妹の清美にかけた電話が繋がらず、和樹は留守電に伝言を残した。
「和樹です。五分ほど前にメッセージに気づきました。官舎に戻っているので、いつでも電話をしてください」
母に聞くほうが手っ取り早いかとも思ったが、清美は自分に電話をかけるようにと書いていた。それは母と相談したうえでのことに違いなく、こどもの頃から母の指示は絶対だったので、和樹は妹の電話を待つことにした。
それにしても、季実子さんはどうして辞退するなどと言いだしたのか。お断りでなく、辞退というからには、そう決断するしかない事情が彼女の側に発生したことになる。
鎌倉でランチをしたのが昭和の日、四月二九日火曜日で、今日は五月七日水曜日。カレンダーどおりなら、季実子さんは三日間出勤したあとに四連休したはずで、そのあいだに予想もしなかった出来事がおきたわけだ。
校長を務める中学校で、いじめや盗撮といった重大な事件があったのだろうか。しかし、そうした事案への対処なら、いくらでも相談にのれるのだし、季実子さんも、こちらが頼りになるのはわかっているはずだ。また、諏訪のご両親は疾うに亡くなっており、きょうだいもいないのだから、係累が絡んだ厄介ごとでもないと思われる。それなら、不注意から、悪質な詐欺に引っかかり、貯金を失うだけでなく、多額の借金を背負ってしまったのだろうか。もしくは、自分が運転する自動車か自転車で相手が死亡、ないしは重傷を負う事故をおこしたのかもしれない。
刑事裁判官である和樹の脳内で、これまで担当した事件や事故についての記憶が次から次へと呼びおこされた。
「いやいや、無用な憶測はやめよう」
和樹は声に出して自分を諫めた。
居間のテーブルには、ふかひれ姿煮弁当が置いてあった。井野判事との面談で奮闘した自分へのご褒美で、東京駅の地下街で買ったのだが、清美からのメッセージを読んだとたんに胃がキュッと縮まり、食欲は失せていた。コーヒーミルでガリガリと豆を挽けば気がまぎれるかとも思ったが、夕方に日比谷の珈琲店でブレンドを二杯飲んでいて、カフェインのとりすぎは健康を害する恐れがある。
そのときスマホが鳴って、和樹はびくっとした。しかも、かけてきたのは清美ではなく母だったから、よけいに不安がつのった。
「おかあさん、和樹です。清美から連絡があり、諏訪季実子さんが、今回のお話は辞退したいとおっしゃっているとのことでした」
母が話しだす前に一方的に話しながら、こんなに心細い気持ちで母に対するのは生まれて初めてだと和樹は思った。父が急死したときは、もちろん悲しかったが、一〇歳ながら、長男として家族を支えなければという使命感があった。また、矢島紗帆さんとの別れは、手紙で母に伝えていて、そのときは刑事裁判官としての務めを果たしてゆくことで彼女を見返してやりたいという意気込みがあった。
しかしながら、還暦を迎えて、心からわかり合える異性とようやく巡り会えたと喜んでいた和樹にとって、季実子さんを失うことは、これから先の人生を失くすに等しかった。
「諦めるのはまだ早い。季実子さんにも、そんなに性急に結論を出さないでと言ったところ」
御年八六歳の母に励まされて、和樹は涙ぐみそうになった。母によれば、季実子さんは毎年のゴールデンウィークに一泊二日の人間ドックで健康診断を受けている。これまでずっと問題はなかったが、今回は心電図検査をしているときに不整脈が計測された。はっきりとした異常であり、翌日の精密検査を経て、カテーテルアブレーション手術を勧められたことに季実子さんは非常なショックを受けたのだという。
「あのとおり、丈夫なからだで、張り切ってすごしてきたから、よけいに動揺しているのよ」
不整脈は加齢によるものであり、男女を問わず、誰にでもおこり得る。また、緊急に対処すべきタイプの不整脈でもないが、体力に余裕があるうちに根治を目指しておくに越したことはない。カテーテルアブレーションも、治療法の確立している安全な手術であり、全身麻酔ではあるものの、からだへの負担は少ない。入院は三、四日で済むし、退院後もこれまでどおりに生活できる。
「なんだ、気に病むほどのことじゃないじゃありませんか」
不整脈と聞いて、心筋梗塞で亡くなった父のことが頭をよぎっていた和樹は安堵してつぶやいた。
「そういう言い方は禁物。あなたは大きな病気をしたことがないからわからないでしょうけれど、病や老いを受け入れてゆくというのは、それは大変なことなのよ。とくに季実子さんは、あなたとの出会いを喜んでいた矢先に異変が生じたものだから、よけいに意気消沈してしまったの」
三〇分ほど前まで、母は電話で季実子さんを説得していたが、翻意させることはできなかったそうだ。ただし、脈がないわけではない。
あとは清美から聞いてちょうだいとのことだったので、母との電話を終えた和樹は洗面所で顔を洗った。鏡に映った顔は、四、五〇代の頃より老けてはいるが、同年輩のなかでは若く見えるほうだろう。
もみあげこそ白髪が勝っているものの、たっぷりの頭髪は黒々としている。シミもあまりないし、目袋と呼ばれる目の下のふくらみもさほど目立たない。ただし、膝と腰には慢性的な痛みがあり、肩と首の凝りもひどい。集中して働いたあとの疲労も甚だしい。そうはいっても持病はなく、常用している薬もない。夜もぐっすり眠れているのだから、健康であることは間違いない。
居間に戻った和樹は椅子にかけて目をつむった。カテーテル手術については、医療事故の公判を担当したときに勉強したので、ひととおりの知識はある。特殊な素材で造られた細くやわらかな管を血管に挿入しておこなう内視鏡手術で、かつての外科手術のように皮膚を大きく切開しないため、ほとんど出血せず、患者のからだへの負担は格段に少ない。アブレーション=ablationの意味は「焼く」「熱する」「炙る」だったはずだが、それは看護師である妹にたしかめればいいと思っていると再びスマホが鳴った。
今度こそ清美だったので、和樹はホッと息をついた。
「おかあさんから電話があって、お兄さんと話したって言うから」
「そっちだって忙しいだろうに、時間をとらせて悪いな。まずは、不整脈とカテーテルアブレーションについて、大まかなことを教えてくれないか」
「いいけど、私もドクターじゃないから、詳しいことは自分で調べてね」と前置きして、三歳下の妹が話しだした。
「ひと口に不整脈と言っても、緊急度や治療法は千差万別で、おとうさんのは心室細動。諏訪先生のは心房細動。どちらも期外収縮だけれど、心室細動がいのちにかかわるのは、心室が血液を送りだすポンプの役目をしている場所だから。心室内で不整脈が発生して、心臓がポンプの機能を果たせなくなると、ほんの数秒で意識が失われて、心臓も停止してしまう。でも、諏訪先生の不整脈は心房でおきていて、こちらは体内を循環してきた血液を受ける場所だから、多少の不整脈が発生しても、いのちとりにはならないわけ」
かつてはカテーテル手術の技術が確立されていなかったため、心房細動は投薬により不整脈の発生を抑えていた。ただし、長期間にわたると、薬の副作用で心臓が肥大化することがある。心臓弁膜症につながる恐れもあるため、近年は投薬ではなく、心房内の不整脈を発生させている箇所を電気で焼くカテーテルアブレーション手術のほうが推奨されている。
しかしながら、手術に踏み切るには、不整脈がきちんと計測される必要がある。そのため、ふだんから不整脈に悩まされているのに、心電図検査のときにかぎって不整脈がおきず、病院のベッドで、二四時間体制で心電図を計測する患者もいる。
「それじゃあ、季実子さんはもの凄く幸運なんじゃないか。年に一度の人間ドック、それも心電図を計測しているときに不整脈がおきるなんて」
和樹は思わず喜びの声をあげた。
「本当に、そのとおりなのよ。私もそう言って励ましたんだけど、本人はショックで寝込んでしまったの。こんなおばあさんが和樹さんと一緒に暮らしても、ご迷惑をかけるだけです。日本の刑事司法を背負って立っている方の足手まといになるわけにはいきませんって言って」
「そんなのお互いさまじゃないか。同じ年なんだし、おれだって、間違いなく、日々老いているんだから」
大きな声が出て、「すまない、つい興奮してしまった」と和樹はあやまった。
「いいのよ。お兄さんの気持ちがわかってうれしいわ」
季実子さんは数年前から動悸や息切れをすることがあったという。それでも人間ドックで再検査になることもなかったため、さほど気にせずに暮らしてきた。
今回の人間ドックでも、不整脈以外に特段の異常は見られなかった。循環器内科の医師も明言したそうだが、夏休みを待ってカテーテルアブレーション手術をすれば、不整脈は根治して、二学期、三学期を万全の体調で務められる。ところが、季実子さんは全身麻酔での手術が怖くてならず、医師への返答をためらっている。それでも校長としての務めは果たしていて、ゴールデンウィークが明けたあとも休まずに出勤している。
「わかった。今日はもう無理だけど、明日の退庁後、おれが鎌倉に行って、季実子さんに会うよ。それで、今後の診察や検査にはできるかぎり付き添うし、手術には必ず立ち会うと伝える。このご時世で、たしか親族に限らなくなっていたはずだよな」
「うん。本当にそうしてくれるなら、諏訪先生もきっと勇気を出してくれると思う」
「ああ、そうなるといいな。ついでで悪いが、明日の夜、鎌倉駅の近くで、季実子さんとおれが逢うのに丁度いい店をさがしてくれないか。小林なら、商売柄、当てがあるんじゃないかな。そして、できれば今夜中に、季実子さんにその旨を伝えてくれよ」
「え~、そこまで私がやるの」
文句を言いながらも清美は引き受けてくれたが、和樹はすぐには気持ちを切り替えられなかった。父は心室細動で、季実子さんは心房細動。一文字違いでも、緊急度はまるで違うそうだが、心臓の不調ということにかわりはない。
それでも、季実子さんが直面している問題がわかって、和樹はしだいに落ち着いてきた。手術が成功して、体調が回復すれば、交際への意欲も取り戻してくれるに違いない。
壁の時計は午後九時を回っていた。明日は、午前中に、東京高等裁判所の裁判長としては初めての判決の言い渡しがあることを思いだすと、和樹はレンジで温め直した豪勢なお弁当を猛然とかき込み、仕事部屋に向かった。
翌日、五月八日木曜日午前一〇時五五分から、山村和樹が部総括判事を務める東京高等裁判所第六刑事部は、四一〇号法廷において、控訴棄却の判決を言い渡した。
第一審の裁判官裁判で懲役五年に処された傷害事件で、被告人と検察の双方が控訴した。事件発生時に三五歳だった被告人男性は、元妻にストーカー行為を含む嫌がらせを繰り返した挙句、待ち伏せをして、暴行に及んだ。肋骨の骨折を含む全治二ヵ月の重傷を負わせて、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を生じさせたことについては深く反省しているが、暴行は口論中に発作的にふるってしまったものであり、計画性はない。凶器も所持しておらず、初犯での傷害事件で実刑五年は重すぎるとして、減刑を求めた。
一方、第一審で懲役七年を求刑した検察は、警察による度重なる厳重注意・警告を無視しての犯行で、社会的な影響も大きい。被害者も厳罰を求めており、懲役五年では軽すぎると主張した。
そうした申し立てはあったものの、新しい証拠の提出も、新しい証人の要請もなかったため、控訴審は三月三日の第一回公判期日で審理を終了し、即日結審した。通常なら、三月中の第二回公判期日で判決が言い渡されていたはずで、前任部総括判事も在任中にこの事件に区切りをつけようとしていたのは、三月三一日をもって定年退官することになっていたからだ。ところが持病の椎間板ヘルニアが悪化して歩行不能、登庁できなくなり、新任の部総括判事である和樹が引き継いで、判決を言い渡すことになったのである。
前任部総括判事のもとで、東京高裁第六刑事部は第一審判決を維持し、控訴棄却とすることを決定していた。しかしながら、裁判長が変わった以上、記録を精査し直さなければならない。四月半ばには左右の陪席裁判官と合議をおこない、第六刑事部は改めて控訴棄却を決定した。
かくして、東京高等裁判所四一〇号法廷の法壇中央に座した和樹は証言台に立つ被告人に向かい、判決を読みあげた。
「主文、本件の控訴を棄却する」
わずかの間を置いて、「あ~」という嘆きが傍聴席から起こった。被害女性の関係者と思われるひとたちで、被告人は蒼白な顔で震えていた。
ざわめきが消えない法廷で、和樹は訓戒をすべきかどうか迷っていた。刑事訴訟規則二二一条には、《裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる》と記されている。
判事になってから、和樹は度々訓戒をしてきた。判事補だったときも、判決書の起案に悪戦苦闘した主任裁判官として、有罪となった被告人に訓戒をしたいと思うことが何度もあったが、判事補は例外的な場合を除いて裁判長を務められない。
ところが、判事補から判事に昇格して、初めて裁判長を務めた松山地裁での単独事件において、和樹は訓戒をしなかった。
その事件の被告人は自称アルバイトの五五歳男性。泥酔したうえでの暴行と器物破損により逮捕、起訴された。同様の事件を五年のあいだに二度おこしており、初犯の際は一晩勾留されたものの、損害を全額賠償し、治療費と慰謝料を払ったこともあり、不起訴処分となった。しかし二年後のときは逮捕、起訴されて、禁固一年、執行猶予三年の判決を受けた。今回は三度目、それも執行猶予中の犯行とあって、反省の色も薄く、実刑は免れない。量刑相場は懲役一、二年であり、それを踏まえて、三五歳の山村和樹裁判長は判決を言い渡した。
「主文、被告人を懲役一年に処する」
すると、ぼさぼさ髪に無精ひげの被告人はむしろホッとした顔になり、法壇の和樹に向けて、ひょいとお辞儀をした。被告人から見て左側に立つ弁護人にもぺこぺこ頭をさげた。
そのひょうきんな姿には、初めて刑務所に収監されることへの恐れが微塵もなかった。多少はあるのかもしれないが、それ以外のケースのほうをむしろ嫌がっていたように感じられて、人生初の判決言い渡しに力んでいた和樹は拍子抜けした。
前夜は、実刑判決を受けて落胆するであろう被告人に対して、この懲役を機に更生への道を歩みだしてほしいと諭すつもりでいた。それならば、一年間とはいえ、懲役はそんなに甘いものではないと叱責しようかと思ったが、それは被告人が身をもって知ればいいことと思い直して、和樹は訓戒をしなかったのである。
「執行猶予が付いて、釈放されることになると、身元引受人のなり手を探さなくてはなりませんからね。そのほうが懲役よりも嫌だったのかもしれませんが、まさに本末転倒です」
閉廷後、刑事部の裁判官室に戻ったところで書記官の男性が言った。
「そうかもしれません」と応じて、和樹は法服を脱いだ。
被告人は自身の不品行が原因で八年前に妻と離婚した。こどもたちや親戚からも絶縁を告げられており、初犯のときは勤務先の上司が身元引受人になってくれたが、素行が改まらず、解雇された。二度目のときは、小学校での同級生がしぶしぶ身元引受人になったという。今回も釈放となった場合は、こどもたちや親戚にまた連絡が行ったはずで、実刑よりもそのほうを恐れたというのはありそうなことだった。
一年間の懲役が社会復帰への端緒になってくれればいいが、それも望み薄に思えて、和樹は釈然としないまま書類を整理していた。
「山村判事」
刑事部の部総括判事が大きな声で呼んだ。
「あす、法廷はないから、松山刑務所を巡視してきなさい。ぼくが、向こうの所長と、うちの所長に断っておく」
いつにない厳しい口調で言われて、和樹は胸のうちを読まれたと思った。
刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律一一条に定められているとおり、《裁判官及び検察官は、刑事施設を巡視することができる》。これは監獄法の規定を引き継いだものだ。受刑者の権利保護が不十分との理由から二〇〇六(平成一八)年に廃止された監獄法だが、一九〇八(明治四一)年に施行された時点では、被収容者の処遇を法律によって規定するという意味で世界に先駆けた進歩的な立法だった。
司法修習の任地だった神戸の刑務所と留置場はもちろん、前任地の松江地裁でも、その前の佐賀地裁でも、着任後ほどなく、和樹は県内の刑務所と留置場を巡視した。とくに佐賀県鳥栖市にある麓刑務所は九州で唯一の女性のみを収容する刑務所であり、そのときの経験はその後の公判に大いに役立った。
ところが、愛媛県の松山地裁に着任してから、和樹は刑務所も警察署内の留置場も巡視していなかった。判事に昇格したのに合わせての異動で、右陪席裁判官になったこともあり、裁判所内での仕事にばかり気が向いていたのは事実だ。ただ、けっして刑務所の巡視を忘れていたわけではない。松山地裁は、民事部は第一と第二があるが、刑事部は一つだけで、大洲、西条、宇和島、今治の各支部とも連携して所管内の刑事事件に当たるため、着任後は週末も仕事に追われていたからだ。
翌日、松山刑務所を巡視した和樹は受刑者や刑務官たちの姿を間近に見て背筋が伸びた。
刑事事件の公判において最も留意すべきは、冤罪を防ぐことだ。担当件数の多さを言いわけに、検察の主張を鵜呑みにして、無実の者に有罪判決を言い渡すことは絶対にあってはならない。そのうえで、公判を公明正大に指揮して、被告人と被害者の双方が納得のゆく判決となるように努める。
しかしながら、和樹が初の裁判長を務めた単独事件では、起訴事実を認めているにもかかわらず、被告人に反省の色はなかった。更生への意志も感じられなかった。傍聴席は無人で、被害者も法廷に来ていなかった。なにより、和樹には被告人に訓戒をするだけの人生経験がなかった。生真面目な単身者で下戸の和樹は、酒癖の悪さによって生活が破綻し、家族にも多大な迷惑をかけ続けてきた五五歳男性の心中を掴めきれずにいた。しかし、いくら多忙であっても、事前に松山刑務所を巡視していたら、自分が言い渡した判決によって被告人はあの刑務所に送られるとの意識が緊張感を生み、被告人も法廷でいい加減な態度はとれなかったかもしれない。
その後悔は、今日に至るまで和樹のなかで薄れることはなかった。そして、ついに東京高等裁判所の裁判長として人生初の第二審判決を言い渡すことになったのだが、それでいて訓戒をするかどうか迷っていたのは、やはり第一審こそが刑事裁判のいのちなのだと、この期に及んで痛感していたからだ。
起訴状の受理から始まる刑事事件の第一審は、被告人が罪を認めていても、事実認定に見解の相違があれば、結審までに六~七ヵ月かかる。その間、公判のたびに被告人の姿を見るし、検察官や弁護人が提出した証拠や証人の証言により、被告人について詳しく知ってゆく。そのうえで合議を尽くして、有罪の場合は量刑が決められる。そうした長く丹念な過程を経ているからこそ、これまで和樹は第一審の裁判長として被告人に訓戒をすることができた。事前に腹案を練ることもあったが、多くの場合は自然に口をついて出た。我ながら上出来な訓戒をして、それが新聞の紙面で取り上げられたことも何度かあった。
それならば、第二審である高等裁判所の判決言い渡しにおいても、自分は訓戒をするのだろうか。その懸念は、今回の内示を受けてから一時間後には和樹の頭に浮かんでいた。
日本の刑事控訴審は事後審制を採用しており、第一審の訴訟記録に基づいて判決の当否を判断する。原則として新たな証拠の提出は認められないが、量刑に関する新たな事実が生じた場合には、その事実についての取調べがおこなわれることもある。いずれにしても第二審の裁判官が法廷で被告人と対面するのは、第一回公判期日と、判決が言い渡される第二回公判期日の二度のみという場合がほとんどだ。
もちろん、逆転無罪、もしくは逆転有罪の場合は、第一審判決を覆すのだから、判決は詳細を極めて、訓戒も自然に口をついて出るだろう。問題は控訴棄却の場合であって、控訴棄却は原判決の維持を意味しているため、判決も簡略に済ますのが慣例だ。ただし、その場合でも訓戒をしてはならないということはない。
「そのときにならなければわからないさ」というのがとりあえず下した結論だったが、数日前から和樹は不安になっていた。なぜなら、諸々の偶然により、本件の被告人とまみえるのは五月八日の判決言い渡しが最初で最後なのである。記録を精読して、事件の詳細も被告人の人物も十分に把握しているとはいえ、その姿を初めて見る被告人に対して、適切な訓戒が言えるだろうか。ありきたりの訓戒をするよりも、控訴棄却の判決を言い渡すだけで済ませるほうが無難なのではないか。
「あ~」という傍聴席からあがった嘆きを聞いた和樹の脳内を以上の記憶と想念が高速で巡り、我に返ったときには訓戒を始めていた。
「被告人は、かつて妻であった女性にストーカー行為を繰り返したうえに、暴行を加えて重傷を負わせました。幸い外傷は癒えたものの、女性は心的外傷後ストレス障害に現在も苦しんでいます」
そこで和樹は被告人を注意した。
「被告人。顔をあげて、こちらを見なさい」
抑えたつもりだったが、強い声が法廷に響き、証言台に立つ被告人と和樹の目が合った。やつれた顔の男性が脅えきった目でこちらを見ている。
「実際に刑が決まるまで、自分が犯した罪の重さと向き合えないひとは少なくありません。あなたには上告の権利もありますが、この第二審判決が確定判決となった場合は、そのときこそ、被害者の苦しみと向き合い、自身の行為を深く反省してもらいたい。被告人がまさに恐れているように、懲役五年という刑は決して軽くありません。その短くない刑期を、一日一日しっかり務めてもらいたい。そして、出所後も決して自分の犯した罪を忘れることなく、社会復帰を果たしてもらいたい」
法廷が静まり返った。ふと目を向けると、傍聴人のなかには瞑目しているひとや、法壇の裁判官たちに向けてなのか、お辞儀をしているひとがいる。そこで視線を証言台に戻すと、被告人がへたり込んでいた。
弁護人が歩み寄り、むせび泣く被告人は二名の押送職員によって退出させられた。その姿を見送ってから、和樹は閉廷を宣言した。法壇の背後にある開き扉から裏廊下に出て、左右の陪席裁判官、事務官、書記官と共にエレベーターに乗り、第六刑事部の裁判官室に戻るまで、誰も口を開かなかった。
「まだ一一時二〇分ですか。緊迫感がすごかったせいか、控訴棄却にもかかわらず、今日の判決言い渡しは長く感じられました」
井野雄介判事が一同をなごませるように言った。ただし、それ以上の感想は述べず、「山村部総括。午後の合議は何時に始めますか」と聞いてきた。
「ぼくは一時からでいいが」
和樹が答えると、「わたしもそれでかまいません」と柳田裕子判事が応じた。
「では、午後一時開始ということで」
井野判事が朗らかに言って、法服を脱いだ和樹は手際よく書類を整理すると、昼食をとりに庁舎を出た。
地裁の判事や部総括判事をしていたときも、裁判長として判決を言い渡したあとは外で昼食をとることにしていた。「鬼の山村」と呼ばれているそうだが、無罪であれ、有罪であれ、ひとの一生を左右する判決を言い渡したあとに同僚と雑談に興じるほど強靱な神経は持ち合わせていない。
早足で庁舎を出た和樹は地下通路に続く階段も小走りで降り、近ごろお気に入りの喫茶店に入った。いつものようにカウンター席の丸椅子に座り、まずはホットコーヒーでひと息つく。続いて辛めのカレーライスを口に運びながら考えていたのは諏訪季実子さんのことだ。
清美のおかげで昨夜のうちに連絡がつき、今夜八時に鎌倉駅近くの小料理屋「おゝ瀧」で食事をすることになった。季実子さんが三日にあけず通う店だそうだが、グルメサイトにも、ガイドブックにも載っていない。ただ、鎌倉駅から徒歩五、六分とのことだし、土地勘もあるのだから、番地を頼りに探してほしいと清美はLINEに書いていた。
世話を焼いてくれた妹の揚げ足を取るわけではないが、兄妹が生まれ育った公団住宅がある大船は横浜市に隣接した交通の要衝で、鶴岡八幡宮を中心とする古都鎌倉とは趣を異にしている。県立鎌倉高校にも自転車で通学していたため、当時も今も、和樹は鎌倉駅周辺にそれほど詳しいわけではなかった。
それに、和樹はこれまで一度もインターネット上の情報を参考にして飲食店に入ったことがなかった。刑事裁判における起訴状一本主義と同様に、雑多な情報は極力遠ざけて、街を歩いているうちに目に留まった店に入ってみる。当たりなら儲けものだし、外れた場合は自分の見る目の無さを反省して、次に生かしてきた。
同僚の裁判官や職員が勧める店にも外れはなかったが、誰より頼りになったのは清美の夫・小林亘だ。元シンガーソングライターにして、音楽プロデューサーという職業柄、全国津々浦々のコンサート会場やライブハウスを巡っており、新しい任地に配属されるたびに、地元のひとも知らない隠れた名店を教えてくれた。
しかしながら、そうして親しんだ店とも、三年ごとの異動により別れなければならない。誠に残念だったが、それは新たな出合いのチャンスでもある。独り身の気安さも手伝い、任地が変わるたび、和樹は見知らぬ街をそぞろ歩いた。
よって、季実子さんが行きつけにしている小料理屋「おゝ瀧」がグルメサイトに載っていないというのは、意に介することではなかった。それより、望ましい展開ではないにしても、季実子さんのお気に入りの店で夕飯をご一緒できるのがとてもうれしい。それに、次に会えるのは夏休みのはずだったのだ。
辛めのカレーライスを食べながら、そうしたことを思っているうちに、皿は空になっていた。