午後一時に第六刑事部の裁判官室で始まった合議は井野判事が見事に仕切り、大山怜を被告人とする事案を含む三件のいずれにおいても、着実な進展があった。

「あすの金曜日、うちの部は閉廷だから、ぼくは例によって宅調だ。では、また来週」

 定時の午後五時に退庁すると、和樹は千代田線で神宮前の官舎に戻った。手早く書類を整理し、備忘録も簡略に記してから、白いポロシャツとベージュのスラックス、紺色のジャケットに着替えた。カジュアルな服に合わせて、靴も紺色の厚底スニーカーにした。ハンカチも忘れずに持った。

 昨日は井野判事のコーディネートを褒めたが、和樹もおしゃれは嫌いでなかった。地方都市では法曹界の人間に出くわすこともあるため、休日もだらしない格好では外を歩けない。名古屋や東京といった大都会では官舎も一等地にあって、近所を散歩するのにもそれなりの服装を求められる。

 帰宅時間帯で、原宿駅から乗った山手線はすし詰めだった。一日働いて疲れてもいたので、渋谷駅で乗り換えた湘南新宿ラインはグリーン車にした。

 鎌倉駅には午後七時半に着いた。ホームに降り立つのは十数年ぶりだし、駅周辺は観光地化がさらに進んでいたが、小料理屋「おゝ瀧」はすぐに見つかった。古いビルディングの一階で、こぢんまりした店構えが好ましい。

 日が落ちたあとも暖かさが残っていて、和樹は久しぶりに若宮大路を歩いてみたくなった。しかし、大切な相手と会う前によけいなことはしないほうがいいと思い直し、少々早いが暖簾をくぐった。

「いらっしゃいませ」

 着物に割烹着の女性が明るい声で迎えてくれて、カウンター席には勤め人らしい五、六人の客がいた。

「あの、諏訪季実子さんの名前で予約が入っていると思うのですが」

「まあ」と満面の笑みで応じられて、和樹はたじろいだ。

「では、泉子先生のご子息の山村和樹先生でいらっしゃいますか?」

 母のことも知っているのかと弱りながら、和樹は小さく頷いた。カウンター席の客たちも、興味津々の顔でこちらを見ている。

「いま、奥にご案内いたしますので、そちらでお待ちくださいませ」

 下にも置かないもてなしに恐縮しつつ、このぶんなら季実子さんは辞退を撤回してくれるのではないかと和樹は楽観した。その一方で、急いては事を仕損じると自分を戒めた。

 今日は、季実子さんを励まして、今後の診察や検査に付き添うことと、手術には必ず立ち会うことを伝えればいい。いかにも居心地の良さそうな店だが、長居して、明日も勤めがある季実子さんを疲れさせてはいけない。

 案内されたのは一番奥にある小粋な部屋だった。テーブル席で、戸も立てられるが、女将さんはお茶を持ってきたあとも開けたままにしていった。

 お酒や料理の匂いがただよってきて、一日働いたうえに満員電車にゆられた和樹は眠気におそわれた。いつにないことだが、やはり年齢には逆らえないと思いながらうとうとしていると、出入り口のほうから女将さんの声が聞こえた。

「本日はすみません。また、お願い致します」

 寝ぼけまなこで見た腕時計は七時五〇分を指していた。平日とはいえ、小料理屋はここからが稼ぎどきのはずだ。申しわけなく思っているとショートメールの着信音が鳴って、メッセージを送ってきたのは季実子さんだった。

《アポなしの保護者が相談に来てしまい、いまから学校を出ます。》

《おからだにさわらないよう、慌てずにお出でください。「おゝ瀧」の奥の部屋で一服しています。》

《ありがとうございます。教務主任が車で送ってくれるので、一〇分ほどで参ります。》

《わかりました。》と送信し、やりとりを終えたところで、「お待たせいたしました。カウンターに席をご用意しましたのでどうぞ」と女将さんが呼びにきた。

「いま、季実子さんから連絡がありまして、このあと学校を出るそうです」

 和樹は女将さんのあとをついて、厨房に立つ大将に挨拶をした。

「このたびは、いろいろにご配慮いただきまして、ありがとうございます。先ほど、女将さんがおっしゃったとおり、中学校の教員をしておりました山村泉子の息子で和樹と申します」

「ご丁寧にありがとうございます。私は泉子先生の教え子でして、娘たちは諏訪先生にお世話になりました。このたびは、誠におめでとうございます」

「違うのよ、あんた。季実子先生がお話をお断りしたいって言いだして、泉子先生が説得しているのよ」

「なんだって、そりゃあ、すみません」

 ひとの好い大将が小さくなって、和樹も肩をすぼめた。大将は同年輩、女将さんは五つほど下だろう。小柄な器量よしで、小料理屋の女将にぴったりだ。

「お昼のあとにも、念を押したじゃない。おめでたい話なら、ほかのお客さんたちがいたっていいでしょ」

 昭和の日の翌日、四月三〇日の晩に訪れた季実子さんからお見合いが上首尾だったと聞いた大将はすっかりその気になってしまった。昼すぎの女将さんの説明も、「諏訪先生」「泉子先生」「ご子息で裁判官の和樹先生」といった名前は耳に入っていたが、まさか難しいことになっているとは思いもよらなかったという。

「どうぞ、おかけください。それにしても、季実ちゃんは、なんだってこんないい話を辞退するんだろう」

「すみません。人間ドックで不整脈が計測されたことも話したつもりなんですけど、まるでわかっていなかったみたいで」

 カウンターに箸とおしぼりが並んで置かれていて、和樹は入口側の椅子に座った。昨日の夕方は井野判事と喫茶店の個室で顔を突き合わせたが、今夜は大将と女将さんもまじえて四方よもやま話に興じるほうがいい気がする。

 そう思いながら厨房の棚に並んだ食器を見るともなく見ていると、さほど間をおかずに、ガラガラと戸が開いた。

「ごめんなさい。自分で時間を指定しておきながら」

 トレンチコートを着た季実子さんは首にスカーフを巻いていた。ただし、体調は悪くなさそうで、和樹は安堵した。

「このくらいは遅刻のうちに入りませんよ。それに、うちの母も、ちっとも帰ってこないことがありました。昭和五〇年頃ですから、スマホもガラケーもないわけで、大船の団地の四階で、妹の清美と二人、ツバメのヒナみたいにお腹を空かせて、母の帰りを今か今かと待っていたものです」

「喩えがお上手ですね。目に浮かびます」

「ほら、季実ちゃん、お隣に座って。さあ、おいしいものをたんと作りますよ。鎌倉の竹林で今朝掘ったばかりの筍が入りましてね」

「そうそう、お話はお腹をいっぱいにしてからにしましょうね」

 女将さんと大将が上手にかけ合いながら季実子さんを招き入れた。

「ありがとうございます。でも、私は少しずつにしてください。今日も給食が喉を通らなかったので」

 季実子さんはぎこちなく答えると、女将さんにコートを手渡して、和樹の左隣に座った。

「あらあら、中学生顔負けのくいしん坊がめずらしい。でも、和樹さんとご一緒なら、すぐにお腹が空いてくるんじゃないかしら」

「飲み物はどうしましょう。季実ちゃんは、いつものとおり、生ビールからぬる燗かい?」

 大将に聞かれた季実子さんが慌てて首を振ったので、和樹は助け舟を出した。

「ぼくにはお水とお茶をください。恥ずかしながら、まったくの下戸でして、ビールをひと口飲んだだけで丸三日間頭痛に悩まされます。やったことはありませんが、一合枡のお酒をグイっとやったら、気を失うと思います」

「そりゃあ、よっぽどですね。うちのお客さんにも下戸はいますが、そこまでの方は初めてです」

「でも、お酒の席は嫌いではありません。みなさんはお酒の力で上機嫌になり、ぼくもみなさんにのせられて、うれしくなりますから。先日も、季実子さんは生ビールをジョッキで飲んだあとに白ワインを二杯召しあがって、おかげでぼくもより楽しくなりました」

「和樹さん」

「おっと、助け船を出したつもりが、口が滑った」

「あははは。東大卒の裁判長というんで、どんな堅物なのかと思っていたら、さすがは泉子先生の息子さんだ。季実ちゃん、よかったじゃないか。その齢まで独り者でいた甲斐があったってもんだよ。まさにお似合い。これ以上のひととは出会えないから、駄々を捏ねてないで、観念しちまいな」

 大将に直言された季実子さんが返事に困っているのを見て、和樹は意を決した。

「季実子さん、先に言ってしまいますが、今後の診察や検査には可能な限り付き添います。そして、夏休みの手術には必ず立ち会います。清美にも確認しましたが、今は親族でなくても手術に立ち会えますからね。全身麻酔の手術はぼくも受けたことがないので、不安になるのもわかりますが、一緒にこの困難を乗り切りましょう」

 和樹の隣でうつむいていた季実子さんが顔をあげると、こちらに向けた目は潤んでいた。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えます。それと、手術が済んで、心臓に不安がなくなるまで、お酒は断ちます」

「えらい!」

 大きくうなずいた大将だが、いかにも残念そうにそのあと首を振った。

「季実ちゃん、決意は立派だけど、今夜は一杯やっていかないか。今日の筍、本当にうまいんだ。燗酒と一緒にやったら最高だよ。サザエやキスもとびきりのを仕入れたんだ。おまけにカツオまであがっててね。正真正銘の初ガツオだよ。こいつは冷酒でキューっといってもらいたい」

「ダメよ。あんた、何言ってるのよ」

「ごめんなさい、大将。鎌倉の筍での一杯は、来年の春まで我慢します」

「うん、そりゃあそうだよな。それじゃあ、お二人の前途を祝して腕をふるいますよ」

 独活うどわかのぬたから始まった料理は、どれもじつにおいしかった。大将と女将さんが代わる代わる話してくれた教員としての母の逸話と季実子先生の活躍もおもしろくて、まさに善は急げ、善行にためらいは不要だと、和樹は思っていた。

 昨晩、清美と電話で話しながら、もう一日待って、金曜日の晩、もしくは土曜日の日中に鎌倉に来ることも頭をよぎったが、短い時間でも、できるだけ早く、季実子さんと顔を合わせることを第一に考えたのが良かったのだ。

 大将と女将さんによれば、母も季実子さんも大人気の先生で、四月の始業式に担任が発表されると、そのクラスの生徒たちは大はしゃぎをしたそうだ。保護者からの信頼も絶大で、それだけに日々の相談は引きも切らず、それは季実子さんが校長になっても変わらないという。

「いえいえ、私は本当に泉子先生の足元にも及ばないんです。今日もそうでしたが、私の場合は問題を抱えて困った生徒や保護者、それに教員たちからの相談を受けて、初めて動きだすんですが、泉子先生は問題がおきるかおきないかのときにすっと手を差し伸べてくれて、初任者だった私はどれだけ助けられたかわかりません。あのお人柄ですから、お節介だと反感を買うこともない。誰が呼んだか、山村泉子先生の千里眼。その千里眼で、どんなにたくさんの生徒や教員が助けられたかわかりません」

「母についての、そのお褒めの言葉は先日もうかがっていて、初めて聞いた『千里眼』という異名も言い得て妙と感心したんですがね」

 ゆっくりした口調ながら、ふいに湧き起こった強い思いに突き動かされて和樹は話していった。

「ただ、母は、自分の夫の急死を未然に防ぐことはできなかったんです。もしかすると、母は散々諫めていたのに、父が忠告に耳を貸さなかったのかもしれない。また、勤め先である法律事務所や裁判所での父の働きぶりを母は直接目にする機会がほとんどなかったはずだから、具体的に助けることができなかったのかもしれない。いずれにしても、母は弁護士だった夫が激務によって心筋梗塞をおこし、三七歳で世を去ることを防げなかった。そのことに対する後悔と自責の念から、中学校では、周囲のひとたちへの観察がよりこまやかになったんじゃないでしょうか。もっとも、息子としては、母に対して、もっと自分を大切にしてほしいと、ずっと思っていましてね」

 そこで口をつぐんだが、季実子さんもなにも言わないので、和樹はさらに続けた。

「母方は、祖父母も伯父も、とても裕福だったんです。ですから、父が亡くなったあと、頼ってもよかったのに、母は頼らなかった。意固地なひとじゃないけれど、この困難は、半分は自分が招いたものだから、自分で背負ってみせるとでも思っていたんじゃないかな」

 長いあいだ胸のうちにあった思いを明かせて、和樹は息を吐いた。

「今のお考えは、おかあさまに話されたことはあるんですか?」

 問いつめるニュアンスは皆無だったが、和樹は季実子さんのほうは見ずに首を振った。

「言うわけありません。妹にも、伯父にも言ったことがない」

 結婚を約束した恋人にも言わなかったという言葉は呑み込み、和樹は格子組みの天井を見あげた。

「ただ、あの世の父に語りかけたことはあります。おとうさんがあんなふうに亡くなったせいで、おかあさんはとんでもなく無理をしていますよって。でもね、こんなふうにも思うんです」

「どんなふうにでしょう」

 やさしくうながしてくれた季実子さんにちらりと目をやって、和樹は亡父にさえ語りかけたことのない母への思いを打ち明けた。

「父の急死をきっかけに中学校英語科の教員になって、母は覚醒したんです。専業主婦だったときも、朗らかで賢い母親だったけれど、実際は力を持て余していたんでしょうね。でも、昭和四〇年代の核家族だから、夫にそれなりの稼ぎがあるなら、妻は家庭を守り、子育てをするものであって、フルタイムの勤めに出ることはあり得なかった。それが、いかなる運命のいたずらか、夫に急逝されて、母は持てる限りの力を発揮しなければならなくなった。英語教師としてのスキルは年々あがっていったでしょうし、周囲から頼りにされるのもうれしかったはずです。でも、それは夫の死を転機として訪れた変貌なのだから、母としては大っぴらに喜ぶことも、誇ることもできない、なんとも因果な人生です」

 場をしんみりさせてしまったことに気づき、「大将、熱燗を一本つけてください」と和樹は言った。

「うそです。熱燗なんて飲んだ日には、救急車で運ばれてしまう」

 乗りツッコミでお道化ても、大将も女将さんも笑ってくれなかったので和樹は弱った。

「あのね、和樹さん」

 そう呼ばれて、和樹は並んで座る相手をしっかり見た。

「私、泉子先生からこのたびのお話をいただいたときに言われたんです。これは誰にも話したことがないし、さぞかし親バカって思うでしょうけれど、と前置きされて」

 季実子さんの声はやわらかだが、強い覚悟で話しているのがわかった。

「三〇年以上も公立中学校の教員をしてきたなかで、おかあさまは、和樹さんを凌ぐ生徒さんにはとうとう出会われなかったそうです。ただ、おかあさまはそれを決して誇ってはいないんです。おとうさまが健在であれば、せめてもう五年長く生きていたら、和樹さんはもっとゆったりとした、穏やかな青春をおくれたんじゃないか。東大法学部に進み、司法試験合格を目標に据えていたにしても、あんなに一直線に、あんなにガムシャラに突き進まずにすんだんじゃないかと、申しわけなさそうにしておられました。ときおり眼光が鋭くなりすぎるし、内に秘めた激しいものが外に漏れることが多いのも気になってならない。女性からもそれがわかるから、適齢期に伴侶が得られなかったんじゃないかとおっしゃっておられました」

 しばしの間を置いて、和樹は応えた。

「そうでしたか。母がそう言っていましたか。たしかに、それは息子に告げるわけにはいかないし、相槌を打ってくれるひとも滅多にいないでしょうね」

「泉子先生は、季実子先生こそ、そうした息子を受けとめてくれるひとだと、ずっと思っていたんでしょうね」

 女将さんが的を射たことを言ってくれて、和樹は助かった。

「はい、本日の締めです」

 大将の声とともに、筍ご飯を載せたお盆がカウンターに置かれた。

「ああ、これは鎌倉の山のかおりだ。父が存命だったとき、鎌倉の竹林で一緒に筍を掘って、その晩に母が筍ご飯を炊いてくれたことがありました」

 ずっと思いださずにいた記憶があざやかによみがえり、和樹は喜んだ。

「京都の筍はたしかにおいしいけど、鎌倉の筍も負けていませんよ」

 カウンターの向こうで大将が胸を張った。

「私もね、和樹さんと同じように、鎌倉の山で筍掘りをしたことがあります」

 それからは、季実子さんが自分の育った家庭について話した。デザートのよもぎ団子を食べ終えたあともまだ話したりないようだったが、九時半が近かったので、女将さんになだめられて、それぞれに帰り支度をした。支払いは、季実子さんが洗面所に入っているあいだに和樹が済ませた。

「ごちそうになってしまい、すみません。私のせいで鎌倉まで来ていただいたのに」

「それより、通勤は若い頃からずっと自転車なんですか」

 和樹が話題を変えると、自動車の運転免許は取ったものの、車は買わなかった、新卒の頃はドロップハンドルのサイクリング車に乗っていたが、年々きつくなっていたので、三〇年前に電動自転車が発売されるとすぐに購入したのだと、季実子さんが張り切った声で話してくれた。

「鎌倉は坂道が多いから、電動自転車が発明されて、どれだけ助かったかわかりません」

「ああ、母もそんなことを言っていたなあ」

 ただし、急いで自転車をこいで不整脈が出ては大変なので、今日は教務主任に送ってもらった。自宅は若宮大路を東に一〇〇メートルほど行ったところにある古い一軒家だという。

 そんなことを話しながら鎌倉駅まで歩いた二人は改札口の手前で握手を交わした。午後一〇時になるところで、東京方面に向かう電車は空いていた。

 なにもかもうまくゆき、疲れはなかった。疲れが吹き飛んだというのが正しくて、和樹はかつてない幸福感に包まれていた。母と清美への報告を季実子さんが引き受けてくれたのもありがたかった。

 大船駅が近づくと、和樹は母が今も暮らす団地のほうに向けて小さく手を振った。清美と小林が住んでいるのは江ノ電の七里ヶ浜駅からすぐの一戸建てで、場所はわかっているが、あがったことはなかった。とくに理由があるわけではなく、行きそびれているうちに、時機を逸したのだ。

 そんなことを思いだしながら、和樹はジャケットの内ポケットに入れていたスマホを取りだした。ショートメールが一件届いていて、てっきり自宅に着いた季実子さんが今夜のお礼を伝えてきたのかと思っていると、送ってきたのは瑤子さんだった。

《五月三日の早朝、父豊彦が亡くなりました。すでに火葬を済ませて、骨壺は葬儀会社に預けました。父の故郷・唐津沖での散骨についてご相談したく思っております。》

 事実と用件が簡潔に記されていて、和樹は胸を衝かれた。しかし、季実子さんと夕食を共にした喜びが一掃されたわけではなく、せめぎ合う感情にゆさぶられて、和樹は混乱した。

 着信は二時間ほど前の二〇時三〇分だ。神宮前の官舎にいたなら、すぐに電話をかけていただろう。瑤子さんも、そのつもりで連絡してきたはずだ。

 やむを得ないこととはいえ、あまりに申しわけなくて、和樹は唇を噛んだ。

《只今メッセージに気づきました。本日は退庁後に所用があり、実家のある鎌倉市に行っておりました。今は都内に戻る電車内です。おとうさま、大隅豊彦判事のご冥福をお祈りいたします。明日は閉廷日ですので、在宅しております。いつでもお電話ください。》

 三度、四度と読み返して、和樹は失礼がないことを確認した。しかし、すぐに送信しなかったのは、今後の成り行きが心配になったからだ。

 四月三〇日の午後、大隅さんの容体が急変したことを瑤子さんから電話で知らされて、和樹は東大病院に駆けつけた。そして、今際のきわにある先輩判事から、一人娘に同行して、故郷である佐賀県の唐津沖で、亡妻と自分の散骨をしてもらいたいと頼まれたのだ。また、自分の死亡については、三ヵ月間は公表しないようにとも厳命された。

 いずれも異例の懇願だったが、断れるはずもなく、和樹は承知した。ただし、瑤子さんに確認せずに引きあげたため、三つの可能性が生じた。一つめは、瑤子さんが自分一人で散骨までおこなったあとに、マスコミ及び和樹に大隅豊彦判事の逝去を知らせる。二つめは、大隅判事の逝去から数時間後ないし数日後に和樹に連絡があり、唐津沖での散骨に同行を求められる。三つめは、数時間後ないしは数日後に逝去の連絡はあるものの、散骨への同行は求められない。

「いやいや、一番いいのは、豊さんが奇跡的に回復することだ」

 病院からの帰り道に思わず口をついて出た独り言まで思いだされて、和樹は粛然となった。その一方で、不安は増していた。

 大隅判事にも、瑤子さんにも、和樹は季実子さんの存在を知らせていなかった。決して隠していたわけではなく、季実子さんと初めて会ったのが、東大病院に駆けつけた日の前日だったからだ。しかしながら、いまや季実子さんと和樹はステディな間柄だった。では、それを理由に、散骨への同行を断るべきだろうか。

「いやいや、それはそれで瑤子さんに失礼というものだ。向こうがこちらに特段の好意を抱いているとは限らないのだし、こちらはあくまで亡父の一番弟子という役柄で散骨に付き添えばいいのだから」

 混乱したままの頭のなかで和樹は自身の考えを反芻した。可能なら、今夜一晩考えて、明日の朝、冷静さを取り戻した状態で返信をしたい。しかしながら、少なくとも、お悔やみの言葉は今夜中に送る必要がある。そして、その文面に唐津への同行については留保すると書くことは不可能だった。

「ええい、ままよ」

 多摩川に架けられた鉄橋を渡ってゆく列車のボックスシートで、和樹はメッセージを送信した。

 

(第9回につづく)