伸朗は誠実で優しく、開放的な性格だった。好奇心の塊で何でも面白がり、行動力もあった。家事も厭わずにこなし、普段は頼もしい夫だった。

 だが、彼には矛盾した一面があった。

 社交的なようでいて、誰にでも心を開く訳ではなかった。思春期の少年のように些細なことに過剰に反応する時があった。彼の繊細なアンテナが一度拒絶反応を起こすと、彼の心には自動的にガシャンと重い扉が下りてしまう。そういう時の彼はひどく頑なで、「放っておいてよ」とうずくまる拗ねた子どものようだった。

 それでも私が伸朗を最高の夫だと思っていたのは、普段の彼がいつも私を気遣い、唯一無二の幸せな日常を与えてくれていたからだ。彼の気難しさは豊かな感受性の裏面なのだから仕方ない、とも思っていた。

 

 しかし、本当に誠実で優しかったとは、もはや言えない。平気で私を裏切ることができたのだから。冷静に考えてみれば、彼が浮気をしようと思えば、いくらでもできる状況ではあった。私は四年前から約三年間、実家の問題にかかりきりだったのだ。

 むしろ、なぜその可能性を一度も考えなかったのだろう。それほどに私は伸朗を信じていた。

 

 四年前、実家の父に胃癌が見つかった。既に腹膜やリンパ節に転移していて、余命一年の宣告を受けた。

 それから一か月半後、中国で新型コロナウイルスの最初の感染者が報告され、世界中が大騒ぎになった。父が入院して薬物療法を受けている間に、入院患者への面会ができなくなってしまった。

 独りになるのは嫌だという父の気持ちを尊重し、療養できる病院への転院を諦めて、父は鎌倉の自宅に戻ることになった。心臓に持病のある母に一人で父の看護を任せるのは無理だった。私は勤めていた大手家具店を辞め、実家で父の看護をすることにした。

 元々家事を分担していた伸朗は、全ての家事を引き受けて、快く送り出してくれた。世帯収入の約四割を失うことにも、彼は何も言わなかった。私は両親をコロナから守る為に、二週間に一回しかマンションに帰らなかった。

 そして余命宣告を受けてから丁度一年後に、父は亡くなった。

 

 やっと二人のマンションに戻れたと思ったら、今度は母の持病が悪化した。夫を失った喪失感と、緊張が解けた虚脱感が母を弱らせた。父が亡くなって四か月後、母は病院であっけなく逝ってしまった。私は父が亡くなった時よりも深く落ち込んだ。

 

 私の父は昭和の価値観を書き換えられずにきてしまった人で、マイルドな男尊女卑の考え方を持っていた。高圧的ではないが、家庭の事も、身の回りの事も、黙って待っていれば妻が上手くやってくれるものだと思っていた。

 一方、母は争いを好まず、夫の期待に応えられないことにストレスを感じる人だった。人の世話と後始末だけをする人生に少なからず苛立ちを覚え、娘の私にだけ愚痴を言ったが、それを夫に訴えることはなかった。女の痛みに鈍感な男たちを変えようとするより、自分でさっさとやるべきことをやってしまった方が早いし、楽だと考えていたのだ。

 ずっと父に縛られて自由に生きられなかった母がその呪縛から解かれた途端、生きる力を失ってしまったことに、私は納得がいかなかった。父は二人で看取ったのに、散々人の世話をしてきた母は誰にも看取られずに逝った。私はショックのあまり、母の家族葬の後、抑鬱状態になった。

 伸朗はずっと私に寄り添い、相続手続きも手伝ってくれた。落ち込みから抜け出すきっかけを作ってくれたのも彼だった。

「同時代人だったお義父さんとお義母さんは同じ価値観を共有していた。お義母さんは僕たちの目に映っていたよりも、満たされていたのかも知れないよ。何に満足するかは個々の価値観によるでしょう。それでも、日々感じるもやもやとした思いは、君がずっとお義母さんを庇いながら看護を引き受けたことで、きっと解消されていたんじゃないかな。それに娘の君が自由に生きている姿を見て、お義母さんは多分、安心したんだよ。伴侶が亡くなって生きる気力を失うというのは、ある意味、とても幸せな夫婦だよ。だからお義母さんは自分の人生に納得していたんだと、僕は思うな」

 

 精神的に立ち直ると、一人娘の私には遺品整理などの残務が待っていた。一軒家の遺品整理は膨大な作業量だった。

 私は四回目の緊急事態宣言が終了してから実家に通い始めた。まん延防止措置の適用時には実家の近所の従姉の家に泊まり、連日、埃まみれで片づけた。やっと片づけが終わったのは、母が亡くなってから一年九か月後だった。

 私は疲労が蓄積して、自宅に居る時は横になってばかりいた。伸朗はそんな私を気遣ううちに、徐々に私に触れなくなっていった。私が甘えてもたれかかると、彼は私を優しく抱き締め、おでこや頬にキスをした。疲れ切っていた私には、それで充分だった……それとも、充分だと思おうとしたのか。

 昨年末、やっと実家の売却を終えた頃から、私たちはまるで仲の良い兄妹のようになっていった。いつの間にか私の心には、淋しくて満たされない気持ちが貼りついていた。

 

 確かに、きっかけは私が作ったのかも知れない。彼に甘え過ぎていたのは事実だ。私の中に、言いようのない焦りがぶくぶくと湧き上がっていた。

 不倫相手は学生時代からの知り合いで、三年前に伸朗が担当した本の監修者だと言っていた。つまり、私よりも先に知り合っていて、仕事まで一緒にした女性だ。

 伸朗は以前、翻訳会社に勤めていたが、現在はフリーで、元いた翻訳会社、複数の出版社とウェブマガジンから発注を受けている。

 児童文学が得意で、『おせっかいねこミミ』のシリーズは好評だった。そのお陰でちょこちょこと児童書の仕事も入るようになった。でも、児童書だけではとても食べていけないから、依頼が来れば、フィクションでも、ノンフィクションでも引き受けている。専門知識が必要な場合は、監修者が付くから問題はなかった。最近では、彼の文体を気に入ってくれたライフスタイルの季刊誌に、見開き二ページのエッセイを連載している。

 リビングの本棚には、伸朗が関わった本が並んでいた。

 

「宙い夢に棲む」は全4回で連日公開予定