「パパ、早まらないでください。今夜は犯人探しをするために集まったんじゃないでしょ」
 慌ててパパを宥めた。
「投書があったことを知って、私も心配になってママに電話しました。そしたらここ一週間ほど、真由美ちゃんが来てないって聞いて、心配になって、パパに話してこの人たちに今夜集まってもらったんですから」
 先ずは真由美ちゃんに連絡して事情を訊くことが最優先だ。
 この中の誰かだったら、連絡先を知っているのではないかと私は考えたのだ。
「オメェらの誰か、真由美の連絡先を知っている奴はいねぇのかよ。俺たち夫婦は連絡先どころか苗字も知らねぇんだ」
 パパが問い掛けたが、全員が顔を見合わせてから首を横に振った。
「なんでぇ、使えねぇ野郎どもだな」
 大袈裟にため息をいた。
「ゴメン。遅くなったよォ」
 閉店で閉まっていたガラス戸が開いた。
 入って来たのは『あじろ』の隣のビルでスナックを営むゆきママだった。
 今夜は赤で縁取った黒いチャイナドレスに身を包んでいる。大きく切れ込んだ胸元から覗く谷間が悩ましい。
 美雪ママは中国福建省の生まれで、インターナショナル・スナックと銘打って、日本、中国、フィリピン、タイ、ベトナムなどの女の子を集めて営業している。隣のビルも含め、この界隈で三店舗を持っているやり手ママだ。スナックとは名ばかりでいちゃキャバだと『あじろ』の常連客から聞いたことがある。
 三店舗を毎夜巡回していて、その合間に『あじろ』にも寄る。
 売りにしているモツ煮込みを食べに寄るのだ。
 露出度の高いドレスで飛び込んでくるのだから、たいていの客は一瞬箸を止める。口元まで運んだグラスも止めてしまう。
 美雪ママはそんなことには頓着もしないし、『あじろ』でアルコールを飲むこともない。
「モツ煮込みはビールに合いますよ」
 そんな風に勧めたこともあるが、「アルコールはお金をもらって飲むものだよ」と、断られた。美雪ママの店ではビールの小瓶一本が三千円だと鼻で嗤われた。
 緊急事態宣言の折には店を閉めていたが、今では再開している。
「よぉ、来たね。残念ながらモツ煮込みは終わっているがな」
「アタシが呼んだんだよ。空いてる時間に来てくれってね」
 ママがパパに言った。
「なんでだよ」
 パパは不満げだ。
「この通りのことは、この人がいちばん知っていると思ってね」
「てやんでぇ、俺の方が詳しいのに決まってんだろ」
「通りの成り立ちに詳しいとかじゃないよ」
 美雪ママの店の女の子達は通りを行き交う男たちを物色している。どうやって見分けるのか、カモになりそうだと思った男に声を掛ける。
 それに応じて立ち止まった男の腕を引っ張るような真似までする。東京都の迷惑防止条例など気にもしない。腕を引っ張る役の女性もひとりや二人ではない。的にした男に群がるようにして、店に連れ込むのだ。
『あじろ』の常連客の何人かも、店を出た途端に取り囲まれ、連れ込まれる姿をガラス戸越しに何度か見たことがある。
 聞けば連れ込みに成功したら、その客の売り上げの二割が供託され、月末に、女性達にキックバックされるらしい。そりゃ本気にもなるわと私は納得させられた。それと同時に、美雪ママの経営者としてのセンスの良さに感心した。私もこの通りのいちゃキャバでキャッチをしていたが、客を店に連れ込んでもバックはなかった。逆に店がヒマな時など、耳に挿したインカムで「真面目にやっているのか」などと催促されたくらいだ。
 店にまったく客がいない状態を業界用語で『テンカラ』と言う。「テンカラだよ。テンカラ。分かってんの?」などとインカムで嫌味も言われた。分かっていないはずがないではないか。キャッチをしている私は、常に店内のキャストの数と、お客の数を把握しているのだ。
「美雪ママんところの娘さんらに、ウチに出入りするお客さんで、真由美ちゃんにつきまとうような怪しげな人はいないか、聞いてもらったんだよ」
「なるほどね。で、どうだったんだい?」
 パパに訊かれた美雪ママが即答した。
「スケベはいないって言ってたよ」
「あったりめぇじゃねえか。ウチの客に限って、そんなストーカー野郎はいねぇよ」
 腕組みをしたパパが自慢げに胸を張った。
「そんなウチのお客さんをいの一番に疑ったのは、どこのどちら様でしたかね」
 ママの嫌味にパパがバツの悪そうな顔をした。逆にカウンターの男たちは喜色満面に溢れている。
「それより景気はどうなんだよ」
 話題を変えたいのがミエミエのパパが美雪ママに問い掛けた。
「ぜんぜんだよ」
 天を仰いだ美雪さんが、緊急事態宣言で帰国していたキャストが日本に戻って来ないのだと嘆いた。これからはもっと厳しくなるだろうとも言った。コロナ禍に加え、在宅勤務で客が減り、そして円の価値が下がり、日本は稼げない国になったらしい。
 さすが言うことが違うわと感心させられた。
「それじゃ、インターなんちゃらも看板に偽りありじゃねぇかよ」
「そんなことないよ。ワタシの知り合いに声を掛けて、中国からはるさんが来てくれたよ」
「春子さんって、あの春子さん?」
 思わず問い返してしまった。
「そう、ベテランの春子さんね」
 春子さんはベテランなんてもんじゃない。もう何回目の来日になるのだろう。
『スナック美雪』の店長をやっているリンさんに教えてもらったことがある。
 リンさんははやしさんという名の日本人男性だ。でも店ではリンと名乗っている。
 話によると、春子さんは高校生のお孫さんまでいる高齢者らしい。しかしスタイルが抜群に良く、その美貌と相俟って、二十八歳と自称し、店ではなかなかの売れっ子だと聞いた。肌も艶々している。私は通りでしか見たことはないが、二十八歳はさすがに無理だとしても、三十代後半と言われたら疑わないだろう。薄暗い店内で、しかも酒に酔っている男なら、コロリと騙されるのに違いない。
「そういや、フィリピンの娘も最近見掛けねぇな」
 パパの言葉に美雪ママが反論する。
「ちょっと前にマリアという娘が入店したよ。まだ二十二歳のピチピチよ」
「そんな若ぇ娘さんが、フィリピンくんだりから出稼ぎにきたのかよ」
「だいたいそんなものよ」
「だいたいってどういうことなんだよ」
 真由美ちゃんの話を置き去りにして二人の会話が続く。
 私も常連の男性三人も置き去りだ。
「お母さんがフィリピン人でお父さんがスペイン人よ」
「ならハーフじゃねぇか」
 スゲェな、とパパが感心した。
「そうだよ。日本で生まれて日本で育った娘だけどね」
「なるほど、だからだいたいか」
 マリアは長く日本にいる母親が名付けた本名だが、日本育ちなのでお触りは苦手らしい。他にもフィリピーナはいるが彼女らは日本人と結婚している。全員がそこそこのオバサンだ。今の若手の主流キャストは全員日本人らしい。
「おいおい、そんな連中の情報、当てになるのかよ」
 パパが呆れ顔でママに言った。
「けっこう毛だらけ猫灰だらけだよ。さっき自分の店の客にスケベはいないと言われて、鼻の穴膨らませたのはアンタじゃないか」
 さすがに我慢できなかったようでママが言い返した。
 浅草生まれで江戸っ子を気取るパパだが、ママだって浅草生まれだ。お父さんもお母さんもお祖父じいさんもお祖母ばあさんも浅草生まれで、チャキチャキの江戸っ子なのだ。
 カウンターの上で美雪ママの携帯が鳴動した。
「リンちゃんからだ」
 誰にともなく呟いて携帯を耳に当てた。
「うん、分かった。すぐに行く」
 短く応えてガンちゃん、小林さん、杉山さんの背中に抱き付いた。
 胸を押し当てながら三人の耳元で「また来てね」と言って外に駆けだした。

 

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