《東大病院が見えてきました。あと数分で着きます。》

 タクシーの後部座席で、和樹は瑤子さんに宛てて二通目のショートメールを送った。一〇分ほどの距離でもシートベルトを必ず締めて、三〇分以上乗るときも居眠りをしないのは、目的地まで気を抜かずに運転してもらうためだ。

 とくに東京では一方通行が多いせいか、ナビゲーションシステムに頼り切っている運転手が多い気がする。街の風景にもさして注意を払わないらしく、かなり有名な建物の名前を言って通じなかったこともあった。

 ところが今日の運転手は個人タクシーのせいなのか、「文京区本郷の東大病院」と言ってすぐに通じただけでなく、入院棟への回り方もわかっているという。じっさい、スムーズに到着して、和樹は財布から抜いた五千円札と千円札一枚をトレーに置いた。

「ありがとう。とても助かった。千円はチップということで」

「こいつはすみません。旦那、忘れ物はありませんね」

 同年配の運転手に感謝された和樹はセカンドバッグのなかのマスクをしてタクシーから降りた。入院棟の出入り口に目を向けると、グレーのパンツスーツを着た女性が立っている。背格好からすると瑤子さんのようだが、大きなマスクをしているので、確信の持てないまま会釈をすると、向こうも頭をさげた。

「お忙しいのに、申しわけありません」

「そんなことより、先輩の容体は?」

「肺炎が急激に進んでいて、モルヒネで痛みを抑えている状態です」

 小さな声と、はかなげな仕草に、和樹は悲しみをさそわれた。

 知り合った頃、瑤子さんは一一、二歳だった。和樹は三二、三歳。二人で会うのはいまが初めてだが、一時は毎週のように同じ官舎の大隅家で夕食をいただいていたせいか、離ればなれになっていた妹に再会しているような懐かしさと愛おしさを、和樹はおぼえていた。

 入院棟のエレベーターを一四階で降りたのは二人だけだった。ひと気のない、間接照明に照らされた空間はとても病院とは思えなかった。

「大隅さん。面会されるのはそちらの方ですか?」

 絨毯が敷かれた通路を早足で近づいてきた女性看護師が聞いた。

「はい」

「先生が病室でお待ちです。急いでください」

「モルヒネの量を増やすと、ショックで、意識不明になるおそれがあるそうです。これが父と話ができる最後の機会になるかもしれません」

 エレベーターのなかでは口をきかなかった瑤子さんが涙まじりの声で言った。

「娘さんが戻られました」

 看護師に続いて立派な病室に入ると、瑤子さんが和樹の背中をそっと押した。

「おとうさん、山村和樹さん」

 歩み寄る和樹の目に映ったのは、やせ細った先輩判事と、ベッド脇の医療器機だった。マスクをしていないのは、呼吸がさらに苦しくなってしまうからだろう。

「おお、和樹」

 かすれた声で呼ばれて、「はい、豊さん」と和樹は声を張った。

「瑤子、和樹と二人だけで話させてくれ」

「先生、父がそう言っておりますが」

「わかりました。しかし、二、三分ですよ」

 背後でのやりとりを耳にしながら、和樹は枕元に立った。

「悪いなあ。そんな顔をさせてしまって」

「豊さん」

 一〇歳で父親を亡くしたときの悲しみがよみがえり、和樹は涙を抑えかねた。

「いけない。ハンカチを忘れた」

 思わず声に出すと、「これを使ってください」と瑤子さんが自分のハンカチを差しだした。

「瑤子。おまえも外してくれ」

「はい」

 ドアのほうに視線を向けていた大隅さんが、ハンカチで涙をぬぐった和樹と目を合わせた。

「和樹、マスクを取っていいぞ」

 かすれた声で言われて、和樹はマスクを外した。

「うん。高裁の部総括判事らしい、いい顔になった」

 ひと呼吸おいて、大隅さんが続けた。

「和樹、あとは頼む。日本の刑事司法は、おまえが支えるんだ。僭越だとか、力不足だなんて思うんじゃない。小野寺さんも、おれも、自分がやるしかないと肚をくくって、なけなしの力をふり絞ってきたんだ」

 仰向けに横たわった先輩判事に真下から見つめられて、和樹は頷いた。

「それから、ときどきでいいから、瑤子のことを気にかけてやってくれないか。あんな融通の利かない娘をもらってくれなんてことは、申しわけなくて、とても言いだせないが、おまえが相談相手になってくれるなら、おれは安心して雅代のところにいける。最後に、もうひとつ……」

 大隅さんが顔をゆがめたかと思うと、音を立ててドアが開き、医師と看護師があわただしく入室した。

「外に出てください」

 問答無用とばかりに廊下に出された和樹が瑤子さんを探すと、壁を向いてうなだれている。細い肩が震えていて、和樹にも悲しみが移った。

 一人娘で、母親をすでに亡くしている瑤子さんは、父親も亡くしたら、身寄りがいなくなってしまう。その悲哀を想像して、マスクをし直した和樹が視線を落としていると、「山村さん」と耳元で呼ばれた。

「父に会ってくださり、本当にありがとうございました」

 涙にぬれた目で見つめられて、和樹は場違いなほどドギマギした。

 三〇数年前、矢島紗帆さんの泣き顔も見ているが、そのとき彼女は悲しみを上回る怒りに燃えていた。高校時代から期待をかけて、自分の願いどおりに東大法学部卒の弁護士になるはずだった恋人が裁判官、それも刑事事件を扱う刑事裁判官になると言いだしたからだ。それなら別れると迫っても和樹が翻意しなかったため、紗帆さんは怒りに震えて、悔し涙を流したのだ。

 職場である法廷でも、和樹は被告人や被害者、それに証人や傍聴人の涙を数多く見てきた。しかし、心を動かされすぎないように努めてきたし、ましてや、もらい泣きをしたことは一度もない。

 やがて病室のドアが開き、看護師に招き入れられた和樹は瑤子さんより半歩さがった位置で医師の説明を聞いた。

「すでにお話ししていたとおり、モルヒネの量を増やしました。これで痛みはやわらぐはずです。さいわい脳波は正常で、意識障害も起きていないと思われます。先ほど、一時的に低下した心拍数と血中酸素濃度も適正な数値まで回復しましたので、一、二時間後には目を覚まされるはずです」

 マスクをしたまま話す男性医師の物言いは丁寧だったが、和樹を見る目つきは不躾だった。

「目が覚めたら、また話ができるということでしょうか」

 黙っている瑤子さんに代わり、和樹は聞いた。

「そうであってほしいと思いますが、保証はできません」

 医師と看護師が退室すると、瑤子さんがベッドに歩み寄った。

 あらためて見れば、大隅さんの鼻には酸素吸入のチューブが差し入れられている。右手には点滴の針が刺さっている。無精ひげが伸びて、白髪まじりの髪もザンバラだが、寝息を立てている前最高裁判事の顔つきには気力が感じられた。

 肺がんの終末期に詳しいわけではないが、今日、明日ということはないのではないだろうか。医師はもって一週間と宣告したそうだが、それとて真に受ける必要はないのではないかと、一歩も二歩もさがった位置から和樹は観察した。

 視線を移せば、個室の病室は高級ホテルそのものだ。窓にはレースのカーテンが引かれているが、さぞかし見晴らしが好いことだろう。四人掛けのソファとテーブルのほかに、廊下側にも背もたれのないソファがあり、こちらはベッドにもなるタイプらしい。シンク、冷蔵庫、電子レンジも備え付けられた部屋の広さは二〇畳ほどだろうか。

「山村さん」

「はい」

 よそ見を咎められた児童のように応じて顔を向けると、マスクを外した瑤子さんと目が合った。

「今日は、ありがとうございました。短い時間でしたが、山村さんとお話ができて、父もさぞかし安心したことと思います。お忙しいでしょうから、どうぞお帰りになってください」

 そう言われたからといってサッサと帰るわけにもいかず、和樹もマスクを外して、ソファの背もたれに手をかけた。

「ぼくは今日、ご連絡をいただく少し前まで、宅調をしていたんです」

 判事か、その身内でないと通じない用語を言うと、瑤子さんの表情がやわらいだ。

「前任地は福岡で、家庭裁判所の所長をしていました。毎朝九時に出勤していたんで、久しぶりの宅調がうれしくてね。守秘義務がありますから、詳細はお話しできませんが、難しい事件の記録を読んでいたんです。ですので、頭のなかを整理して、気持ちを静めるためにも、ご迷惑でなければ、もう少し大隅先輩のそばにいさせてください。なにより、お話しされたいことがまだおありのようでしたし」

 少々大きな声で言ったのは、寝息を立てている大隅さんの耳にも自分の声が届くのではないかと思ったからだ。

「昨晩は、こちらに泊まられたんですか」

 和樹が聞くと、瑤子さんが首を振り、ウェーブのかかった髪がゆれた。卵形の顔には薄いメイクがほどこされていて、中洲一と呼ばれたおかあさまを彷彿とさせた。

「いいえ。まだ、この部屋に泊まったことはありません。今日もお見舞いのつもりで支度をしていたら、こんなことになってしまって、あわてて出てきたんです。でも、今夜からは、父に付き添ったほうがいいようです。この部屋、すごい料金をとるだけあって、ユニットバス付きのシャワールームまであるんですよ」

「そうですか。ぼく、二、三時間でしたら、こちらにおりますので、お宅に戻る用がおありでしたら、どうぞ」

「本当ですか?」

「こんなときに、嘘や冗談は言いませんよ。先輩は、さっきより顔色も好いし、医者が言ったとおり、いったんは危機を脱したんじゃないでしょうか」

「ありがとうございます。わたし、着替えや洗面道具も持たずに出てきたものですから」

 そう言った瑤子さんが顔を赤らめた。

 季実子さんが言うところの「山村泉子先生の千里眼」はしっかり遺伝しているらしい。

「では、お言葉に甘えて、父をお願い致します。いまが五時四〇分ですから、七時半には戻るように致します」

「八時過ぎでかまいませんよ」

 瑤子さんはよほど助かったようで、目を瞬かせた。そして、ナースステーションにその旨を伝えていくことと、冷蔵庫に飲み物が入っていること、さらに、上着はクローゼットにかければいいし、クローゼットのなかにはスリッパもあることを、早口で言った。

「おとうさん。そういうことだから」

 父親に語りかけて、春物のコートを羽織った瑤子さんが病室を出てから、和樹はベッドに歩み寄った。脳裏には、瑤子さんの涙にぬれた目が焼きついていた。ついさっきの、頬を赤らめた顔もはっきり思いだせた。

 そっと息を吐き、和樹は上着を脱いだ。ネクタイもゆるめたが、そこでズボンのポケットに瑤子さんのハンカチが入っていることに気づいた。さっき医師たちに廊下に出された拍子に突っこんでしまったのだ。

 描かれている地図が気になった和樹は、紺色の背広をクローゼットにかけてからソファに戻り、ハンカチをテーブルに広げた。男性用に比べて生地の薄いハンカチにはローマの市街地図が描かれていた。四隅はピンク色で縁どられている。女性用のハンカチをこんなふうに見るのは初めてだった。

 瑤子さんが言ったとおり、クローゼットにはスリッパもあったが、せいぜい二時間ほどなのだから、和樹は革靴の紐はゆるめずに目をつむった。

 長時間の宅調疲れに加えて、病院に着いてからは緊張の連続で、うつつとも夢ともつかないあわいで思いだされたのは、なぜか女性の姿だった。それも瑤子さんでも、季実子さんでもなく、矢島紗帆さんだった。付き合いだした頃のときめきがよみがえり、和樹は若き日の思い出に身をまかせた。

 高校一年生の冬に告白されて始まった交際は順調で、なにより和樹の成績は右肩あがりだった。東大受験に二の足を踏む和樹の背中を押してくれたのも紗帆さんだ。

 二人が通っていたのは「県鎌けんかま」の愛称で知られる神奈川県立鎌倉高校だった。和樹は中学時代も優等生で、藤沢にある県下一の湘南高校にも進めたが、自転車で通える県鎌にした。中学のときと同じくサッカー部に入り、放課後の部活で泥だらけになった練習着のまま大船の団地に帰って、風呂場に直行する。夕飯をかき込むと、テレビには目もくれず、午後八時から、かっきり二時間勉強して眠りにつく。

 湘南海岸に面した県鎌は校風もうららかで、男子も女子も高校生活を満喫してしまう。一浪して予備校に通い、早稲田や立教といった都内の私立大学に進むというのが定番で、現役での国立大学進学を至上命題とする和樹は少々浮いた存在だった。当初の目標が北大だったのは、バンカラな気風で有名な学生寮があるからだ。東大の駒場キャンパスにも学生寮があるそうだが、こちらは入寮する者がほとんどいないという。

 当時も、県鎌からは、東大合格者が毎年ひとり出るか出ないかだったので、教師たちはこぞって和樹に東大受験を勧めた。しかし、最終目標が司法試験合格だったこともあり、北大で十分だと思っていた和樹をやる気にさせたのが紗帆さんだった。

《わたしは和樹君のことが好きです。誰よりもまじめで、たくさんのことを一生懸命に考えている、そして考え続けていくひとだと思っています。》

 紗帆さんからの手紙は一通残らず処分してしまったが、最初にもらった手紙のその一節はいまでも忘れられなかった。学年で有数の美人と評判の女子から告白されたことよりも、自分の真面目さを貫いていっていいのだと言われたことのほうがうれしかった。

 しかし、どれほどの秀才であっても東大受験は難しい。事実、三歳上の母方の従兄も一浪の末に東大に進んでいた。

 かつての国立大学は、旧帝国大学を中心とする一期校と、それ以外の二期校に分けられており、それぞれのカテゴリーの大学を一校ずつ受験できた。現在も、前期と後期で二度の受験が可能だが、その狭間の一九八〇年前後の時期、国立大学は一校を一回しか受験できなかった。まさに一発勝負であって、しかも和樹の場合、妹も大学に進むことを考えれば、早慶を始めとする私立大学を併願することは避けたいのだから、東大受験はあまりにもリスクが大きかった。

 その東大受験を勧めて、紗帆さんは揺るがなかった。その根拠は、同じ中学校から湘南高校に進んだ誰よりも、和樹にやる気を感じるからだという。

 また、開業医である紗帆さんの父親はしつの手術では右に出る者はないと言われているが、夜遊びやゴルフが好きで、人間的にはちっとも感心できない。二人いる兄も同じようなひとたちだし、県鎌のほとんどの男子も似たり寄ったりに見える。でも、和樹君は違う。

 おおよそそうしたことを言われて、和樹の闘志に火がついた。猛勉強を続けて東京大学文科一類に現役で合格し、司法試験も一度で突破したが、神戸での司法修習中に弁護士から刑事裁判官へと志望を変えたことが紗帆さんの逆鱗にふれて、二人の恋は実を結ばなかった。八年間も交際し、結婚の約束まで交わしていた女性に去られた衝撃はあまりにも大きく、和樹は今日まで独身を通してきたのである。

 しかしながら、紗帆さんと交際していなければ、和樹は国内最高の陣容を誇る東京大学の法学部で学ぶことはなかった。なにより、一〇代後半から二〇代半ばの血気盛んな時期に、全幅の信頼を寄せてくれる麗しい恋人に応援されながら勉強に励む日々は充実していた。

 年に一五〇〇名もが合格する現在の司法試験と違い、一九九〇年前後の合格者は五〇〇名足らずだった。しかも、司法試験での成績が法律家としてのその後を左右するとあって、和樹は一心不乱に勉強した。紗帆さんも陰になり日向になり応援してくれたが、そのことが和樹の意欲をさらに高めて、皮肉にも裁判官への道を開いてしまったのである。

 つまり、紗帆さんがいなければ、いまの自分はない。これまでは、どうしても憤りが勝り、冷静に振り返ることができずにいたが、いまなら紗帆さんに感謝を伝えられると和樹は思った。

 ただし、二五歳で別れたあとの矢島紗帆さんについて、和樹はなにひとつ知らなかった。県鎌の同窓会に出たことはなかったし、高校時代の友人で連絡を取り合っている者もいない。鎌倉市内でケアマネージャーをしている清美なら、矢島医院のその後について知っているかもしれないが、今さら尋ねるのは憚られた。それなら、せめて胸のうちで心からの感謝を捧げよう。

 自分の気持ちの変化に驚きながら、やはり還暦を迎えたことが大きいのだと、和樹は思った。還暦までの第一の人生をどうにか乗り切ったうえに、諏訪季実子さんと出会ったことで、矢島紗帆さんとの交際を冷静に思いかえす余裕がようやく生まれたのだ。

 そこまでを考えて、和樹は目を開けた。ソファを離れてベッドに歩みよると、大隅さんはまだ寝息を立てていた。肺がんになったのは、やはりタバコが原因なのだろうし、病状が急変したのも、長年の飲酒と喫煙によってからだが弱っていたからなのだろう。

 心筋梗塞により三七歳で他界した父・康樹もヘビースモーカーだったそうだ。結婚後は、家では吸わなかったが、仕事中は両切りのショートピースをひっきりなしに吸っていたという。

 くどいほど母から注意されていたので、和樹は今日まで一本もタバコを吸ったことがなかった。お酒は飲みたくても飲めず、大食漢でもないため、人間ドックで再検査になったことは一度もない。

 それでも和樹が、ベッドに横たわる先輩判事にわが身を重ねて、自分もいつこうなってもおかしくないと思ったのは、裁判官という職業が心身に与えるストレスがあまりにも大きいからだ。

 小野寺幸成元最高裁判事の薫陶を受けて、世間的には些細と見なされる単独事件の公判にも全力で臨んできたが、重大事件となるとやはり重圧が違う。じっさい、四一歳のとき、名古屋高等裁判所の右陪席判事として第一審の死刑判決を支持したさいは、眠れぬ幾夜を過ごした。裁判官を志したときから覚悟していたこととはいえ、紗帆さんの危惧が正しかったとさえ思ったほどだ。

 刑事事件において、被害者は心身に大きな傷を負う。それは被告人に求刑どおりの刑罰が下されたからといって癒えるものではない。受刑者もまた、自業自得とはいえ、相当の刑罰を科されるうえに、犯罪者の烙印は生涯消えることはない。そして裁判官もまた、事件のすべてを引き受けて、裁きを下す者として、見えない傷を負う。

 和樹は、大隅豊彦前最高裁判事がたずさわった刑事事件のすべてを知っているわけではなかった。しかし、第一審である地方裁判所の裁判長として二件の死刑判決を言い渡したことは知っていた。そのストレスは、ある意味、タバコやお酒よりも強い力で、大隅さんを苛んだにちがいない。

「和樹さんの場合、これから先が、ますます大変になっていくわけですよね」

 二日前、季実子さんはそう言ってくれた。また、和樹自身、今回の内示を受けたときは武者震いをしたが、その裏では、もう十分なのだという気持ちも生じていた。

 もう裁きたくない。残酷で残虐な殺人事件の一部始終を知るなんて真っ平ごめんだ。ひとりきりの夜にそう嘆いたことのない刑事裁判官はいないだろう。では、なぜ裁き続けるのか。

 それは、法治国家を維持するためには、誰かが被告人を裁かなければならないからだ。知力と資質を見込まれて、裁判実務の現場で職業裁判官=キャリア裁判官として鍛えられた自分には公判を指揮する能力がある。なにより、公判を通じて「法の正義」を実現し、受刑者を更生の道に誘うことに対する希望を失っていないからだ。

 自分も大隅さんと同じように、ひとりの裁判官として、持てる力を使い尽くそう。法服を着るのがあと五年か、はたまた一〇年になるのかは、神のみぞ知ることだが、大隅さんの期待を無にしてはならない。

 大恩ある先輩判事の死の床で、和樹は決意を新たにした。すると喉が渇いていることに気づき、冷蔵庫を開けると、なかにはお茶のペットボトルのほかに、ハーフボトルの白ワインが入っていた。

 その途端、和樹は合点した。昨日の午後九時過ぎに大隅さんの携帯電話からかけてきたとき、瑤子さんは妙に陽気だったが、あれはいくらか聞こし召していたのだ。

「あんな融通の利かない娘」と大隅さんは言われた。それが具体的に瑤子さんのどんなところを指しているのかはわからないが、自分を奮い立たせるために軽く一杯ひっかけたのだと思うと、下戸でありながら、和樹は親しみが湧いた。

 しかし、それ以上の詮索はせず、和樹は緑茶のペットボトルをとって、またソファにかけた。腕時計を見ると午後六時二〇分になるところだった。本郷からだと、白金台は神宮前と同じくらいの距離なのだから、瑤子さんは自宅に着いて、ひと息ついていることだろう。

 そう思ったのに続き、和樹は裁判官を夫や父親に持つ女性たちの苦労を思った。女性の判事も年々増えていて、昨年、二〇二四年のデータで、女性の割合は二九パーセントまで来ていた。検察官は二八パーセント、弁護士は二〇パーセントで、今後も女性の割合は増え続けていくと思われる。ただし、和樹が判事補として任官した一九八九年に、女性の裁判官は三〇人にひとりくらいではなかっただろうか。

 女性が主婦になるのが当然視されていたその頃でも、裁判官の妻になるにはよほどの覚悟が要ったはずだ。安定した地位と、それなりの収入が保証されているとはいえ、三年ごとに異動があるため、多くは官舎に住まざるをえない。しかも、守秘義務など、諸般の事情により、裁判官自身でさえ、そう簡単に自分の職業を明かせないのだから、家族もまた肩身の狭い思いをすることになる。こどもの進学のために、妻子を大都市圏に残して単身赴任を余儀なくされている男性の裁判官はいまも少なくない。

 堅苦しいことばで言えば、裁判官とその家族の市民的自由をどのように確保してゆくのかは、日本の法曹界が長年抱えてきた大きな懸案なのである。

 事実、紗帆さんは刑事裁判官の妻になることをかたくなに拒んだ。和樹がことばを尽くして説得しても、自分の考えを決して変えようとしなかった。そして、瑤子さんは、裁判官の娘であることから逃れようがなかった。

 そこまで考えを進めた和樹は、瑤子さんのことが愛おしくなった。

 父親と一人娘の関係がどうだったのかはわからない。また、父親の異動先にずっと付いて行っていたかもわからないが、瑤子さんとしては、幼い時期に、多忙な裁判官である父親ともっと密に、もっと深くかかわり合いたかったのではないだろうか。

 テーブルに広げたハンカチからは、香水のかおりがほのかにただよっていた。おかあさまゆずりの容姿もよみがえり、瑤子さんへの愛おしさがさらにつのりそうで、和樹はソファから立った。

 気配を感じてベッドに目を向けると、大隅さんが目を開けている。

「豊さん」と呼んで、和樹はかけ寄った。

 

(第4回につづく)