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 あえて行く必要がないから行かないだけで、ななみが通学に使う電車は、乗り続けていれば海まで運んでくれるのだった。四人はその電車で終点まで揺られた。駅から十分ほど歩けば、海を見おろせる公園に出る。

 瀬奈とズミはそれぞれの彼氏とよく来ているようで、海までの道に迷いがなかった。

 高台から見下ろせる海は、曇り空の下で鈍く光り、岩場へ打ちつける白い波しぶきは荒く跳ねていた。あたりにひとけがないせいか、いつかどこかで見た古い映画のはじまりのシーンのような物哀しい感じがした。中学校の「磯観察遠足」でも、寮の「海遊びの日」でもなく、友達とわざわざ、海を見るためだけに海に行くのは、ななみにとって初めての経験だった。

 その日はとても楽しかった。

 海はBGMみたいなもので、四人一緒にいられれば、結局のところどこでもいいのだった。それならば、そもそもお泊まりなどしなくても良かった。しゃべっていれば楽しい。

 海を背にいろんなポーズで写真を撮り、ダンスの動画まで撮った。夏合宿や文化祭の思い出話で盛り上がって、いつまでも話していられそうだった。話しながら、それぞれが撮った画像を加工アプリで面白く直したりして見せ合うのも忘れなかった。

 時間が経つと、雲の間から射し込む弱い陽が海面を暗く落ち着いた紺色に照らし、風が急に冷たくなった。

 するとななみは、ほんの少し前までただひたすら楽しかったのが嘘のように、心が締めつけられた。

 それは、まるで波のように打ちつける感情だった。健やかに笑い合っている友達に囲まれながら、ななみは突然に、言いようのない孤独に引きずりこまれた。

「ななみん?」

 表情の変化に目ざとく気づいたみえきょんが、こちらを見ていた。

 慌てて笑顔をつくった。

 だけど、言葉を返す余裕もないほどに、孤独はななみを深い底まで一気に沈めた。ズミと瀬奈が気づかずに、はしゃぎ続けてくれていたことが、せめてもの救いだった。

 切り取ったり加工したりした時間を、それぞれのSNSにアップしてから、駅までの海沿いの国道を、楽しかったー、最高だったー、と言い合いながら歩いた。風が強く吹きつけて、放つ言葉がそのまま飛ばされてゆくようだった。ななみは皆と別れがたく感じながら、でも早く一人になりたかった。そんなふうに、突然どうしようもなく心が沈んだり、ぐらぐらと揺れたりすることが、たまにあった。

 翌朝になると、あれほど苦しかったのが嘘のように、心はいでいた。

 寮に預けていたスマホを取り戻してから確認すると、三人が、一日を名残り惜しむようにたくさんのメッセージを送り合っているのが分かった。

「人生でいちばん楽しい日だったわー」「楽しすぎてはなぢでそ」「また行くしかないな」「明日でもいいよ」「塾あるだろ」「休むし」「ななみんは?」「寝たんじゃね?」「早www」「おーい」……

 まとめて読んだら笑ってしまった。

 寮の決まりで夜はスマホを預けなければならず、リアルタイムでメッセージを送り合えなかったことは悔しかった。だが、「人生でいちばん楽しい日だった」という、みえきょんの文字に、ななみは泣きたいような気分になった。

「人生でいちばん」だなんて、自分にはとても言えない言葉だと思った。

 勢いで大げさに書いたことくらい分かっているけれど、さらっとそんなふうに言ってしまえる彼女の明るい心根が、ただただうらやましいのだった。そして、その羨ましさは嫉妬のようなものではなく、一緒にいることで自分の心も澄んでゆくような、心弾む感情だった。

 早く、みんなに会いたいと思った。

 ななみは、三人のことが大好きだった。

 だけど同時に、海を見た時に感じた、底知れぬ寂しさもまた、消えることがないのを感じていた。これはきっと、永遠に飼いならさなければならない感情なのだろうと、ななみは思った。

 

 

 高二の一学期末の試験が終わり、夏休みが迫ると、学校は十月の文化祭に向けて活気づく。

 今日は、午前中がホームルームと掃除のみ。部活のある子だけはそのまま残って昼食をとり、その部活も午後三時までと短縮時程である。

 部活を終えた四人は、待ちきれないとばかりにはしゃぎながら同じ電車、同じバスに乗り、みえきょんの家へ集まった。文化祭のダンス部正規公演の「つなぎ」で踊る曲を決めるためだ。

 ダンス部のライブは伝統的に、高一高二を縦割にして複数のグループを作り、そのグループごとに順番で公演する。それらは「正規公演」と呼ばれていて、部活動の時間にしっかり練習して準備する。その正規公演の合間に、つなぎと呼ばれるちょっとしたパフォーマンスが披露されるのも、ななみたちが入学するずっと前から恒例になっているようだった。

 ショーとショーをつなぐための数十秒程度のつなぎが、こんなに盛り上がるようになったのはここ数年らしい。

 というのも、正規公演のグループ構成は、引退する高三が全体のバランスを見て決めるのがしきたりで、必ずしも仲の良い子や気の合う先輩後輩どうしで組めるわけではない。だからこそ、ダンス部員として最後の文化祭を迎える高二は、仲良しと好きな曲を踊れるつなぎに命を懸ける。ななみたちの四人は、このつなぎのためだけに「ジャスミン」というグループ名を作った。

 今年、ジャスミンが獲得したのは二分間だ。つなぎにしては例年になく長い時間である。

 これはメンバーの瀬奈が、二年生になりダンス部の部長に就任したことが大きい。OGである高三も含めた幹部会に参加してきた瀬奈が、「2ふん!」とメッセージアプリでジャスミングループに伝えた時、メンバーはそれぞれの場所でせわしなく指を動かし歓声を文字にして、彼女の頑張りを称えあった。

「2ふん!」もらえることが分かった翌日から、しかし学校は試験勉強期間に入ってしまった。部活は一時休止である。すぐにも話し合って曲目を決めたかったけれど、中間テストの結果がかんばしくない生徒は「成績課題組」と称され、期末テストに向けて連日の朝勉強と居残り勉強をいられる。

 今回、みえきょんがこれに引っかかってしまった。そのせいで期末テストが終わるまで、ジャスミンのつなぎの曲目は決まらないままだった。

 正規公演用のダンスの曲目はすでに決まり、活動時間内に練習できるけれど、つなぎは個人的な活動ということになっているので、部活外で集まって、各自話し合い、練習時間も自分たちで確保しなければならない。だから四人は今、みえきょんの部屋でちいさな画面にひたいを寄せ合い、うーん、うーん、と悩んでいる。ヨジャでいくか、ナムジャでいくか、それすら決まっていない。

 ヨジャ、ナムジャというのは韓国語の女の子、男の子という意味で、女性アイドルグループをヨジャグル、男性アイドルグループをナムジャグルと言うのだが、略してヨジャ、ナムジャと呼んでいる。ダンス部では、邦楽や欧米のナンバーも取り入れているが、ここ数年は、ダンスの腕が立つ韓国のアイドルグループが人気で、ジャスミンもその路線で行こうと思っているから、あらゆる動画アプリを駆使し、韓国の歌番組やダンス練習の動画などから素材探しに努めている。

「やばい、決まんなーい」

「いや、ほんとに決まらないよね、これ」

 いろいろな動画を見たものの、どうも決めきれない。今日中に決まらないかもしれない。時間だけがどんどん過ぎていく。

 

「ななみの海」は全4回で連日公開予定