最初から読む

 

 一階には台所と食堂、リビング、さらに洗面所やトイレ、風呂があり、これらはすべて共有だそうだ。入居者が自由に利用できる。唯一ある個室は大家さんが使っている。二階には七畳前後の個室が四つ。廊下にあるトイレや洗面所の他、洗濯物が干せるバルコニーは共有スペースで、屋根裏部屋も開放されている。季節外の衣類や布団、スーツケースを置くなど、譲り合って使うことができる。

 説明を聞きながら笙子の頭の中に浮かんだのは学校の寮や合宿所だ。寝室だけ別であとはみんなで使う。笙子自身はそういった施設を利用したことはない。ぽつりと口にすると、合宿所とはちがうところもあるのよと大家さんに言われた。

 入居者は全員大人で働いている。勤務時間も休日もまちまち。共有部分の利用時間も頻度も異なる。それぞれの都合があるので、しょっちゅう顔を合わせるときもあれば、挨拶だけの日が続くこともある。休日にリビングでゆっくりくつろぐ人もいれば、部屋から出て来ない人もいる。

「配慮は必要だけど、考え過ぎは禁物。気の遣い過ぎはくたびれてしまうでしょう? どちらかというとうちは気ままなひとり暮らしの集まりで、年齢層も高いの。門脇さんはおいくつかしら」

「三十九です」

「だったらみんなあなたより上だわ。難しく考えず、ゆるゆる馴染んでくれれば十分。新しい入居者はみんな大歓迎だから」

 思わず「そうなんですか」と返す。気ままな人が多いのに、新しい人は歓迎されるのだろうか。

 戸惑いや危惧が透けて見えたのか、大家さんはなだめるような口調で言う。

「菅原さんから聞いたでしょう? うちでは入居者みんなで犬を飼っているの。そこだけは共通の趣味みたいなもので、賛同してくれる人ならば大いにウェルカムよ」

「はい。あの、犬がいるというのはここに来る前にうかがいましたけど」

「入居を決めてくれたら、あなたも飼い主のひとり」

 驚いて聞き返す。

「私が? 飼い主?」

「正確に言うとナンシーはここにいる誰のものでもなく、借りている犬でね。その料金を、私を含めた住人みんなで折半している。平等なの」

「無理です。私、犬を飼ったことがありません」

「大丈夫。お世話をしてくれとは言わない。負担金がちょっとあるだけよ」

 ますます理解できない。助けを求めるように菅原を見る。彼も面食らった様子で、あわてて大家さんを食堂の隅へと引っ張って行った。詳しい事情を今ここで確認するらしい。

 やれやれと息が漏れた。変わった物件だと思っていたが予想を軽々超えている。ご縁はなさそうだ。もうひとつ大きな息をつきたかったが、芽依が犬のケージに近づいている。

「何やってるの。離れなさい」

「お母さん、大きな声出さないで。ナンシーが驚いちゃうよ」

「驚くのはこっちよ。こんなに獰猛そうな犬とは思ってもみなかった。同じ部屋にいるだけで不気味じゃない。芽依より重そう。襲いかかってきたら牙や爪で全身血だらけよ」

「それは悪い人に、でしょ。ナンシーは番犬だよ。泥棒が入ってきたら襲うかもしれないけど、悪いことをしてない人には何もしない。守ってくれる。それが番犬だもん」

 意見され、とっさに言い返す言葉が浮かばない。

「だからってその、ナンシーは……って、おかしくない? どうしてナンシーなの。可愛い名前なんてぜんぜん似合わない。もっと強そうで恐ろしげな名前にすればいいのに。ブラックとか、ウルフとか、ジョーカーとか」

 ずっと感じていた違和感を思い切り正直に言ったところ、なぜか芽依がくしゃりと顔を歪めた。みるみるうちに険しい様相になり、怒りを込めた目で睨みつけてくる。笙子はたじろいだ。だいたいがおとなしくて聞き分けの良い娘だが、たまに機嫌をそこねてしまい、その理由がなかなかわからないときがある。まさか、今がそれ?

「門脇さん」

 呼ばれて振り向くと菅原が手招きしている。芽依のことは気になるが行かないわけにはいかない。食堂の入り口で、如才ない笑みを浮かべる大家さんとすれちがった。笙子と入れ替わりで芽依のもとに歩み寄る。任せて大丈夫だろう。そういう信頼はできる人だ。

「ちゃんとした説明ができてなくてすみませんでした。細かなことをうかがったのであらためてお話ししますね」

 菅原によれば一般的なアパートに比べ、シェアハウスの賃料は低めに設定されているそうだ。「ひろさきハウス」は何度かのリフォームを経て使い勝手も良く、手入れも行き届いた優良物件ではあるが、築年数は三十五年とあって相場よりも賃料は安い。そこに犬のレンタル料金が加算される。

 そもそも犬は「スマイルペットサービス・マキタ」という会社が所有し、番犬としてのスキルを身に付けて一般に貸し出されている、いわばレンタル番犬だ。日々の散歩やトリミング、医療機関への受診などは会社のスタッフが行ってくれる。なので借りる側はほとんど手がかからないまま、優秀な番犬を家に置くことができる。ただし利用には料金が発生する。

 

「リクと暮らせば レンタル番犬物語」は全4回で連日公開予定