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独りってそんなに悪いこと?

 

 この数年、報道や文系学問の世界では「孤独」に対する考察が流行している。

 ネットの書店サイトで「孤独」や「孤立」をキーワードにして検索すると、わんさか関連本が出てくる。新聞記事の検索でも同様。孤独をテーマに長期連載する新聞社もあるほどだ。

 孤独が深く考察されること自体はよい、と思う。

 でも、問題は論調だ。

 目に入ってくるもののほとんどが孤独をネガティブな文脈で語っているのである。

 どうやら彼らの多くはこう結論付けたいらしい。

 独りは害悪。

 独りは病気。

 独りでいるのは人間失格。

 盛っている表現に感じられるかもしれないが、「要約すればこう言ってますよね」みたいな言説があちらこちらに飛び交っている。

 これが私には滅法ウザい。

 しかもウザさに拍車をかけるのが、何かと扁平な理解の多いマスメディアだけでなく、孤独や孤立をテーマにしている研究者、さらには“支援者”とされる人々までそんな感じの発言をしている点だ。もちろん、露骨にそう表現することはまれだが、「でも突き詰めるとそう思ってるんですよね?」と半笑いで問い詰めたくなるのである。

 これってなんなのだろう?

 独りで生きるっていうのは、そんなにおかしなことなのだろうか?

 群れないでも平気なのは、人格を疑われるようなことなのだろうか?

 私にしてみればいずれもNO! である。

 正直、マジョリティーによるマイノリティー迫害のように感じられて、とっても気持ち悪い。

 けれども、世の中にはいい歳した独身者を即異常者とみなす風潮があるらしい。

 そもそも歴史的に見れば、独り者は時として妖怪扱いされることすらあった。日本の山姥や西洋の魔女がそれである。今だって、犯罪者が独身だったりすると、その事実をことさら強調したり、揶揄や ゆされたりするケースが珍しくない。

 よくて珍獣、ひどければ変質者。

 つらいところだが、これが世間の目だ。

 私が現在身をおいている出版業界では、独身女性は少数派ではあるが珍しくはない。だから、独身女性を表立って馬鹿にするような勇者はまずいない。ことさら何かネガティブな発言をしようものなら、とたんに糾弾されるであろう空気で満ちている。もちろん、裏側や酒席などではそれなりのことを言っているのだろうが。また、大学時代の友人にも独身者がチラホラいる。よって、世間一般でももうすっかり「結婚して家族を作る」は一つの選択肢に過ぎない、という共通認識が出来上がっているものだと思い込んでいたのだ。

 けれども、そうではなかった、らしい。

「結婚しない人生があるだなんて、考えたこともなかった」

 これは少し前、友人と話していた時に言われたことである。

 私は心底驚いた。文字通り目が点になるほど驚いた。

 あ、ここで今どき流行りの女同士マウント合戦を期待したならあしからず。彼女と私はそんな関係ではない。彼女の感慨も、私の驚愕も、実に素朴なものだった。私にとっては人生のオプションに過ぎない結婚が、彼女にとって絶対条件だったというだけだ。

 しかし、彼女と私は同級生。同じ時代に生きてきた人間だ。育った場所もそう大きくは変わらない。それでも、これだけの差がある。私はまずその事実に戸惑った。

 身を置く場所が変われば世界の見え方はまるで違う。

 当たり前といえば、当たり前の話に、改めて気づかされたのだ。

 ただ、東日本大震災とコロナ禍は独身を巡る潮目を大きく変えたように思う。

 東日本大震災ではさかんに「絆」が強調され、続いてやたらめったら「家族」がクローズアップされるようになった。震災を機に結婚しました、なんて話がバンバン流れてきた。身近にも本当にそういう選択をした人もいた。特に珍しい光景でなかったのは間違いない。

 

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