2012年に「宇喜多の捨て嫁」でオール読物新人賞を受賞してデビュー。これまで4度直木賞候補となり、数々の歴史エンタメ小説を世に送り出してきた木下昌輝さんが、今回新たに挑んだテーマは、自身のなかで疑問の多かった戦国武将・武田信玄だ。
武田家が滅亡の一途を辿るとき、信玄の娘・松姫は、兄・勝頼から、信玄が犯した「5つの悪行」があることを知らされる。猛将と恐れられた父は、悪か、それとも正義か──。
「価値観、歴史観の戦いをしたかった」という木下さんに、最新作『風林火山のむすめ』執筆の背景を伺った。
取材・文:河村道子 写真:種子貴之
──武田信玄に真っ向から焦点を当てられたのは初めてのこと。今回、なぜ信玄を描こうと思われたのですか?
木下昌輝(以下=木下):自身の疑問点を物語の核にすることが多いのですが、そのなかのひとつに信玄はなぜ英雄として崇められているんだろう、というのがありました。武田家は他国を略奪したことで有名で、今でも静岡の人から嫌がれているほど。その一方で、武田家は滅亡したけれど、生き残った人々が、徳川の世の礎や新選組の基礎となるものも作っている。そういう歴史の皮肉さみたいなものも面白いなと思ったんです。
でも、僕が最初に信玄に対する疑問を抱いたのは学生時代、孫子の『兵法書』を紐解いたときのことでした。〈無理攻めはするな〉と孫子は説いているのに、信玄は博打みたいな戦い方ばかりして、川中島では大損害を負っている。なのになぜ、彼は、『兵法書』の文言〈風林火山〉を旗印にしたのかと。
──武田家を描いていくなかで、信玄の四女・松姫を視点人物にされたのは?
木下:松姫は武田家滅亡後、八王子に逃れ、仏門に入ったのですが、この地には武田家の旧家臣たちが多く集まり、彼女は彼ら、八王子千人同心の精神的支柱にもなっていた。松姫が遺したこの千人同心は、後の新撰組や会津藩松平家(旧保科家)につながり、幕末では京都を守るために共に戦っているんです。この松姫による〈300年後のスルーパス〉みたいなものが面白く、それは歴史小説を書く上での醍醐味、そして皮肉の答え合わせでもあるなと。織田信忠の許嫁であった松姫は、後に信忠に攻められることにもなる。それも歴史の皮肉ですよね。この時代を生きた女性の過酷さも描くことができると思いました。
──松姫という人物を描く糸口となったものは何だったのでしょうか。
木下:松姫が描いた、信玄の若い頃の絵があるのですが、世に伝えられているような戦の神みたいないかつい感じではなく、優し気な男前に描かれていて、それがすごく面白いなぁと思ったんです。松姫はちょっと夢見がちな女性なのかもしれないと感じて、さらに信玄の実像とは、そういうところにあったのかも、とも。
──松姫は、物語が始まる12歳のころから、〈風林火山のむすめ〉という呼び名がふさわしい、騎馬と短弓を操る快活な姫として描かれていますね。
木下:『宇喜多の捨て嫁』でデビューした頃から、僕の書くものは、ちょっと暗いと言われていて(笑)。本作で武田は滅亡していくので、どうしても悲壮感が出てしまう場面はありますが、その中でもちょっと笑える要素や明るい強さみたいなものは出したいなと。それを、松姫をはじめとする登場人物たちに託しました。
──松姫は嫁入り道具に、「風林火山」の孫子旗を信玄に所望します。作中でも出典の『孫子兵法書』の一節について、信玄と松姫が問答する場面も。これらは物語のなかでどんな軸になっていたのでしょうか。
木下:問答のなかで、「孫子の教えを守った結果、大切な家族が犠牲になったらどうするんだ」という問いかけを、信玄は松姫にしています。信玄は『兵法書』の教えをわかっていないのでは? という僕の疑問からこの物語は始まったわけですが、正しいとされる道を進んだ結果、犠牲が出ることって確かにあるよねと思ったんです。信玄の過去を描いている章では、僕の「孫子観」が様々に現れていると思います。
──信玄は盟約があるにもかかわらず、突如、織田・徳川軍を撃破します。その帰途で病没し、そこから武田家の滅亡が始まっていくわけですが、混乱のなか、松姫は兄・勝頼から信玄の5つの悪行を聞かされます。その悪行の理由、真実を知るのは、信玄が託した5種の「封印紐」を持つ武田家の家臣たち。松姫はその封印紐を持つ者たちを探す旅に出ます。この着想はどこから得られたんでしょうか。
木下:僕は鳥山明さんの漫画『ドラゴンボール』が大好きなので、ちょっと影響を受けています(笑)。何かを探す冒険へ出かける「探しもの」の物語であり、相手を出し抜くような頭脳戦が書けたら面白いだろうなと。「封印紐」は私の造語で、茶器の箱などを縛る独特な結び方のことを封印結びといいます。以前、暮らしていた京都の古い家ではよくある風習らしいですが、これって今でいうIDやパスワードみたいなものなんです。結び方を知る人にしか開封できないわけですから。そうした独特の感性がないと、伝統や歴史は繋いでいけないのではないかという思いと信玄の秘密を繋げて、封印紐というアイテムを考案しました。
──封印紐がすべて集まると、信玄の宝が見つかる、という設定にも心躍ります。けれど、武田の城が次々と落ちるなか、武田狩りが始まり、封印紐を持つという噂のせいで、松姫は全方位から追われる身となります。なかでも彼女に異常とも言える執着を持つ、長岌という僧が凄まじい勢いで追ってきますね。
木下:「少年ジャンプ」世代の自分としては、単純にアクションとして面白いものにしてみたかった。歴史小説は、史実の間にどんなフィクションを打ち込めるかが一番の腕の見せ所。今作では歴史の空白の部分を、松姫のアクションで動かしました。時おり、視点人物となる長岌はダースベイダーのような恐ろしい存在。ゲームをしているような感覚で、楽しみつつ書いていましたね。
〈後編〉に続きます。