日々は儘ならぬ
年末年始の休暇には、家族で毎年、インド洋沿いの海岸都市へゆく。自宅のある首都ナイロビからは飛行機で一時間、列車で五時間の距離だが、我が家の定番は、車での旅。九時間と決して短くはない道程だが、時々地平線が見渡せるほどの広大な平地を走る、どこまでも続く一本道の景色は、時間が経つのを忘れるほどに美しい。晴れ渡る空に流れる白い雲。両脇には赤土と低木の黄緑が続き、遠くの方に小山の緑が見え隠れする。時々、野生の象やシマウマが悠々と歩く姿に至近距離で遭遇すれば、自分が確かに今、この地球で生きているということを、噛み締めずにはいられない。
バックパックひとつとミシンを片手にやって来て以来、この国に住んで八年目になる。「ケニアのどこがそんなに好きなんですか」とよく聞かれるが、正直、よくわからない。便利さとは無縁だし、治安だって決して良くない。こうしてたまの旅行で豊かな大地に抱かれれば、確かに心は洗われるけど、一年のうち三百六十日くらいは、基本的に苦行だと思って暮らしている。あれが無い、これはできない、それも通用しない、もうなんだか訳がわからない。暮らしの中でも仕事をする中でもフラストレーションばかりが募り、行き場のない憤りを飼い慣らしながらの七年間だった。
そんなことを思い起こしていた矢先、道路のチェックポイントに立っていた警察官に止められ、横に寄せるように手招きされる。途端に身体中を最大級の「まじかよ」が駆け巡る。勘弁してほしい。もう、言わんこっちゃない。
車検や車体を執拗にチェックしたあと、警察官が運転席へ近づいてくる。夫が窓をおろすと、明らかに何かを企んだ含み笑いを浮かべ、機嫌よく挨拶をしてくる。「ハロー! 家族旅行かい?」などと、どうでもいい世間話に既に私は苛ついているが、こういう時は基本的に、人当たりの良い夫に全面的に任せると決めている。「そう、年末年始のね。あれ、何かしましたか僕?」と、慣れた様子で免許証を手渡しながら、陽気に返す夫。車検は来年の夏までだし、出発前にちゃんと整備にも出してタイヤも換え、消化器に救急箱も積んである。どこにも非のつけどころはないはずだ。
「タイヤの消耗が、ちょっと、ね。これは罰金だね。罰金150ドル」
「いやいや。それは言いがかりだろ。町で売ってる中古のタイヤの方がよっぽどひどいじゃないか」
「うーん、じゃあ、100ドル。それか1万ケニアシリングだ」
「いや、払わないよ。そんなお金持ってないし」
「そうだな……1000シリングか?」
「いやだからお金ないって。もういいね、行くからな」
そんな、微塵も生産性のないすったもんだを繰り返し、いつも通り一銭も払うことなく警察を振り切り、私たちはまた、一本道へのドライブに戻る。以前なら数百シリングくらい払っていたかもしれない出来事も、今や強気の態度がしっかりと身についているほどには、私も夫も数多の試練を潜り抜けてきた。
それでもどっと疲れが湧く。こんなことの繰り返しばかり。訳のわからない理不尽と、いちいち戦わなければならない。
ふと、はじめてケニアに来た時のことがフラッシュバックする。それはまだ、私がただの旅人だった頃のこと。ショルダーバッグを強奪されたのだが、携帯と財布はもちろんのこと、まずいことに、パスポートも入っていた。数週間後にタンザニアに行く予定になっていた私は警察署へ向かい、パスポート再発行のためにポリスレポートが必要なことを伝えた。するとカウンター越しの警察官が妙な笑顔で、今何時かね、と尋ねてくる。
「お昼の……一時ですね」
「ああ、やっぱり。お腹が、すいたな」
「そうですね……」
「500シリングだ」
「え? なんで?」
「じゃあ200シリング」
「え? 無料ですよね?」
「財布を盗られてここに来ているのでお金もありません」と言ってもしばらく渋られ、私以外誰もいないのに無駄に一時間以上待たされた結果、私はめでたく無料のポリスレポートを貰うことができた。
財布を失くしたことも携帯をなくしたこともそれなりのダメージではあったが、それまで四十数ヶ国の旅をしてきた証でもある、様々なスタンプが押されたパスポートを無くしたことは、今思い出しても溜息が出るほどに悔しい。そんな大事なものを奪われた上に、警察にもたかられて、なんて最悪な国。
とは、不思議とならなかった。むしろ、こんな冗談みたいなことがまかり通る世界があるのかと、他人事のように面白がっている自分がいたのだ。理不尽なのに、でもどこか、なんて率直なんだろうと感心していたのだ。法とかモラルとかどうでもいいから、俺はちょっとお金が欲しい。隙あらば得したいと思うのは、我々人間の、実に素直な業である。
そんな混ざり気のない生身の感情は、ともすればこの国のデフォルトだと言えるのかもしれない。誰と出会っても、どういうわけか、はじめて会った気がしないのだ。建前上のよそよそしさがなく、それはまるで、幼馴染とでも話しているかのような。初対面での「この人には表も裏もない」という安心感は、敬語というよそゆきの言葉が存在する国に生まれた私からすればとても新鮮で、不思議な風通しの良さがあった。自分を繕うことも、偽ることもしなくていい。いい歳こいて、結婚もせず定職にもつかず、世界をふらふらと当てもなく旅をしている自分に引け目を感じていたあの日の私は、確かに、この居心地の良さに救われたのだ。
半日近く車を走らせ、日が傾き始めた頃、私たち家族はようやく目的地の町、ディアーニにある宿泊先に到着した。トランクいっぱいの荷物をとりあえず部屋に下ろし、荷解きもほどほどに、まずはと歩いてビーチへ向かう。白い砂浜に、エメラルドブルーの海。左右に真っ直ぐ、どこまでも続く海岸線の先には、夫の祖国のソマリアがあり、このインド洋の遥か彼方には、私の故郷である日本がある。ここは六年前の大晦日、初めて夫と出会った思い出の地であり、お互いがやってきた場所に想いを馳せることのできる、私たち夫婦にとってとても大切な場所だ。「今年も来れてよかったね」という言葉には、今年もなんとかこの国で生き延びて、走り続けることができたことへの、偽りない達成感と喜びがこもっていた。
南半球の年末年始は、一年で最も暑い夏の季節。冬の寒さを逃れようとやってきた旅行者で、この時期のディアーニは大賑わいだ。夫の親友らもニューヨークから飛んできて、この後合流することになっている。どこも混雑するためランチやディナーの予約は必須で、例年通り一週間以上前に電話を入れ、お気に入りのレストランになんとかひと席を確保していた。十二万年前の洞窟の中に作られたそのレストランは、ドレスコードがあり、デイナー営業のみで一部と二部制という、格式のある老舗だ。
その日の午後、予約確認のテキストが届く。開けば、予約した二部の八時半ではなく、一部の五時半となっている。嫌な予感。「五時半ではなく、八時半の予約です」と返すと、数分後に携帯が鳴る。「残念ながらあなたの予約は五時半になっており、八時半は満席のためお席の変更は不可能です」
出たよ、と瞬時に苛立ちが募る。まず謝罪がないのも腹立つし、予約した直後に送られてきた確認のテキストにも、はっきりと八時半と書いてある。「事前のテキストでも、予約は八時半になっています」と返すと、「残念ながら、五時半の予約になっているので変更は不可能です。次の空きは、一月四日です」と、相変わらず悪びれもしない返答。
残念ながらではない。そっちのミスである。とはもちろん口にしないが、こんなの不公平すぎる。電話をかけて食い下がっても埒があかず、五時半に全員が間に合わない私たちは、結局キャンセルを余儀なくされた。急いで他のお店を片っ端から当たる羽目となり、前もってちゃんと計画していた私の配慮は台無しとなった。
もう、なんなのだ。私に落ち度はないのに向こうも悪くないみたいな素振りなの、なんでなわけ。と、なぜかを考えたところで時間の無駄で、結局こうして、自分でなんとかするしかない。
こんな憤りが日常茶飯事なのだ。例えば発注した包装紙のサイズが間違っていても、「もう刷ったからまず支払って。やり直しは再発注して」と言われてしまう。もう半年以上自宅の水が出なくて水道局に問い合わせると、「明日確認に向かいます」で一生誰も来ない、の堂々巡り。なぜいつも私が、泥を被らなければならないのか。
これが日本なら。何事も、相手に非があれば必ず対処をしてくれるのが普通だ。ルールはルールで、それに従うのが当然。そうやって、常識とモラルが大体のことに適用されることは、当たり前のはずなのに。けれど、私の知っている当たり前はここでは一切通用しない。予測不可能は想定内。約束なんてしばしばあってないようなもの。こんなの、規則と秩序の国から来た私には、あまりにもハードコアすぎる。それなのに私ときたら、この国に住んで、もう七年だなんて。
大晦日、午後十一時五十九分。年越しのカウントダウンが始まる。宿のバルコニーへ出て空を見上げ、携帯の秒針を見守りながら、その時を待つ。5、4、3、2、1。辺りから一斉に花火が打ち上がり、大音量の音楽と人々の歓声も聞こえてくる。この国で迎える、もう幾度目かの新年。間違われ、たかられ、忘れられ。今年もどうせ、憤りまくるに決まっている。安定もない、快適さもない、何ひとつ一筋縄ではいかない。それでもどうしてこんなにも、この国で暮らすことは、確かに生を掴んでいるという実感があるのだろう。
打ち上げ花火の爆発音が、振動となって胸のあたりにじんと響く。そうか、それは生の感触なのだ。私はむしろ、そうやってこの国の厳しさに生かされてきたのに他ならない。散々文句を垂れながらも、人生のハンドルを、しっかり自分の意志で握り続けている。そんな、かつての私が願った生き方を、この国は否応なく私に仕向けてくるのだ。まるで、やり過ごす暇があったら立ち向かいなさいとでも、言わんばかりに。そうなのだ。これは全て、私の選択。私は確かに、ここでなければ見られない景色に、魅了されている。
元旦のランチの席で、初めてアフリカに来たという夫の友人が尋ねる。「ケニアのどこが好きなの? 俺は日本の方がよっぽど好きだけど」。
「うーん、ねぇ。なんでだろう」
それでも素直に好きとも言いきれない。腹の立つことが、今この瞬間にも起きかねない。だけどなんでだろう、決して嫌いにも、絶対になれない。この、形容し難い感情は、一体何なのだろう。
「上手く説明できないけど、なんか好きなんだよね。タチの悪い恋愛みたいな感じ、というか」
休暇を終え、再び九時間のドライブで、私たちはナイロビの自宅を目指す。少しずつ頭を仕事モードへ切り替え、今週のスケジュールを頭の中で組んでいく。足りない包装紙を確認して発注して、布の仕入れに行って、新しい素材探しにも行かなくちゃ。
相変わらずの雄大な景色に見惚れていると、未舗装の道に差し掛かり、体が縦横無尽に揺れ始める。あたふたとドリンクホルダーのコーヒーに手を伸ばすと、その前方に警察官の姿が見えてくる。手招きされたのは、私たちの前の車。脇へ寄せられる彼らを横目に、「イェーイ」と夫とはしゃぎながら、私たちは引き続き、赤土をまたぐ一本道を、ぐんぐんと進んでゆく。
今年も儘ならない日々が待ち受けている。考えるだけで、既に胃もたれしてくる。また水道局に鬼電しなきゃ。十二月頭に頼んでおいた伝票、そういやまだ届いてないし。新しい印刷会社を探すべきだな。でもまたミスをされたら、どうしよう。
それでも戦うと決めたのだ。人生が、生まれてから死ぬまでの一本道をゆくだけの旅ならば、私は今日も、ちゃんと生きたという実感が、欲しい。