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5(承前)

 

 肩の鳥の名はミンシュちゃんというらしい。コッカイくんとミンシュちゃん。シニカルだ。
 平均年齢六十歳を超える面々はがんしよくなし。ただ呆然としている。
『さて、あなた方のような老い先の短い者に、人質の価値はあるかな? 悔しかったら証明してください。警察が突入してきたら、ボクらは躊躇いなくあなた方を殺すのでね。明言しておきます。突入はないと踏んでますけど。これだけ権力者が集まってて、一気に大勢が死ぬ危険があるとしたら、怖くて突入してくる部隊なんかない。つまり、助けは期待しない方が良いですよ』
『説明しなよコッカイくん。大事なことをさ』
『わかったよ、ミンシュちゃん』
 おっほん、と国会議事堂の頭をした者が咳払いした。
『あなた方議員が、ここから無事に帰れる方法はただ一つ。裁判で無罪になることです』
『裁判だと?!』
 口々に声が漏れる。コッカイくんは両手でなだめる素振りを見せた。
『この議場はこれから法廷と化すわけです。被告人は、ここにいる全員。裁判官は全国民。以上です。おわかりですか?』
 ウェンディの全身を、生まれてから一度も味わったことのない衝撃が走り抜けた。
 響いてくる声はエフェクトがかかり、女か男かもわからないように加工されている。だが、リアルタイムでだれかが喋っていることは間違いない。ライヴ感がある。着ぐるみを着たコッカイくんの身振り手振りともシンクロしている。録音をただ流しているのでは決してない。
 スマートフォンで手早く“ミンシュちゃん”を調べた。コッカイくんを画像検索すると元のデザインにしっかりあった。だが名前はつけられていないようで、そもそもはデザイン上の飾りの扱いだ。そんな小鳥に、このテログループはあえて民主主義の“民主”と名付けた。そして人格と役割を持たせた。これが一人二役なのか、実際に二人のテロリストが掛け合いで喋っているのか、ウェンディには判断がつかなかった。ミンシュちゃんの声は小鳥というキャラに合わせて少し甲高いが、コッカイくんの声の主と別人である証明にはならない。
『そうか、裁判やるんだね。どんな裁判?』
『もちろん、議員の罪を裁く裁判さ。最高刑は死刑だよ』
『へー。民主主義とは、血を流さずに獲得できるものではない。って言いたいわけ?』
『そうだよ』
“二人”は頷きあった。戦慄が続けざまにウェンディの背中を走る。 
『僕らの国が、真の意味で民主主義国家であったことはないけれど、今日からはその限りじゃない。生まれ変わる! 大量の血を流した代償に、ね』
 づらは子供番組にふさわしいのに、話している内容は物騒極まりない。冗談でないことは、すでに銃撃が天井の一部を破壊したことから証明されている。首相は死んだともアナウンスされた。本当かどうかは分からないが、担架で運ばれたあとも彼らの手中にあるのなら。救急隊員もテログループの一員だった。 
『おい! 頼む。総理は生きてるんだろう。死んだなんて嘘だな?』
 だれかが悲鳴のような声をあげた。
『私たちを脅すためだろ? 総理は無事なんだ。そうだろ?』
『総理は死にましたよ。ボクらが演台に仕掛けておいたもののせいでね』
 コッカイくんはあっさりしていた。
『苦しそうにしてたでしょ。吸ってはいけないものを吸ったんですよ』
『嘘だ』
『まあまあ。あとで見せてあげますよ。彼が死んだという証拠をね。そう慌てないで』
 これは長い一日になる。
 退屈さは消えたが、こんな興奮を求めていたわけではない。ウェンディは濃いコーヒーを欲した。はるか昔にやめたタバコを欲した。この国に来てから、これほどまでに得体の知れない事態にあったことはない。
 テレビカメラがゆっくりパンする。議場全体を舐めるように。だれかの指示だろうか。それとも、カメラマンが自分の歴史的使命を自覚したせいか。
 レンズはやがて、一般傍聴席にも向いた。
 画面の中によく知る顔を見つける。
 春宮唯士!



 エレベータから、階段から、異常な風体の者たちがうわっと一度に現れたとき、秘書たちは口々に悲鳴を上げた。逃げ場もない。駆け寄ってきたホッケーマスクの男に銃を突きつけられて、全員があえなく議員控室に押し込まれた。そのまま外から扉を閉められる。
 よく考えれば情けない。自分たちのボスのことなど完全に忘れて手近の部屋に逃げ込んだ形だ。部屋に残っていた秘書たちは、恐怖のあまり机の下に潜り込んだりしていた。とてもボスには見せられない姿だ。
 秘書はSPではないのだから非難はできない、と知念拓海は思う。身近に迫った暴力に対抗する術はなかった。
「どうする?」
「本会議場の先生方が……危ないぞ!」
 口々に言い出す。危機感は共有している。与党の秘書であれ野党の秘書であれ、テロに直面すれば立場は同じ。だが、銃の前で何もできないのも同じだ。
「狙いは、先生たちか? やっぱり」
「そうだろう。人質にとって、立てもる気か……」
 そこで銃声が聞こえ、実際に銃が発射されたという事実に震撼しんかんする。全員の目が本能的な恐怖ですぼまった。目的はぎやく​殺さつか? という考えが全員の頭をよぎったことだろう。最もひどい悪夢は、議員に続いて自分たちも標的になること。のちに威嚇射撃だと知るのだが、女性の秘書たちの中には泣き出す者もいた。
 男たちは顔を見合わせる。ここから飛び出して様子を見に行く。あるいは、ボスを助けに行く。どちらの勇気もない。撃たれて犬死にはしたくない……いや、できることはないか? 骨のある秘書たちが動き出した。ベテラン秘書たちが一斉に自分の通信機器を使い、メールやLINEで連絡を始めた。SNSも使い出す。人脈にものを言わせる気だ。あの恐ろしげな扮装をしたテロリストたち——ホッケーマスク以外にも、様々な扮装をしている者たちがいた——がこの部屋に飛び込んできて通信機器を徴収する可能性にみんな思い当たっている。外部と通じさせないためにいずれ取り上げられるのではないか。だからいまのうちにSOSを発し、助けてもらわなくては。考えていることは一緒で、やがてほぼ全員が自分の通信機器と首っ引きになった。
「テレビを見ろ! 中継してるぞ!」
 だれかが気づいて大声を上げた。テレビ画面を見ると信じがたいことに、テロリストたちが占拠している本会議場が生放送に乗っていた。テロリストが要求したことだと悟り、だれもが中継から目を離せなくなる。
 自分のスマホで盛んに何かしていた岡逸子も、爛々らんらんとした目でテレビに釘付けになった。
「どうにか……猿橋先生だけでも、救い出したい」
 近くに立っていた知念拓海は、思わず呟く。
「なに言ってるのよ!」
 聞きつけた岡逸子が噛みついてきた。
「いてもいなくても同じような人……そんなのより、瓦崎先生を! 国の未来のために……」
 これには他の秘書も反応した。だれだって自分のボスが大事だが、岡は度が過ぎた。ふだんから態度に出しすぎなのだ。内心反感を持っている秘書は大勢いる。知念も岡逸子を罵倒したくなったが、くだらないと自分をなだめた。他の秘書たちに目を向ける。強張った顔が並んでいる。自分たちはいま、故郷を失って放浪する部族だと知念は思った。ならず者が怖くて動けない。すぐ隣で起きていることをテレビ中継で確認している始末だ。画面の中でうごめく異形たちをじっと見つめながら、知念拓海は自分にふさわしい行動について考えた。
 常に真ん中に映っている、灰色の奇妙なキャラクターのセリフに耳を傾けてみる。ところが、バタン! という派手な音に耳をつんざかれた。議員控室のドアがいきなり開いたのだ。
 入ってきたのは、ホッケーマスクの恐ろしい姿。
 そのすぐ後ろには、ピエロの恰好をした者もいる。
 女性秘書がことごとく悲鳴を上げた。

 

『処刑国会』は全4回で連日公開予定