《大隅豊彦》

 スマートフォンに映しだされた氏名を見て、和樹は直立不動の姿勢をとった。奥さまや瑤子さんについて、思いを巡らしていたことを見抜かれた気がしたからだ。

「もしもし、山村です」

 われながら緊張した声で応じると、「こんばんは」と聞こえてきたのは女性の声だった。

「わたし、大隅の娘の瑤子です。驚かせてごめんなさい。お仕事中だったかしら。五分ほどいただけます?」

「はい、どうぞ」

 酔っているのかと思うほど、瑤子さんの声は艶っぽかった。

「五月三日の土曜日ですけれど、父もとても楽しみにしていてね。ただ、一週間ほど前から、東大病院に入院しているんです」

「えっ? どこか、お悪いんですか」

「ええ。昨年九月に定年退官してほどなく、人間ドックで精密検査をしてもらったら、がんが見つかったんです。左の肺に」

 和樹は息を呑んだ。

「山村さん、聞こえてる?」

「はい、すみません。ビックリしてしまって」

「だめよ、『鬼の山村』の異名をとる、天下の東京高裁部総括判事がこのくらいのことで驚いてちゃ」

「それで、ご容体は?」

 茶化さないでくださいという言葉を呑み込んで、和樹は聞いた。

「さいわい、ごく初期で、放射線治療もうまくいって、リンパ節や、ほかの臓器への転移もなし。経過も極めて良好とのことで、一旦は寛解したんです。それで、年が明けてから、法律事務所にも週に二、三日は出るようになって。山村さんのご出世を聞いたのはその頃だったから、父は、それはもう喜んでね。ああいうひとだから、自分の眼鏡にかなう後輩は多くないでしょ」

 お愛想はいいので、和樹は大恩ある先輩判事の容体を早く知りたかった。入院されているということは、がんが再発しているのだろうか。医学が長足の進歩を遂げた現在でも、がんが死に直結する危険な病であることにかわりはない。また、抗がん剤による治療は、からだへの負担が非常に重いと聞いている。

 佐賀県唐津市出身の大隅判事は酒豪にしてヘビースモーカーだった。隣県福岡出身の奥さま、雅代さんのほうがさらにお酒が強いと聞いて驚いたおぼえがある。

 和樹は判事補として佐賀地方裁判所に三年間勤めたが、肥前は、古代から朝鮮半島や大陸の文物ぶんぶつが到来した先進的な土地だけあって、育ちの良さ、教養の高さをうかがわせる方が多かった。「近代日本司法制度の父」と称えられる初代司法卿にして、非業の死を遂げた江藤新平も佐賀藩士だ。

「父はね、なかでも山村さんに感心していたんですよ。山村はいい。あいつが、しかるべきポストに就いていれば、日本の刑事裁判はどうにかなる。そのあとのことは、おれは知らんが、山村が鍛えた若い判事たちが、日本の刑事裁判を支えていってくれるはずだって。父は山村さんのご出世を、それは喜んでいたのよ」

「もったいない。わたしなど、おとうさまの足元にも及びません」

 和樹は胸が詰まった。

 どの世界もそうだろうが、本当に自立して、妥協することなく、研鑽を怠らない人間は多くない。残念ながら、裁判官のなかにも、かろうじて職責を全うしている程度の者がいないわけではなかった。

 判事補や若手判事にとっての修業の場は合議だ。刑事裁判にも、民事裁判にも、ひとりの裁判官が裁く単独事件と、裁判長と左右の陪席裁判官の三名による合議体によって、より慎重な審理をおこなう合議事件がある。

 合議事件では、多くの場合、より若手の左陪席が主任裁判官をつとめて、判決書の起案も記す。それを中堅の右陪席が手直しし、さらに部総括判事=裁判長も加わって合議をするのだが、合議における、自由闊達にして、時間を惜しまない徹底した議論によってこそ、新米の裁判官は一人前になってゆくのだ。

 それゆえ、どの部総括判事に付くのかが、若手裁判官の運命を左右すると言っても過言ではない。和樹の場合、東京地方裁判所において、のちに最高裁判所判事となる小野寺幸成裁判長と、当時右陪席だった大隅豊彦前最高裁判事に鍛えられたことが一生の財産であり、法曹界を渡ってゆくうえでの通行手形になっていた。

 とくに四五歳で、自分が東京地方裁判所の部総括判事になってから、公判の指揮に思い悩むたび、和樹は備忘録に克明に記されているお二人との合議を読み返した。すると、常に新たな発見があり、その立場になってみなければわからない教えの数々に胸を打たれた。

 この御恩は、自分が後輩の判事たちを鍛えることでしか返せない。そして、それがそのまま、日本の刑事司法を支えることに繋がってゆくのだ。小野寺さんはすでに亡く、大隅さんも病に倒れたと知り、和樹が涙をこらえていると、瑤子さんが言った。

「父は、あさって、五月一日に退院の予定なんです。なので、あすのいまごろ、今度はわたしのスマホからご連絡します。予定どおりでしたら、三日はお約束した午後三時に、うちにおいでください。もしも入院が延びることになったら、わたしと一緒にお見舞いしていただくのでもいいかしら」

 瑤子さんの声は、一転してサバサバしていた。

「その場合は、三日の午後三時に、東大病院入院棟の入り口付近で待ち合わせるということで。お立場上、日時を動かすのは難しいでしょ」

 それは本当だったので、「わかりました」と和樹は答えた。

「それからね、どっちにしても、父が世迷いごとを言うと思うんですけれど、適当に相槌を打って、すぐに忘れてくださいな」

「世迷いごと?」

「ええ。まだ七〇歳だし、けっして認知症じゃないんですけれど、わたしのことが心配で仕方がないみたい。ごめんなさいね、変なことを言って」

 そこで唐突に電話は切れた。

「いったいぜんたい、なにがどうなっているんだ」

 困ったときの口ぐせが出て、居間で立ったまま話していた和樹は椅子にかけた。

 もちろん大隅さんの容体は心配だった。見舞いたい気持ちもあったが、問題は瑤子さんの思わせぶりな物言いだ。大隅さんが話すという「世迷いごと」とは、いったいなんなのか。そもそも彼女はいまどこにいるのか。

 大隅さんのスマホからかけてきたところからすると、瑤子さんは白金台のご自宅ではなく、本郷の東大病院にいる可能性が高い。前最高裁判事というお立場からして、個室に入っておられるだろうが、いまの会話は病人には聞かれたくないものなのだから、瑤子さんは病室の外に出て電話をかけたはずだ。となると、このあと病室に戻り、スマホを先生にお返ししてから帰宅するのだろう。

 推理とも言えない推理をはたらかせて、壁の時計に目をやると午後九時半を過ぎている。

 東大病院の入院棟を訪ねたことはないが、常識的に考えて、祝日のこんな時間に入院患者への見舞いや面会が許されているとは思えなかった。それとも今夜、瑤子さんは付き添いとして病室に泊まるのだろうか。もしくは、大隅さんはすでにスマートフォンを扱えない状態で、瑤子さんが父親のそれを携行しているのだろうか。どちらにしても、大隅さんの容体はかなり重篤であり、明後日の退院は難しいことになる。

 しかし、いくら考えたところで、七〇歳になる先輩判事の容体も、その娘である四〇歳前後の女性の居場所もわかるはずがなかった。ましてや彼女の心中を推しはかれるはずもない。

 それでも、推理小説好きの裁判官ならば、名探偵エルキュール・ポワロよろしく、灰色の脳細胞によって、限られた情報からでも、彼女の居場所を突きとめようとするかもしれない。

 もっとも、和樹は真相究明派の刑事裁判官ではなく、推理小説や法廷ミステリーへの関心も薄かった。

 誤解されがちだが、刑事裁判の目的は事件の真相を究明することではない。そうではなく、被告人に対する起訴内容が妥当であるかどうかを、検察官と弁護人の攻防を踏まえて検討し、判決に帰結させるのが目的だ。

 公判で採用された証拠と証言に基づく検察側の論証に合理的な疑いを差しはさむ余地がなければ、被告人は有罪となり、相当の量刑が科される。一方、その論証が十分ではないと裁判官が判断すれば、被告人は無罪となる。

 有罪は黒=クロ、無罪は白=シロ、どちらとも言えない場合は灰色=グレーと、色でたとえられることがあるが、「疑わしきは罰せず」もしくは「疑わしきは被告人の利益に」の大原則に従い、シロはもちろんのこと、グレーであっても、刑罰を科すことはできない。

 つまり、刑事裁判においては、クロかグレーかの線引きが重要なのであって、無罪判決を下す場合であっても、裁判官は被告人がシロであると明言する必要はない。それどころか、クロではないかと大いに疑いつつ、無罪を言い渡す場合もある。

 よって、裁判官は真相の究明や、真犯人は誰かと言った点に固執すべきではない。ましてや、間違っても、推理小説や法廷ミステリーまがいのどんでん返しがじっさいの法廷でおきることを期待してはならない。

 では、刑事裁判官はいかなる熱意を持って法廷に臨むべきなのか。それは、自分に割り振られた、どれほど些細な、ありふれた事件に対しても、たとえばごく廉価な品に対する窃盗事件であっても、けっしてなおざりにすることなく、記録を丹念に読み込み、公判を指揮することである。

 それと同時に、「無罪推定」を徹底すること。つまり、有罪が確定するまで、被告人は罪を犯していないひととして扱われなければならないとする原則に基づき、被告人が屈辱をおぼえるような扱いを決してしないこと。また、有罪が確定した場合にも、法廷が反省と更生の第一歩となる場にしてゆくことだ。

 もう一点、審理の必要を超えて被告人の内面に立ち入らないことにも留意しなければならない。「内心の自由」は、近代法が司る近代社会の根幹をなす原則であり、法廷はもちろん、合議の場でも厳に貫かれるべきである。

 小野寺裁判長が折りにふれて述べられていた裁判官の心がまえを思いだし、とくに三点目を胸に刻み直して、和樹は瑤子さんについての推測をやめた。そして、ベランダに出て都内の夜景を眺めた。前回は三階だったが、一一階からの眺望はすばらしかった。季実子さんと一緒だったら、もっともっとすばらしく感じるにちがいない。

 縦書きのノートにそう書き足したいと思いながら居間に戻り、和樹は桃の絵柄のコーヒーカップとソーサーを慎重に洗った。

 翌朝七時に目をさますと、和樹は身軽な服に着替えて外に出た。散歩がてら、焼き立てのパンと朝刊を買うためで、一紙だけのときもあれば、二紙、三紙買うこともあった。

 刑事裁判官という職業柄、刑事事件に目が行きがちだが、自分の任地でおきた事件は、その裁判を担当する可能性がある。起訴状一本主義を徹底するためには、マスコミによる報道にできるだけふれないことが望ましい。それに実況見分調書や供述調書などの詳細を極めた刑事記録を日々読んでいるものにとって、新聞記事はあまりに簡略であり、ときにお涙ちょうだい的だった。

 新聞は一紙だけ、焼き立てのパンも一食分だけ買って、和樹は神宮前の官舎に戻った。お湯を沸かして紅茶を淹れ、冷蔵庫のプチトマトとチーズをそえて、新聞に目を通しながら朝食を済ませる。

 続いて、洗濯物を干し、掃除機をかける。家事をしているうちに頭も働きだして、裁判所に出勤しなくても、裁判官モードに入ってゆく。

 ゴールデンウィーク明けの合議では、かなり難しい事案についても検討することになっていた。

 裁判員裁判になった東京地方裁判所立川支部での第一審で、検察による懲役一〇年の求刑を大幅に上回る懲役一五年に処した児童虐待による傷害致死事件だ。弁護側は判決を不服として、控訴申立書を提出した。

 それが今年二月初めのことで、第二審は東京高等裁判所第六刑事部に割り振られた。第一審の事件記録は三月初めに送付されており、主任裁判官をつとめる左陪席の井野いの雄介ゆうすけ判事と、右陪席のやなぎゆう判事に、新任の部総括判事である自分が加わった三名の合議体によって審理される。

 前任の部総括判事がしたのは、第一審の事件記録の受け取りと、国選弁護人の選任要請、そして控訴趣意書の提出期日を四月二八日と指定したことまでだ。かなり余裕を持たせた日程を組んでいるところにも、この事案の難しさがあらわれていた。

 ところが、そうした裁判所側の配慮にもかかわらず、提出期日である四月二八日の午後になってようやく届いた控訴趣意書は感心できないものだった。

 ざっと目を通しただけだが、傷害致死罪ではなく、過失致死罪が相当との主張はともかく、裁判員裁判による第一審判決に対するあからさまな批判をはじめ、扇動的で感情的な表現が多く、日程が許すなら主任弁護人を呼びだして不備を指摘し、再提出を迫りたいくらいだった。

 そもそも、控訴趣意書の提出期日は延長の申し出が認められている。また、担当裁判官への面会を申し込むこともできるのだから、主任弁護人である原圭はらけい弁護士以下三名の弁護士のふるまいは、法律家として、およそ誠実とは言いがたかった。

 じっさい、裁判所が定めた期日までに控訴趣意書が提出されない、もしくは控訴趣意書に必要な事項が記載されていない場合は、それを理由に控訴が棄却される可能性もある。

 この件について言えば、弁護人の不手際により、傷害致死罪で懲役一五年に処された第一審判決が確定してしまうのである。かりに過失致死罪なら、五〇万円以下の罰金なのだから、その違いは雲泥どころではない。

 また、控訴審は控訴趣意書に記された弁護側の主張に基づいて審理されてゆくのだから、控訴趣意書での主張が明確かつ説得力のあるものでなければ、弁護側が不服とする第一審判決を覆すことはできない。

 事件がおきたのは昨年五月二一日の未明。アルバイト店員だった被告人・大山怜おおやまれい(二〇歳)は、同居していた女性・岩永いわながれん(三六歳)の生後四ヵ月になる娘・佐紀さきを故意に頭から床に落として死亡させた児童虐待による傷害致死罪で逮捕、起訴された。

 当時、和樹は福岡家庭裁判所の所長であり、一裁判官、一市民として、この事件に関心を持った。

 マスコミが事件をことさら大きく取りあげたのは、被告人が二〇歳と若く、不幸な生い立ちだったことに加えて、死亡したこどもの父親が別の男性だったからだ。じっさい、被告人は、同居人が夜の仕事についていたため、まったく未経験の育児、それも血縁のない乳児の世話を任されたことから精神的な不安を高じさせて犯行に及んでしまったと供述している。また、被告人には非行による補導歴も逮捕歴もないのに対して、同居人の女性とこどもの父親には、どちらも複数の補導歴に加えて、覚せい剤取締法違反による逮捕歴があった。

 それならば、被告人に対して、裁判官や裁判員の同情が寄せられそうなものだが、裁判員裁判が四ヵ月という異例の長期間にわたったのは、初公判での罪状認否において、被告人が捜査段階での供述内容を一八〇度覆したからだ。

 犯行を認めたのは、警察官や検察官から度重なる恫喝を受けたうえに誘導されたためであり、じっさいは寝不足と疲労から足を滑らせて、あやすために抱きかかえていた赤ちゃんの頭を床に打ちつけてしまった。すぐに一一九番しなかったのは、それほど重傷だと思わなかったことに加えて、スマートフォンの充電が切れていたからだ。また、付き合いのない近所のひとを深夜に起こすのをためらっているうちに赤ちゃんは死んでしまった。

 逮捕後に黙秘をしていたのは、自分の失態がひき起こした結果の大きさに呆然としていたからだ。その後、自分を罰する気持ちが高じ、警察官や検察官による恫喝と巧みな誘導もあって罪を認めてしまった。思い直して弁護人に真実をうちあけたが、まったく信じてもらえず、初公判の場で罪状を否認するしかなかった。可能なら弁護人も替えてほしいと涙ながらに訴える被告人によって法廷は混乱した。

 和樹も計二八回経験しているが、裁判員裁判は民間人である裁判員の負担を軽減するために、多くの場合、選任手続きも含めた一〇日間ほどで公判を終了するスケジュールが組まれている。

 裁判員裁判が導入された二〇〇九年から数年間の平均審議日数は、さらに短い三日間ないし四日間であり、職業裁判官=キャリア裁判官による裁判であれば、ゆうに四、五ヵ月間をかけて熟議されていた重大事件の公判を、一〇日間ほどの短期集中審理によって済ませるために新設されたのが公判前整理手続きだ。

 検察官と弁護人が裁判所に集まり、担当裁判官の立ち合いのもと、それぞれの主張と証拠を明らかにして争点を確定し、裁判の証拠を決定する。さらに審理のスケジュールを立てて、公判の日時も指定する。被告人が出席する場合もあるが、そのことも含めて、すべて非公開とされている。

 つまり、被告人・大山怜がとつぜん罪状を否認したことによって、公判前整理手続きを含む準備がご破算になってしまったわけだ。取り調べをして供述調書を作成し、冒頭陳述の準備も整えた検察官はもちろんのこと、弁護人も面目を丸つぶれにされて怒り心頭に発しただろうし、六名の裁判員たちも予想だにしなかった展開にさぞかし驚いたことだろう。

 しかしながら、法壇に座していた裁判長と左右の陪席裁判官は威厳を保ったまま、こうした不測の事態に至った検察側・弁護側双方の不備がいかなるものだったかについて、冷静に思いをめぐらしていたはずだ。そして、生後四ヵ月で世を去った幼子の冥福をあらためて祈りつつ、被告人がみずからの権利を正当に行使したことに、一定の理解を示していたにちがいない。

 なぜなら、初公判における罪状認否とは、まさに本件の大山怜がしたように、警察・検察はもとより、弁護人さえも味方と感じられない被告人が、裁判長に向かって自分の主張を述べることができる最初の機会だからだ。

 しかしながら、被告人の懸命な行為は実を結ばなかった。また、弁護人の変更も認められなかった。そのうえ、幼いこどもを死に至らしめた反省や後悔の気持ちが微塵も見られないとして、検察の求刑を大幅に上回る実刑判決が下されてしまったのである。

 ちなみに、弁護人には、被告人が選んで依頼する私選弁護人と、経済的な理由などから私選弁護人に依頼できない場合に国が選定し、費用も負担する国選弁護人がある。そして本件でもそうだったように、国選弁護人の解任は非常にハードルが高い。ただし、国選弁護人は第一審の判決が言い渡されたあと、控訴趣意書を提出したところで役目を終えて、第二審は別の国選弁護人がつくのが一般的だ。

 ところが、本件では、原圭太弁護士をはじめとする三名の弁護士が控訴審の弁護を買ってでた。「プロボノ活動」と呼ばれているもので、大規模災害時における医師や看護師と同じく、専門家がそのスキルを無償で提供するのである。

 厄介なのは、純粋な正義感からプロボノ活動をおこなっている弁護士もいるが、マスコミで大きく取りあげられた刑事裁判の弁護を自己の宣伝に利用しようとする弁護士もいることだ。司法制度改革による弁護士の増加に伴い、とくに刑事事件を専門に扱う弁護士は収入の不足に悩んでおり、その案件での弁護報酬は期待できなくても、知名度や評判があがることで、私設弁護人としての依頼が増える可能性がある。

 本件の主任弁護人・原圭太弁護士以下三名の弁護士の腹づもりはわからない。しかし、控訴趣意書の文章がいたずらに扇動的かつ感情的なのは、被告人・大山怜の弁護は二の次で、世間の注目を集めようとしているからではないかとの懸念があった。

 部屋の掃除を済ませた和樹はマナーモードにしたスマートフォンを居間のテーブルに置き、固定電話も留守電にして、仕事部屋にこもった。

 日本の刑事裁判は三審制をとっているが、第二審は事後審であって、第一審の訴訟記録に基づいて原判決の当否を審査する。新たな証拠の採用や、新たな証人の取り調べは原則的におこなわれない。

 この事件の主任裁判官である左陪席の井野雄介判事と、右陪席の柳田裕子判事とのあいだでは、すでに打ち合わせがおこなわれていると思われる。裁判長である和樹を加えた三名の合議体で一から取り組む最初の重大事件とあって、記録を読むのにも熱が入った。

 仕事机での飲食はしないため、一時間ごとに居間に行き、水分を補給する。屈伸運動をして、目薬を差す。仕事机に戻ると老眼鏡をかけて、また記録を読む。昼食は餅を焼き、厚く切ったハムを炙った。

 記録を精査すればするほど難しい事案で、懲役一五年に処した原判決は論外としても、だからといって、弁護側の主張どおり過失致死として、実質的な逆転無罪判決を言い渡せばいいというものでもない。

 最大の問題は、初公判の罪状認否において、涙ながらに殺意を否認しているにもかかわらず、被告人・大山怜が、事件の核心について、真実を語っていないのではないかと思われることだ。その核心とは、被害者の母親である岩永華蓮との関係であり、第一審に差し戻したからといって、黙秘権がある以上、被告人が真実を明らかにするとは限らなかった。しかしながら、その点を明らかにしなければ、殺意の有無について判断を下すことはできないはずだ。

 ひとまず考えをまとめて壁の時計に目をやると、午後四時になるところだった。昼食時も頭を働かせていたので、計七時間に及ぶ労働で、目の疲れと肩こり、それに腰痛がひどかった。

 それにしても、裁判員裁判の第一審が下した判決はあまりに稚拙だった。生後四ヵ月の幼児をあやめた犯人憎しの感情に押し流されていて、原圭太弁護士らが提出した控訴趣意書と似たり寄ったりのレベルと言わざるを得ない。

 いったいなぜ、これほど明白な誤判がおきたのか。理由はいくつか考えられたが、それについて思案を巡らす前に、和樹は死亡した幼子の冥福を祈った。そして、一一ヵ月近く収監され続けている被告人・大山怜の心中をおもんぱかった。

 いったん仕事部屋を出て、和樹は冷静になろうと努めた。これまでに第一審の裁判長として七件の無罪判決を下しているが、今回は控訴審でもあり、それらのときとは質の異なる慎重さが求められる。

 居間のテーブルに置いていたスマートフォンのマナーモードと、固定電話の留守電を解除した和樹は季実子さんと話したいと思った。事件についてのアドバイスが欲しいのではなく、声を聞くだけでも気持ちがおちつく気がする。しかし今日は平日なのだから、まだ勤務中だと思い至り、和樹は季実子さんへの電話をあきらめた。

 まずは明日の合議を充実したものにすることだ。すべてはそこから始まる。

 静かに湧き起こる闘志に身をゆだねていると、スマートフォンが鳴った。知らない番号が表示されていたが、瑤子さんのことが頭をよぎり、和樹は電話に出た。

「大隅瑤子です」

「山村です。どうしました?」

 自分が思わず発した切迫した声で、和樹はさらに胸が騒いだ。

「父の容体が急変して、もって一週間だというんです。父もそれを察したらしく、山村さんに会いたいというんです」

「わかりました。すぐに支度をして、タクシーで向かいます。昨夜、おっしゃっていた、東大病院の入院棟ですね」

「はい。お願いします。ごめんなさい、ごめんなさい」

 消え入るように電話が切れて、和樹は天井を仰いだ。

 死期を悟った先輩判事は、自分になにを告げるつもりなのか。それは、昨夜瑤子さんが言ったように、適当に相槌を打って、すぐに忘れられるものなのだろうか。

 この先に、どんな展開が待っているのかわからないが、大恩ある先輩の求めに応じないわけにはいかない。和樹は大急ぎで外出の支度を始めて、紺色の背広に同系色のネクタイを締めた。

 

(第3回につづく)