八時間の勤務を終えた蒼空は、タイムカードを押す前にトイレの個室でスマホに向かい、通販サイトでギフトカードを五万円分購入した。他人のクレジットカード情報を使っての決済は、認証のボタンを押してから完了の画面に推移するまでの数秒間が何分にも感じられる。購入不可の警告が出るのではないかと、経験を重ねても掌が汗ばむ。
無事決済され、クロスバイクで颯爽と帰宅した蒼空は、土鍋仕様を謳った炊飯器で魚沼産コシヒカリを炊いて丼に盛り、四万十産の天然鰻を温めて載せた。しみったれたことはせず、鰻はまるまる一尾使った。
「うんめー」
豪快に頬張り、溜め息をつくと、
〔五十点〕
と醒めた声が応じた。
蒼空はダウンのシュラフの上に胡坐をかいて丼を抱え込んでいる。隣に坐る者はいない。
「通ぶりたいから辛口評価するやつっているよな。どうよ、箸でサクッと崩れるこのやわらかさ。輸入の安物は身がガチガチだぞ。米の一粒一粒も立ってた。噛めば噛むほど甘いし」
箸に山盛りにして口に運ぶ。
〔しょせん冷凍のパック品〕
「の最高峰。一本一万円」
〔若竹屋の味を知らない者はしあわせよな、この程度で満足できて。本当にやわらかい蒲焼きは、口の中でふんわり溶けるのだぞ。それでいて皮はパリッとしている。せいぜい両角亭の梅レベルだな、この鰻は。そもそも炭の香ばしさがない〕
「三つ星の店に食いに行けないから、こういうささやかな贅沢で我慢するしかないんだろうが」
蒼空は丼の縁に齧りつき、鰻と飯を掻き込む。
〔なあ少年〕
「行儀が悪い? 大きなお世話」
〔満足してるかい?〕
「うんめー」
〔A5の黒毛和牛、五島の岩牡蠣、カスピ海産のキャビア、一房二万円のルビーロマン〕
「うまかったな。北海道から取り寄せた生乳百パーセントのアイスクリームはまだ冷凍庫に残ってたっけ?」
〔スマホの最上位機種、最新のゲーム機に段ボール箱一杯のソフト、スペインブランドのスニーカー、イタリア直輸入のパンツ、クロスバイクはアメ車。次は何を望む?〕
「動画を見るのにタブレットかノーパソがほしい。スマホじゃ小さい。あと、インドアばかりだと体に悪いから何か運動をと考えてるんだけど、サバゲーなんてどうだろう。基本はハンドガンなんだろうけど、アサルトライフルやショットガンも撃ってみたい。だったら全部買っちゃえ! ってできるのが、今の俺様。あとエスプレッソマシンな。カプチーノも作れるやつ」
〔それらを手に入れたところで、どこに置く?〕
四畳半相当のワンルームである。家具といえるものは(これを家具といっていいのか疑問ではあるが)衣装ケースとカラーボックスしかないのに、室内の密度は異常に大きい。床の上に未開封のプラモデルや駄菓子やスニーカーの箱がうずたかく積まれ、玄関に向かうスペースはさながら獣道である。天井近くに突っ張らせたポールにはジャケットやパンツが無秩序にぶらさがっており、ジャングルのようでもある。小さなローテーブルすら置くスペースがなく、食事もガンプラの製作も寝袋の上でである。
「だからタワマンに引越すという野望を持って、現金はキープしてんじゃねえかよ。バイクは衝動買いしちまったけど」
〔目処は立ったか?〕
「この間貯めはじめたところだ。つか、知ってるくせに訊くなよ」
〔念願叶ったとしても、高レベルの生活を維持するのは大変だぞ〕
「家賃? がんばって稼ぐさ」
〔びくびくしながら〕
「はあ?」
〔お縄をちょうだいすることなく、二十歳の誕生日を迎えることができるかな〕
「何が言いたい?」
蒼空はわずかに覗いた床に丼を置く。
〔物事には潮時というものがある〕
「この仕事のやめ時だと? はじめたばかりじゃねえかよ」
〔リスクに見合わないだろう。今風に言うならコスパが悪い〕
「おまえなあ……」
蒼空は溜め息をついたあと、
「持ちかけたのは誰だよ? けしかけておいて、やめろだと? ふざけんな!」
声の主に手をあげる。自分の頭をはたいてしまってから、くそっと吐き捨て、石膏ボードの壁に拳を当てる。指に痛みが走ってから、また、くそっと吐き捨てる。
「中にいる、おまえの中にいる。」は全4回で連日公開予定