2023年に第45回小説推理新人賞を受賞した谷ユカリさん。受賞からの2年間、苦しみながらも執筆を続けてきました。多くの受賞者が短編や連作短編集でデビューするなか、谷さんが挑戦したのは書き下ろしの長編。受賞からの日々、そしてデビュー作にこめた思いを語っていただきます。
編集部からの電話を「セールス」だと勘違い
担当編集者S(以下=担当S):まずは、デビュー作の刊行、おめでとうございます。
谷ユカリ(以下=谷):ありがとうございます。本当にお世話になりました。
担当S:「小説推理新人賞」を受賞してから2年ちょっとだと思いますけど、この間、いろいろ模索し続けてきたのを間近で拝見していました。ご苦労の末のデビューとなりましたが、いま、どういう思いを抱かれていますか?
谷:まずはホッとしています。受賞直後は、書ける気がしていなかったので、どうなるんだろうと思ってました。ほとんど抑うつ状態で、不安で押し潰されそうでした。それは、初めて書いた小説で賞に応募して、受賞してしまったからなんでしょうね。
担当S:初めての応募だったんですね。それで受賞というのは凄いことです。
谷:ホントに、トントン拍子でした。正直なところ受賞作は練習のつもりで書いて出したので、受賞どころか一次も通らないだろうって。だから、二次を通って最終選考に残ったというお電話を頂戴したときに、何かのセールスだと思ってしまったんです。
担当S:えっ、セールス……ですか?
谷:はい。小説の賞に応募してきた人たちに、小説講座みたいなのを受けませんか? って、そういうのを勧めてくださるのかなと思っちゃって。
担当S:うちはそういう講座はしていませんよ(笑)。
谷:ですよね。でも、そのときは完全に勘違いしていたんですね。せっかくだし、小説講座があるなら、受けたいですって言おうと思って、お話を伺っていたら、いつまでたってもそういう話が出てこなくて……。
憧れていた垣谷美雨さんと同じ道を目指し……
担当S:そうだったんですね。谷さんご自身は、小説を書きたいという思いをずっと持っていらっしゃったんですか?
谷:はい。もともとは、エッセイを書きたいとずっと思っていたんです。思っていることを自由に思いつくままに書けるエッセイを書きたくて。でも、エッセイは新人賞というものがなくて、どうしようかなって思っていたんです。そんなときに、愛読していた小説家の垣谷美雨先生が、双葉社からデビューされていたのを知って、じゃあ、まずこれに挑戦しようという気持ちでやりました。やっぱり、垣谷さんの存在がとても大きかったです。それまでは、小説は私にとって縁遠いものだと勝手に思っていたんですけれど、垣谷さんが書いていらっしゃる内容が、私のことを書いているのかしらと思うぐらいに身近に思えて感動したので、小説に挑戦してみようかな、と思いました。
担当S:垣谷さんの存在が大きかったんですね。ただ、小説推理新人賞はミステリーの賞です。難しさとかはありませんでしたか?
谷:はい。実はそれまであまりミステリーを読んでこなかったので、わからなかったから挑戦してしまった、というのはあるかと思います。
担当S:受賞作「いつか見た瑠璃色」は2年前の小説推理に全文掲載されました。今回のデビュー作『宙い夢に棲む』は、また別の作品です。受賞後に書き下ろした長編小説なのですが、ミステリー小説ではありません。この作品を構想したきっかけを教えていただけますか?
谷:かなり昔なんですが、アメリカのドキュメンタリーを見まして、内容を話してしまうと小説のネタバレになってしまうのですが、これを見て、自分は世間のことがまったくわかっていない。本当に無知だな、と痛感したんです。そこから、自分とは異なるいろんなこと、多様性や価値観を理解するようにつとめました。その延長線上に、今回の作品があると思います。
本が発売になるのが怖かった!?
担当S:受賞から2年と少し、とやや時間はかかってしまいましたが、とても素晴らしい作品になったと思います。発売前のゲラの段階で読んでくださった書店員さんなどからも、「とてつもなく柔らかく優しい物語です」という感想をいただいています。はじめて書いた長編小説に対して、読んだ人から好意的な反響があったことについて、どうでしょうか?
谷:感想としては、まず驚愕ですね。そんなふうに好意的に受け入れていただけるとは思っていなかったので。「何も分からないくせに」とか、厳しい言葉をいただくのではないかと不安でしたから。本が出たら、しばらくは落ち込む日々を送るんだろうなと思っていて、すでにそう覚悟を決めていました。それが、こんなふうに受け入れてもらえるとは、夢にも思わなくて。もう嬉しくて、ありがたいことだな、と感謝しています。
担当S:物語は夫から離婚をつきつけられた女性が再生、自立していく姿が描かれますが、私がすごいな、と思ったのが、主人公の絵里がインテリアコーディネーターや、整理収納アドバイザーとして仕事をしていく描写です。しかも、その人のライフスタイルや嗜好に寄り添って部屋を変えていく。このあたりは谷さんご自身の経験から書かれたんですか?
谷:はい。整理収納アドバイザーやホームステージャーといった資格をもっていまして。体調を悪くしてしまって途中で断念したんですが、仕事にしていた時期もありました。部屋が人の生活に大きな影響を与えることを経験的に感じていたので、それを作品に活かそうと思ったんです。
担当S:私も絵里さんがテキパキと部屋を片付けていく描写を読んで、うちも片付けてくれないかな、と思ってしまいました。
谷:そういっていただけると嬉しいです。部屋のレイアウトや収納が住む人のメンタルに与える影響は本当に大きいと思います。絵里がアドバイスをするのは独身の男性、専業主婦の女性といった、共働きの夫婦とまったく違うライフスタイルの人々ですが、それぞれの声を聞きながら、どうしたらよりよい暮らしになるかを提案していくことで絵里自身も自立していったらいいな、と思いながら書きました。
「女性」だからこそ書けることを目指して
担当S:たしかに、絵里が仕事やそこで出会う人を通して自立していく様子は伝わってきました。まだまだいろいろなことを伺いたいところではありますが、そろそろ最後の質問にさせていただきます。本書の帯には「夫の不倫相手の家で同居!?」というセンセーショナルな言葉が載っていますが、その詳細を書くとネタバレになってしまうので伏せておくとして、同居してからの絵里の心の動き、そして絵里自身が再生していく過程、いろいろなものを受け入れ、手放し、新しい感情を手にしていく様子は、とても読み応えがある作品になったと思います。あらためて一冊の本になる過程、作家としての最初の仕事はいかがでしたでしょうか?
谷:わからないことだらけだったので、本当にSさんに寄りかかりすぎていたな、という自覚はありましたし、とても不安でしたけれど、それと同じくらいこんなに楽しい経験はないなと思いました。校正にしても本当なら、もっと仕上げてから校正者の方に見ていただかなきゃいけないのに、校正さんから戻ってきたゲラをあらためて読んでみたら、ここも抜けてる、ここも変、というのがたくさん出てきてしまって。最後までバタバタしてご迷惑をおかけしましたが、いろいろと指摘していただいて、本当にありがたかったです。
担当S:どの作家さんもデビュー作は一作だけです。一生残っていく作品が満足いくものになったなら私どもも嬉しいです。最後に、今後、どういう作品を書いていきたいかを教えていただけますか?
谷:はい。私は、やはり自分が女性なので、女性が今置かれている状況をテーマにした作品を書ければなと思っています。どういう時代に生まれたかによって、ライフスタイルや、できること、許されることが変わってくると思うんです。もちろん、それは男性も同じなのでしょうが、そう思うなかで、今の女性が抱えている問題をテーマにできればいいな、とまだぼんやりしていますが考えています。それは、男女の問題、夫婦の問題だったり、子育ての問題、子供を産む、産まないの選択の問題だったり……自分の目で見たり、文献を調べたりしながら、書いていければいいなと思います。
担当S:次回作も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
谷:ありがとうございました。