最初から読む

 

 紗枝が、顔を青くして視線を逸らす。噴火による傷痕という話が、自身の生い立ちと重なって、恐ろしくなったのであろう。菊田耕一は彼女の肩にそっと手を添えた。

 その無言のやり取りなど気にも留めず、イッコウは覆面を元に戻すと、話を続けた。

「ご覧のとおりです。しかも、火傷を負った際、熱風を吸い込んで声帯も傷めてしまいました。お聞き苦しい声かとは思いますが、どうかお許しください」

 覆面を被っている事情は承知した。なぜ彼がガイドを担うのかも分かった。イッコウから左衛門会長に接触したのか、あるいは逆か、それは定かではないが、いずれにせよ、島の地理に精通しているという一点をもって、同行することになったに違いあるまい。

 一同は納得の意を込めて頷いた。と同時に、左衛門会長が咳払いをして、

「まあ、そういうことだ。さて、全員揃ったので、乾杯といこう」

 彼はグラスを掲げた。ところが、その音頭を遮る声が一つ。吾郎である。

「大おじ、竹松を呼ばないで良いんですか? この船はGPSアンカーが搭載されてるから、操舵手が席を離れても、停船中に流されはしないですよ」

 提案を受けた左衛門会長は、一理あると言わんばかりに、首を幾度も縦に振った。

「そうだな。今回は、あいつも呼んでやるとするか」

 すぐさま吾郎が宗助のほうへ向き直る。

「じゃあ宗助、竹松を呼んでこい」

 そこで菊田耕一は手をあげて口を挟んだ。

「あ、僕が、行ってきます。少しはお役に立ちたいんで……」

 その申し出に偽りはなかった。しかし、耕一の胸には別の意図もあった。一癖も二癖もある年上の面々に囲まれて、ただ立ち尽くしているのは、どうにも気まずい。その重たく感じる空気から、いっときでも逃れる口実を欲していたのである。

 菊田耕一は、返答も待たずに、さっそく歩きだした。

「あ、耕一お兄さん、わたしも……」

 妹の紗枝もあとに続く。二人は、屋内のダイニングを抜け、狭い階段を上り、三階のフライブリッジへと向かった。そこには小さな休憩室と操舵席が設けられている。その操舵席に、ガタイの良い、老齢の男性が座っていた。使用人の清水竹松である。

「竹松さん、乾杯をするので、メインデッキに行きませんか?」

 声をかけると、竹松は皺だらけの顔をこちらへ向けた。

「わしゃ、左衛門さまから、日の出のころまでに島に着けっちゅうて、言いつけられてますでな。お誘いはありがてえけんど、このまま舵を取らせてもらいますに」

 独特な訛りのある口振りである。竹松の見た目は、六十歳か、七十歳か、判然とはせぬが、白く短い頭髪と硬く乾いた肌を見るに、かなりの高齢であることは明白であった。あらかじめ喜代子から聞かされていた話によると、彼は幼少の時分から猪又家に仕えてきた使用人で、会社の業務には携わらずとも、左衛門会長には絶対服従を誓っているとのことである。かつては汚れ仕事にも手を染めていた、という胡散臭い噂も耳にしたが、なるほど、舵輪を握る岩のような腕からは、然もありなんという迫力が滲んでいる。

 それはさておき、竹松を連れていくのが、耕一の役目である。

「左衛門さんがお呼びなんです」

 耕一は改めて誘った。すると、竹松は照れ臭そうに鼻で笑って、

「おお、気い遣うてくださったんですなあ。んでも、わしゃ、表に出るような柄じゃねえで、結構ですに。皆さまには、そうお伝えくださいますかい」

 頑なである。菊田耕一は紗枝と目配せを交わし、小さく息を吐いて肩をすくめた。どうやら連れていけそうにない。二人は諦めて、別れの挨拶を口にし、踵を返した。

 と、そのとき、耕一は気になることを思い出して振り返った。

「そうだ、竹松さん、知っていたら教えて欲しいんですけど、あの、僕と紗枝は、どうして、この探索に招待されたんですか?」

 その問いに、竹松は不思議そうに首を傾いだ。

「わしゃ、分かりゃせんで、担当の喜代子さんに聞いてくだされな」

 それが道理であることは耕一とて承知している。しかし、喜代子には話しかけづらい上に、パーティの席では、どことなく社交辞令しか許されていないような、触れてはならぬ禁忌があるような、息の詰まる暗黙の了解が感じられるのである。

「分かることだけで良いんです。何を基準に参加者が決められているんですかね」

「はあ、そりゃあ左衛門さまのご一存ですに」

「左衛門さんは、どこで僕たちのことを知ったんだろ……」

「誰かが助言なさったっちゅう話ですな。わしゃあ、その誰かまでは知りゃせんけんど」

 竹松は面倒臭そうに、眼前に広がる暗い海に視線を戻した。これ以上の情報は望めぬようである。菊田耕一は礼を述べて、紗枝と共に、二階のデッキへ引き返した。

 誰かが助言。それは参加者のうちの誰かであろうか。いずれにせよ、答えは左衛門会長の胸中にしかなく、本人に問い質すつもりのない耕一にとっては、知りようのないことである。なにより、すでに催しに参加しているのだから、その誰かを特定したり、思惑を推察したりしたところで、海を泳いで帰れぬ限りは、財宝探しをせざるを得ぬのである。しかし、言い知れぬ、一抹の不安が、ズルズルと尾を引いて離れぬのであった。

「耕一お兄さん、どうかしたんですか?」

 紗枝に顔を覗き込まれて、菊田耕一は、慌てて笑顔を作った。

「な、なんでもないよ。さあ、せっかくだからパーティを楽しもう」

 そして、気を取り直して、再び人の輪に加わった。

 竹松が来ない旨を一同に伝えると、左衛門会長が、初めからそうなることを見通していたかのように頷き、それから、グラスを高く掲げて音頭を取った。

 乾杯──。

 いや! いや! これは近く起こる事件の、その犠牲者に捧げる献杯か。交わり、揺れて、ぶつかり合うグラスとグラスは、まるで惨劇を暗示しているかのようであった。

 読者諸君よ。ここまでが登場人物の紹介である。会長の左衛門、使用人の竹松、秘書の喜代子、学者の泰司、粗暴な吾郎、気弱な宗助、覆面の男イッコウ、そして、菊田耕一と紗枝。以上の九名がこの物語を織りなすのである。

 ただし早くも、この日の夜のうちに、二名の人物が姿を消すことになるのであった。

 

この続きは、書籍にてお楽しみください