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 みつるがテロの一報を聞いたのは、警視庁公安部公安第一課の自分のデスクでのことだった。ふだんはほぼ外回りだが、珍しく書類の整理や精算処理のために警視庁内にいたのは皮肉な巡り合わせだった。国会の初日だとはまったく意識していなかった。それぐらい、テロの勃発は予想の外にあった。
 幡多に真っ先に訪れた感情は激しい怒りだった。こんな舐めた話があるか? 国会議事堂の警備はどうなっているのだ?
 国会内は警察の管轄ではない。三権分立の建前上、国会(立法府)は警察官(行政官)とは一線を画さねばならない。国会議事堂の敷地を警備するのは“衛視”。議員事務局に雇われた国会職員が警備を司る。衆参両院を合わせれば、総勢五百人もの衛視が交代制のシフトを組み、二十四時間体制で国会内に常駐する。彼らの警備服は警察のものとは微妙に違う。階級章やエンブレムが左右逆についていることで区別している。
 もちろん警備の訓練はしっかり積んでいるものの、彼らに許された装備は防刃ベストと特殊警棒がせいぜい。銃器の携帯は認められていない。衛視が議員に危害を加える可能性を低くするためだろうが、いざ本格的なテロが起こると見事に無力になる。
 待て、国会議事堂の中はともかく、外は当然警視庁の機動隊の管轄になる。いまは第五機動隊が主に担当しているはず。衛視たちと合同訓練もやっているはずだ。彼らはなぜやすやすとテロリストグループの侵入を許した?
 機動隊は警備部の管轄だ。気が緩んでいるとしか言いようがない。数年前から断続的に政治家を狙うテロが続いていたではないか。素人のローンウルフばかりだからハンドリングできると思っていたのか? 甘い。平和ボケした国の警備体制などこの程度か。それにしても無様すぎる。国会を占拠されるとは……諸外国が笑っている。特にアジア各国はこの失態を楽しむだろう。
 国内的にもまずいことがいろいろ起こる。幡多の属する公安の怠慢たいまんも問われるのはひつじよう。国家の危機を未然に防ぐのが任務なのに、何をやっていたとクソみそに言われる。おまけにいまの官邸には元警察官僚が何人かいる。公安のレジェンド、たけけんめいはその一人だ。言わずと知れたあの内調——内閣情報調査室の前・内閣情報官。この国の情報機関のトップだった人間が、何をしていた? そう笑われる。退官後に与党の衆院議員となり、今月から首相補佐官に就任したばかりだということは言い訳にならない。今日、竹田は自ら国会に出席しているはず。それがまんまと、テロリストの人質になっただと? 
 警察族が官邸に食い込むのをよく思わない議員は大勢いる。長く公安部長を務めたのち、国家の諜報活動を一手に担ってきた竹田が首相補佐官に抜擢されたとなれば冷静ではいられない。常に首相のかたわらにいるポジションを得たのだから。ところが、テロに遭って国会に囚われた。ザマはない、と笑う輩も多いはずだ。
 俺も悔しがるべきなんだろうな、と幡多は思う。だが若いので竹田を直接知らない。三十代に入ったばかり。幡多が公安に配属になった頃、竹田はすでに内閣官房入りしていた。だから個人としては切迫感の持ちようがない。ただし、上司たちは何が何でも竹田を守れと命令するに違いない。確かめなくてもわかる。
「幡多!」
 と大きな声で呼ばれた。上長の席に行くと、公安第一課長のもりとみかずは案の定、血相を変えて幡多に指示した。
「えらいことになった。おそらく、SATを突入させることになる。俺たちはバックアップだ。死んでも竹田さんを守らないといけない」
 竹田が官邸入りしたこのタイミングで、国会占拠。偶然だろうか。そこまで勘ぐるべきだろう。幡多は努めて冷静に返した。
「首相は守らなくてもいいんですか?」
「もちろん首相もだ」
 森富はあわてて言い直した。
「首相が一番。竹田さんは二番目だ。公安としてはな」
 これが本音だ。どんな閣僚を差し置いても、公安のレジェンドを守りたい。首相を守れないとメンツが潰れるから優先せざるを得ないが、本当は竹田が一番大事。
「ただ、首相の姿が消えた。テロリストが隠した」
 森富は、課長席の横に据え付けてあるテレビ画面を見ながら言った。国会占拠を報じる番組が国会議事堂を正面から映し出している。その画を見るだけでは、中がテロリストに占拠されているようには見えない。
「鈴木首相は、本当に死んだかもしれん。俺が見るに、演説中に毒を吸わされたんじゃないか」
「本当ですか? どうやってそんなことを」
「分からん。お前、まだ首相演説の映像を見てないな? チェックしとけ。明らかにいきなり具合が悪くなった」
 実に興味深かった。テロリストが乱入してくる前にそんな仕掛けが……
「救急隊を国会に入れたかったんですね。で、実はその救急隊がテロリストだったと」
「そういうことだ。本物の救急隊が来る前に、身分を偽って素早く国会に入ったんだ。 そこまで準備できる奴らだ」
「しかし……いくら救急隊になりすましたとしても、こんなに易々と」
 幡多は抗議するように言ったが、
「うん。だが、よく練られてる作戦だよ」
 と公安課長は賊を評価した。
「機動隊の連中も、議員に病人が出たとなったら、救急隊を止めるわけにはいかないからな。一刻を争う。内部に入れたのは議事堂裏の西通用門からだ。あそこは広いし、救急車が着いたら、救急隊員をどんどん中に入れちまう。救急車は三台来たそうだが、とっさに多いとか少ないとか、怪しいとか、判断できるか? わざわざ救急隊員の身元確認なんかして、首相が手遅れで死んだら責任を取れないだろ。そのあたりをテロリストは見越してた。で、国会の中に入っちまえば、いるのは衛視だけだ」
 幡多は盛大に息を吐いてしまう。森富も眉尻を下げ、肩をすくめた。
「たいした武装をしてないんだから、銃器を突きつけられたらイチコロだ」
「でも、衛視は衆議院だけでも、百人以上いましたよね?」
 幡多はうなる。
「連中が、ここまで無力とは思わなかったです」
「配置はバラバラだからな」
 森富はテログループを誉めるしかないと決めたようだ。
「テロリストの人数は分かってないが、救急車三台だと……少なく見積もっても、十人はいるだろう。二十人近い可能性だってある。しかも、よく訓練された連中だ。連携と、うまい作戦があれば、国会はいつ​気せいに占拠できるんだよ。悪い教科書になっちまったな」
「あれっ、でもこの映像」
 報道番組の映像が切り替わり、空撮映像になった。国会議事堂から外に逃げ出す集団が映っている。それこそ、蜘蛛くもの子を散らしたような光景だ。
「逃げ出せた議員もいるんですね?」
「ああ。ぜんぶ参議院の議員だ」
 幡多はハッとした。森富はなぜかぜんとしている。
「もしや……天皇もご臨席だったんですか?」
「いや。開会式での挨拶は今日じゃないから、来ていなかった」
 不幸中の幸いか。国会の初日に開会式をやるとは限らない。
「つまりテロリストは、天皇にも参議院にも用はなかった」
「ということは……」
「初めから衆議院狙いだ」
「なるほど。完全に、政治的な意図ですね」
「そうだ。現役閣僚はほとんど、衆議院議員だからな。衆議院以外は眼中にない」
 厄介事を背負い込んだ時の上司の渋面は見慣れている。ケアなどせず、幡多は自分の分析を口にした。
「天皇まで人質にとったらかえって面倒だと思ったのかもしれませんね。気を遣う人質。多すぎる人質。議場も違う。そんなのは、抱え込まない方がいい」
「まさにそうだろう。こいつらのターゲットは、今の政府ってことだ。おそらくな」
 森富の見立ては正しいと思った。このテロリストグループは政府に制裁を与えに来たのだ。心当たりはいくらでもある。
「しかし、こいつら……だれでしょう?」
 幡多はテレビ画面を指差しながら言った。今度は内部、衆議院の本会議場が映し出されている。背広を着た議員たちがひしめく席の間を、珍妙なキャラクターたちが武器を手に歩き回っている。どうにも現実味を欠く光景だ。 
「全員ふざけた扮装してるな。ま、すぐ分かるだろう」
 森富は、幡多と違うことが気になっているようだった。
「とにかく……竹田さんを無事に救い出したい」
 幡多は内心呆れた。どうしてここまで忠誠を誓う? 隠然たる力を奮い続けているのは馬鹿でも分かる。先輩たちの口から最も多く出る名前なのだ。おかげで、公安部全体に竹田の影が漂っているかのようだ。
 警察官僚と与党は蜜月の関係にある。この二十年はそれが顕著だ。警察を手足のように使ってこそ、今の政府の安泰がある。汚い手段だとは思うが、権力を維持するには賢い手だ。特に公安を思うままに活用している。様々な不祥事をもみ消し、目障りな人間に圧力をかけるのには最適。
 公安の歴代幹部の指揮のもと、幡多の先輩刑事たちが暗躍し、コンプライアンスを飛び越えたダーティワークに手を染めてきた。いやと言う機会もなく手伝わされたのだろう。まもなく自分にもお鉢が回ってくることを幡多は知っていた。お前が主導してやれ、といずれ森富に命じられる。あからさまな汚れ仕事を任されたとき、果たして自分は全うできるだろうか?
 そのとき考えるつもりだった。真面目に悩むと病んでしまう。心を麻痺させつつ、知り得る全ての情報を自分のよろいにする。そう執念を燃やすことで自分を守っていた。組織にただ利用されるつもりはない。最も大事なのは自分の身の安全だ。
 したたかになる。生き延びる。勝つ。
 だが、どうしてもやれない任務を命じられたら?
 たとえば、無辜むこの市民に冤罪えんざいを着せるような? 真面目なジャーナリストに悪い噂を立て、強制退場を強いるような仕事だったら? 最後は自分の良心との対話になる。どうしてもできなかったら、辞職するしかない。
 ただし厄介なのは、公安に何年か在職しただけで、すんなり退官するのが難しくなることだ。秘すべき捜査機密を山ほど抱えてしまう。先輩や上司からも、辞めるともっと面倒なことになるぞと脅されたり、懐柔されたりする。
 いざとなれば仮病でも何でも使ってやる。幡多はそう決意していた。毎日精神科に通って診断書を突きつけるぐらい、やるつもりだった。
 いまはともかく、降りかかってきた火の粉を払う。長らく勃発しなかった組織的テロが、国政の中心地を占拠してしまった。世界に発信される大不祥事をできるだけ早期に収めるのが自分たちの役目。 
「四課がモニタ室を作ってくれたから、行くぞ。外事四課も来る。外国のテロ勢力が入り込んだって可能性もあるからな」
 森富が促し、幡多は黙って従った。公安四課は資料探索とデータ統計専門の部署で、ハイテクに優れる。国会のテロ監視のためのモニタルームを大急ぎで作ってくれた。そこに外事四課が来るのも当然の成り行きだ。海外からの危険分子を事前に察知して監視する部署だが、今回のテロは予測できなかった。海外の勢力が絡んでいるか否か、まだ不明だ。
 警視庁中層階の中規模会議室に集められた十台ほどのモニタには、テレビ局やネットメディアの報道映像が映し出されている。幡多充は素早く、すべての画面をチェックしてソースを確認した。どんな情報も見逃したくない。もちろん録画もしているはずだが、これから一分一秒を争う。瞬時に判断して対処しないと。
 地上波やネットメディアの映像だけではない。国会の外の防犯カメラも、内部のカメラも一部、生きているようだ。その中にひときわ、独特な臨場感を放つ映像があるのに気づく。
「これは……」
 幡多が訊くと、察した四課の男が言う。
「テログループ自身が発しているチャンネルです」
 なんと、独自にネット配信をするテロリストだ!
「ふざけやがって」
 上司の森富の顔が怒りで歪んだ。すっかりメンツを潰されたと感じている。
 この部屋だけでなく、公安部のフロア全体の空気が張り詰めているのを幡多は感じた。一昨年、元首相が暗殺されて以来の緊迫感だった。
 時間を追うにつれ、各課の刑事たちの出入りがますます激しくなる。いろんなアングルから生々しくテロを観察することができるから当然で、幡多はぜんぶのモニタをチェックできる場所に陣取ってウォッチを続けた。一般傍聴席が映ったのに気づいて思わず身を乗り出す。知っている顔を見つけたのだ。しかも最近、直接話をした男だ。いつも手放さない杖は見えない。自分の席の後ろ側に立てかけているのか。深刻な眼差しをしている。無理もないが、表情に怯えは見えなかった。肝っ玉は認めなければならない。
 この男の名は春宮唯士。三十代半ばのフリージャーナリストだ。 
 体格は小柄で痩せている。生まれつき脚に障害を持ち、杖に頼らなくてはならないことも影響しているのか。だが、これほど骨のあるジャーナリストはいないことを幡多はよく知っている。今日は記者席ではなく、一般傍聴席のほうにいるようだ。記者席がいっぱいだからか?
 いや。彼の横に並ぶ顔を見て意味が分かった。なんと挑戦的なメンツだ、と幡多は舌を巻く。国会の初日に、与党に対して複雑な感情——はっきり言えば、恨み——を持つ面々を引率してくるとは。
 メディアに顔を出していない人間も、幡多には見分けがつく。そこは公安の特権だ。春宮の隣に座っているのはだれあろう、六年前に自殺した地方公務員の妻・すみもとしゆうだった。彼女の夫は上司に公文書改竄かいざんを強いられた。
 その隣にいるのはカルト教団の元・二世信者。中でも、教団からの被害を積極的に発信してきた勇気ある女性だった。メディアには顔を出していないが、素顔も本名も幡多は把握している。くるまさ。現在はシングルマザーだ。 
 その他にも数名、見知った顔があった。どれもきな臭い。それにしても、よく集めた。与党にいきどおっている者ばかりだから、議員の顔なんか見たくないという者もいるはず。春宮をしたっていなければ、こんなふうに国会を傍聴しには来ないだろう。やはり信頼の厚いジャーナリストなのだ。

 

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