栢原蒼空
実の父を知らず、母のネグレクトにより、児童養護施設で育ち、自分を捨てた両親に復讐することだけを生きがいに成長する。母は自殺、父は見つからず、自暴自棄になっていたところ、母の心を壊した「間宵己代子」の存在を知り、復讐の対象を切り替える。しかし対決の場で猛火に巻き込まれ、瀕死の重傷を負う。十八歳。
間宵己代子
昭和十八年生まれ。死後、孫娘に移植された角膜の細胞が異常増殖し、孫娘の体を乗っ取る。子供の容姿に大人の頭脳を宿し、世間を手玉に取って生きるが、火災により孫娘の体が激しく損傷すると、寄生先を栢原蒼空に乗り換え、なお生き続けようとしている。
栢原蒼空の現在地
人は見た目で判断してはいけないと、先生と呼ばれているやつらにさんざん吹き込まれてきたものだが、十八年も生きてみればそんなの浮世の妄言だと気づくわけで、それも見抜けないような間抜けは一生誰かの養分になってろバーカ。
栢原蒼空が心の中でそんな悪態をついたのは、まさに今、見た目ヤバいやつが五十センチの近さにいるからだった。
ガチャガチャで取ったような小さなウサギのぬいぐるみを肩や胸や腰に縫いつけたピンクのTシャツを着た彼女がJCなら何もヤバくないのだが、厚塗りのファンデーションでも隠しきれない皺と染みに、金髪の根本が白髪なのだ。下半身はさらにヤバくて、紫のレギンス一丁、スカートもショートパンツも重ねておらず、臍から下のだらしのないラインをさらしている、さらしまくっている。
そういう心中は微塵も表情には(たぶん)出さず、蒼空は右手の緑色の籠から商品を取りあげるとスキャナーに通して左手の臙脂の籠に入れ、また右の籠に手を戻して商品を取りバーコードを読み取って左の籠に、と機械のように両手を動かし続け、二十四点の商品のスキャンを終えると、
「4317円になります」
と、機械的に告げた。
「うけるー。そんなん、やる前から負けが見えてるのに、バカじゃね?」
ヤバい女はスマホで喋りながら、トレーの上にクレジットカードを投げるように置いた。
「お支払い回数は?」
蒼空はなんとか感情を排除する。女は電話に相槌を打ちながら人さし指を立てた。
「一回ですね?」
確認するが、返答はない。やっちまえ、イケイケと、通話相手とのコミュニケーションに執心している。
蒼空はカードを取りあげると、刻印された十六桁の数字を四桁ごとに区切って黙読しながらCAT端末にカードを挿入し、
「4317円。金額をお確かめのうえ、暗証番号の入力をお願いします」
と端末を差し出した。女は、キー操作の盗み見防止のためにつけられたカバーの隙間にソーセージのような太い人さし指を差し入れる。
「あっち向きなさいよ」
「入力が終わりましたら緑のボタンを押してください」
蒼空は端末から視線をはずす。十六桁の数字を頭の中で繰り返す。
決済の完了を知らせる電子音が鳴る。十六桁の数字を反芻しながら、カードを抜いて女に返す。
「つーかさー、二丁目のマルゼンは暗証番号不要なんだけど」
「当店ではいただくようになっております」
「おかしいでしょ、同じカードなのに、よそと違うって」
「お手数をおかけし、申し訳ありません」
「スーパー・ダイショウグンはタッチで決済できるわよ。マルゼンもダイショウグンも、この値段が表示されてる棒の下にカードリーダーがくっついていて、私がカードを差し込んだりタッチしたりする。どうしておたくは、いちいち店員が端末を引っ張り出すのよ。時間がかかってしょうがない」
「そういうシステムになっております。ご理解ください」
マニュアルにしたがって応対している間も十六桁の数字を頭の中でつぶやき続ける。
「ご理解できねーよ。どうしておたくだけ変なシステムなんだよ。意味わかんねーし」
「お客さま、ご迷惑をおかけしております」
副店長の到着があと三秒遅かったら、右の拳をこの女の鼻っ柱にぶち込んでいた。
「お話は私が伺います」
菅原は女にほほえみかけ、蒼空には横目でうなずいてみせる。
「だからぁ、なんでいちいち暗証番号の入力が必要なのよ。しなくてオッケーの店があるってことは、暗証番号は入れなくても買えるってことじゃないの。押してる時に番号を盗まれたらどうすんのよ」
女は蒼空のことを睨みつける。くたばれクソババアと心中悪態をつく時も、数字の暗唱は忘れない。
「旧式のシステムで、あいすみません。来年度、全店舗いっせいに、タッチ決済も可能な最新のシステムに切り替える予定となっております。それまで多大なご不便をおかけしますが、どうかご容赦ください。ここは狭いので、どうぞこちらへ」
菅原は商品の入った籠を抱えてサービスカウンターの方に体を向ける。女はもの言いたげな顔をしていたが、よどみのない菅原の口上と動きに釣り込まれてしまったのか、素直に彼のあとについていった。
二人の後ろ姿を見送りながら、蒼空はボールペンをパンツの腿に急いで走らせる。
緑色の買物籠がレジカウンターの天板を滑ってきた。
「いらっしゃいませ。ポイントカードはお持ちでしょうか?」
蒼空は次の客に笑顔で頭をさげ、籠をバーコードリーダーの前まで引き寄せる。
「中にいる、おまえの中にいる。」は全4回で連日公開予定