたりのさじ加減を唐津行きまでにたしかめておきたいんだが、注射の前の消毒で肌がかぶれるくらいアルコールに弱い体質だから、まだ試していない。しかし、この方法なら、間違いなく窮地を脱せる。どうだ、これぞ奥の手、切り札だと思わないか」

 和樹は話すにつれてうきうきしてきたが、聞き終えた小林は険しい顔で首を振った。

「切り札どころか、悪手も悪手。それだけは絶対にやめてください」

「どうして?」

「わからないんですか。いくらわが身を守るためとはいえ、それが女性にとってどれほどの屈辱か。ぼくはね、諏訪先生の幸せをもちろん願っていますが、経緯はどうあれ、未婚の男女が泊りがけの旅行に出る以上、それなりのことがあっても致し方がないと思います。それを、女性に大恥をかかせてまで拒もうというのなら、最初から行かなければいい。そのほうがずっと誠実な対応なのではないでしょうか。ましてや、大隅瑤子さんはおとうさまも亡くされて、天涯孤独の身のうえになったわけですよね。お義兄さんの奥の手、切り札は、そうした女性の弱みにつけ込むよりもなお悪いと、ぼくには思えます。そんなことまでして貞操を守ってみせても、諏訪先生は喜びませんよ」

 真っ向から否定されて、和樹は一言もなかった。それと同時に、この結論には自分ひとりでは決して至れなかったと痛感してもいた。なにより腹立たしかったのは、男女関係についての自分のこどもっぽい考え方だ。痴情のもつれが原因でおきた数多の刑事事件を裁いておきながら、男女の機微というものが、根本的にわかっていなかったのだ。

 だからといって、公判において、自分がことごとく誤った判決を言い渡してきたことにはならないが、よくも明白な誤判を犯さずにすんできたものだと和樹が自省の念にかられていると、インターホンが鳴った。少し遅めの十二時半に頼んでおいたデリバリーサービスが到着したのだ。

「はい、山村です」と応じた和樹はボタンを押してエントランスのドアを開けた。

「お義兄さん、お昼はたしか仕出し弁当でしたよね」

「ああ、そうだ」

「ぼく、それをいただいて、おいとましてもいいでしょうか。おおよそのことは、もう話した気がするので」

「うん、それならそれでかまわないけれど」と応じながら、和樹はひそかに胸をなでおろしていた。配送を頼んだのは、四月三十日の晩、東大附属病院に戻ってきた瑤子さんが持たせてくれたお弁当だったからだ。

 話のタネにするためではなく、四月に東京に戻ってから日が浅いため、おいしい仕出し弁当を頼める店をそこ以外に思いつかなかったのである。

 さらに、テーブルに置かれているペアのカップと小皿は、任官十年目に判事補から判事に昇格したお祝いに、大隅判事夫妻から贈られたものだ。桃と橘の絵が描かれた鍋島焼のペアカップはとっておきなので、来客用のコーヒーカップとなるとロイヤルコペンハーゲンのセットしかなかったからだが、由来を話せば小林が眉をひそめることに和樹は会話の途中で気づいた。

「今日は、話の流れとはいえ、言いたい放題を言って、申しわけありませんでした。さぞかし耳が痛かったことでしょう。しかし、お義兄さんはやはり大物ですよ。どの業界のひとでも、偉くなると、自分の弱みを突かれまいとしますからね」

 それはまったくの買いかぶりだと恥じ入りながら、和樹は届けられたばかりの仕出し弁当を一つ、小分け用の紙袋に入れて、小林に持たせた。そして、ひとりになった部屋で、自分はいったいどうなるのだろうと不安を抱えたまま、小林に持たせたのと同じ洋風のお弁当を食べた。

 昼食を済ませて一服すると和樹は仕事部屋に向かい、大山怜を被告人とする控訴審に関連する書類を机に並べた。そのなかには、昨日の午後に東京高裁の会議室でおこなわれた進行協議に関するメモもあった。

 本件についての記録はほぼ頭に入っており、目をつむると、膨大な文書が脳内に呼びおこされて、「さて、どうなってゆくのかな」と和樹はつぶやいた。

 進行協議は、控訴審の第一回公判期日に先立ち、弁護人、検察官、裁判官の三者によっておこなわれる打ち合わせだ。井野判事が主任裁判官、和樹が裁判長を務める裁判体としては、四名の弁護士からなる弁護団が被告人と十分な意思疎通を図れているかどうかを知るべく霞が関の庁舎にお出まし願ったのだが、主任弁護人である原圭太弁護士は言葉を濁すばかりだった。第一審の弁護人を務めた弁護士との連絡もろくに取れていないらしい。

「おおよその状況はわかりました」

 井野判事が落胆のまじった声で言った。

「それでは、本件控訴審の第一回公判期日において、弁護人は被告人への質問をおこなう予定はないということでしょうか?」

 井野判事が聞くと、四人の弁護士たちが一様に驚いた。

 刑事事件の第一審では、被告人に出廷の義務がある。そして、公判冒頭の罪状認否と、審理終了まぎわの最終陳述において、被告人は発言の機会を与えられている。

 一方、控訴審は、第一審の審理が適切だったかどうかを検討する事後審であるため、被告人は出廷しなくてもかまわない。また、控訴審において、被告人に陳述の機会は与えられていないが、弁護人による質問を裁判官が認めれば、被告人はそれに対する回答というかたちで発言することができる。

 一般的に、控訴棄却の場合は、質問を認めないことが多い。ましてや、裁判官の側から弁護人による被告人への質問を促すことは異例だ。

「被告人への質問を認めていただけるのであれば、もちろん致します。それはその、つまり、第一審判決破棄の可能性があるということでしょうか?」

 四十代半ばと思われる原弁護士が、主任裁判官である井野判事ではなく、裁判長である和樹に向かって聞いた。和樹は目をつむり、返答する意思がないことを示したが、意気込んだ原弁護士はさらに続けた。

「被害者が生後四ヶ月の乳児で、児童虐待による傷害致死罪が適用されたとはいえ、情状を一切認めず、懲役十五年に処すというのは、いくらなんでも無茶ですからね、そもそも検察が求刑した懲役十年だって重すぎます。それなら、児童虐待による傷害致死は維持したうえで、検察の求刑を数年下回る控訴審判決が出るということなのか。それとも、児童虐待による傷害致死を認めずに、過失傷害ということになるんでしょうか?」

 たまりかねた中昌弘なかまさひろ検察官が咳払いをして、原弁護士が固まった。

「いずれの質問にも、この場でお答えすることはできません」

 井野判事がおだやかに拒絶して、原弁護士はハンカチで額の汗を拭っている。

「じつは、本件の弁護を引き受けたあとに、大きな裁判員裁判を担当することになったものですから、そちらの準備に大幅に時間をとられております。先日提出した控訴趣意書も、期限ぎりぎりになってしまい、しかもおよそ意に満たないもので、大変申しわけありませんでした」

 慌てて言いわけをする主任弁護人を尻目に、四人のなかでは唯一の女性弁護士が答えた。

「では、控訴審の法廷において、被告人に対する質問の機会が与えられる見込みであると、大山君に伝えます。そのうえで、第一回公判期日への出廷をうながし、質問内容についての打ち合わせをしてゆきます」

 二十代後半だろうが、四人のなかでは一番聡明で肝も据わっている。和樹は手元の名刺に目をやり、《鈴森すずもりゆう》という氏名を記憶した。

「弁護人による質問の内容ですが、控訴趣意書での主張にあるとおり、事件当時、被告人が置かれていた心身の状況が情状に値するものであり、被害者を死亡させた過失はやむを得ないものであったことを明らかにしてゆくものになると思います」

 鈴森弁護士は主に井野判事に向けて語り、和樹と柳田判事にも視線を送った。控訴審は控訴趣意書にのつとっておこなわれるため、わざわざ確認することでもなかったが、意気込み過ぎた主任弁護人の失態を取り繕い、弁護団として冷静な対応をしてゆくつもりであることを表明する意味で、適切な発言といえた。

「それでは、本日の進行協議の結果を踏まえまして、近日中に、第一回公判期日の日程を相談させてください。ご多用のところ、ご足労いただき、誠にありがとうございました」

 井野判事が丁寧な言葉で終了を告げると、四人の弁護士たちが一斉に起立して礼をした。田中検察官はいかにも不満そうだったが、なにも告げずに退出した。

 東大法学部での同級生だが、学生時代も含めて私的な交流はない。同じ公判を担当するのも初めてだ。たしかボート部で、コックスを務めていた。司法修習は和樹より二期あとになる。

 第二審である控訴審は、第一審に比べて、裁判官の裁量が格段に大きい。それだけ責任も重いわけだが、第一審での審理でしばしばみられる、検察による硬軟交えた牽制を受けずに審理をおこない、判決を言い渡すことができる。そして、それは同時に、弁護人による裁判官への働きかけも難しいことを意味している。本件の弁護団は年齢も若く、刑事事件の控訴審を受け持った回数も多くはないのだろう。ひょっとすると、四人とも控訴審は初めてかもしれない。だからといって、第一審での国選弁護人と同じく、被告人と意思疎通ができていないのでは、釈放後の更生もおぼつかないと言わざるを得ない。

「さて、どうなってゆくのかな」

 昨日の午後、進行協議を終えたあとの会議室でも、和樹はそうつぶやいた。

 そのときは、被告人・大山怜が逮捕から一年以上も勾留され続けていることへの同情が大きかった。被告人は初公判での罪状認否において、捜査段階での供述内容を撤回したうえで、過失致死を主張した。過失致死罪は五十万円以下の罰金であり、その主張が認められていれば、第一審の結審後、すみやかに釈放されていたわけだ。

 ところが、自白内容の撤回は逆効果となって、検察は情状を一切考慮せず、量刑相場よりも重い懲役十年を求刑した。さらに、一般市民である六名の裁判員が加わった裁判員裁判の裁判体は、求刑を大幅に上回る懲役十五年を言い渡したのである。

 ゴールデンウィーク明けからの数度の合議を経て、東京高裁第六刑事部は第一審判決の破棄を決めていた。医療鑑定の結果が明らかにしているのは、被害者である乳児が頭部の打撲によって死亡したことであり、それだけでは被告人による故意の傷害があったことの証明にはならない。その他の証拠も証言も、被告人による児童虐待を証明するものとは言いがたい。つまり、実質的な証拠は捜査段階での自白のみであり、刑事訴訟法第三一九条第二項は、自白以外の証拠がなければ有罪にできないと定めている。ましてや、被告人は捜査員の圧力や誘導があったとして、自白を撤回している。以上の理由から、第一審の審理において、被告人の犯行が立証されたとは言いがたく、検察が起訴事実として主張する傷害致死罪を適用することはできない。

 そのうえで争点となっていたのが、本件を第一審に差し戻すのか、それとも控訴審において過失致死罪を言い渡すのかだ。和樹の意見は後者で、井野判事も同調していた。一方、柳田判事は第一審への差し戻しを主張しており、第一回公判期日後におこなわれる合議では、その点を集中的に議論することになっていた。

 第一審への差し戻しは、原判決は破棄されるものの、第一審における審理が不十分であるために、そこで採用された証拠や証言だけでは判決が言い渡せないと、第二審の裁判体が判断したことを意味する。その際、どの点に関する審理が不十分であったかを指摘することにより、差し戻し審の審理を規定する。なお、上級審がくだした原判決破棄の判決を、差し戻し審は覆すことができない。

 本件について言えば、柳田判事も過失致死罪が相当とする点で、和樹や井野判事と見解を一にしていた。ただし、傷害致死罪が成立しないから過失致死罪を言い渡すという論法ではなく、乳児の死を招いた過失は、被告人が被っていた過度な心身の負担によるものであることを、差し戻し審において、より詳細に明らかにすべきと主張した。控訴審の第一回公判期日でも弁護人が被告人に質問をすることになったが、差し戻し審においては、被害者の実母に加えて実父も証人として出廷させて、被告人が置かれていた状況をより立体的に明らかにすべきであると柳田判事は主張した。

 和樹自身、東京地裁立川支部での第一審はあまりにさん、お粗末だと思っていた。ただし、本件と前後して発生した乳幼児が被害者となった刑事事件においても、同様の誤判がおきていたのは、育児ストレスを抱えた保護者は児童虐待をおこしがちであるというストーリーがマスコミやSNSを通じて社会全体に広がっていた影響が大きいと、和樹は思っていた。

 誤った情報を故意に流布するフェイクニュースが大きな社会問題になっているが、本件を含む児童虐待事件については、家庭内で多発する乳幼児の被害を防がなければならない、そのためにも加害者には厳罰をくださなければならないとの善意から出た処罰感情が司法の判断を誤らせたのである。

 揺さぶられっこ症候群事件は、その悪しき典型だ。育児に疲れた母親や父親が泣きやまないわが子を過度に揺さぶったことが原因で脳に傷害が生じた、もしくは死亡したとされた刑事事件の第一審で、傷害罪や傷害致死罪での有罪判決が相次いだのである。

 ところが、控訴審や上告審において、第一審で採用された医療鑑定に疑問符がつき、乳幼児はそれほど強い揺さぶりでなくても、先天的な要因から脳に傷害を受ける場合があるとされた。その結果、複数の事件について、逆転無罪の判決が言い渡されたのだが、配偶者の逮捕・起訴が原因で夫婦関係が破綻してしまった家庭も多く、刑事司法にたずさわる者として、和樹はざんに堪えなかった。

 それ以前にも、産科医がやり玉にあげられて、医学的には発生を防げなかった出産時の傷害が医師の過失と判断されたために、産科を志望する医学生が激減したことがあった。満員電車内での痴漢についても、いくつもの冤罪を招いた。

 マスコミには、権力に対する監視や社会啓発など、一定の役割はある。しかしながら、悪人探しともいえる傾向があるのは事実であり、そうした煽情的な告発が巷を賑わすたびに、和樹は起訴状一本主義の大切さを胸に刻み直してきた。世間知らずと謗られることもある裁判官だが、良い意味で世の風潮に左右されず、起訴状に簡略に記載されている事柄のほかはまったくの白紙状態で法廷に臨む起訴状一本主義の原則を墨守することには重要な意味があるのだ。

 大山怜を被告人とする本件第一審においても、育児疲れは往々にして児童虐待につながる、ましてや血縁のない子に対してはなおさらだという先入観が影響していたのは、ほぼ間違いない。裁判員の質問は、幼いわが子を亡くした母親に同情を寄せて、傷害致死の自白を撤回した被告人の非道を責めるものがほとんどだった。弁護人も、罪状認否において唐突に自白を撤回されたことで面目を潰されたためなのか、被告人を弁護する言葉には、記録を読む限り、淡泊な印象を受けた。

 柳田判事も、第一審の訴訟記録から同様の印象を受けたのだろう。そこで、第一審に差し戻すことによって、死亡した乳児の保護責任者は実母の岩永華蓮なのであり、彼女が事件当時二十歳だった若者にわが子の世話を連日、長時間にわたって託したことが適切だったのかが、より厳しく問われなければならないと主張した。その点を、差し戻し審において明らかにすることにより、過失によって乳児を死亡させた被告人の罪の意識を軽減し、更生を促したいという。

 前回の合議では、柳田判事がそうした意見のあらましを述べたところで時間がきた。和樹としても、その方向性には異論がないどころか、わが意を得たりと思っていた。しかしながら、第一審への差し戻しは、結審までに最低でも一、二年を要する。三、四年にわたる場合もある。その間も勾留は続き、それだけ被告人の社会復帰は遅れることになる。

 もう一点、和樹が第一審への差し戻しはしないほうがいいと考えていたのは、被告人・大山怜が最も恐れているのが、法廷において、岩永華蓮との関係が赤裸々にされることではないかと推察していたからだ。

 もちろん、第一審において、二人が同居に至った経緯は明らかにされていた。訴訟記録によれば、被告人がアルバイトをしていた立川市内のコンビニエンスストアで岩永華蓮は度々買い物をしており、事件がおきる一年ほど前から二人は顔見知りだった。親密になったきっかけは、コンビニ店内で岩永が貧血をおこし、大山が介抱したことによる。

 過去数回の妊娠と堕胎により、次に堕胎したら子は産めなくなると医師に告げられていた岩永は出産を決意し、身寄りのない貧しい若者を家に招き入れて同居が始まる。佐紀を出産後、ひと月足らずで岩永は新宿歌舞伎町のキャバクラに復帰し、赤ん坊の世話は大山に一任される。

 大山とのあいだに性的な関係があったことを、岩永は認めている。

「家に来てから二、三日後、自然にそうなりました」と法廷で証言しているが、十六歳の年齢差があり、最初は口腔による交接だった。どちらが誘ったのかが問題になるところだが、弁護人、検察ともにその点を追及していない。

 一方、大山は黙秘権を行使して、性的な関係があったか否かについての答弁を拒否している。きわめて頑ななその態度は、岩永との関係を嫌悪しているからだと取れなくもないが、弁護人、検察ともにその点も追及していない。

 和樹が大山に肩入れした見方をしているのは、前職である福岡家庭裁判所の所長として、類似の事例にいくつも接していたからだ。

 ホストクラブのホストが籠絡した女性から多額の金銭を搾取し、さらに売春まで強要する事件が社会問題となっているように、痴漢や強姦などの性被害においても、男性が加害者、女性が被害者になるケースが圧倒的に多い。

 しかしながら、成人女性が未成年男子と性的な関係を結び、相手を肉体的・精神的に支配するケースも少なくない。その場合、男子は性的な快楽から抜けだせなくなっているのではなく、自分がしてしまった行為に対する羞恥と嫌悪、さらにそのことをバラされたらという恐れから女性の言いなりになり、性的な関係を続けていたというケースが大半だった。相談が寄せられたのは氷山の一角で、じっさいには相当数の被害者がいると思われる。

 家庭裁判所は、地方裁判所と同格の司法機関で、離婚や相続など、家庭に関する事件の審判と調停、および少年事件の調査・審判をおこなう。地裁や高裁では、所長や局長が個々の事案に介入することは厳に慎まれているが、家裁では、その性質上、所長も担当の裁判官と共に善後策を講じることが度々あった。

 そうした経験から、岩永華蓮は性的に大山怜を支配していたのではないかと和樹は推察していた。同時に、大山は親の愛情を知らないがゆえの責任感から、乳児を置いて逃げだすことができなかったのではないかとも考えていた。

 幸か不幸か、第一審での弁護人は追及が甘く、二人が支配・被支配の関係にあったのではないかと問いただすことはなかった。問いただしていたとしても、検察が不適切な質問だと指摘して、裁判長によって退けられていた可能性はある。しかし、その質問をきっかけにして、事件に至る被告人の心情をより深く解明するべきではないかと、裁判員が考えていたかもしれない。

 昨日の午後におこなわれた進行協議において、弁護団に被告人への質問を促すことにしたのは、被告人に第一回公判期日に出廷してもらうためだった。裁判体として、法廷で大山怜と対面し、弁護人の質問に返答する態度などから心証を得ることで、その後の合議に役立てたい。

 和樹がそう提案すると、柳田判事も井野判事も賛成して、昨日の進行協議となったのだが、そうした段階を踏むぶん、第二審の結審は先延ばしになってゆく。

「さて、どうなってゆくのかな」という、進行協議のあとの会議室で和樹が漏らしたつぶやきには、そうした手続きを踏むぶん、勾留が長引いてゆく被告人に対する申しわけなさが込められていた。

 一方、義弟で音楽プロデューサーの小林亘が帰ったあとに移った仕事部屋で和樹が漏らした「さて、どうなってゆくのかな」には、大山怜に自分を重ねた、より切実なニュアンスが加わっていた。

 本件の被告人に、和樹はまだ会ったことがなかった。写真も見ていないし、声も聞いたことがない。さらに、年齢も四十歳近く離れているというのに、和樹は大山に強いシンパシーを感じていた。

 十歳の春に父が急死して、ひとり親家庭となったが、和樹はグレずに勉強に励んだ。同じ団地のひとたちも、大黒柱を失った一家を様々に助けてくれた。和樹にとって努力をするのは当たりまえのことであり、その努力は東京大学合格と司法試験合格というかたちで実を結んだ。

 そうした経歴から、和樹は親を亡くしたこどもたちへの支援をおこなう財団法人への寄付を続けていた。罪を犯したひとたちの更生を支援する団体にも寄付をしてきた。

 社会の不平等を完全になくすことはできないが、政府は経済的な平等を推し進める政策を採るべきである。また、不遇が重なって罪を犯してしまった者にも社会復帰の道を与えなければならない。

 そうした信念を抱き、和樹は今日まで裁判官として活動してきた。自分が信念を喪失したり、周囲のひとたちの信頼を失うといったことは想像もしてみなかった。ところが、唐津行きのなりゆきによっては、季実子さんはもちろん、母と妹夫婦との交際が絶えてしまうかもしれないのだ。

 生後間もない乳児に手を焼きながら、大山怜は岩永華蓮との関係を後悔していたにちがいない。あのとき、どうして家にあがり、そのまま泊まってしまったのか。いくら人恋しくても、いくら貧しくても、ひとりぼっちであることに耐え続けていたら、こんなことにならなかったのに。

 その一方で、腕のなかに抱いている赤ちゃんの健やかな成長も願っていたはずだ。この子には、自分が得られなかった愛情に恵まれた暮らしをさせてあげたい。血のつながりはないが、生まれたての赤ちゃんにとって、自分は父親同然の存在なのだ。

 これらの述懐は、訴訟記録のどこにも記されていなかった。つまり、大山怜に自分を重ねた和樹の心中に湧きおこった妄想、フィクションであって、こうした度を超えた同情は、裁判官として、和樹が最も慎んできたことだった。なぜなら、内心の自由は近代社会の根幹であり、被告人の心理も、審理に必要な範囲でのみ追及されるべきだから。ましてや、同情からとはいえ、証言されてもいない被告人の心理を裁判官が勝手に想像するなどもっての外だ。

 しかしながら、今や和樹は妄想の虜だった。来たる嬉野温泉での一夜において、自分は大山怜と同じような目に遭うのかもしれない。その瞬間にも、これはマズいかもしれないと感じていた深みに嵌り、その後の人生を大きく狂わせてしまうのだ。岩永華蓮との関係から抜けだせなくなり、疲労困憊した挙句に乳児を死なせて、逮捕・起訴されてしまった大山怜に対して、和樹は同志に寄せるような憐みを感じていた。

 近々おこなわれる第一回公判期日において、法壇中央に座す裁判長がそんな思いを被告人に向かって打ち明けたら、「あんたとおれを一緒にするな」と大山は怒るだろう。柳田判事と井野判事も、原弁護士をはじめとする弁護団も、検察官も、「鬼の山村がおかしくなった」と呆れかえることだろう。

 和樹自身、かりに瑤子さんと暮らすことになったとしても、家庭内において刑事事件が勃発するような事態にはならないだろうと思っていた。もっと言えば、案ずるよりも産むがやすしで、年下の妻と、いたって幸福な晩年をおくることができるかもしれない。

 にもかかわらず、女性との一夜において、その時点では望んでいない方向に人生が大きく逸れていってしまうかもしれないという恐れは、和樹をかつてなく動揺させていた。

「さて、どうなってゆくのかな」

 客観的な態度をよそおったことばをもう一度つぶやいた和樹は、自分がダブルのスーツを着たままであることにようやく気づいた。黒いネクタイもしたままだ。

 つまり、和樹は小林が帰ったあとも喪服を着たまま昼食をとり、その後さらに一時間以上も仕事部屋で立ったまま、もの思いにふけっていたのだ。

「先が思いやられるな。まさか、この歳になって、こんなに追い込まれることになるとはな」

 あえて声に出したあと、和樹は大きなため息を吐いた。そして、父の遺影の前に行き、手を合わせて、父はもちろん、大隅判事と、生後四ヶ月で他界した岩永佐紀の冥福を祈った。

 

(第11回につづく)