「よお。まだ、いてくれたのか」
そう話す大隅さんは一時間ほど前よりもずっと元気で、マスクをし直した和樹は勇んでナースステーションに知らせた。すぐに訪れた医師も安堵の笑みを見せたほどで、和樹は自分のスマートフォンから瑤子さんに伝えた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
繰り返す瑤子さんは涙声だった。まだ白金台の家にいるが、あと少しで支度が済むので、マンションの外に待たせているタクシーでこちらに向かうという。
「どうぞ、あわてずに。ぼくは、お父上を疲れさせない程度におしゃべりをしていますから」
そう言って電話を終えると、和樹はマスクを外し、ゆるめていたネクタイは締め直して、大隅さんの枕元に歩み寄った。
「さっき、おれはどこまで話したのかな」
増量したモルヒネにより、胸の痛みが治まっているようで、大隅さんの声はさほどかすれていなかった。それに意識もよほどはっきりしている。
「ぼくへの叱咤激励と、瑤子さんの相談相手になってほしいということ。そして、最後にもうひとつと言われたところで、医師と看護師が慌ただしく入室してきたんです」
和樹は努めて淡々と話した。
「うん、そうだった。それで、その最後にもうひとつというやつなんだがね」
大隅さんがさみしそうにもうれしそうにも見える顔をして、和樹は話を聞く前から胸が締めつけられた。
「おれの葬儀については、去年の九月に、がんと診断されたあと、瑤子に話してある。遺言書もつくってある」
その後に続いたのは、葬儀はせず、戒名も要らない。遺骨は、奥さまのお骨と共に唐津の沖に散骨してもらいたいというものだった。法律事務所は三月末で退職しており、今回の入院についても知らせていない。自分の死亡についても知らせなくていい。新聞社などから確認の連絡があった場合は、三ヵ月間は公にしないでもらいたいと要請する。死後の叙勲も、辞退する旨をすでに所轄の官庁に伝えていると聞いて、和樹はその徹底ぶりに驚いた。
とくに、葬儀をしないことについては、七年前の奥さまの葬儀が盛大なものだっただけに意外の感が強く、率直にそう申しあげると、大隅さんが照れくさそうに微笑んだ。
「あれは雅代の希望でね。あなたは嫌でしょうけど、もしものときは、うんと華やかにしてちょうだいって言われていたのさ。遺影もきれいだっただろう」
そう聞かれて、和樹は大げさに頷いてみせた。
「あの写真も、雅代の希望で、有名なカメラマンに、たっぷり弾んで撮ってもらってあったんだ」
大隅さんはかつてと同じように惚気てみせた。
「ごちそうさまです」と応じて、和樹は頭をさげた。
「雅代は、おれにとっては最高の伴侶だった。美人で、おしゃれで、気立てがよくて、お客のあしらいも上手。料理も得意。生け花と茶道は師範」
「まさに言うことなしですね」
合いの手を入れながら、モルヒネの効果とはいえ、よくこんなに快活に話せるものだと和樹が驚いていると、顔をしかめた大隅さんが首を左右に振った。
「欠点のない人間はいない。和樹は花柳界の女性と付き合ったことがあるかい」
「いいえ。ぼくは酒が飲めませんので」
「しかし、お供でクラブや料亭に行ったことはあるだろう」
「ええ、それは」
「いい男だから、さぞかしモテたろう」
「自分ではわかりません」
殊勝に答えたが、この土地に在任中の三年間だけでいいので付き合ってほしいと言われたことは何度かあった。しかし、その女性が本心から言っているとは限らないし、こちらが裁判官だとわかっているのだから、関係ができたところで頼みごとをされても困る。噂が立ってもまずい。そもそも期間を限定した男女付き合いなどしたくなかったので、いずれの方も丁重にお断りした。大隅さんも、将来を嘱望されている判事が中洲一の女性と結ばれたというので、裏社会との関係が危惧されたと聞いている。
しかし、この場でそんなことを話題にできるはずもなく、和樹が黙っていると、大隅さんが意外な人物の名前を口にした。
「坪内逍遥は知ってるだろ。安政生まれの明治の文豪で、シェイクスピア全集の日本語訳をしたという」
「はい。東大出の文学士で、早稲田大学の教授になった方ですね。しかし、作品を読んだことはありません」
「うん。その逍遥は、根津遊郭の娼妓だったセンを妻にして、添い遂げているのさ。四民平等を実行する意気込みもあったらしいが、要は、田舎育ちの秀才が、都会のあか抜けた女に惚れて、骨抜きにされたんだね。このおれと同じく」
センは貧しい家の出ながら賢い女性で陰に陽に逍遥を支えた。良妻の鑑とまで言われていたが、逍遥の死後、センに対する評価が変わってくる。つまり、じつは悪妻で、ひとのいる前ではかしこまっているが、性根はわがままで、逍遥を大変に苦しめたという。
初めて聞く話で、和樹は興味をそそられた。しかし、雅代さんをセンに重ねようとしているのだろうと察して、先を聞くのが怖かった。それに、体力の消耗も心配だったが、大隅さんは言わずにはいられないようだった。
「うちの場合、皺寄せは、みんな瑤子に行ってな。おれが瑤子を可愛がると、雅代が癇癪を起こして、それは大変だったんだ。じつの娘にヤキモチを焼く母親なんて聞いたことがないが、本当なんだ。平和なのは、客が来ているあいだだけ。雅代はよそ行きの顔をするからな。その分、客が帰ったあとが、それは大変だったんだ。おまけに着道楽で、おれの俸給は、みんな雅代の着物や宝石になっちまった」
そこで大隅さんが莞爾と笑った。
「しかし、おれは雅代が大好きだった。あいつの喜ぶ顔を見れば、どんな苦労も吹っ飛んだ。それにしても、おれが最高裁の判事になる前に雅代に死なれたのは本当に残念だった」
口をつぐんだ大隅さんが和樹をじっと見た。
「今日はありがとう。まだ数日、この世にいられそうな気がするが、忙しいだろうし、見舞いにはもう来なくていいからな。臨終にも、かけつけなくていい。医師や葬儀会社のひと以外に死顔は見せるなと、瑤子にきつく言ってあるんだ。繰り返すが、葬儀は無用。お別れの会なども御免被る。ただ、唐津の海への散骨を、ひとりでさせるのはかわいそうだから、瑤子に付き添ってやってくれないか。こんなことを頼めるのは和樹だけなんだ」
この状況で断れるはずもなく、「わかりました」と和樹は答えた。
大隅さんがまた眠りに落ちて、和樹はナースステーションに向かった。病室に同行した看護師は患者の様子をチェックして、和樹にねぎらいの言葉をかけてくれた。
午後七時が近く、和樹はまたソファに腰かけた。奥さまがらみの告白は一旦忘れることにして、日本の刑事司法を支えてくれという、大隅さんからの励ましについて考えていると、父が遺した日記へと連想が繋がった。
そうしたものがあると聞いてはいたが、父と同じ弁護士になってから読めばいいと、和樹は思っていた。ところが、司法試験に合格して、神戸で司法修習をしているときに、母がそのうちの二冊を送ってきたのである。
一年に一冊、横書きの大学ノートに、日々の出来事や感想が綴られていて、送られてきたのは一九七四年と七五年の二冊だった。後者が三月一九日で途切れているのは、父が三月二〇日の午前九時過ぎに心筋梗塞によって急死したからだ。
しかし、和樹が最初に読んだのは、死去の丁度一年前、一九七四年三月一九日の日記だった。そこにだけ付箋が貼られていたからで、付箋の新しさからして、貼ったのは母だと思われる。九歳の誕生日を迎えた息子への熱い期待が力のこもった文字で綴られており、父の気持ちがありがたくて、和樹は読みながら滂沱の涙を流した。
書きだしは、その日に横浜地方裁判所でおこなわれた単独事件の初公判に対する憤りだった。傍聴席には被告人の母親しかおらず、新聞記者の姿もなかったせいか、被告人を法廷に連れてきた押送職員の態度はぞんざいで、腰縄や手錠の外し方も乱暴だった。また、検察官による起訴状の朗読や冒頭陳述も異様なほどの早口で、父はたまらず、裁判官を通して、検察官にもっとゆっくり話すように意見をした。
ところが、三〇代半ばの男性裁判官による検察官への指導は遠慮がち、かつ形式的で、その後も検察官の早口はいっこうに改まらなかった。被告人も、途中で聞く気をなくしてしまい、弁護人である父との面会では見せていた真摯な反省の態度も失われて、なんともやるせなかった。傍聴席の母親も、なにがどうなっているのかわからず、泣くに泣けないというありさまだった。
《裁判は、その国の品位を如実にあらわすと私は思い、弁護人としての法廷での振る舞いはもちろん、服装や頭髪にしても、乏しい家計のなか、できるかぎり整えてきた。また、弁論についても、芝居やテレビドラマではないのだから、みだりに怒りをあらわさず、なにより被告人にしっかり伝わるように心がけて、誠心誠意努めてきたつもりだ。しかしながら、検察官や押送職員などは、「無罪推定の原則」など知らぬ存ぜぬとばかりに、被告人に対する犯罪者扱いを改めようとしない。裁判官は、ご自身の言動は至極丁寧で、いつも感心させられているが、検察官らの態度を本気で注意することはない。》
そうした憤慨が記されたあと、父は九歳になった息子に向けて書いていた。
《もしも和樹が将来法曹界に進むのなら、是非とも裁判官を目ざしてほしい。それも民事裁判官ではなく、刑事裁判官になってほしい。あの子は、妻の実家である大久保の血を引いているせいか、私よりもよほど人品が確かだ。頭の出来もはるかに良い。それだけに、十分な学資を確保してやりたい。私自身も痛いほど経験しているが、大学で本気で勉強しようとすると、本当にお金がかかる。図書館に書籍が完備されているとはいえ、学生が利用できる冊数や日数には限りがあるし、書籍は座右に置いてこそ味読できる。先人の教えを血肉にできる。また、決して弱音を吐くわけではないが、裁判を司るのは裁判官だ。弁護人は、一方の役者でしかない。しかも、裁判官が聞く耳をもってくれなければ、法廷でのどんな熱弁も糠に釘、暖簾に腕押しでしかないのだ。》
父・康樹は山形県鶴岡市の出身で、地元選出の国会議員の援助を受けて中央大学法学部に進み、苦学して弁護士となった。仲間の弁護士たちと横浜市で法律事務所を開設し、いわゆる人権派の弁護士として活動していたが、お世話になった政治家のために働くこともあり、ジレンマにかられていたようだ。また、月のうち一週間は山形に滞在し、法律相談などをしていたため、多忙を極めていたことが早逝に繋がった。
母は手紙も添えずに父の日記を送ってきたが、そのタイミングはまさに千里眼としか言いようがなかった。父の日記を読んだのと前後して、和樹は担当の司法修習官から裁判官への任官を勧められたからだ。しかも、その方は父を知っており、三七歳での逝去を惜しんでくださった。そうした経緯もあって、父の期待にこたえるべく、二四歳の和樹は裁判官、それも刑事裁判官になろうと決めたのだ。
矢島紗帆さんに別れを告げられたショックで女性と交際せずにいた和樹だったが、判事補から判事に昇進した三五歳頃、無性に結婚したくなった。伴侶も欲しかったが、こどもが欲しくなったのだ。父が息子を手塩にかけて育てて、遺志を託したように、自分もわが子になにかを託したい。
しかしながら、ことはそう都合よく運んではくれず、三年ごとの転勤のせいもあって、その願いは叶わなかった。それならば、法曹界の若手を存分に鍛えよう。当然、鍛える側には、それにふさわしい力量が求められる。そして、その気構えに徹しているうちに、いつしか「鬼の山村」の異名が付いていたのである。
そこまでを思い返して、大隅さんは瑤子さんになにを託したかったのだろうと、和樹は思った。もっとも、あの口ぶりでは、娘になにかを託したいと願うことすら、癇癪持ちの雅代さんによって阻止されていたかもしれない。しかも、大隅さんはそれを止められなかった。いや、あの口ぶりは、妻への苦言など思いもよらないというふうだった。そんな両親を、瑤子さんはどう思っていたのだろう。傍からは、これ以上ない幸せな、理想的な家族に見えていただけに、大隅家の実情は胸に応えた。
そこでスマホが鳴り、ショートメールの着信を知らせた。
《あと一〇分ほどで着きます。行きつけの洋食屋さんにお弁当を作ってもらいましたので、お持ち帰りください。》
せっかくのお弁当を渋谷の官舎でひとりで食べるのはいかにも侘しいが、この病室で瑤子さんと一緒に食べるわけにはいかないのもわかっている。病人がいるかたわらで、おしゃべりしながら二人で一緒に食べるのはあまりにも不謹慎だ。
《お気遣いに感謝します。ありがたくいただきます。》
そう打ったあと、和樹はテーブルに広げていたハンカチをきれいに畳んだ。そして、クローゼットにかけていた上着に袖を通した。
「鬼の山村」と恐れられているそうだが、それは法廷における最低限の規範を職員や検察官、弁護人や被告人に守らせるためであって、和樹自身のふるまいに厳めしいところはなかった。じっさい、司法修習所の担当教官は、和樹が論争型ではなく、調整型の人間だとすぐに見抜いた。責任感も並外れて強く、まさに裁判官向きだという。それまで弁護士になることしか考えていなかったが、同じ班のメンバーたちも担当教官の意見に賛成だという。そして、そんなときに、母が父の日記を送ってきたのだ。
検察官、弁護士、裁判官は、最難関の司法試験を突破しているだけに、いずれも頭脳明晰で、弁も立つ。しかしながら、話術の才は異なっており、検察官が得意なのは追及と尋問だ。犯行を否認する被疑者には様々な質問を向けて、答えの矛盾を露わにしたり、被害者やその家族の悲しみ、苦しみを訴えて、反省を迫ったりと、あの手この手で落としにかかる。
汚職事件には汚職事件のエキスパート、脱税事件には脱税事件のエキスパートが当たるのも特徴だ。重大事件では、検事正以下、大人数の組織が一丸となり、山のような証拠と証言を積み上げて、強気な論調で弁護側を圧倒し、裁判官に求刑どおりの判決を下すように迫る。
対する弁護士は、弁護人として、検察官の主張の矛盾を突き、無罪を勝ち取ろうと奮闘する。被告人が犯行を認めている場合は、情状酌量による減刑を求めて粘り強く論を戦わせる。いわゆるカウンター型の話術で、被告人に有利な証言をしてくれる証人を労をいとわず法廷に呼び、裁判官の情に訴える。記者会見も積極的に開き、マスコミや世論を味方につけようとする。弁護士にもそれぞれ得意分野はあるが、検察官よりも多くの種類の事件を引き受ける者がほとんどだ。
裁判官は、検察官と弁護人のどちらにも与せず、公平な立場から審理をおこなう。また、検察官や私選弁護人と違い、裁判官は自分が担当する事件を選ぶことができない。刑事事件は刑事部の裁判官、民事事件は民事部の裁判官が担当するが、区分けされているのはそこまでだ。各裁判所の所長や長官も、所属する裁判官たちに機械的に事件を割り振っているのであって、この事件はA裁判官が以前担当した事件に類似しているから、またA裁判官にお願いしようといった配慮をすることは決してない。つまり、刑事裁判官であれば、痴漢や窃盗といった旧来の事件から、最新のサイバー犯罪、それに高度な専門知識を要する医療事故まで、ありとあらゆる刑事事件を担当する可能性があるわけだ。
よって、裁判官に最も求められる資質は、理解力の高さと、偏見の少なさ、そして公平性だ。そうした能力が十分発揮されるように、裁判官は時間をかけて記録を読み込み、法廷では一段高い場所に座って、検察官と弁護人の論戦を調整しつつ、事件に対する心証を形成し、判決に結実させる。
和樹も、裁判官としての自分の言動には一定の自信があった。これまで地方裁判所の部総括判事として七件の無罪判決を言い渡しており、それはある意味、強大な組織力を誇る検察庁に単身で立てつく行為であるわけだが、決して怯まず、詳細で説得力のある判決を書いてきた。そのおかげか、一件を除いて控訴されたことはなかったが、のちにそれほどの力を発揮する和樹であっても、刑事裁判官になるなら別れるという矢島紗帆さんを説得することはできなかったのである。
そこでようやく、和樹は昨日の晩にかかってきた電話で、瑤子さんが言ったことを思いだした。
「父が世迷いごとを言うと思うんですけれど、適当に相槌を打って、すぐに忘れてくださいな」
妙な気を回した和樹は、その電話のあと、大隅さんが離婚を経験した娘をもらってくれと言いだすのではないかと思った。そして、じっさい、大隅さんはそれらしいことをおっしゃったが、それが瑤子さんが言った「世迷いごと」なのかどうかは定かでなかった。また、ご自身と奥さまの遺骨の散骨に同行してやってほしいとも言われたが、それを瑤子さんが承知しているかどうかも定かではなかった。
《いま、下に着きました。》
瑤子さんからのショートメールが届き、和樹は諸々の疑問を一旦封印した。このあと瑤子さんは余命いくばくもない父親との親子水入らずのときを過ごすのだ。そんなときに、余人が余計なことを聞くべきではない。お弁当を受け取ったら、お礼を言って、早々に立ち去ろう。
そう自分に言い聞かせていたが、大きなスーツケースを引いて自宅から戻った瑤子さんを前にして、いざ辞去の挨拶をする段になると、和樹は思いの丈を述べないわけにはいかなかった。
「先ほど、お父上から、もう見舞いには来なくてよいと言われました」
そこで早くも声が詰まったが、和樹は自分を奮い立たせた。
「ぼくは一〇歳で父を亡くしていますので、大隅さんのことを、父のようにも、兄のようにも思い、慕ってまいりました。これでお別れするのは誠に残念ですが、それも最後の励ましと解しまして、これで失礼させていただきます。豊さん、長いあいだ、本当にありがとうございました」
和樹はベッドに歩み寄り、寝息を立てている前最高裁判事に深々と頭をさげた。そして、感極まった和樹はなかなか頭をあげられなかった。
「ありがとうございます」
背後から言われて、振り返った和樹が目を丸くしたのは、そこに立っている瑤子さんが部屋着だったからだ。グレーのボーダー柄の白いカットソーにグレーのスウェットパンツという姿で、いったいいつ着替えたのか。マスクを外した顔も化粧っ気のないすっぴんだ。
「これはね、家で着替えて、コートを羽織ってきたんです。あとは寝るだけなのに、こっちで着替えるのは面倒でしょ」
瑤子さんが目をむけた壁際のソファベッドには春物のコートが置いてあった。
「あの、お借りしたハンカチは、洗って返すのが筋かと思いましたが、持って帰るのも失礼かと思い、窓際のテーブルに置いてあります。それから、ぼくで役に立つことでしたら、なんでもしますので、いつでもお電話ください」
和樹はみっともないほど動揺したまま話した。
「ありがとうございます。でも、お忙しさは重々わかっておりますから」
瑤子さんは自宅に向かう前よりもずっと余裕があった。
「これをお持ちください。父も大好きだったんです」
手渡された、重みのある紙袋を提げて、廊下に出てから振りかえると、瑤子さんはこちらを見送るように病室の前で立っていた。
一礼してからマスクをした和樹は絨毯が敷かれた通路を歩き、ナースステーションに声をかけて、帰路に就いた。
往きは気がせいていたのでタクシーに乗ったが、和樹はJR上野駅まで歩くことにした。そのほうが山手線一本で最寄りの原宿駅まで行けるし、大隅さんとのやりとりを胸に刻めると思ったからだ。
そう考えて、すっかり日が暮れた道を歩きながら、和樹は何度も洟をすすった。
遠からぬ死を覚悟した先輩は、臨終にかけつけるには及ばないと言った。葬儀をおこなわないというのもつらかった。
若かりし日、出世を果たして亡くなった元判事たちの葬儀が無闇に盛大に思われて鼻白んだこともあった。しかしながら、コロナ禍以降、それ以前であれば必ず伺っていたはずの方の葬儀が家族葬で執りおこなわれたとの報せを後日受けて、追悼の気持ちのやり場に困ったことが一度ならずあったのも事実だ。
また、自分は今生の別れをする機会を恵まれたが、ご逝去にさいして、大隅豊彦前最高裁判所判事の遺影に一礼したいと願う法曹関係者はかなりの数にのぼるはずだ。
もちろん和樹は、大隅さんに一日でも長く生きていただきたかった。しかし、惜しくも亡くなられたなら、ご遺体に対面して、あらためて生前のご恩に感謝したかった。ところが、大隅さんは葬儀は無用と繰り返されたし、お別れの会なども御免被るとはっきり言われたのだ。
旧岩崎邸の塀に沿って、和樹はとぼとぼ歩いた。それでも、上野公園に出て、ゴールデンウィークで賑わうひとたちにまぎれていると、いくらか気持ちが落ち着いてきた。それとともに不安になったのは、唐津沖での散骨についてだ。
瑤子さんに同行するようにと大隅さんに請われて、和樹も応じたが、その場に瑤子さんはいなかった。病室に戻ってきた瑤子さんに、その件についての確認もしていない。
ひょっとすると、昨夜の電話で瑤子さんが言った「世迷いごと」が散骨への同行なのかもしれないが、「世迷いごと」は「筋の通らない愚痴やたわごと」のことであって、散骨への同行を求めるのは、それほど筋が通らないことではないだろう。つまり、戒名や葬儀の無用についてと同じく、散骨への和樹の同行についても大隅さんは瑤子さんに伝えており、それを瑤子さんも了解していると考えて差し支えない。
そこまでを納得した和樹は歩きながら頷いた。そして頭のなかでさらに論を進めたが、そこから先は容易に結論が出なかった。なぜなら、すべては瑤子さんしだいだからだ。唐津沖での散骨への同行以前に、大隅さんの死去の知らせが自分に届くかどうかもわからないのである。
常識的に考えれば、いまわのきわに病室に呼ばれた自分には、瑤子さんから真っ先に連絡があってしかるべきだ。しかしながら、大隅さんは臨終にかけつけるなと言った。また、死顔は医師と葬儀会社のひと以外には見せるなと瑤子さんにきつく言ってあるという。さらに、マスコミから問い合わせがあった場合は、死後三ヵ月は報道しないでもらいたいと申し入れるとなると、直系の後輩である和樹もまた、その他大勢の法曹関係者と同じく、恩人である先輩判事の死を知らないまま、三ヵ月もの日々を過ごさなければならなくなるかもしれないのである。
それはあまりにも耐えがたかった。しかし、だからといって、たとえば明日を待って瑤子さんに連絡をとり、自分にだけは大隅さんの逝去を知らせてほしいと頼むのは、礼を失したふるまいと言わざるを得ない。その瞬間にも、大隅さんは亡くなろうとしているかもしれないのだ。
問題はそれだけではなかった。かりに臨終から数時間後、もしくは数日後に瑤子さんから逝去の知らせがあったとしても、父親の言いつけどおりに唐津沖への散骨に同行を求めてくるとは限らなかった。逆に、同行を求められた場合、和樹の側に断るという選択肢はない。それは故人との約束を反故にすることだからだ。
一般に、墓所への納骨は四九日法要に合わせておこなわれる。ただし、散骨の一般的な時期について、和樹はなにも知るところがなかった。散骨に関して知っているのは、それを禁止する法律がないということだ。
刑法一九〇条は《死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。》と定めている。散骨については法務省が見解を示しており、葬送のための祭祀として節度を持っておこなわれる限り、遺骨遺棄罪には当たらないとしている。散骨業者のあいだでは、遺骨は二ミリ以下の粉末状にすることにしているそうだが、その行為もまた葬送のためであって、刑法一九〇条の「遺骨の損壊」には当たらないというわけだ。
以上の前提から想定されるのは、三つのパターンだ。一つめは、瑤子さんが自分一人で散骨までおこなったあとに、マスコミ及び和樹に大隅豊彦判事の逝去を知らせる。二つめは、大隅判事の逝去から数時間ないし数日後に和樹に連絡があり、唐津沖での散骨に同行を求められる。三つめは、数時間ないし数日後に逝去の連絡はあるものの、散骨への同行は求められない。
「いやいや、一番いいのは、豊さんが奇跡的に回復することだ」
思わず独り言が口をついたのは、病室に戻ってきたあとの瑤子さんの姿が脳裏に浮かんだからだ。
六〇歳の今日まで、和樹は母と妹以外の女性の素の姿を見たことがなかった。矢島紗帆さんとはシティホテルや旅館に何度も同宿しているが、先ほどの瑤子さんほど無防備ではなかった。
その姿と、そのときの戸惑いがそのままよみがえるのと同時に、和樹のおなかが鳴った。右手に提げた紙袋には、瑤子さんが用意してくれた出来立てのお弁当が入っている。大隅さんも大好きで、行きつけにしていたという洋食屋に頼んで作ってもらったからには、さぞかしおいしいことだろう。
瑤子さんの手作りではないが、和樹は季実子さんに申しわけない気がした。また、東京高裁の部総括判事としても、あまりに意地汚い気がしたが、この空腹は日中の宅調と、その後に大隅判事を見舞ったが故の空腹だ。それならば、心置きなく舌鼓が打てる。安心した和樹は一刻も早く神宮前の官舎に帰って夕飯を食べたかった。
「豊さん」と呼んで、和樹はかけ寄った。