ミーティングも終わりが近づいているようだ。今後のためにも、自分たちの立場を鮮明にすべき時だろう。逆神は防衛省側の二人に頭を下げた。
「ご丁寧な説明に感謝します。今後の進め方についてですが、まず、私たちは警察庁の所属ですが警察官ではありませんから、これから行うことはあくまで調査であって捜査ではありません」
「承知しています」
「ご説明をうかがって、第一の失踪事件と第二の転落事故死については、すでに警察に通報されているようですから、後で警察データベースの情報を残らず浚ってお渡しいたします。ですが、殺人という重大事件でありながら、第三の事件については、まだ通報がされていないようですし、私の記憶では報道もされていません。なぜでしょうか」
鷲津一佐は、上目づかいに鋭い視線を向けた。
「確かにこの事件については、防衛省内のわずかな人間を除けば、お二人にしか明かしていません。現在は空自の警務隊が捜査を進めております。いまお約束できるのは、その理由は、近く木戸さんから説明があるだろうということだけです」
彼らはそれを「約束」できる立場だろうか――かすかな違和感を抱いたが、源まではたどり着けなかった。
「わかりました。私たちの側も木戸からの密命で動いている以上、その点を問題視するつもりではないのです。ですが、私たちが依頼されたのは深層学習を用いた調査であって、事件の捜査やコンサルティングではありません。ビッグデータがなければ何もできないのです。道路上の映像はVJからアクセスできますが、防衛省や自衛隊内部のデータについては、映像、音声、位置情報、通信情報、生体情報――あらゆるデータをご提供いただかねばなりません」
「どのデータが出せるか、内部で検討します」
「出せるか、ではなく、国家機密も含め、存在するあらゆるデータに無制限のアクセス権をいただきたい。その条件が満たされなければ協力のしようがありません。実を言えば皆さんが抱えている事案の他に、二つの別の事案があって、それら相互の関連性を探るようにも命じられています。利用するデータに制限があっては、それどころではなくなってしまう」
「別の事案、とはどういうものですか」来嶋一尉が舌鋒も鋭く割って入った。
「それはまだお伝えしない方がよいと思います」
「それでは対等の立場とは言えませんよね」
腕を組み、厳しい表情を隠そうともしない。まるで「不機嫌」というお題を与えられた女優の卵みたいだ。
「来嶋一尉」鷲津一佐がたしなめる。
「そう思われるのも不思議はありませんが、警察側の情報を隠しているわけではありません。皆さんに予断を与えることで、提供されるデータに影響があってはならないのです。一見バラバラに思える事件の関連を調べよと命じた木戸が、われわれに自分の見解を一切伝えないのも、おそらくそのためです。関連の有無を自分の直感以外の客観的な調査で裏付けたいのでしょう。そのためにもまず、互いの事件について知らない状態でデータを提供していただき、VJで解析したい。ある段階が過ぎたら、関連性のあるなしも含めて、一切をお伝えできます」
「わかりました。上の判断を仰がなくてはなりませんが、お話を聞いていて、特に障害はなさそうだと直感しました」鷲津は逆神たちを信頼できる連絡官と判断したようだ。
「よろしくお願いいたします」逆神は頭を下げた。
帰路、行きと同じオートキャブは二人を乗せ、再び都心環状線に合流した。柏の科警研まで送り届けてくれるらしい。
「オートキャブちゅうのは案外、隠密活動に向いとるんとちゃいますかね」井伏がしきりに感心する。「どこを走ってても怪しまれんし、客が乗ってれば警察にも止められへん。さっきみたいに目隠しもできるし、誰かに似せた人形を乗せといて敵の目を欺く、てなこともできますやろ」
「鷲津さんが言う通り、スパイ映画の見過ぎだ」
「何言うてますねん。彼らは日本では稀に見る、モノホンのスパイでっせ」
「なるほど。ではこの車も実は本物じゃなく、会話も盗聴されている、いや聞いてもらっていると思えばいいのかな」
車は都心環状線から外れ、常磐高速道路につながるジャンクションを次々に乗り換える。ベテラン運転手のような滑らかな運転だ。
「さっきの会合で、ちょっと気になったのは、鷲津一佐が再三にわたって『木戸さん』と呼んだことだ。彼らから見て、木戸副長官は他省庁の高官なのだから、この呼び方はちょっと引っかかる。一体、彼らにとって副長官はどういった存在なのだろうな」
井伏は窓の外を眺めていた顔をちょっとしかめた。こうした疑問の無茶ぶりは、逆神が考えをまとめようとするときの癖だった。本人にも確たる答はなく、相手の回答も期待していない。疑問や違和感を誰かと共有したいだけなのだ。
「警察に最後の事件を通報していないのも、急に『リエゾン』とやらを求めてくるのも、鷲津さんより上が決めたことでしょ。もしかすると私らと同様、鷲津さんもその辺の事情はよう知らんのやないですか」
「確認するタイミングを逸したが、鷲津一佐の上がどんな人物かによって『リエゾン』の性格も大きく変わる気がする。だが少なくとも木戸副長官に匹敵するランクでなければ、省庁をまたぐこんな連携は取れないだろう」
「たとえば背広組の防衛事務次官か、制服組の統合幕僚長かっちゅうことですか」
「そうだ。どうも今回の件は副長官とその相手の個人的な信頼関係から始まっている気がする」
あるいは――防衛省の会議室でふと抱いた妄想が蘇った。首都の地下に張り巡らされた地下回廊を行き来する自動運転車の姿が脳裏に浮かんだ。
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