第一首 山風に桜吹きまき乱れなむ花のまぎれにたちとまるべく
──桜を見に行こう──
あのひとはそう言って、わたしを誘ってくれたのだった。
背の高い木々の間、森の細い道を、わたしは歩いている。あのひとの肩越しに、高い木々の先端が、薄曇りの空を突き刺しているのが見える。だんだん、水の音が鮮やかになってくる。
木々の間を抜け、急に視界が開けた。あたりの空気はみずみずしく潤っている。
小川だ。
川向こうまで丸太が渡してあり、あのひとは当然のようにそこを渡り始める。丸太は、表面が湿っていて足を滑らせそうだ。岩と岩との間を澄んだ水がしぶきをあげながら走っていく。落ち葉が勢いよく流れに巻き込まれて消えた。
丸太を前にして戸惑うわたしに、あのひとは手をさし出してくれた。わたしはあのひとの目を見ずに、その手を取る。
あのひとの指とわたしの指が触れる、ほんのわずかな面積に感覚を集中させる。まだ寒い三月の森の中、あのひとの体温は高く、丸太を渡ることに集中しているから、その表情までは見られない。
向こう岸に着くと同時に、あっさりとあのひとの手は離れた。地面には落ち葉が積もっていて、足裏が沈む。
坂道を上ってすぐの斜面に、それはあった。
わたしは息を呑む。
人が抱えられないほどの、ゴツゴツとした太い幹がある。その幹は空に向かって行儀良くは伸びてはおらず、自由に枝を伸ばしてこうなったというような、斜めにねじれ、かしいだ形をしていた。
今は三月の半ばで、まだ早いはずの桜が咲いている。
見事な山桜だった。
急に雲が切れたのか、斜めからの光が差す。それは夜と昼との間にしかない、特別なやわらかさを持つ光だった。
しばらく黙ってふたりで桜を眺める。
風が吹いて、それまで静止していた桜が、雪のようにはらはらと花びらを落とす。
わたしはこの光景を、一生忘れないだろうと思った。薄く色づいた花びらが、あのひとの頭や肩にも舞い落ちる。
同じ桜を、ここで来年の今日も見られたらどんなにいいだろう、ふたりで。来年も。その次も。もっとずっと先も一緒に居られたら。
*
母に「雅美、起きなさい。ひいおばあちゃんの家を片付けに行くよ!」と、有無を言わさぬ勢いでたたき起こされた。母は冷房を消すと派手な音を立ててカーテンを開け、窓をすべて開け放った。タオルケットは引っぺがされ枕は無慈悲に引き抜かれる。ベッドシーツも強く引っ張られたので、ごろんとひと回りしてしまったくらいだ。入ってきた光の強さにたじろいで、タオルケットをかぶろうと捜したが無かった。
「え……何」
一度閉じた目を、こじ開けるように薄目にしたら、母は、心底呆れたという顔になっていた。
「あんた夏休みだからっていつまで寝てるの。ひいおばあちゃん家の片付けに行くんだから準備しなさい」
わたしはしぶしぶ着替えることにした。時計を見ると午前九時、家の片付けに行くらしいということは聞いていたが、今日とは。秋まで待つとかして、気候の良い時期にしたらいいものを。寝巻きがわりに着ていたよれよれのTシャツと短パンを脱いで、同じようなTシャツと短パンに着替える。鏡を見て、寝癖をなでつける。ちょっとクセのあるショートボブが横から風に吹かれている人のようだ。ちょうどスマホに凜からのメッセージが来たので、[今からひいおばあちゃんの家を片付けに行くことになっちゃって]と返す。凜とは同じ高校の吹奏楽部だ。いや、〝だった〟と言うべきか。
[ねえ、ガビちゃん今日も部活来ないの?]
たいてい仲の良い友達は、わたしの名前の漢字、雅美を〝まさみ〟ではなく〝ガビ〟と読む。吹奏楽部の部活はここのところ休んでいる。このままフェードアウトしようと思っているが、凜はそれをあの手この手で止めてくる。凜の返事になんと返そうと指が迷っているうちに、「雅美、急いでー!」と下から声がする。[ごめんあとで]とだけ送った。
下に降りて顔を洗い、トーストにジャムを厚塗りして大急ぎで食べた。
父と母とわたしの三人で、恵那にある、ここ瀬戸市から車で一時間くらいの曽祖母の家へ向かうことになった。
車の後部座席で、ワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら、車窓を眺める。瀬戸川をわたり、車は国道155号をまっすぐ進む。せと赤津ICの表示が見えて、車は速度を上げた。緑がどんどん車の後ろへと流れていく。
わたしは、流れていくその緑を視界の端で捉えながら、曽祖母のことを思い出していた。わたしが好きだった、なぞなぞばあちゃんのことを。
曽祖母が亡くなったのは、今年の四月だ。名は日高美土里。九十九歳になったばかりだった。最期は苦しまず、眠るように逝ったそうだ。親族も皆、口々に「大往生だね」と言い、寂しいながらも、卒業した人を校庭から見送るような、どこか穏やかな雰囲気でいた。十七歳であるひ孫の自分との年の差は、だいたい八十歳というところか。わたしはそれほど、ひいおばあちゃん子というわけではなかったが、自分の〝雅美〟という名前の名付け親が、曽祖母だったというエピソードは、度々聞かされていた。
わたしの名付けはなかなか決まらなかったそうだ。女の子なら前々から付けたいと願っていた名前がある母と、高名なお坊さんに頼み込んで準備してもらった名前がある父方の祖母──嫁と姑で、それはもう、たいそうな揉め方をしたのだという。動物でも何でも産後は気が立っているものらしいが、母親は今でもそのときのことを話す折りには、殺伐とした表情になる。
母親と祖母、どちらも一歩も譲らず、話し合いでも名前はいっこうに決まらなかった。言い争いはこじれにこじれ、困った父が親族中に意見を聞いて回った。そのときに、親族で最年長だった曽祖母が、候補の中のひとつだった名前を指して、「あら。この〈雅美〉って、ほんとうに素敵な名前よね」とつぶやいたのだった。その〈雅美〉の響きは、ずっと前からそうであったかのように、名無しの赤子にすっと入り込んだ。
平成生まれの女子にして、〈まさみ〉はちょっと古風な響きだが、雅やかで美しい、という字は読みを間違えられることもなければ、悪目立ちすることもなく、友人たちには〈ガビちゃん〉とも呼ばれ、それがちょっとレディー・ガガっぽくもあるような気がして、自分ではまあまあ気に入っている。学校など正式な場では〈まさみ〉と名乗るが、たいていは〈ガビ〉で通している。〈ガビさん〉と呼ぶ先生までいる。
曽祖母は、わたしをとても可愛がってくれて、遊びに行くと、なぞなぞの本からよくなぞなぞを出してくれた。「食べられないパンはなあんだ」などという簡単なものから、年齢が上がるにつれてちょっと難しいパズルのようなもの、ひねったものまで。曽祖母は、わたしにとっては、なぞなぞばあちゃんだった。簡単に答えは教えてくれず、「じゃあ、ヒントちょうだい」と言うと嬉しそうに教えてくれた。わたしがじっと考え込んでいる様子を喜んだ。大きくなると、謎解きの短編集をたくさん買ってくれた。本好きになったのは、曽祖母のおかげだと思う。今でも国語の成績は一番いい。
──上を見れば下にあり 下を見れば上にあり 母のはらをとほりて子のかたにあり──
このなぞなぞの答えは、なんだったか忘れてしまった。答えを聞いて感心した覚えがあるのだが……。
でもわたしは、この曽祖母を一度、ひどく泣かせたことがある。
当時、小学校の低学年ぐらいだったろうか。親子喧嘩なら誰でもよくあることだろうが、一緒に住んでもいない曽祖母には、年に数度会うくらい、子供ながらも遠慮があった。
なんのことはない、ひとつ下の従妹と、空き地でバドミントンをして遊んでいたとき、その様子をしばらく眺めていた曽祖母が、突然、わっと声を上げて泣き出したのだ。どこか身体が悪いのかと思って、必死で曽祖母の背中をさすり、従妹は走っていって家の中から大人を呼んできた。空き地にしゃがんだ曽祖母の背中は、骨張っていて子供みたいに小さく、額にも顔を覆った手にも、深いしわが刻まれていた。そんな年頃の老人が声を上げて泣く様子は、子供心にショックが大きかったのか、今でもそのときのことはよく覚えている。曽祖母は、「なんでもないの」と言って「ごめんね」とあとで謝っていたが、あれが何だったのかは、いまだによくわからない。
曽祖母の死は、わたしがものごころついてから初めて体験する、近しい親族の死だった。
『彼の空のユンカース』は全3回で連日公開予定