ゴールデンウィークが明けた五月七日水曜日、和樹は五日ぶりに霞が関の東京高等裁判所に登庁するべく神宮前の官舎を出た。最寄りである明治神宮前駅から霞ケ関駅までは東京メトロ千代田線で一本なので、今日もそのルートにした。

 ただし、常に千代田線で通勤しているわけではない。その間四駅とあまりにも近いし、ずっと地下を走るため、あえてJRや都営バスを利用することもある。帰りは、新宿、渋谷、池袋、上野、新大久保などの繁華街に出て、夕食がてら、街行くひとたちの雰囲気を肌で感じるようにしていた。

 和樹が部総括判事を務める第六刑事部の開廷日は月・火・木だ。つまり、もう一日宅調をしてもよかったが、法廷のない今日のうちに、今後のスケジュールを事務官、書記官と打ち合わせておきたかった。また、ゴールデンウィーク中の宅調で、手持ちの法律書だけでは判然としなかった事柄を裁判所の資料や判例集で確認したかった。

 いつもは官舎を出る前から仕事のことで頭がいっぱいだが、大隅豊彦前最高裁判事のことも頭を離れなかった。存命であれば、あのまま最上階の個室におられるわけだが、訪ねていった結果、もはや入院されていないことを告げられて逝去を知るという展開は避けたかった。

 和樹のスマホには、瑤子さんの着信履歴が残っていた。白金台のご自宅の住所もわかっているが、こちらからのあらゆるアクションは瑤子さんを咎めることになるため、和樹はひたすらこらえていた。

 毎朝コンビニで買う新聞の訃報欄にも、大隅さんのお名前はなかった。ネットに訃報がアップされることもなかったが、それで大隅さんの存命が確定するわけでないのがやりきれない。

 もどかしさに身をよじらせるような思いながらも、ゴールデンウィークのあいだ、和樹は前任者から引き継いだ控訴審の記録をひたすら読んだ。大山怜を被告人とする児童虐待による傷害致死事件のほかにも難しい事件がいくつもあったが、部総括判事としては、左右の陪席裁判官との丹念な合議により、控訴審判決に向けた道筋を着実につけてゆくのみだ。

 そうした気持ちで歩道を歩き、庁舎の前まで来ると、第六刑事部左陪席の井野雄介判事が立っていた。

「おはようございます」

 こんな出迎えはいつにないことだし、柔和な面立ちに似合わない抑えた声で挨拶されて、和樹は戸惑った。しかし、すぐに切り替えて、「やあ、おはよう」と明るく応じた。

 ところが、待っていた井野判事のほうが落ち着きがなく、和樹は部下をうながして庁舎の出入り口に続く敷石から外れた。

 ひと月ほどしか一緒に仕事をしていないが、左陪席裁判官としての井野判事の働きぶりは申し分なかった。判事補から判事に昇格して二度目の異動で東京高裁に配属されただけのことはあると感心していたのに、よほどの出来事が身辺に生じたのだろうか。

 一般には知られていないことだが、最高裁を除く裁判所には個々の裁判官用の執務室がない。第六刑事部であれば、部総括判事の和樹と、右陪席の柳田裕子判事、左陪席の井野雄介判事の三名が広めの一室に机を並べて執務している。事務官と書記官も同室なのは、打ち合わせのしやすさのためでもあるが、憲法で職権の独立を保障されている裁判官が所長や局長といった立場の者たちから干渉を受けないようにするためでもある。

 それはそれで大切なことではあるが、複数での執務だと集中は妨げられるし、井野判事が希望していると思われる二人きりでの相談も難しいのは言うまでもない。

「ぼくになにか話があるのかな」

 そうした事情を念頭に置いて和樹が聞くと、青いスーツに茶色のネクタイをした井野判事が、おしゃれなコーディネートにそぐわないこわばった表情で口を開いた。

「急なお願いで、誠に申しわけないのですが、本日の退庁後、ご予定がないのでしたら、一時間ほどお時間をいただけませんでしょうか。どうしても、山村部総括と二人だけでお話ししたいことがあります」

 井野判事は一昨年の四月、東京高等裁判所第六刑事部に配属になった。千葉県松戸市の出身で、愛知県出身の奥さんが出産を控えていたため、官舎には入らず、松戸の実家で自分の両親と同居することにした。その年の八月に第一子である男の子が誕生し、すくすく育っているということは、今年三月下旬の初顔合わせのときに聞いていた。

 次の異動先を千葉県か、その近県、もしくは奥さんの実家がある愛知県にしてほしいのかと思ったが、和樹は黙っていた。異動を含む人事は最高裁判所事務総局の専権事項であり、直属の上司である部総括判事に頼んだところで、どうにもならないことは、井野判事も重々わかっているはずだからだ。

 それに、異動については、この一〇年ほどで、事務総局もかなり柔軟な対応をするようになっていた。希望があれば、裁判官同士である夫婦の任地を同じにしたり、井野判事のように、こどもが生まれるタイミングで実家から通える裁判所に配属したりと、和樹が任官した一九九〇年前後にはとても考えられなかった手厚い配慮がなされていた。

 それなら、いったいどんな相談なのか。余人にはどうしても聞かれたくないことだから、怪訝に思われるのを承知で、退庁後に他所で話したいというわけだ。

「わかった。今夜の予定はないし、場所も、きみに任せるよ」

「ありがとうございます」

 あまりにも深々としたお辞儀をされて、和樹はバツが悪かった。

「それじゃあ、きみがかまわないなら、定時であがろうか。同道するところを見られたくないなら、ぼくは少し遅れて退庁して、きみが指定する店に行くよ」

「ありがとうございます」

「うん。それじゃあ、そのときに」

 庁舎の出入り口に向かって歩きながら、時代は変わったと和樹は思った。

 コロナ禍以前であれば、毎年の三月四月には歓送迎会が三つも四つもあった。同期や同僚の結婚式もちょくちょくあった。そうした席での多少形式張ったやりとりと、二次会、三次会での無礼講でのおしゃべり、そして合議での闊達な議論が相俟って、裁判官同士の人間関係が築かれていた。多少の悩みも、冗談交じりに打ち明けることで解決していた。

 ところが、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックによって、公判すらストップしてしまったのである。宴席や会食の場をもうけられるはずもなく、緊急事態宣言が解除されたあとも、裁判官同士が集う機会はめっきり減ったままだった。家庭での団欒やプライベートを尊重する風潮にコロナ禍がダメを押したかっこうで、じっさい和樹は井野雄介判事とも、柳田裕子判事とも、庁舎以外の場で膝を交えて話したことがなかった。

 もちろん、二人とも優秀で、そつなく務めを果たしている。職員からの評判も上々だが、じつは仲が悪いのだろうか。左陪席と右陪席が不和では、公判は立ちゆかない。しかし、第六刑事部の前任部総括判事から、そうした引き継ぎはされていなかった。それにしても井野判事の思い詰め方は尋常でないように見えた。

 さて、どうしたものかと考えていたのは束の間で、庁舎内に入ったときには、和樹の頭は切り替わっていた。柳田判事はすでに着席しており、井野判事も和樹のあとを追って入室したので、挨拶を交わし、軽い雑談をしたあと、それぞれが机に向かった。

 和樹は新たに割り当てられた公判の控訴趣意書などの書類を読み、事務官、書記官と裁判期日について相談した。

 あっという間に正午が近づき、和樹は出勤途中に買ったお弁当をソファセットのテーブルに広げた。柳田判事は外に食べにゆき、井野判事はいつもの愛妻弁当を机で食べている。部屋には二人だけだったが、井野判事はなにも話しかけてこなかった。和樹も朝刊に目を通しながら二〇分ほどで食べてしまうと、一時を待たずに机に向かった。そのまま午後三時半まで執務したところで手をとめて、事務官と書記官に声をかけ、柳田判事と井野判事も交えて五人で打ち合わせをした。

 打ち合わせが済んだときには四時半が近づいており、トイレに行くついでに私用のスマホをチェックすると井野判事からショートメールが届いていた。場所は日比谷の珈琲店で、井野の名前で個室をとってあるという。

 それは井野判事の相談が食事をしながらではできない本気のものであることをあらわしていた。瑤子さんからの連絡は入っていなかった。

 午後五時の定時で事務官と秘書官、それに井野判事が退庁した。柳田判事は六時頃まで勤務するという。

「では、ぼくも今日はここで」

 そう告げて、一日働いて疲れた頭で、和樹は帰り支度をしていった。中学高校時代なら、授業のあとはグラウンドでサッカーボールを追うことで頭も気持ちもきれいに切り替わった。いまでも一度聞いた話はしっかり頭に入ったし、切り替えも早かった。

 呑み込みの良さと、切り替えの早さは、こどもの頃からだ。どの科目も同じような熱意で取り組み、テストでは一〇〇点かそれに近い点数を取ったが、とくに好きな科目はなかった。小学生のときは地元の少年サッカーチームに所属して、かなりうまいほうだったし、走力もあったが、寝ても覚めてもサッカーのことを考えているわけではなかった。

 そうした性質を自覚した小学六年生の夏休みに、自分はその道を憑かれたように突き進む芸術家やスポーツ選手にはなれないだろうと悟り、さみしい気持ちになったことを、和樹はおぼえている。それでは将来、どんな職業に就けばいいのか。

 そうした悩みを経て、亡き父と同じ弁護士を志したのは高校一年生の夏休みだった。県立鎌倉高校に入学し、クラスメイトやサッカー部員たちと切磋琢磨するうちに自己分析が進んだのである。

 サッカーが好きなだけあって、チームプレーの大切さは理解しているが、なれ合いや、群れることは好まない。正義感が強いというよりも、不正義を受け入れられないタイプで、相手が誰であっても理不尽な命令には従えない。他人のわがままな言動も許せないが、自分のわがままのほうがより許せない。克己心が強く、自堕落になれない。自己顕示欲は薄い。物欲もあまりない。

 そう自覚して、実業家や会社員には向かないようだと思ったのと、弁護士になろうと思ったのは、ほぼ同時だった。父と自分には色々と違う点もあると気づいていたが、亡き父と同じ道に進むことに、一六歳の和樹は誇りを感じた。

 霞が関の庁舎から日比谷方面に向かって歩きながら、和樹はそうして始まった法律家としての人生が終盤に近づいていると思った。

《すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。》

 旧仮名遣いで綴られた日本国憲法第六章「司法」の冒頭に置かれた第七六条のうち、「裁判官の独立」について記された条文を、和樹はそらんじていた。

 法律によって、これ以上の責任を負わされている職業はない。その職責のなんと重いことか。そして、なんと誇らしいことか。今後も誰憚ることなく、みずからの良心に従い、憲法と法律に則って働こう。尊大にならず、後進の者たちが働きやすい職場環境をつくってゆこう。そのためにも、このあとの井野判事の相談にしっかり向き合おう。

 和樹は指定された喫茶店の手前で立ち止まり、スマートフォンをマナーモードにした。

 店に入って、「井野という名前で個室を」と告げると、「お連れ様はすでにおいでになられています」とワイシャツに黒いベストの男性店員が丁寧に応じた。

「それじゃあ、ぼくにはブレンドをください。砂糖もミルクも要りません。それから、あなた方が個室のドアを開ける前に、必ずノックをして、こちらが応じてから入室してください」

「承知しました」

 男性店員の返事に無言で頷き、和樹は案内された個室に入った。井野判事は起立していて、ドアが閉まると、「ありがとうございます」とお辞儀をした。二人で使うには広いテーブルには、二つのおひやが向き合った場所に置かれていた。

 和樹は奥の椅子にかけて、「ゴールデンウィークは、奥さんやお子さんと出かけたの」と聞いた。

「妻の両親がこちらに来てくれました。こどもはまだ一歳九ヵ月ですので、混み合った列車での移動は大変だし、私の仕事も忙しいだろうと言ってくれて」

「そう。それは随分気の利くご両親だね」

 そこで井野判事も椅子に座った。

「あらためて聞きますが、きみはいまいくつですか」

「三九歳です。妻も同じ年で、大学の同級生です」

 ドアがノックされて、「どうぞ」と井野判事が応じた。

「ブレンドはぼく」と答えたきり、和樹は店員が出てゆくまで口を利かなかった。

「用心に越したことはないからね、何事も。とくに今回は、きみの用件がわからないわけだから」

 井野判事の前にはカフェラテを置いていった女性店員が部屋を出てからそう言って、和樹はお冷をひと口飲んだ。自分の態度が少々威圧的なことはわかっていたが、この状況で親しげに振る舞うほうが相手を戸惑わせてしまうだろう。

 和樹は幼い頃から目力が強く、とくに中学・高校の授業中が凄かったらしい。

「山村、なにか文句があるのか?」と先生に聞かれることがよくあって、そのたびにクラスが沸いた。

「先生、和樹は本気で授業を受けてるんです。塾にも予備校にも行ってないから、授業を百パーセント理解しようとして、きつい目つきになってるんです。中学校でもそうでした」

「そうか。それは悪かったな」

 教室の後方や端の列に座っているときにも先生がやりにくそうにしていることがあったが、だからといって力を抜くわけにはいかなかった。

 そんなことを思いだしながら、「では、どうぞ」と和樹は促し、「はい」と応じた井野判事が話しだした。

「私は法政大学法学部と同大学の法科大学院を卒業しています。しかし、大学入学時の志望は中学校もしくは高校の社会科教員でした。ですので、教員免許も取得しています。妻の弥香みかは英語教諭を目ざしていました。司法試験に挑んだのは、弁護士である妻の父にハッパをかけられたからです。どやされたといったほうが近いかもしれません。義父のことを悪しざまに言うのは気が退けますが、その頃は、悪徳弁護士と言われてもおかしくない、金もうけを主眼にした活動をしていて、いずれも戒告ではありますが、愛知県弁護士会から懲戒処分を二度受けています」

 思いがけない告白に、和樹は仰け反りそうになった。しかし井野判事は淡々と話し続けた。緊張しているように見える面持ちとは裏腹に、その話しぶりは理路整然としていた。

 妻の弥香さんには三つ上の姉がいるが、そうした父親を嫌って高校卒業後に家を出てしまった。弥香さんも父親と距離を取りたいと思い、母親と姉の手助けもあって東京の大学に進学した。そして教職課程の授業で二人は知り合ったのだが、真剣に交際している相手がいるとわかると、父親は仕事で東京に出てきたときに大学三年生だった井野判事を呼びだして、娘の面前でプレッシャーをかけた。

 教員風情にしかなれない男に娘はやれん。男なら、ワンランク上、ツーランク上の生き方を目指してみろ。力及ばず、しがない教員になるしかないとしても、司法試験に挑戦したことは多少の意味を持つはずだ。

「義父の腹づもりでは、私が司法試験に落ちることで、自分の力を見せつけたかったのだと思います。弥香は、そんな挑発に乗る必要はないと言いましたが、それならやってやろうと私が思ったのは、一つには法律を本気で勉強してみたい気持ちもあったからです。二つには、結果はどうあれ、それがきっかけになって、義父との関係が良い方に変わってくれるかもしれないと考えたからです。そう言うと、弥香も、私の両親も、渋々とではありますが、法科大学院に進むことを認めてくれました。申し遅れましたが、私の両親はどちらも中学校の教員をしていて、定年退職後の現在も非常勤の教員として学校に出ております」

 そこまでをひと息に話すと、井野判事はいったん口をつぐんだ。しかし、すぐにまた話しだした。

「申し上げるまでもなく、司法制度改革元年とされる一九九九年以降、司法試験の合格者はそれ以前の約四倍、二〇〇〇人を超えた年もありました。私が一度の挑戦で司法試験に合格できたのも、そうした制度改革のおかげです。そのため、そこまでは義父も強がっていられたのですが、法科大学院の成績と司法試験の成績がどちらも良かったためか、司法修習中に裁判官への任官をすすめられたと伝えると、それまでの強気はうそのように消えて、まったくしおらしくなってしまったのです」

 そのあと井野判事が簡略に説明したように、大半の弁護士にとっても裁判官は雲の上のひとだ。法廷以外で接触することはまずないと言っていいし、出身大学も限られており、東大卒がダントツに多い。それに続く京大、一橋大、早稲田大、慶応大、中央大の卒業生が上位を占めていて、旧帝国大学法学部の卒業生も多い。そのため、井野判事は、まさか自分が裁判官にリクルートされるとはと驚いたし、大学時代の恩師や同級生たちも信じられないといったふうだったそうだ。

「もちろん、本学の法学部出身である諸先輩にも最高裁判事に就任された方はいますが、みな弁護士からの登用です」

 それは承知しているという意味を込めて、和樹は頷いた。

 全ての裁判官の頂点に立つ最高裁判所の裁判官は、最高裁長官と一四名の最高裁判事の、合わせて一五名で構成されている。そのうち、内部昇格ともいうべき裁判官からの抜擢は六名。他省庁からの登用が、検察官二名、外交官と行政官僚から一名ずつ。弁護士会推薦の弁護士が四名。そして学者から一名を起用しているのは、法曹界に身を置く者なら誰もが知っていることだ。

 井野判事は目礼を返しただけで話し続けた。

「ただ、判事補として地裁の刑事部に配属されてみてわかったのですが、私に期待されていたのは、裁判員裁判における評議での議事進行と、裁判員たちへの説明でした。自分で言うのは気が退けますが、教員を志望していたこともあって、私は警戒心を抱かせることなく、誰に対してもフラットに話すことができます」

 和樹は表情を変えず、頷きもしなかった。

「誤解のないように申しあげておけば、私は裁判官になれたことをこのうえない幸せだと思っております。義父も改心して、私の仕事の妨げにならないように、まっとうな弁護士になろうと思うと言ってくれました。詳細は省きますが、かつて義父の父親が悪質な詐欺に遭い、一家が困窮したのに、親戚にさえ、手を差し伸べてくれる者がいなかったため、義父は、世の中は金がすべてと思うようになっていたのです。そうした次第で、私が裁判官に任官したことで、なにもかもがうまくいっていたのですが、われわれ夫婦には一つだけ叶わない望みがありました。こどもができなかったのです。不妊治療にも取り組みましたが、体外受精をしても、妻は妊娠に至りませんでした」

 井野判事が目を伏せて、和樹は胸を打たれた。それと同時に、井野判事が何に悩んでいるのか、おおよそ察しがついた。井野判事のほうでも、そのことに気づいたのだろう。もう先は急がず、お冷に口をつけてから、カフェラテをすすった。和樹もコーヒーをふた口飲んだ。

 ところが、視線を正面に戻すと、井野判事の顔は青ざめていた。

「私は本日、自分に引導を渡していただこうと思い、ご迷惑を顧みず、山村部総括にご足労願いました。そう思うきっかけとなったのは、明日の合議で扱われる、生後四ヵ月の乳児に対する、児童虐待による傷害致死事件です」

 そこまで思いつめていたのかと内心で驚きつつも、和樹は口を挟まなかった。

「不妊治療による心身の負担に耐えられず、妻は三年前に教員を辞めました。その甲斐あってという言い方はしたくありませんが、一昨年八月、われわれ夫婦は三七歳にして待望のわが子を抱くことができました。件の児童虐待による傷害致死事件の第一審判決は、裁判員裁判の弱点である悪しき傾向が如実にあらわれたものだと思います。乳幼児や未成年者が被害者となった事件や、こどもが実の親を襲った事件に対しては、裁判員たちの処罰感情が高じて歯止めが利かなくなってしまう場合があることは、つとに指摘されています。一般国民が裁判員として公判にかかわることにも一定の意味はありますが、ほとんどのひとにとって、一生に一度の機会であることによって、過度な使命感から、処罰感情にバイアスがかかってしまう危険性も当然あるわけです。とくに、罪を犯した者が反省、更生し、社会復帰してゆくことに対する裁判員の期待の薄さは、嘆かわしいと言わざるを得ません。まさに釈迦に説法で、申しわけありません」

 井野判事は額がテーブルに着くほど頭をさげた。

「この事件につきましても、仮にかつてのようなキャリア裁判官のみによる第一審で、被告人が傷害致死を認めていた供述を覆すことなく、反省や謝罪の気持ちを真摯にあらわしていたとしたら、二〇歳という年齢や、不幸な生い立ち、それに血縁のない乳児の世話を半ば押しつけられていたことが、被告人に有利な情状として働き、検察による懲役一〇年の求刑に対して、懲役八年、さらに踏み込んで懲役六年の判決が言い渡されていたかもしれません。そして、検察も控訴しなかった可能性は大いにあると思います」

「うん。量刑判断として妥当だね」

「ありがとうございます。しかしながら、一〇年に及ぶ不妊治療の末にようやく誕生したわが子の成長に日々目を細めている私は、本件の被告人が初公判における罪状認否において、捜査段階での供述を一八〇度翻していなかったとしても、検察の求刑を上回る懲役を主張したい気持ちを抑えきれないのです。たしかに、不注意や疲労から、乳児を抱いたまま転倒することは、可能性としてはあるでしょう。しかし、それならば、すぐに一一九番に通報するなり、近所のひとに赤ん坊の異変を告げて助けを求めるべきです。被告人は、それができなかった事情も縷々るる述べていますが、なんら介抱もせずに、そのまま死なせてしまうことは、断じてあってはなりません」

 井野判事の目には涙がにじんでいた。

「山村部総括が就任される以前に、私は前任の部総括から本件の主任裁判官に指名されて、第一審の記録を精読しましたが、そのときから、この公判にはとても冷静に当たることはできないと危惧しておりました。元々は法曹界に入るつもりはなく、ましてや判事になる資質など到底なく、覚悟も足りなかった者が、何かの間違いで裁判官になってしまったことの報いがついに来たのだと思ったのです。このことは妻にも、柳田判事にも言えず、ひとりで悩んできました。しかしながら、自分だけではどうしても解決ができず、このままでは明日の合議に差し障りがあると考えて、意を決して、山村部総括にご相談したしだいです」

 井野判事は真っ赤な目で和樹を見つめていた。和樹も目を逸らさずに聞いていた。

「井野君、きみの言いたいことはよくわかった。ぼくなりの考えもあるが、甘い物でも食べてひと息つこう。ぼくの方は時間はかまわない」

「ありがとうございます。お言葉に甘えます」

「うん、それじゃあ、そこのメニューを取ってもらえますか」

 和樹は受け取ったメニューを一瞥した。

「ここは僕が持つから、飲み物もお代わりしよう。僕はマスクメロンのショートケーキと、ブレンドをもう一杯」

「では、私は渋皮モンブランとブレンドティーをいただきます」

 井野判事の注文を聞いて、和樹は頬を緩めた。本当に悲観しているなら、「同じものをいただきます」と答えるのが精一杯で、ケーキや飲み物を選ぶ余裕などないはずだからだ。しかし、だからといって、井野判事を不真面目だと非難したいわけではなかった。どれほど感情が揺さぶられていても、頭の一角は覚めているというのは、判事にとって必須の資質だからだ。

「それじゃあ、店の人を呼んで注文してください」

「わかりました」

 

(第6回につづく)