高校の同窓会の通知が来た。三十歳記念同窓会だ。僕は大して興味がなかったのに小夜子は当然同窓会は行くものだと言って僕の返事を出席で出してしまった。それなのに自分は一度も出席したことがないと告白した。目を伏せているけど、義眼は責任を感じてきっと悲しんでいるはずだ。
断固として出席反対でもないので行ってみた。僕は誰からも「高校時代と全然変わらないね」と言われ、その度に「おまえ、太ったじゃないか」とか「痩せたじゃないか」とか体が膨らんだり萎んだりする様を中心に受け応えをしていた。当時の先生も何人か出席していた。その中に松井先生がいた。小夜子から聞かれた時にすっかり忘れてしまっていた名前は先生の顔を見た瞬間、鮮明によみがえった。離れた所にいたのに先生は僕に狙いを定めたように近づいてきた。その昔と変わらない超スローな動きに恐怖さえ覚えた。
「星子君、全然変わらないね」
「先生もお変わりなく」
「今も爆弾作ってるの?」
突然の話に動揺した。一瞬のうちに小夜子の顔がフラッシュバックした。小夜子があんなにも同窓会の出席を勧めたのには何か思惑があったのではないかと考えた。
「冗談よ、冗談。あなたが高校の時にね、爆弾事件があったの。頭のいい子なら高校生でも作れるくらいの規模の爆弾よ。それで警察が心当たりないかってきたの。先生、すぐに星子君の顔思い浮かべちゃった。もちろん根拠もないから警察に言うわけないけどね。だからあなたは先生の中では爆弾を作ってるイメージなの」
「その爆弾で誰かが傷ついたんですか」
「片目が潰れちゃった人がいるの。酷い話。ゴメンね、冗談でもそんな事件の犯人にしちゃって」
白々しく演技をしているようでもないので松井先生は小夜子の指令をうけてここに来たのではなさそうだ。最近は会っていないのか小夜子が僕と結婚したことも知らないようだ。小夜子との関係を告白しようかと悩んだがやめた。問題は先生ではないのだ。
「今日、松井先生に会ったよ。僕の化学の先生、小夜子の言っていた松井先生だった。直接言われたよ。爆弾犯じゃないかって」
半分やけくそで半分ワクワクした告白だ。
「空ちゃん、犯人なの?」
想定内の質問だ。帰りながら答えをシミュレーションしてきた。
「もし僕が犯人だったらどうする?」
ここからはいろんなパターンを考えた。分かれ道はたくさんある。僕はどんな顔をしていいのかわからず小夜子の義眼に映る自分自身の姿を一心に見つめていた。
「いっそのこと空ちゃんが犯人ならいいと思う」
小夜子の「いい」は計りしれない。そしてここで急に不安になった。小夜子は僕が爆弾犯だと本当は知っているのではないかと。そしてもっと不安な想像が湧き上がってくる。僕が犯人なら償いのために小夜子を大事にしていると思っているのではないかと。僕のせいで義眼になったことを憐れんで一緒に暮らしていると思っているのではないかと。それは全然違うのに、不安は一気に僕を呑み込んで身動きできなくする。言うべきだ。ここはいつものようにふんわりと終わらせるべきではない。それは絶対に違うと言わなければならない。しかし言い訳の言葉はせき止められて一つも流れだしてこなかった。絞り出すようにやっと口にしたのは僕の思いを説明するには何とも心もとない短い言葉だ。
「一目惚れなんだ」
小夜子は僕にゆっくりと近づいて僕の目をなぞる。どうやら僕は泣いていたようだ。小夜子は僕の頬に指先を添わせその思いが僕に伝達される。僕は彼女の両目を見つめた。僕の注目はいつも義眼にあったがもう片方もなかなか愛らしいことに気づいた。僕の涙は止まらずに小夜子の顔が霞んでしまう。小夜子は僕の頭をそっと胸に抱き込んだ。彼女の細い腕は力強く僕を包み込む。今日も寄木細工は違う形でぴったりと隙間なく合わさる。
隕石の落ちた公園でモニュメントの入るべき穴を見つけた時に僕はあることを思いついた。この穴の中で小さな爆弾を試してみてはどうだろうかということだ。穴はもうすぐモニュメントの台座を埋め込んで塞がれてしまう。隠れ家の外で誰かに見咎められても焚き火だ、花火だと言い逃れが出来る程度の爆発は何度か試したことがあった。しかしそれは正確に威力を把握するレベルではなかった。折角大きな穴があるのだから少し強めの爆発を見たかった。穴の中の土は掘りあげられたばかりで軟らかそうだ。土が舞っても何とか痕跡はなくせるだろう。すぐに使うつもりなのかスコップも出番を待つように置きっぱなしだ。こんな機会はそうそう巡ってこない。この穴で収まる爆発。そんな心づもりで爆弾を選んだ。爆発した瞬間意外と音が大きいのに驚いた。真夜中のシンとした山奥で人の気配もないのに心臓が波打った。冬の夜の空気は透明で音を尚更大きく響かせているのだ。誰かがまた隕石が落ちたと勘違いしなかっただろうかと無駄な心配までした。
穴の中を懐中電灯で照らすと上手い具合に爆破されていた。残骸を集め、土を被せようとスコップを持って穴の中に飛び降りた。底の土は柔らかく簡単に深く掘り進めていけそうだ。初めは僕の爆発のせいで土がフワフワと交ざったのかとも思ったが冷静に見るとそれほどの威力はなかったと思えた。スコップを何回か刺して残骸を交ぜているとコツンと音がした。懐中電灯で照らしてみるとそこには腕時計があった。男物のがっちりとしたものだ。僕はそれをポケットに入れて持ち帰った。
隠れ家で夜を過ごし明るくなってから穴の確認に向かった。今日にもモニュメントが運ばれて来るはずだからその前に点検しておかなくてはならない。薄暗い中で作業をしたのに後始末は上出来で痕跡は少しも見つからなかった。遠巻きに観察していると予定通り搬入作業が行われた。用心してその日は公園に近づかなかった。
あの時に見つけた腕時計は今でも時を刻んでいる。穴に埋もれていたのに、爆発に巻き込まれたのに、スコップに当たったのに壊れなかった。僕の隠れ家で正確に秒針を押し進めている。時間は携帯があれば確認できたし、それまで時計を置くという発想がなかった。しかし腕時計は山奥のコンテナの中の静寂の世界で僅かに秒針の音をカチカチと響かせている。何と爆弾作りにふさわしいBGMだろう。それに気づいた時小さく拍手した程だ。
今までその場所に腕時計が落ちていたことについて深く考えたことがなかった。穴掘りの作業員の落とし物くらいに思っていた。空想好きの僕にしては何と迂闊なことだっただろう。
ひなちゃんが残していった写真で門田さんは腕時計をしている。指を顎に添えたお陰で手首の腕時計がはっきりと大きく写っている。それは僕のお気に入りの腕時計と同じに見える。「お揃いだね」と独り言を言ってみた。
あるロマンチストの男が流れ星の軌跡のある公園に行ってみようと恋人を誘った。記念のモニュメントが飾られるという記事をどこかで見たからだ。しかし山奥の公園にはまだモニュメントはなく、それを入れるべく掘られた大きな穴が空いているだけだった。二人はそこで諍いをおこし別れてしまう。その日、山を下りたのは恋人一人だ。ロマンチストは穴の中に残された。何日か経って彼女はもう一度その公園を訪れるが、大きな穴はすでに塞がれてピカピカのモニュメントが建てられていた。流れ星の落ちた記念の場所にロマンチストは埋まっている。彼女はそれからその男を忘れて彼女を本当に愛してくれる爆弾犯と巡り合う。一つの物語だ。
女は小枝のように細くて小さい。男を誰にも知られないように穴の底に埋めるのは至難の業だ。女にそれができただろうか。別の物語も確かにある。僕の空想は時に膨らみ過ぎて現実との境を失くしてしまう。けれど小さなピースが一つずつぴったりと嵌る度に物語は完成へと近づいていく。
部屋の窓はきつく閉じられ外気を遮断している。外は雪でもちらつきそうな天気だ。
「雹でも降りそうだね」小夜子は窓の外に目をやってから少し強めの予報をだした。
僕は空想した物語を小夜子に聞かせたくなる。しかし物語にはまだ登場人物の気持ちが書かれていない。筋書きを追うだけの物語なんてちっとも面白くない。小夜子なら僕の知らない彼らの気持ちを語ることができるだろう。全てが書かれて物語は終わりを迎える。
ねぇ、小夜子。僕の秘密と君の爆弾、全部知ってみようか。
「ねぇ、小夜子」
「あ、雪だ」
僕が声をかけるのと同時に小夜子が雪を見つけた。彼女は窓際に駆け寄り窓を全開にした。一気に冷たい外気が押し寄せて雪まで舞い込む。いきなり降り出した雪は加減を知らない。雪は彼女の顔を撫でて消えていく。彼女の左に立った僕は彼女の横顔を眺めた。横から見た義眼に雪が一粒吸い込まれた。小夜子が叫んだ。
「あ、雪。しみた」
「痛いの?」
「ちっとも、凄く気持ちいい。だから冬が大好き。いっそのこと雹も降らないかしら」
「冬、好きだったの?」
「言ってなかったっけ。私たちが知り合った季節だもの」
「うん、聞いてなかった。君は冬が嫌いだと思ってた」
「大好きよ。寒い、冷たい、凍える、凍てつく、全部素敵」
ひなちゃん、君の言う通りだ。僕らはやはりとても似ている。
僕の手を取ってはしゃぐ小夜子の義眼からこっそりと雪が溶け出した。
「それ、さっき吸い込まれた雪?」
「馬鹿ね、涙よ。幸せで泣いているの」
向かい合うと小夜子の右目からも雪の涙が流れ落ちる。
「今、体の殆どが嬉しいになった。でも逆に指先にちょっとだけ不安が追い詰められた」
僕は彼女の指を取り両手で包んで温めた。相変わらず小夜子の顔には引き寄せられるように雪が降り注ぐ。もうどれが涙かもわからなくなった。
ひなちゃん、悪いけどヒントはこれからもあげられない。君がまた訪ねてきたら意地悪もしないし困らせようともしない。もちろん笑ってもらうなんて虫のいいことも考えない。キモいと何回繰り返されたっていい。でも「ごめん、何も知らないんだ」それしか言えない。
「ねぇ、さっき何か言いかけた? 名前呼んだでしょ」
ほらね、僕が思ったことをすぐに口にする性分でなくて本当によかった。性急な会話は全てを台無しにする。
「ううん、いいんだ。物語を空想してただけ」
「どんな物語?」
小夜子の義眼は雪を含んで潤んでいる。それでもやはり少しだけ指先に不安は残しておいた方がいい。掛け値なしの幸せは華々しくて後ろめたい。不安の欠片を拾い集めながらの幸せが僕達にはきっと似合う。それにそれはひなちゃんに対しても少しはフェアかなと思ったりする。
「ねぇ、どんな物語?」
「爆弾犯と殺人犯の物語」
早速、小夜子に不安の一欠片を投げ掛ける。
「とても魅力的。空想は大好きだもの」
「だろう。でも完成までにはピースがいくつか必要なんだ。ピースは僕らの秘密。物語を紡いでゆく為に秘密を一個ずつ披露していくってのはどうかな? チクチクするかもしれないけれど、それもまた僕達には似合いだろう」
窓は開けっぱなしで吹き込む雪はやみそうもない。幸せの中にポトリと落とす毒。それを僕たちは二人でずっと感じ続けよう。それが僕の提案だ。小夜子は黙っていた。僕の提案に不満なのかと表情を探る。小夜子の顔に吹き付ける雪は愛しい義眼も覆ってしまう。
「そうね、じゃあ私から。私、白い箱が爆弾だってこと最初から知っていた」
そうか、だけど僕はそれを知っていた。でも小夜子が秘密だと思っていたならそれは間違いなく秘密だ。僕は初めて爆弾を作りあげたあの日、出来立てほやほやの爆弾の白い箱に赤い太字マジックで大きく「爆弾」と書いた。一応警告しておこうと思ったからだ。初めてひなちゃんが訪ねて来た日に突然そのことを思い出した。だから一メートルくらいの距離なら大きな赤い爆弾の文字を見逃すわけがないということを知っていた。
小夜子の頬と鼻先はもう真っ赤になって僕の言葉を待っている。
「次は僕の番だ。僕にはお気に入りの腕時計がある。でもそれは元々僕のものじゃない。隕石の穴で拾ったものだ」
もう少し出し惜しみした方がよかったかなと一瞬後悔した。
「腕時計は嫌いなの。だから私の知らない所に一生隠しておいてね」
「そうだったの。僕がしてなくてよかったね」
「うん、よかった。腕に抱かれる時にカチカチという音が耳元ですると嫌。もししていたらその時は外してもらうところだよ」
意外なところでやられたチクチク。時計を外したのは抱きしめるため。部屋の中の暖かかった空気はもう三周くらい巡回して、冬好きでも流石に凍りそうだ。きっと僕の鼻先も真っ赤だ。小夜子は不安の詰まった指先で僕の頬を包み込み、お返しに僕も彼女の頬に手を置いた。向かい合ってお互いの頬を温めあった。
「顔冷たいね。ホントだ、チクチクする」
「僕ら、今、無限大のマークみたいだよね」
「この体勢? うん、それっぽい。呑気だよね、空ちゃんは。全然チクチクしてない感じ」
「呑気だよ。僕は生まれながらのフワフワボーイだから」
「何、それ。もう三十路のおじさんでしょ。キモい」
キモい。ひなちゃんを思い浮かべる。いたるところに僕達のチクチクは姿を隠している。
「時々一個ずつ披露するのね」
ぼそりと小夜子が呟いて義眼は雪を反射した。
「うん、そう。時々」
僕はその時思った。小夜子が義眼を外しても僕はきっと小夜子を愛している。秘密だらけでも、爆弾を抱いていても愛している。義眼のない小夜子のことをこんなに思ったのは初めてのことだ。新しい小夜子。新しい僕。
「手持ちの秘密を全部出してしまったらそれからどうなるの?」
「また新しい物語が始まるんだ」
「空ちゃん、泣いてるの?」
「違うよ、雪さ」
(第1話・了)
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