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「あれっ、変だぞ」
「危ない」
 議員控室で待機していた秘書たちから声が上がった。
 ほとんどの秘書がテレビ中継の首相演説を眺めていたが、手元の原稿に目を落としつつ、演説を続けていた首相が激しく瞬きし、ふいに言葉に詰まり、嘔吐えずくような仕草を見せたのだった。
 知念も食い入るように見ていると、首相のすずなおゆきはふいに白目をいた。
 すぐに正常に戻り、また演説に戻るが、今度は足許あしもとがふらつきだした。一瞬肩ががくりと下がり、やがて戻る。だがついに、片手で口を押さえた。戻しそうな人間がやる仕草だ。
「気分が悪いのか?」
「倒れるんじゃないか」
 だれかが言った途端、ほとんど膝をつかんばかりに首相の上半身が傾いた。
 首相の横で見守っていた衛視や、前方に座っていた若手議員が壇上に上り、首相の肩に手をかける。真後ろにいる議長が驚いて身を乗り出し、上から首相の様子を覗き込んで何事か話しかけた。
 首相の反応はかんばしくない。また白目を剥きかけ、それからいやいや、と正気に戻ったように首を振る。
「大変だ……救急車を!」
「もう呼んでるだろう。衛視が伝令してる」
 秘書たちは、与党と野党とを問わず大声を上げた。
「前代未聞だな……このあとの予定はどうなる?」
「体調が悪いのに、無理を押して……」
 感極まったような声を出したのは、岡逸子だった。
「首相演説を、勤め上げようとなさったのね。おいたわしい」
 あからさまに持ち上げるような物言い。この女性はつくづく、与党に身を捧げている。周りに聞こえるように言っているのがミソだった。忠誠心のマウントか。ふん、と鼻で笑いたくなって、知念は自分を律した。これ以上目をつけられると面倒だ。
「救急隊はまだか?」
「先生方も不安になってるぞ。確かめよう」
 本会議場の様子を見に行こうと出口に走る若手の秘書もいれば、スマートフォンを取り出して衛視の事務所、あるいは救急の電話番号にかけ出す者もいた。
 知念はただテレビ画面を注視していた。テレビ局のスイッチャーが首相の様子を映し続けるのを避けたようで、本会議場の別の場所を映し出す。議員たちが心配げに演壇を見つめている。知念のボスの猿橋庸治の姿も映った。口を開けて成り行きを見守っている。
 すると突如、衛視たちを突き飛ばす勢いで本会議場に雪崩なだれ込んできた者たちがいる。救急隊だった。国会からの要請だ、全てを差し置いて最優先でやって来たのだろう。いまや首相は自分で立っていられない様子だ、救命救護は決して大げさではない。持ち込まれた担架に乗せられ、救急隊員によって手際よく運び出されてゆく。
 そこでテレビ画面が唐突に切り替わり、臨時ニュースになった。公共放送のアナウンサーが深刻な面持ちで、首相の様子が急変し運ばれたことを伝えた。
 当事者には特権がある。実際に国会の中にいる秘書たちは、ここぞとばかり控室を出て本会議場の扉を見た。首相を乗せた担架が出てきた。廊下にすでに止めてあったストレッチャーに乗せられて、たちまち首相が運ばれていく。衛視たちや、議場から出てきた議員たちが心配げに見送っていた。
 知念拓海はストレッチャーの行く先をじっと見つめた。中庭上部の廊下を駆け抜け、エレベータに詰め込まれたストレッチャーと救急隊員たちが、閉まる扉で隠されるまで目を離さない。エレベータの階数表示が一階に向かう。もちろん、外に駐まっている救急車に乗せられるのだろう。救急車はおそらく、最寄りの大病院に向かう。赤坂かとらもんあたりか。
 ところが——エレベータがすぐまた二階に戻ってきた。扉が開く。
 わらわらと出てきたのは、国会では絶対に目にしない類いの、異様な風体の者たちだった。



 国会中継が臨時ニュースに切り替わり、ウェンディはぜんとした。
 首相が急病で倒れたことは明らかだった。演壇に立ったときは具合悪そうには見えなかったのに、だんだん様子がおかしくなっていった。体調の悪さを隠して立ったのだろうか? 国会初日の首相演説は重要。休むわけにはいかなかったという事情も分かるが、どうもに落ちなかった。
 国会はどうなる。おそらく、首相抜きでも続くだろう。この後は野党の党首演説も予定されている。中継も、段取りが立て直されたら再開するだろう。それまで待つしかない。だが、国会自体が中止になってしまう可能性もある。
 こんなことなら取材申請をして、議場に行けば良かった。どうせ国内の大手メディアが優先されるから、定員オーバーで断られていたかも知れない。しかし、中にさえ入れていたら。珍事をこの目で見られたかも知れない。
 待て。ウェンディは動きを止めた。友人が今日、国会入りしているではないか。
 いつもの記者席ではなく、一般傍聴席にいるかも知れない。有志の関係者を何人か連れて行くと言っていた。つまり、のちのちドキュメンタリーや長い記事、あるいは本にまとめるための下取材の一環だ。
 ウェンディは友人のジャーナリスト、はるみやただの番号をスマートフォンに表示させた。
 国会内にいるならきっと電話に出ない。そう思ったが、議事の進行が止まっている今なら出てくれるかも知れない。思い切ってコールしようとした。
 ところが、それどころではなくなった。国会中継がいきなり復活したのだ。
 ウェンディは我が目を疑う。映っている光景は確かに、さっきまでの本会議場だ。だが、国会では決してお目にかかれない人間が映っている。見覚えがあるキャラクターだ、黒い仮面を被り、口の部分が開いている。あれは——アメリカ発祥のヒーロー、Dr.ダークだ。
 しかしそれは顔だけで、身体の方は違う。憂鬱ゆううつもくなダークヒーローと同様の黒装束ではあるが、マントを羽織っていない。洗練されたボディスーツも身につけていない。ごくありふれた作業着姿だ。
 さらに違和感が増す。Dr.ダークが抱えているものに起因した。それは——銃。
 Dr.ダークは魔術で戦うので銃は持たないはずだが、明らかにサブマシンガンを持っている。連射に優れる極めて実践的な武器だ。それをテレビカメラの方に向けた。視聴者に向けてかくしているように映り、物騒極まりなかった。
『はいはい。中継を再開してくれましたね。ありがとうございます』
 声が響いてなおさら驚いた。いったいなにが起きている? ウェンディの興奮をなだめるかのように、その声は意外に理性的に響いた。
『テレビ局にお願いです。この中継は決してやめないでください。やめたら、人死にが出ます。だから放送は続けてくださいね!』
 続いて、議場内に響いたのは銃声。映っているDr.ダークが撃ったのかと思ったが、どうやら違う。もしそうなら、中継しているこのカメラのレンズにひびが入っているはずだが、無傷だ。カメラが少しズームアウトした。
 若手の女性議員が繰り返し悲鳴を上げている。自分の席の近くに、銃器を抱えた不審者がいることでパニックにおちいっている。Dr.ダークとは別に、仮面を被った人物が立っていた。同じくサブマシンガンを携えている。そちらが天井に向けて弾を発射したのだ。威嚇射撃——
 ズームアウトしたことで、国会内に現れた異様な人物はその二人だけではない。ざっと見ても五人いることがわかった。それぞれがまったく違うキャラクターで統一性がない。中でもウェンディの目を惹くキャラクターがいた。退場した首相に代わって演壇に立ったその姿は、とりわけ異質だ。なんと言っても、そのキャラだけがまったく有名ではない。だがウェンディはそれが何か知っていた。
 全身が灰色。恐ろしく地味だが、頭だけが異様に目立つ。国会議事堂の形をしているからだ。スポンジでできた被り物らしく、重くはないのだろうが、その角張り方がどうにも違和感を呼ぶ。生物と、レンガ大の無機物をキメラにしたかのような。
 そのキャラクターの呼び名まで知っていた。“コッカイくん”だ。
 数年前、選挙の投票率アップと、政治に対する興味をもり立てるために広く一般から案を募り、国会オリジナルのゆるキャラとしてコンペを勝ち抜いて具現化したが、残念ながら一般市民にはまったく浸透していない。
 ただし、議場にいる人間の大半は、さすがにそれが何か気づいたようだ。呆れて口を開けている。議員たちにとっても異質な存在なのに、いつの間にか我が物顔で演壇に立ち、
『抵抗したり、逃げ出さなければ危害は加えません。安心してください~~』
 と手振りを交えながら物騒なことを口にした。ところが、演壇のマイクは消えている。演壇の下にでも仕舞われたのか。 
 中継映像で見る限り、このコッカイくんの声はひときわ大きく響いている。ということは、国会の形をした頭の中にはインカムがあり、スピーカーとつなげて声を響かせているらしかった。コッカイくんがしやべればその声は議場中に届き、中継にも乗る。
 なんのショウが始まった? ヴィジュアルのせいもあって深刻に捉えられず、他のキャラが銃器を持っていてもどこか冗談のように見えてしまう。さっき天井に向かって撃ったのもただのフェイクで、モデルガンではないかと疑っている自分がいる。
『ここをどこだと思ってる!』
 そう怒りの声を上げる議員もいた。
『神聖な国会議事堂だぞ!』
『テロリストの真似か? 馬鹿はやめろ』
 広告代理店が血迷ってサプライズイベントを始めてしまった。あるいは、妙なパフォーマンス集団が紛れ込んできて勝手な見世物を始めた。そう判断しているらしかった。ウェンディも同意したくなる。こんなおどけた見た目の者たちが、深刻な危険をもたらすとは考えにくい。
『はいはい、騒がないで! どうぞ国会運営を続けてくださいね~』
 実際、おどけた声が議場に響いて緊張感を削ぐ。明らかにMCを自任しているコッカイくんが、演壇で手を広げた。
『代表演説、ここへ来て、続けてください。ボクのことはお気になさらず』
 テレビカメラが中途半端なズームアップでコッカイくんを捉えている。映していいのか? しかし映さずにいられない。そんな様子で。
 だれも演壇に上がってくる様子はなかった。 
『野党のみなさん? 時間は無制限ですよ。与野党を問わず、発言したい者は発言を許します。ふだん発言を制限されている少数政党には、良い機会ではないですか? 今日は我々がこの場を仕切らせていただきます』
 口調が丁寧なので調子が狂うが、完全に上からだった。 
『邪魔をする者、演壇に登った人の話を聞かない者、それからもちろん、眠りに落ちた者も、けしからんので殺します。さっき死んだ首相みたいにね』
『死んだ? 総理が?』
 議場が凍りつく。そうか、さっき運び去った者たちがこの一味だったとしたら? 首相の命運はこの者たちに握られていることになる。そう気づいてウェンディは戦慄した。
『嘘をつけ!』
『ここは……言論の府だぞ!』
 という声も聞こえたが、勢いはない。
『そろそろ理解して欲しい』
 沈黙が降りたところでコッカイくんは宣言した。
『この場はボクらが掌握したのだ。ボクらの許可なしに、キミたち議員はここから出られない。粛々と、演説、質疑、答弁にいそしみたまえ。それがキミたちの仕事だ』
『何が、目的だ』
 コッカイくんの斜め後ろ。閣僚席の方から声が聞こえた。
『お前たちは、何者なんだ』
 コッカイくんは振り向かない。妙に穏やかに言った。
『それは、だんだんわかりますよ』
『あのう、きょ、許可なしにここを出られないんですか?』
 おびえもあらわにコッカイくんに向かって訊いたのは、議場の下、演壇の近くの席に座っている若手議員だった。
『そうだよ』
 コッカイくんが、左右に長い国会頭を傾けながら頷く。
『ト、トイレは?』
『休憩時に一気に行かせる。臨時のトイレ使用を許されるのは女性議員と、健常者ではない議員だけだ』
『そんな馬鹿な!』
 すぐに異議が上がった。議場中から。
『ご老体が多い。休憩まで我慢できない者も多いぞ!』
 それはもっともな意見に聞こえたが、
『馬鹿者』
 厳かな罵倒が響く。初めて、コッカイくんから丁寧さが消えた。灰色の腕を固く組んで説教する。
『極端に男性議員に偏重している、しかも平均年齢が高すぎる。それが、そもそもの問題でしょう? あなた方がこの国のバランスを崩しているのです。この議場、ジジイ臭がキツくていられたもんじゃないですよ?』
 殴られたように黙る者が多い。恥じ入っているのではなく、むかっ腹を立てている。
『まあまあ、コッカイくん、そう感情的になるなって!』
 素っ頓狂な声が聞こえた。
『ここは国会だよ。コッカイくん、冷静に行こうよ。仕事は始まったばかりなんだからさ!』
 カメラがズームした。コッカイくんの肩が小刻みに動いていることにカメラマンが気づいたのだ。小鳥? ウェンディは首を傾げた。大きさは十五センチぐらいか。あのゆるキャラの肩に、あんなものが止まっていただろうか?
『いいや、ミンシュちゃん。この人たちが、わがままばっかり言うからさあ』
 コッカイくんは天を仰ぎ、自分の肩に話しかけた。 
『自業自得を身に染みて味わってほしいよね。男だけで固めたドドメ色の国会には、君だって飽き飽きだろ? ジジイを何割か強制排除して、ぜんぶ女性に替えるのはどうだい? いい案だろう?』
『そりゃ、悪くないとは思うけどさ。序盤でそんなに怒ってたら、もたないよ?』
 小鳥はなだめ役。というより、これは漫才コンビなのか? この国独特のコメディの形態、漫才。それをいまテロリストがやっているというのか。国会の真ん中で。 
『うん。その通りだね、ミンシュちゃん。気をつけるよ』

 

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