日本中を震撼させた3年前の事件を入口に、ひとつの事件をノンフィクションとフィクションで捉えた本作は、ミステリーであることを忘れてしまう「人間の物語」が様々な文体、言葉によって示されていく。あらゆる言語に翻訳され、世界中で読まれている湊作品。本作は、原語=日本語で読むことの歓びが際立ってくる一作だ。「29作目にして一番好きな作品」と語る本作について、湊さんにうかがった。
取材・文=河村道子、撮影=:冨永智子
――重い病気で長期入院をしている父の本棚のなかに、星賀は暁生の父である、作家・長瀬暁良の本を見つけます。全編を通じ、存在感を放つ長瀬暁良ですが、執筆中、彼はどんな存在だったのでしょうか?
湊:長瀬暁良は作家としてしか生きられなかった人。星賀が父親の本棚から見つけて読んだのは彼のデビュー作である『暁闇』という一冊。「暁闇」とは夜明け前の一番暗い様子を指す言葉ですが、そのタイトルで小説を書くとしたら、どんなメッセージを込めるか、というところから思いを巡らせていきました。亡くなってから年月を経ても、彼が著わした言葉を人生の支えにしている人がきっといる、暗闇のなかで日の出を迎えることができるような、弱者に寄り添う作家として描いていきました。
――『金星』のなかにも、辛く苦しい思いを抱えて来た、星賀と暁生を包み込んでいく言葉があります。“二等分と半分こ”という言葉は、読後もずっと、この本を読んだ人のなかに優しく刻まれていく言葉です。
湊:そのエピソードが出てくる一日は、星賀と暁良へ、私からのプレゼントのような気持ちで書いていました。辛い境遇のなかにいるこんな二人だからこそ、ささやかなことに幸せを見つけられるのではないかなと思いながら。そして読者の方々も、そのエピソードを自分の思い出や経験と置き換えてみたり、そこにある誰かの優しさに気付くことができるのではないかなって。
――本作では、暁や星賀など、人物の名前のほか、物語の中の象徴的なエピソードに天体が登場します。そこに込められたものは何だったのでしょうか。
湊:「夜明け前が一番暗い」という一文が、物語のなかの要となる文章であってほしいなと思っていたなかで、『暁闇』の主人公の名前は、夜明けを意味する暁にしよう、そしてもう一つの物語は暗闇のなかに光を照らす「星」という字のつく名前の子にしようと。けれど、その子は、皆からからかわれる嫌なあだ名「金星」と呼ばれることにしようということだけを決めていたんです。今回は、版元である双葉社の社長さんに一章、書くごとに一番に読んでいただいていたのですが、毎回、丁寧な感想のお手紙をくださっていたんです。そのなかに、“「暁闇」と「金星」ということは、明けの一番星のことですか?”というお言葉があり、そこから金星のことを調べていったら、金星は見ることのできる季節や時間があったり、天体望遠鏡で見ると、月のように形を変えたりする、ということがわかり、それは大切な意味を持ちながら、星賀の造詣にも反映されていきました。
――先ほどの黒川雅子さんからの龍の位の話といい、執筆中には様々な要素が湊さんのもとへ集まってきたのですね。
湊:物語に重要な意味を持つパーツがどんどん集まってきました。そういうことが起きるときって良い作品が書けるときなんです。そしてそのパーツをパズルのように埋めていったとき、間にある線がすべて消えて、まるで一枚絵のようになっていきました。しかも両面のあるものに。
――『暁闇』と『金星』の間、『暁闇』の終章の扉に記されている“(『金星』を読んだあとで読むことをおすすめします)”という注釈には、「え?」となってしまいました。
湊:どうされましたか(笑)? 注釈のとおりにその章を飛ばして読む方、そのまま読み進める方、双方いらっしゃると思うのですが、どちらでもいいんです。ただ、そう記しておくことで、『金星』を読み終えたとき、どちらの選択をした方もここに戻ってきてくれるのではないかなと。そこでこれまで見ていた景色がどう変わるか。本の終わりとは、必ずしも最終ページではない、ということにも思いを巡らせていただけたらいいなと。そして、さぁ、二巡目に行ってみよう! と思ってくださったら(笑)。
――二巡目に行くと、作中にあるような、文字のなかに龍が浮かびあがってくるものにも似た現象が起こってきますね。そして『金星』のなかの、ある一行では、それまで見ていた世界が一変する。そこでこの作品が愛の物語でもあることに気付きます。
湊:その一行は『金星』を書いた作家にとっても、私自身にとっても「覚悟」でした。この物語のテーマには「書く」「小説」というものがある。あの一行を書くことで大きく世界を変えたいなと思いました。
――この一作を手渡すにあたり、読者の方にメッセージをいただけますか。
湊:期待を裏切らない作品を書くことができたと思います。絶対に後悔させないので、前情報なしで、純粋にストーリーを楽しんでいただけたらと思います。自分の作品が好きだとはあまり言わないようにしているのですが、29作目となったこの小説は、これまでの作品のなかで一番、好きな一作になりました。好きな作品が書けているということは、作家としてとても幸せなことだと思います。
あらすじ
ただ、星を守りたかっただけ――。現役の文部科学大臣であり文壇の大御所作家が衆人環視の場で刺殺される事件が起きた。犯人は逮捕されたが、週刊誌で獄中手記を発表する。殺害の動機は母親が新興宗教にハマった末、家族を捨て多額の献金をしていたこと。大臣はこの新興宗教と深い関わりがあるため、凶行に及んだという。一方、大臣刺殺事件の現場に居合わせた作家は、この事件をもとに小説を執筆する。手記というノンフィクション、小説というフィクション、ふたつの物語が繋がった瞬間に見える景色とは!? 著者である湊かなえさんも「29作目にして一番好きな作品です」と断言し、本書を読んだ書店員さんたちからは「読みながら涙を流した本はいくつもありますが、読み終わってからも涙が止まらなかったのははじめて」「すぐに2回目を読まずにはいられませんでした」など絶賛の声を相次いでいる湊かなえの「新たなる代表作」。
「湊かなえ双葉社オフィシャルサイト」では、櫻井孝宏さんによるあらすじ朗読や、書店店頭ポスターなどを公開中。ぜひご覧ください。
https://fr.futabasha.co.jp/special/minatokanae/