一週間後、ひなちゃんは再び我が家にやって来た。今度は小夜子がいたので招き入れると僕達のリビングにちょこんと収まった。公式訪問のように今日も制服姿だ。
「父を知りませんか?」
「どうして私の所に訪ねてきたの?」
「父は失踪しました。普通に行ってくるよと家を出たまま帰りません。警察に相談したけど事件性が疑われないと言って捜査してくれません。私と母は色々手掛かりを捜しましたがダメでした。最近父のスケジュール帳が見つかって、そこに町田小夜子さんと会っていた日が書かれていました」
「私の名前が?」
「いえ、正確に言うと名前じゃありません」
「じゃあ、何?」
当初の希望通り同じ空間で聞きながら話の流れに僕はついつい身を乗り出してしまった。小夜子は意外と冷静だ。
「カレンダーに右と書いてありました。父の字はとても読み難くて簡単な文字だけれど初めは何と書いてあるのかわかりませんでした。でもそれが暗号のように思えて」
ひなちゃんは小夜子のことを覚えていなかったが、何年か前に父親と二人でいる時に偶然、小夜子と会って、「ひなを庇って怪我した人だよ」と紹介された。爆発の時はまだ幼く殆ど記憶がないがその時の状況は両親から聞かされていた。向き合うと右目がおかしくてこれが義眼なのかと不思議に思って見つめてしまった。そのうちに申し訳ないと思う気持ちを催促されているようでいたたまれない気持ちになった。時々小夜子の義眼を思い出しては息苦しくなり、それから「右」と「目」の文字にも大きく囚われるようになったのだと言う。そして気づいた。父の記した暗号は右ではないかと。それはすなわち小夜子だ。町田小夜子は、何度も父と会っていた。母親は何も気づいていないし、小夜子と父が会っていることなど想像もしていない。母親にとって小夜子は遠い昔に忘れてしまった可哀そうなベビーシッターに過ぎない。しかしひなちゃんは数年前に紹介された時も偶然ではなく、故意に小夜子が近づいたのではないかと疑った。その頃から暗号は確かに始まっていた。全てが想像であるため母親にその話はしていない。そう説明して、ひなちゃんは「どうだ」とでも言いたげに僕達を見比べた。
「私は思ったことを全部口にするタイプではありません。それは今までもそうだったように多分これからも私のためになると思っています」
「うん、そうそう、僕もそうだよ」
普段から思っていることを口にしてくれたので、僕はすかさず相槌を打ったが、ひなちゃんは表情を変えずに僕を一瞥しただけだ。僕はただの空気の読めない男になってしまった。
「ひなちゃんは私がその右だと確信しているようだけど。それはきっとあなたの思い込みだよ。ちなみに私の義眼は左目ね。だから左なの。あなたが右だというのはとても自分勝手な理論だよ」
ここでふと思った。門田さんはどちらを重視していたのだろう。義眼の入った小夜子の左目を右と呼んでいたのか、爆発でも残った右目を右と呼んでいたのか。これは僕にとっては結構重要なことだ。彼の注目が僕の愛する義眼にあったのだとしたら嫉妬してしまう。
「父がいなくなった日にも右の暗号が確かにありました。私は間違っていますか?」
「とにかくお父さんの居場所は知りません。他をあたってください」
結構追い詰められた気がしたが小夜子はさらりとかわす構えだ。ひなちゃんは納得していないようだが、諦めたのか、それとも極秘で更なる捜査を続ける決心をしたのか口を一文字に結んだまま立ち上がった。前哨戦のつもりなのか食い下がる気はなさそうだ。呆気ない幕切れに拍子抜けした。玄関に向かう途中でふと思い出したように振り返った。
「小夜子さん、今幸せですか?」
ずっと町田小夜子とフルネームで呼んでいたのにここで名前だけになったことで僕の存在が認められた気がした。嫉妬の炎は燻っていたが、ひなちゃんのおかげで鎮火できそうだ。
「幸せです。これからもずっと」
「よかったですね。じゃあ、帰ります」
「ひなちゃん、お父さんのこと好き?」
小夜子の問いかけにひなちゃんは困った顔をした。僕の予想ではそんなに大好きではなさそうだ。
「嫌いです。居なくなってもっと嫌いになりました。でも捜さないといけないでしょ。父親なんだから」
一種の使命感だね、と言いそうになるが止める。小夜子は押し黙って最後に言うべき言葉を口にしなかった。しかたなく僕が代役をした。
「お父さん、早く見つかるといいね」
玄関先まで見送ったのは僕だけで、リビングまで戻ると小夜子は目を閉じてソファに体をあずけていた。目を閉じられるとどこにも手掛かりがなくなって僕はもうお手上げだ。
「空ちゃん、何か聞きたいことがあれば聞いてもいいよ」
そう言いながらも相変わらず小夜子の目はぎゅっと閉じられている。
「今までだって聞かずにきたし、これからもそれじゃダメかなぁ。僕はね、空想するのが好きだから、全てを空想で済ませてしまうことだって出来る」
小夜子はピクリとも動かない。いつもならそのままにするけれど、今日はなぜか言い訳がしてみたかった。
「今だって下準備していることはあるけど、それを必ず実行するかというとそうとも限らない。空想してれば十分だと思えることもある。こうなったら、ああなったらと色々考える方が楽しいだろ。たった一つの揺るぎない現実はつまらないよ」
「そうだね、空想は私も大好きよ。時々空ちゃんがいなくなるのはどこに行って何をしているのかなと想像している」
小夜子は目を開けてソファから体を起こした。彼女の顔は笑っているようでも、泣いているようでもある。右目も左目も珍しく協力し合って表情を特定させないようにしていた。
僕は今でも爆弾を作っている。ある程度殺傷能力はあるかもしれない。しかしそれは誰かを傷つけたいとか、殺したいと思っているからではない。今でもテロリストになる気は毛頭ない。最初の爆弾よりもっと大きなものを作ってみたいという理由だけで爆弾作りに精をだしている。その為に辺鄙な山奥の土地を買って小さな隠れ家を持っている。家といってもコンテナを運んで設置しただけのものだ。窓も中からしか開かないしガラス窓ではないので外からは覗けない造りだ。普段は厳重に鍵を掛けているから誰かがその辺りに侵入してきてもコンテナの中には入れない。そこで仕事先から少しずつ何年も掛けて盗み出した薬品を持ち込んで爆弾作りに励んでいる。それを使って何かをしたいという目標は今のところない。これが爆発したらどうだろうとその時の状況や設置する場所や時間や気持ちを空想するのが楽しいだけだ。大きさや爆発の程度が違うものを今では何個か完成させている。所謂趣味の爆弾コレクターなのだ。僕が小夜子の前から時々消えるのはその作業のために隠れ家に足を運んでいるからだ。
ある夜、隠れ家のある山に隕石が落ちた。少し離れていたが隠れ家まで地響きが伝わってきて、僕は誰かが爆弾を爆発させたのだと思った。この世で僕だけが爆弾作りをしていると思い上がっていたことを反省した。しかもその誰かは爆発までさせてしまった。その夜は敗北感にまみれて眠ったが、次の日にそれが隕石の落ちた振動だったと知った。日本では珍しい大きなものだったらしい。山奥の誰もいない場所だったことは幸いだと報じられた。その隕石の衝撃をリアルタイムに肌で感じたのは日本中で僕だけだったかもしれない。隕石は磨けば宝石のように美しく輝くものもあるらしい。磨かれた美しい球体の隕石を想像して僕の作った爆弾に入れてみたいと夢想した。無駄とはわかっていても隕石の欠片が落ちていないかと辺りを探して歩いた。
隕石の落ちた辺りは公園のように設えられて暫くは見学者が訪れていたがそのうちに誰も足を踏み入れなくなり草木が鬱蒼と生い茂った。隠れ家の近くが騒がしくなることを心配していたが杞憂に終わった。しかし隕石が落ちたことを忘れかけた頃、誰かがその場所に隕石落下記念のモニュメントを作ろうと言い出した。どうしても隕石の痕跡を残したい人がいたようだ。大理石のようにわざとらしくぴかぴかと光るモニュメントが運び込まれるはずだと予想した。隕石風に自然な石で造ってしまってはすぐに草や苔にまみれ山と同化して当初の目印という使命を果たせなくなってしまうからだ。モニュメントの話を聞いた日の夜、公園に行ってみた。公園には申し訳程度の外灯の明かりしかなかった。そんな薄明かりの中でモニュメントの台座が入る辺りに大きな穴が空けられているのを見つけた。穴を掘って前もって台座の埋め込みの準備をしてあったのだ。
モニュメントが完成した頃に再び夜中の散歩にくり出した。予想通りぴかぴかの石が隕石落下記念と謳われて建っていて、穴はすっかり塞がっていた。そしてその磨き上げられた石のモニュメントの端に闇に紛れるように置かれていた黒い携帯と運命の出逢いをしたのだ。誰も足を踏み入れないそんな場所に小夜子はどうして携帯を忘れたのだろう。その夜、僕は「初めまして」から始まる会話の中でその理由を聞くことはなかった。逆に小夜子も「どうしてこんな時間にそんな所にいるの」とも聞かなかった。こうして僕達二人の謎だらけの物語は始まったのだ。
あっという間に時は過ぎ、気持ちのいい秋を忘れてしまった頃にひなちゃんはまたやってきた。僕は秋よりも冬の凍える季節が好きだ。木枯らしの奏でる旋律は僕の鼓動と重なり合う。寒い、冷たい、凍える、何て魅力的だろう。そして何より冬は小夜子を僕にくれた。
ひなちゃんは小夜子ではなく今度は僕を訪ねて来た。いつもの制服姿だ。
「いつも外出の時は制服?」
「いえ、ここに来るつもりだったから。戦闘服のつもりです」
「そうなんだ。ここは戦場かぁ。戦闘服、よく似合っているよ。それよりも僕だけに話が聞きたいなら今日はたまたま小夜子が一人で出かけてよかったね」
ひなちゃんは鼻の上に皺を寄せた。どうもたまたま当たりの日に来たのではなさそうだ。
「何だ、何回か来てたの。じゃあ僕達が一緒に出かけた日はさぞかしがっかりしただろ」
今度は眉間に皺を寄せて口をひん曲げた。携帯のはびこる世の中で誰か特定の人とコンタクトを取るのにこんな風に荊棘の道を歩む中学生を他には知らない。
「余計な人は携帯に登録したくないから」
僕の携帯番号を聞いとけばそんなに手間がかからなかったのにと思ったら、表情を読み取られた。侮れない中学生だ。初めて来た時には小夜子の携帯番号を教えてくれと言ったのに僕は余計者扱いなのが少し悔しい。
「余計な人で悪かったね。それで余計な人に何を聞きにきたの」
大人気ないとわかっていても、むしろひなちゃんを困らせるくらいが今の空気には似合っているような気がしてわざとそんな風に言ってみた。
「星子さんは父を知りませんか。小夜子さんから何かヒント、聞いてないですか?」
「ひなちゃんのお父さんには会ったことがないし、そもそも顔も知らない。小夜子からもノーヒントだ」
少し意地悪なくらいにはっきりと宣言した。
「おかしいと思うこともありませんか?」
「おかしいと思うことはたくさんあるよ。僕達にとって謎は日常だからね」
「似た者夫婦なんですね」
意外な発言だった。僕と小夜子が似ているとは思ったことがなかった。
「折角、小夜子がいない時に来てもらったのに悪いけど彼女が言っていた以上のことを僕は知らないよ。ひなちゃん、小夜子がお父さんの行方を知っていると疑っているの?」
「確信というわけじゃなくて、可能性の問題です。ありうるかもでしか私は動けないから。今のところヒントゼロです。もし星子さんがどこかでヒントを見つけたら警察に届けてください。どうぞ宜しくお願いします」
窓口は警察か。あくまでも余計者扱いで連絡先を教えないつもりらしい。
「お父さん、早く見つかるといいね」
僕は前と同じ言葉を繰り返し、ひなちゃんは中年のおばさんみたいに口の脇にも皺を作り出した。一度ひなちゃんが普通の中学生みたいに屈託なく笑っている顔を見てみたい。
「そうだ、これ父の写真です。初めに渡すべきでしたね。どうぞ持っていてください。この顔にピンときたらすぐに警察に通報をお願いします」
「指名手配にしちゃっていいの?」
「はい、しちゃってください」
渡された写真は上半身のアップで顎に親指と人差し指を当てている。明らかに意識してポーズをとっていた。母が持っていた昔の歌手の写真が確かこんな感じだった。どこか滑稽で吹き出しそうになったが、試しに写真と同じポーズを大袈裟にとってみた。もしかしたらひなちゃんが笑ってくれるかもしれないと思ったからだ。
「星子さん、キモい」
ひなちゃんはクスリとも笑わないどころか顔中をしかめて全力で非難してきた。やっぱり簡単にはいかない。
「でもこの写真、間違いなくカメラを意識してますよね。キモい。父はカッコつける人なんです。母に言わせるとロマンチストでもあるそうです。ホントキモい」
ロマンチストがキモいとイコールなのは中学生方程式だろうか。それにこんなにキモいを連発してくるなんてどこでスイッチが入ったのだろう。やっぱりさっき僕が不毛な試みをしてしまったせいかなと反省した。
「ロマンチストなら星も好きかな?」
「好きですよ。流れ星の写真なんかも持ってたから。あ、そう言えばあなたも星、持ってますね。超キモい。あ、ごめんなさい」
捨て台詞を残してひなちゃんは帰って行った。それにしても丁寧に超までついた最後のキモいはどこに向けて発した言葉だろうか。考えてみたが解答が出せなかった。あやふやな問題は落ち着かない。人生が全て数学で出来ていたらいいのにと真剣に思った。
僕は手元に残った門田さんの写真をじっと眺めた。写真は屈託なく笑っていた。ひなちゃんが僕を訪ねて来たことは小夜子には内緒にした。今日の会話の中に小夜子に必要な情報は一つもなかったが、僕だと話が違ってくる。プラスワンとして写真も手に入った。だからひなちゃんの三度目の訪問は重要な意味があった。
「爆弾犯と殺人犯の物語」は全4回で連日公開予定