パレスチナの亀

 

 先日の日曜日、家族で遊びに行った友人宅の庭で、息子が同い年ぐらいの女の子と地面にしゃがみ込んでいた。「何を見つけたの?」と覗いてみると、そこには一匹の亀がいた。ママ見て、トゥートゥーだよ! と言う息子のその発音が可愛らしくて、思わず笑い出しそうになるのを堪える。「Oh, it’s a TURTLE!」あら、ほんとだタートルね! と正しい発音でリピートしてみせるその舌に、僅かに緊張が走る。Turtle、Turtle。二度ほど練習したあたりで不意に、いつかの記憶が蘇る。

 

 

「モハメッド! 横のアパートの屋上でタートゥーがひっくり返ってる!」

 

 あの日、そう騒ぎ立てる私を、モハメッドは不思議そうな顔で見つめた。

 

「横のアパートの屋上で……なんだって?」

「タートゥー、タートゥーだよ! ほらあの、ゆっくり歩く、タートゥー!」

 

 人差し指と中指を歩かせる仕草を見せたところで初めて、モハメッドは私が亀の話をしているのだとようやく気づき、吹き出して大笑いした。

 

「アユミ。タートル、タートルだよ」

「タ、タート、タートゥルー……」

 

 必死な私をよそに、モハメッドは息継ぎも忘れて笑い続けている。

 

「それでタートルが、一体どうしたって?」

「タートゥルーがひっくり返ってずっとジタバタしてるの、ほらあそこ。お隣さんに教えなくちゃと思って」

 

 どれどれと窓を覗き込むモハメッド。ひっくり返り仰向けになった一匹の亀が、四つ足を宙で泳がせている。容赦なく照らしつける日差しの中、このままでは干からびてしまうと私は居てもたってもいられなくなったのだ。まだ笑い足りないという具合で涙目のモハメッドは、「ああ本当だね」と笑いながら、伝えてくるよと外へ出て行った。窓から見守っていると、屋上にお隣さんとモハメッドが現れる。無事に亀がひっくり返されると、モハメッドは親指を立ててこちらを振り向いた。

 

 

 二〇一五年の五月、あの日私は、パレスチナ自治区のヨルダン川西地区にある、ヘブロンという町にいた。世界放浪の旅を始めて、一年半ほど経った頃のことだ。旅に出る前に行きたい国リストを作っていたものの、行くつもりのなかった国の素晴らしい噂話を道中耳にしては何度もルート変更を繰り返し、旅の計画は大幅に遅れていた。それでも、イスラエルとパレスチナだけは是が非でも行くつもりだった。三大宗教の聖地であること、それから、社会風刺のウォールアートで有名な覆面アーティスト、バンクシーの絵画をどうしてもこの目で見たかったのだ。

 

 当時旅人の間で流行っていた「カウチサーフィン」という、平たく言えば、世界中で見知らぬ人が無料で自宅に泊めてくれるというSNSを私はあらゆる国で利用していた。パレスチナに行くことに決めた時、カウチサーフィンのホストリストを検索していると、一人だけレビューの数が桁違いに多いホストがいた。それがモハメッドだった。

 

 パレスチナへ向かうまでの一週間、私はエルサレムでのカウチサーフィンのホスト、エイロンの実家にお世話になっていた。奇しくもその時期は過越祭の真っ只中。奴隷状態だったユダヤ人がエジプトから解放されたことを祝うユダヤ教で最も重要な祭りの一つで、急いで逃げた歴史にちなんで無発酵のパン「マッツァー」を食べるのが慣習だ。八人家族の食卓に混ざっての伝統的な晩餐は、長らく一人旅をしていた私にとって、久々に団欒の温もりを感じた幸せなひと時だった。

 

 その朝、エイロンと家族に見送られながら、「行ってくるね!」などと無邪気に手を振って私はパレスチナ自治区へと向かった。一泊だけしてエルサレムに戻るのだと言うと、「また泊まればいいし、いらない荷物は置いていけばいい」と言ってくれた言葉に私は甘えることにした。少し眉をひそめた笑顔を浮かべたお母さんが、心なしか大袈裟に、「気をつけて行ってきてね」と言った。

 

 ヘブロンのバス停に降り立つと、そこには私の到着を待ってくれていたモハメッドが笑顔で立っていた。手伝うよ、と私の手からリュックを取って背負うモハメッドの後をついて、彼の自宅へと向かう。六階建てほどのアパートの最上階の一室が、モハメッドの自宅だ。彼の寝室と、ゲストルームの2LDK。ゲストルームには二段ベッドが三つ置いてある。偶然にも、私しかゲストはいなかった。必要なものしかない簡素な家だったが、リビングルームの壁中に、これまでの宿泊者からのメッセージがみっちりと書き込まれていた。数多の『FREE PALESTINE』の文字に、私の心はざわつく。

 

 イスラエルとパレスチナのことを、その当時の私はほんの表層のことぐらいしか知らなかった。長期的な武力衝突状態にあること。イスラエルとパレスチナ自治区の境界線には分離壁が建てられていること。パレスチナは事実上イスラエルの監視下にあること。それを世界が非難し、パレスチナの自決権や独立を求める「FREE PALESTINE」というスローガンがあること。今思えば、有名なバンクシーとか分離壁をこの目で見てみたいという浅はかな好奇心しか、あの日の私は持ち合わせていなかった。

 

「君も、ぜひ書いて行ってよ」

 

 振り向くとそこに立っていたモハメッドが、いつの間にか一緒になって壁を見つめていた。

 

 その日仕事が休みだったモハメッドが町案内を買ってでてくれ、二人で旧市街地へ出かけることにした。アパートの前の通りは車通りも少なく、時が止まったように静かな時間が流れていた。観光客はまるでおらず、道端で出くわす地元の人たちは皆、私に向かって手を振ってくる。通りの至る所に男性の顔写真の張り紙が貼られており、アラビア語で書かれたその意味はわからないが、おそらく亡くなった人たちのようだった。所々で見かける壁の丸い穴は、弾痕なのだろうか。

 

 旧市街地のあらゆるところに、銃を構えた迷彩服のイスラエル人兵士が立っていた。生半可な造りではないチェックポイントのゲートを通過しながら、その物々しい雰囲気に少し怯む。ゲートの横に設置されていた鉄格子の中には、パレスチナ人の男性と男の子がいた。鉄の棒を両手で握ったままの乾いた目が私を見つめる。その横で、若い兵士らは楽しそうに世間話をしていた。見上げた高い建物の上にも、銃を構えた兵士が何人も立っているのが見える。この町に流れる異常な空気を、無視することは不可能だった。

 

 目的のひとつ、マクペラの洞窟へ到着すると、モハメッドが足を止める。「ここから先は、僕は行けないんだ。外で待ってるね」そう言ったモハメッドの意図を深く考えぬまま、私はユダヤ教徒側入り口へと足を進めていた。頑丈な鉄格子が設置された入り口で、待ち構えていたイスラエル兵士に持ち物をトレーに置くように指示される。唐突に、「お前の宗教はなんだ」と尋ねられる。私はその質問の真意をすぐに悟り、「仏教徒です」とすかさず答えた。以前チベットで僧侶に「中国人か?」と尋ねられ、得意満面と「日本人です」と答えた自分がフラッシュバックする。通過許可を得て進んだ建物の中では、黒いスーツとシルクハットに身を包んだ超正統派のユダヤ教徒がお祈りを捧げていた。

 

 その日の夜、モハメッドは腕にある火傷の傷を見せてくれた。火を押し付けられ、叫んだりすれば撃たれるかもしれないと、必死に声を殺して耐えたのだと言った。友人や親戚や近所の人たちの、似たような話の数々。その理不尽でやるせない生の声に、足がすくんだ。すくんでなお、それでも明日の朝、私はその足でこの町を出て行くのだった。

 

「前にも日本人の旅人が来たことがあるよ。君たちのパスポートは強いんだって? 世界中どこでも行けるんだろう?」

 

 うん、と答えるだけで生じる、居心地の悪い罪悪感。私の意思でも業績でもなんでもない。それはただ、「日本で生まれた」ということに付随する証明書なだけのはずだった。

 

「羨ましいな。僕は、この塀の外に出られないからさ。僕は君みたいに世界を旅することができなくて。

だから世界中からの旅人を受け入れているんだ。そうすると僕も少し、世界を旅しているような気分になれるだろう?」

 

 モハメッドはそう言いながら、壁中に書かれたメッセージを笑顔で見つめていた。

 

 翌朝モハメッドに別れを告げながら、またすぐに戻ってきてもいい? と私は尋ねていた。予定より遅れに遅れているこの旅を、一刻も早く遠くへ、色んなところへ進めていかなければという焦りもあったが、この場所のことを、モハメッドのことをもっと知りたいと思った。もちろんだよ、といつもの笑顔で応えるモハメッド。「でもお願いがあるんだ」

 

 

 ヘブロンからエルサレムのエイロンの自宅へ戻ると、お母さんが出迎えてくれた。疲れたでしょう、と言いながらお茶を入れてくれる。リビングのテーブルに座っていたお父さんは、テレビのニュースに見入っていた。「今日はホロコースト・メモリアル・デーなの」とお母さんが教えてくれる。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を追悼する日で、半旗が掲げられ、国中が哀悼の意を示す記念日。

 

 私の頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。何をどう消化すればいいのか、まるでわからなかった。そんな私に追い討ちをかけるように、お母さんが尋ねる。

 

「それで、どうだった?」

 

 さっきまでニュースを見ていたお父さんも、いつの間にか私の方を見ていた。何かを言わなければならなかった。それがなんであろうと、正直なことを言わなければならないと思った。ここで沈黙のままでいることは、最も無責任なことに思えた。だから私は、なるべく正しいことを口にしたかった。

 

「壁が……高い壁がどこまでも続いていて。その外にパレスチナの人たちは出られないのだと思うと、悲しくなって。壁は無くしたほうが、いいんじゃないかな」

 

 声を絞り出してそう答えると、お母さんはまた、少し眉をひそめた笑顔で頷いていた。しばらくして、お母さんが口を開く。

 

「そうね。でもね、怖いのよ。壁がないと、攻撃されてしまうから。私は、壁のお陰で少し、安心して暮らせているの」

 

 テレビからは、イスラエルの国歌「ハティクヴァ」が流れていた。希望という意味なのよ、とお母さんは言った。

 

 

 それから数日後、私は再びヘブロンの地を訪れた。バス停から慣れた足取りでモハメッドの自宅へと向かうと、玄関越しに騒がしい声が聞こえてくる。ドアが開くと、そこにはモハメッドと、イギリス人の青年とスウェーデン人の女性、それから台湾人の姉妹がいた。待ってましたと言わんばかりの出迎えに、私は急いでバックパックを開け、ゴソゴソと奥の方にあるはずのボトルを探る。「お願いがあるんだ」と切り出したモハメッドがあの日、エルサレムへ戻る私に頼んだのは、ウォッカだった。

 

 初めてモハメッドの自宅に泊めてもらったその夜、モハメッドがいきなり、アユミはお酒を飲むのか? と尋ねた。「飲むけど、ここでは飲まないよ」と気を遣ったつもりの私に、モハメッドは前のめりで目を輝かせ、「じゃあ飲もうよ!」と声を弾ませた。意気揚々と冷凍庫を開けると、あまり残ってないけれどと、残り少ないウォッカとジンジャエールをグラスに注ぎ、私たちは乾杯した。

 

「飲んだらダメなんじゃないの?」と尋ねる私に、モハメッドは笑顔で答える。「僕はね、無神論者なんだ。神様を信じていないからね」

 

「ええ? イスラム教ってやめられないよね?」

「そうだね。だからこの町では僕は、ムスリムだよ。職場でも近所でも、僕はムスリムという仮面を被って生きている。でも僕は神様のことを信じていないし、イスラムのことも、もう信じていないんだよ」

 

「なんで?」

 

「だって神様がいるのなら、なんでこんなことが起きるんだと思う?

神様が本当にいるのなら、なんでこんな不公平なことがずっと続くの?」

 

 返答に詰まる私をよそに、モハメッドはボトルを傾けて、最後のウォッカを注ぎ足している。神様は、いないのだろうか。ならば誰が、パレスチナの人たちを助けてくれるのだろう。

 

「私は、神様はいると思う。私は神様がいるって、信じたい」

 

 そう言った私をモハメッドは、相変わらず同じ笑顔で見つめていた。

 

 ヘブロンを後にして、次の町ラマッラーへ向かうその朝、私は鉛筆を握ったまま、リビングルームの壁と向き合っていた。何を書こう。何を書きたいだろう。FREE PALESTINE、パレスチナに自由を。それ以外に私に書けることなんか、私に言えることなんか、何もなかった。私は出て行くのだから。この場所の叫びや痛みを知りながら、自由な身分で旅を、人生を続けるのだから。私は結局、ひっくり返った亀を、ただ上から眺めているだけの人だった。

 

 

 あれから十年近くの月日が流れ、何の巡り合わせか、私はイスラム教に改宗した。自ら学び決断したのではなく、結婚を機に思いがけず訪れたその選択肢を、選んでみることにした。そんなものだから、祈りを欠かさず捧げるような敬虔な信者でもなければ、断食をしたこともまだない。今でも時々豚肉を食べてしまうような、どこまでも曖昧な信仰のまま、それでも宗教を聞かれることがあれば、「イスラム教徒です」と答える。

 

 

 例えば私がいつかまた、マクペラの洞窟を訪れる日が来るのなら、「仏教徒です」と答えたのと同じ強度で、「イスラム教徒です」と答えられるだろうか。正直自信はない。改宗の儀式をしたモスクであの日、信仰を誓うシャハーダを唱えながら、心のどこかで、これで少しはあの痛みを自分ごとにできやしないかとは確かに思ったのだ。ところがニュースでパレスチナの文字が流れる度に、私は相変わらず、ただ眺めている。

 

 それでも私は、神様のことを信じている。それがどういうことなのか、まだ何ひとつわからないのだとしても。