いろいろな動画を見たものの、どうも決めきれない。今日中に決まらないかもしれない。時間だけがどんどん過ぎていく。
そして最後に見たのが、CUTの新曲『destiny』だった。人気曲だが、候補に上がっていなかったのは、ダンスのクオリティが高すぎるからだ。ナムジャなだけに振りが雄々しく、しかもひとつひとつの動きがとてつもなく細かい。
「とりあえず見るだけ見てみよ」
瀬奈に言われ、みえきょんがスマホをいじってCUTを探した。すぐに新曲MVが見つかる。
はじまりのシーンは砂漠。その真ん中に一輪の紅い薔薇がすっくと咲いている。CGなのだろうが、花びらにぽつりと浮かぶ水滴のみずみずしさまで美しく再現されている。真上を強そうな鳥が渡ってゆく。
静けさの中、兵士のような衣装に身を包んだCUTのメンバーのひとりが、よろよろと体を揺らしながら、今にも倒れそうな所作で薔薇へと近づいてゆく。
「ウジン!」
ななみがつい声を発すると、三人が笑う。
ウジンはななみの推しだ。高貴としか言いようのない端整な顔立ちでありながら、ダンスは力強く、声が太い。
四人の推しは全員違うので、それぞれ画面に出るたび騒ぐ。交代で、常に誰かがきゃあきゃあ言っている。ウジンの兵服はあちこち裂けて、血痕がついている。彼が息も絶えだえの必死の形相で手を伸ばした瞬間、薔薇は灰となって崩れ散った。
「何この腹筋!」
「やばい!」
「尊い!」
盛り上がっていたら、
「ちょっといーい?」
という声と同時に、部屋のドアが開いた。
みえきょんがCUTの動画を停止した。寝そべって動画を見ていた瀬奈とズミがとっさに身を起こし、ななみもくずしていた膝を正した。
「勝手に開けないでよー」
不満げに言うみえきょんを無視して、みえきょんママが、
「浅見くんのママがわらびもち作ってきてくれてたけど、食べるー?」
と、皆に問いかけた。
浅見くんと聞いて、ななみの心は軽く跳ねたが、顔には出さなかった。浅見恵介は高校のクラスメイトでななみと同じ中学の出身だ。中学時代、卓球部の彼から試合を見に来てほしいと言われたのは二年生の時で、志望校を訊かれたのは三年生の時だった。今年、高校で初めて同じクラスになった。
「何、わらびもちー?」
みえきょんが、たいして嬉しくなさそうに言うも、「うれしい! 食べたいです」と瀬奈が明るい声で即言い、「やったあ!」と、ズミも可愛いガッツポーズまでしてみせる。
とっさに反応できなかったななみに、
「ななみんちゃんも食べるよね?」
みえきょんママが訊いてくれた。
「あ、はい」
と、ななみが答えると、
「オーケー。じゃ、美映、ちょっと来て」
みえきょんママが言った。
「えー、なんでー」
「手伝いなさい」
「えー、無理」
「じゃ、わたし行きますー」
素早く瀬奈が立ち上がる。
「もう、ほんと、瀬奈ちゃんいい子で助かるー」
「はーい」
みえきょんママと瀬奈がトントンと、歩を合わせるようにして軽やかに階下の店へ下りていくのが聞こえた。
「もうやだ、うちのママ。いきなり入ってくるんだもん。ごめんねー」
みえきょんが、ズミとななみに謝る。
「親って感じ、しなくていいな」
ズミがぽつりと言った。
ななみは、ああいう時にぱっと立ち上がれる瀬奈が、羨ましかった。声をかけられたらもちろん喜んで手伝いたいけれど、自分から行くのは、いかにも気に入られようとしているみたいだ、などと考えてしまう。「気に入られよう」なんて、友達のお母さんに。もうその時点で恥ずかしい。でも、今は金髪を茶色がかったピンクに染めているみえきょんママの、くるくるとよく動く丸い目で見つめられると、なんだか胸が少し苦しくなった。自分にお母さんがいたら、などと重ね合わせるセンチメントは持ち合わせていないつもりだが、目の前で同級生の、親への傍若無人な態度を見ると、かすかに心が軋んだ。
しばらくするとまたドアが開いて、「だからー、ノックしてって言ってるでしょーがー」というみえきょんのブーイングの中、みえきょんママと瀬奈が、わらびもちの皿と、麦茶の大きなペットボトルと紙コップ四人分をそれぞれ手に持ち、現れた。
テーブル代わりに使っているベッドの上にお盆のままのせながら、
「みんな、今日忙しい?」
みえきょんママが軽やかな口ぶりで皆に訊いた。
「……忙しくはないですけど、夕食前には失礼しようかと思ってます」
ズミの大人に対するしゃべり方には、こういうふうに言えばいいのかと感心させられる。
「ピザ、今日、おっきいの安くなる日なんだよね。多めに取ったら、ちょっと食べてくか、持って帰ってくれたりする?」
「え! やった」
麦茶用の紙コップを配りながら瀬奈の声が跳ねる。
「いいんですか!?」
夕食前には……と言っていたくせに、ズミもすぐのる。
「ななみんちゃんは、どう?」
みえきょんママにまっすぐ見つめられ、ななみもつい頷いてしまう。
「オッケー」
みえきょんママはにっこり笑い、ポップコーンみたいに言葉を弾ませ、すたすたと階段を下りていく。ななみの心は重くなる。
「ほんと大丈夫だった? ピザとか。ていうか、ほんと、うるさいよねうちのママ。あ、ごめんねー、瀬奈にまで手伝わせちゃって」
みえきょんがはしゃいでいるような感じで謝る。瀬奈は「いいって、いいって」と言いながら、みえきょんママから受け取ったわらびもちの皿とつまようじを、四人にそれぞれ配り、
「ピザ取ってくれるとか、最高じゃん。わたしダイエット中だから、もうそれ夕ご飯でいいや。親に言っとくー」
と、スマホで何やら書き送っている。ズミも、もう親にメッセージを送っている。
「ななみんはどうする? 持って帰る?」
ななみの事情を知っているみえきょんが、さりげなく気遣う。
「食べてくでしょ」
瀬奈が、当たり前みたいな声で言う。ななみだって、食べていきたい。
「……間に合ったら、じゃあ、ちょっともらってもいい?」
ななみが言うと、みえきょんが「もちろん」と笑う。
「ズミんとこも、早く帰らなくて大丈夫なの?」
「うちは、今日友達の家で勉強してるって話してるから、タケヒロの塾の時間に合わせて駅に着けばオッケーになった。けど、逆に八時とかなんだけど、それまでいていい?」
ズミが言う。タケヒロというのはズミの中学生の弟だ。
「じゃ、うちらもズミと帰るー」
瀬奈が言う。「うちら」と言われて、えっと思うが、とっさに何も返せない。
「浅見の親、今パーマあててたよ。ななみん、下行って、アピってきたら」
からかうように瀬奈が言った。
「は、なんで?」
「ななみんと浅見、こないだ掃除ん時にしゃべってたの見て、意外にお似合いじゃんって思った」
ななみが赤くなると、瀬奈とみえきょんが笑った。ズミも楽しそうな顔をしていた。
瀬奈は伊丹先輩と、ズミは同級生の飯島と付き合っているが、四人の間ではあまりそのことは話さなかった。
あっという間にわらびもちが女子高生たちの胃におさまると、みえきょんがスマホを取り出し、途中で止めていた動画を再生した。
「ちょっと待ってちょっと待って」
きなこのついた唇をぺろりと舐めながら、瀬奈がのしかかるようにしてみえきょんの腕を抱く。瀬奈の肩にななみが頬を寄せる。ズミがななみに体をくっつける。四人でべたべたとくっつきながら、CUTのMVの続きを一気に見た。
「レベチじゃね?」
見終えるとみえきょんが言った。
やっぱりだ、とななみは思う。みえきょんはそういうことを言ってくると思っていた。「レベチ」というのは「レベルが違う」という意味で、誰かがこれを言うと諦めモードが漂うのが常だ。
あーあ、とななみは思ったが、
「でも、これ、ジャスミンでできたら最高だよ。うちらダンス部で、最後の文化祭だしさ」
と、瀬奈が言ってくれた。
「泣く!」
いきなりズミが言った。彼女のきれいな目から、涙はすでにあふれ出ていた。
「え、え、え。ズミ泣いてるし! マジうける。え、なんで泣く?」
瀬奈が手をたたく。
「美しすぎて。CUTは全員、神!」
ズミがあふれてきた涙を指で押さえている。ふだん落ち着きはらって見える美人なズミのこの壊れ方に、転げまわるようにして皆が笑う。美しすぎるとか、神とか、だけどななみには理解できる。CUTはメンバーが全員ガラス細工のような精巧な顔立ちで、ダンスのキレは最高だしソロはときめくし動きがそろう時は奇跡かと思うし、毎回、神を見ているようだと思う。
一度ズミとその話をしたこともある。——彼女になりたいとか、結婚したいとか、そういうの完全に超えてるよね。ズミはそう言った。この世に存在してくれてありがとう。わたしたちにそのお姿を見せてくれてありがとう。あなたたちがいるから生きていけます。
ふだん落ち着いているズミが、そこまで言うのが、おかしかった。時々ズミは、むきになったかのように熱く、CUTについて語ることがあった。実は私立の女子中学校に通っていたというお嬢様のズミに、最初の頃は近づきがたいものを感じていたが、CUTのおかげで近しくなった。
「ななみの海」は全4回で連日公開予定