なんて恐ろしい。電話口で照子てるこは声を震わせた。
「聞いてるだけで背筋が寒くなるわ。恐くて今、庭が見られない」
「でしょう。私なんか昨日は雨戸を開けられなかった。いつまでもってわけにもいかないから今日は開けたんだけど、風が吹いて庭の葉っぱが揺れるたびにぞっとするの」
 電話の相手は女子校時代の友だち、上野うえの順子じゆんこだ。結婚して姓が変わり今は町田まちだに住んでいる。互いに八十四歳になり、どちらも一軒家にひとり暮らし。その順子の家に、つい一昨日、不審者が現れたという。
 時間は夕方の四時過ぎだそうだ。十月の今はまだ日暮れ前だけど、一昨日は小雨がちの曇天ですでに薄暗かった。二階で片付け物をしていた順子が、一階のリビングルームに降りてくると庭先で何かが動いた。カーテン越しに人影だと気付き、ぎょっとする。住まいは住宅街の一角にあり、敷地はブロック塀にぐるりと囲まれている。無断で庭に入り込むような知り合いはおらず、近所の人ともそんな付き合いはしていない。ふらりと立ち寄るような身内もいない。
 リビングの入り口で固まっていると、人影は居間の掃き出し窓に近づき、ガラス戸を動かそうとした。鍵が閉まっていたのでびくともしないが、それとは別に台所の方から物音が聞こえ、勝手口のドアノブを回す音がした。
 不審者は複数いて、家の中に入ろうとしている。勝手口のドアにも鍵がかけられていたが、どこかにかけそこなっている場所があるかもしれない。なければ窓ガラスを割ってでも入ってくるかもしれない。恐ろしさに震えながらも順子は機転を利かせ、スマホを手に風呂場に向かった。内側から鍵を閉めて警察に通報し、近所の人にも電話する。そこのご主人がゴルフクラブを手に様子を見に来る頃、パトカーがサイレンを鳴らして近づいてきた。
 不審者はその音に気付いたのか、すみやかに退散したようだ。順子は無事に救出され、被害の類いはなかった。けれど家の周りに足跡が発見され、複数人が敷地内をうろついたのはまちがいない。
「脅すつもりはないんだけど、照ちゃんもひとり暮らしでしょ。気をつけてね。誰かと一緒に住むのが一番の安全なんだろうけど。こればっかりはね。私もよ。お互いしっかりして、また次に笑顔で会えるよう頑張ろうね」
 励まされる形で電話は切れた。照子は受話器を置いたあともしばらく動けなかった。おそるおそる庭に目を向ければ、そこに誰かがいるような気がしてならない。これまでも物騒なニュースを見聞きするたびに不安にさいなまれていたが、親しい友だちが遭遇したとなると、明日は我が身と思ってしまう。どこかに逃げ出したい衝動に駆られるが、そのどこかに心当たりはなかった。
 照子は二十二歳で四つ年上の副島そえじま永一えいいちと結婚し、当初は大田おおた区内にある賃貸住宅に住んでいたが、夫の両親が郷里の静岡に帰ることになり、それまで住んでいた狛江こまえ市の家を譲ってくれた。子どもたちが小さいうちは両親の使っていた平屋で暮らしたものの、成長するにつれて狭くなったので二階建てへと建て替えた。それが今の住まいだ。かれこれ四十年前になる。
 その後、次男の貴宏たかひろは食品会社に就職し、長野県にある研究施設で働いて、今では五十代も後半だ。息子がふたりいる。
 末っ子の裕美子ゆみこは、大学時代の同級生と結婚して千葉県に住んでいる。十五年前に夫が会社を辞めてパン屋さん、今風に言えばベーカリーショップを開いた。やっていけるのかしらと案じたが、なんとか存続している。こちらには娘がひとりいて二年前に結婚。今はお腹に赤ちゃんがいる。初めてのひ孫になる予定だ。
 そして一番上の子、長男の光昭みつあきは、千葉よりも長野よりも遥か遠く、日本を飛び出し時差が七時間もあるイタリアに住んでいる。子どもの頃から絵が好きで、長じて美大に入り、卒業後は就職もせずアルバイトで稼いではそこかしこをほっつき歩いていた。三十代ではフランスのプロバンスにいたはずだが、いつの間にかイタリアの工房で陶器に絵付けをする人になっていた。
 一度だけ、夫と訪ねたことがある。夫は七年前に亡くなったが、それより五年ほど前になるだろうか。イタリアの中でもあのとき光昭がいたのはフィレンツェ市内で、歴史的建造物はもちろん、石畳の路地から夕日を映したアルノ川まですべて美しく、二週間に及ぶ滞在は思い出深いものになった。
 そんなふうに子どもは三人いたものの、みんな成長して照子のもとから巣立っていった。各自が家庭やら仕事やらを得て、元気で暮らしているのは何よりだ。ごく自然にそう思い、慣れ親しんだ自分の家でのんびり過ごしていたのだが。
 ここにきて、事態は一変した。