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3(承前)

『ハワード大統領、日本・かし首相に東京での五輪代替開催を要請か』
 突然そうしたスクープが流れたのだ。
 仕事のあと、渋谷・道玄坂の串焼き屋でエイミー、藤代との三人で飲んでいた一斗は、壁のテレビに流れたその速報を見て、持っていたグラスを思わず落としそうになった。
「何だって!?」
「悪い冗談としか思えませんね」
 藤代が呆然として言った。
 汚濁にまみれた東京開催はほんの三年前だ。どこをつつけば、再び開催などという可能性が出てくるのか——。
 けれどもそれからの一週間に畳み掛けるように流れた続報は、「信じられない」「あり得ない」という反応を「いや、無理だろう」という程度に徐々に変えていくものだった。
 まず当の樫木壱郎いちろう総理大臣が、要請があったことを官邸の「囲み取材」で認めたのだ。
「ハワード大統領から直接、電話がありました。日米両国民の友情のあかしとして今回の窮地を救ってほしい、と」
 樫木は歴代の民自党首相の中でも、米国に対する忠誠度が最も高い部類に属していた。一年前に就任すると、二日後「最も早く訪米した首相」の記録を更新してハワード大統領と会談、「ジョン」「イチ」と呼び合う信頼関係を築いたのだった。
 さらにロサンゼルスの大地震に際しては、即日、見舞いのメッセージを発し、「今度は我々がトモダチ作戦を実施する番だ」と宣言した。東日本大震災の時に米国が軍を挙げて差し伸べた救援への返礼を約した。
 そうした関係を踏まえて、ハワード大統領も要請してきたのかもしれない。だがそのハワードの耳にも、東京大会の幾多の醜聞はさすがに入っていたはずだ。それにも拘わらず日本政府に言ってくるということは、ある程度の成算があってとしか思えなかった。
 樫木は続けて明らかにした。
「その後、WOCのモルゲン会長からもメッセージがありました」
 記者たちはひと言も聞き漏らすまいと緊張しながら、樫木にマイクを寄せた。
「トウキョウは二〇二一年のオリンピックのために、たいへん立派な国立ナシヨナル競技場スタジアムを新築しておきながら、残念ながら観客を入れることが叶わなかった。ここはアメリカに救いの手を差し伸べつつ、日本としても今度こそ完全な形で五輪を開催するのがよいのではないか、と」
「で、どう返答されたんですか」記者から質問が飛んだ。
「明確な回答はまだしていません」
 樫木はそう言って悩ましげな表情を見せた。
「種々の問題が存在していることはもちろん承知しています。条件が簡単に整うとは考えていません。何より、仮にも代替開催を受けれるとしたら、全決定過程において非常に高度な透明性が必要となるのは言うまでもありません」
「可能性はあるんですね」マイクを持った女性の記者が切り込んだ。
「どのような結論を出すにせよ、さまざまな立場の方から至急ご意見を聞き、東京都、日本オリンピック委員会NOCなどとも緊密な意思疎通をする必要があると考えています」
 そう言った時の樫木の顔には、打って変わって引き受ける決意をした色が浮かんでいた。
「今度こそ完全な形での五輪」
 それが樫木にとって殺し文句となったに違いない。一斗はそう睨んだ。
 権力の座に就いた者は、前任者の所為を否定、あるいは超越することをまず考える。二〇二一年の不完全な開催は、前任総理の評価にケチをつけた格好になっていた。樫木としては、彼我の差を見せつける絶好の機会と捉えたことが想像できた。
 とは言え、今の世論の中でタブーでさえある五輪の再開催を決めるなど、とても正常な判断とは思えなかった。
「殿、ご乱心、ってやつだな」
 いつの間にかたか​屋ひろゆきが座に加わっていた。高屋はそうした古風な言い回しをよく使う。
「トノゴランシン? 何、それ?」
 エイミーがきょとんとした顔で聞いたが、高屋は笑って答えなかった。説明するのも面倒と思ったのかもしれない。
 高屋は元弘朋社のセールスプロモーション担当の部長職で、年齢も一斗より一〇歳上の五二歳だった。柔道四段、身長一八〇センチを超え一〇〇キロはありそうな体格。岩を思わせる顔の典型的な体育会系社員で、そのパワハラ被害にあったという若い部下が自殺未遂事件を起こしてしまった。責任を問われて諭旨ゆし免職となりブラブラしていたところを、一斗がISTジャパンに誘ったのだ。
 一斗は弘朋社勤務中から高屋とは面識があった。その時の印象は確かに強面こわもてではあったが、陰湿なパワハラをするような人物とは見えなかった。
 同期の佐久間を通じて聞いてもらったところ、やはり「被害者」の家族の強硬な訴えに会社が焦って反応した結果らしいということが分かった。
「あれをパワハラと言われちゃ、若い社員の指導なんてできやしないよ」
「ちょっと言葉はキツかったけど、高屋のおっさん、ホントは後輩思いのいいヒトなのに」
 そうした同情的な声が周囲に多いことも伝わってきた。それでも高屋は会社に反論することなく、潔く辞表を書いたのだという。
「自殺未遂をさせてしまったのは、何にせよオレの責任だ」と言い残して——。
 それを聞いて一斗は、高屋をできたばかりのISTジャパンに引っ張ることに決めた。
 その人間性もさることながら、高屋が持つ人脈が魅力だった。柔道を通じ、五輪メダリストから政界のスポーツ関連議員、警察幹部に至るまで独特な繋がりを持っていたのだった。
「給料は弘朋社時代の半分くらいしか出せませんが」という一斗に、高屋は感謝を隠さなかった。
「猪野CEOが危ない目に遭いそうになったら、オレが体を張って護る」
 本気とも冗談ともつかないことをいかつい顔で言った。まさに恩義には忠実な体育会系らしい言い草だった。
 酒席には必ずと言っていいほど後からでも顔を出すのも、その体質かもしれない。
「ハワードから言われたら、樫木は一も二もなく言うこと聞かなきゃならんさ。これまでの民自党総理の中でも樫木は飛び切りアメリカのイヌだからな」
「この時代にオリンピックって話でもですか?」
「そりゃそうさ。しかも今は台湾有事なんてキナ臭い雰囲気がある。北朝鮮も毎月のように核搭載可能なミサイルをぶっ放してくる。自衛隊だけじゃ日本を守れっこないから、アメリカに頼るしかない。そんな時に、よろしくって迫られたらイチコロさ」
 確かにそんな気もした。
「ただアメリカに無理やり押し切られたって形には意地でもしたくないだろうな。アメリカに貸しを作った、それで日本にも得があったってことにしないと」
「日本に得がありますかね」
「そうだな、少なくともマイナス一〇〇をゼロにするくらいはできるんじゃないか」
「というと?」
「今日本は、国際スポーツ界で最悪の目で見られてるだろ? 五輪誘致時の買収に、組織本部の汚職、あげくの果てに談合だ。ドーピング天国のロシアより汚いと思われているかもしれない。それを『まともな形でやれた』っていう実績ができたら、どうにかプラマイゼロには戻るだろう」
 それでも今の世論を考えたら、樫木の決定を非難する声は身内の民自党からさえいっきに噴き出すだろう。支持率がいっこうに上がらない樫木政権が倒れる原因にすらなるのではないか。
 やはり「狂気の沙汰」だ。
 一斗は呆れたまま画面の樫木の顔を眺め続けた。

 間もなく思ってもみなかったことが起きた。
 その狂気の沙汰が、一斗自身に降りかかってきたのだ。
 二〇二四年も押し詰まった一二月、一斗は弘朋社の谷脇から呼び出しを受けた。
 二度と顔を見たくない相手だったが、さりとて無視するわけにもいかなかった。
 谷脇は一斗が退社した後、一躍常務取締役に昇進していた。瞬く間にS社への広告売り上げをV字回復させ、さらに家電メーカーH社の業績を業界トップにのし上げるキャンペーンを実行した功績を評価されたのだ。その二社の扱いにおいては売り上げで連広を越える「越連えつれん」という語まで飛び出した。
 経済誌は「乱世に強い辣腕リーダー」と谷脇を持ち上げ、次の社長候補の一角に名が挙がるようになっていた。
 今さらアイツがオレに何の用だろう——。
 一斗はいぶかりながら、在社中はほとんど入ったことのなかった麹町タワー最上階、役員室に向かった。
「ISTジャパンの猪野と申します。谷脇常務に呼ばれて参りました」
 役員室受付で、冷たい切れ長の目に見覚えのある女性秘書に告げた。
 秘書はツンとした無表情で「お待ちしておりました。ご案内いたします」と先に立って歩き出した。
 確か一緒に飲んだことがある。オレの顔も覚えているはずだ。もう少し愛想があってもよさそうなのに——。
 胸の中でそう舌打ちしながら一斗はピンヒールの秘書の後に従った。
「久しぶりだな。元気そうじゃないか」
 谷脇は、立派なデスクに磨き上げた革靴の踵を上げた格好で言った。その脇には、漆黒の大きな獅子の彫像が来訪者に吠えかかる姿勢で置かれていた。
 まるでヤクザの事務所だな——。
 冬だというのに相変わらずゴルフ焼けした谷脇の顔。不自然なほどに黒く艶のある髪は染めているのだろう。光沢感のあるスーツ、ネクタイはしていない。襟の尖った濃いブルーのシャツを第二ボタンまで開け、ゴールドのチェーンを覗かせている。
 こんなヤツの下で働いていたとは、と嘆かわしく思いながら一斗は答えた。
「何とかやっています」
「どうだ。望んで行ったスポーツの仕事は順調か」
 ドスの利いた声で聞かれ、一斗は答える言葉に窮した。
 誰も心から望んで行ったわけじゃないぜ。アンタのせいでこうなったんだ——。
 恨めしさが募った。
 ISTジャパンを立ち上げて二年近く。
 折しも、初めての大型案件になるはずの柳本充のベアーズ移籍は、怖れていた通り震災のせいで白紙にかえってしまっていた。
 帰国後、一斗が取り急ぎ柳本にサインさせた英文契約書を航空便で発送したところ、「受領を保留する」というメールが担当者から届いた。地震の直後、安否を尋ねたメールにはまったく答えて来なかった担当者が、その時ばかりは迅速なレスポンスだった。
「手続きは完了しているので受領を要求する」旨、一斗は即刻メールを返した。けれども相手は受け取りを拒否、結局クーリングオフ条項を盾に契約の無効を通告してきたのだ。
 理由は、「急激な球団の経営状況の変化」とあった。争ってはみたものの、結局その結論を呑まざるを得なくなった。
「なかなか思った通りには進みません」
 絞り出すように答えた一斗に、谷脇は慰めるような微笑を浮かべながら言った。
「まあそう初めから順風満帆とはいかないさ。これから、これから」
 柳本の件を知っているのだろうか。あくまで見下す態度の言葉にムカつきながら一斗が思いを巡らせていると、谷脇は真顔に戻って言った。
「きょう来てもらったのは、ほかでもない。オマエの会社に願ってもない仕事をやろうと思ってな」
「……何ですか」
「話す前に言っておく。この話を聞いたら、もう断ることはできない。いいか」
 さらに谷脇は続けた。
「それくらい重要な、超機密事項だ。世界規模のビッグビジネスになる。オマエには荷が重いかもしれないが、大チャンスであることは間違いない。どうだ」
 一斗は答えに詰まった。もちろんチャンスが欲しいのはやまやまだが、自分を放り出した谷脇がどんなよい機会をくれるというのかは想像できなかった。危ない案件を押し付けられて会社がさらに窮地に陥ることも、谷脇のこれまでのり口ならありそうだ。何しろ自分の得になる向き以外には決して動かない奴なのだ。
 加えてそのような脅迫めいた言い方をされるのも、気分がよくなかった。
「アーネスト・ウィンストンからの話だ」
 谷脇は戸惑う一斗の返事を待たずに言った。つまり最初から、受けるかどうかの判断を聞く気は谷脇にないとわかった。
 アーネスト・ウィンストン。
 それは、一斗が日本法人のCEOを務めることになった米国のスポーツマーケティング会社・ISTの本社トップの名だった。一斗にとって組織上、上司に当たる。とは言え会ったのは入社面接での一度きり。その後はせいぜい各国法人の責任者が出席する、月二回のオンライン会議で顔を合わせるくらいだった。
 一斗が日本法人のCEOに就くと決める前ににわか勉強したところでは、ISTは一九八〇年代に米国で生まれた会社だった。創業者が、「スポーツはテレビや雑誌、新聞を凌駕する世界的なメディアになる」という発想に基づいて設立したのだった。
「スポーツマーケティング」という概念を世界で初めて打ち立てたのもISTだった。日本市場では一時連広と提携しようとしたこともあったが、「広告スポンサーをつける」ことにばかり腐心し、アスリートやチームの価値を高めることに興味を示さない連広の姿勢に反発して、早々にたもとを分かったという。その後、第二位の弘朋社と接近した時期もあるが、結果的に広告代理店とは違う次元レイヤーでビジネスを拡大させてきた。
 そのISTの三代目社長、ウィンストンと一斗を繋いだのが谷脇だった。
「新しく作る日本法人のヘッドを探している」そう谷脇が言った主語は、ウィンストンだったのだ。谷脇とウィンストンはもともと互いに見知ってはいたが、S社の東京レディスマラソンの仕事で繋がりを強め、それ以来ゴルフや酒食を共にする関係なのだという。
「ウチの社長が、何を常務に言ってきたのですか」
 言葉にむっとしたトーンが加わるのを一斗は抑えられなかった。いくら谷脇が十年来の付き合いと言っても、いまISTでウィンストンと直接の上下関係にあるのは自分だ。現在の立場になるきっかけを作った紹介者には違いないが、話に谷脇が介在するのは筋が通らないと感じた。
「二八年のオリンピックを東京で代替開催する方向で、国が動いてるのは承知しているな」
 谷脇は一斗の眼をじろりと見て言った。
「ええ。もちろん聞いてはいます。でもそんなこと、とてもできないと思いますけど」
「できるようにしなきゃならないんだ」
「……」
「それをウィンストンはお前に要求している」
「えっ」一斗は谷脇がいったい何を言っているのかわからなかった。
 ——東京でまたオリンピックができるようにすることをオレに?

 

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