第一話 手習所てならいじよ勇源堂ゆうげんどう」の師匠ししよう 



「兄さま!」
 上り坂の少し先のほうで、妹の理世りよが振り向いた。日傘ひがさの影の下、白く小さな顔は、嬉しそうに微笑ほほえんでいる。
 大平おおひら将太しようたは、まぶしく感じて目を細めた。
「どうした、理世?」
江戸えどにも坂道があるとね。この道、長崎ながさきに少し似とる」
 はなやいだ声を弾ませ、踊るように日傘をかかげる。年は十八。娘らしい島田しまだまげに結った髪は、日の光を浴びると、不思議な風合いにつやつやと輝いた。髪がいくぶん茶色がかっているためだ。
 理世が、生まれ育った長崎から江戸へ出てきて、そろそろ十か月になる。近頃では、お国訛くになまりを出さずに話せるようになってきた。
 ただ、すぐ上の兄である将太の前では、時折こうして肩の力を抜き、ぽろりと素地そじをのぞかせもする。
 武家らしくお堅い両親であれば、理世の言葉遣いをとがめるところだろう。だが、将太は何も言わない。理世が話しかけてくれるのなら、お国訛りだろうが江戸の言葉だろうが、オランダ語や唐話とうわであったって、かまわない。
 将太は、理世の日頃のおしゃべりに出てくる場所を頭に思い描いた。出歩く先は、さほど多くない。いずれも本所ほんじよ亀沢かめざわちようにある大平家の屋敷から遠くないあたりか、別邸のある亀戸かめいどの近所ばかりだ。
「本所や亀戸は平らだからな。江戸にも坂がちなところはあるが、理世は出向いたことがなかったか」
「なかった。あんまり遠出はしとらんと。湯島ゆしまも初めてよ」
「そうか。勇実いさみ先生に招いてもらえて、ちょうどよい機会になったな。今日はよく晴れているし、景色もきれいに見えるな」
「はい!」
 湯島天神てんじんの高台へと続く急な上り坂をものともせず、理世は軽やかに足を運んでいく。
 初秋七月の昼八つ半(午後三時頃)。西に傾きかけたお天道さまが、木漏こもとなって降り注いでいる。
 せみしぐれは、真夏のいっときよりは静かになってきた。しかし残暑はまだまだ厳しい。日差しが強く、ちょっと外を歩いただけで、汗が噴き出す。
 将太は二本目の手ぬぐいを取り出し、顔や首筋の汗をぬぐった。若武者で筋骨きんこつ隆々りゆうりゆうとした将太は、人より汗かきだ。暑い時季には、手ぬぐいが何本あっても足りない。
 千紘ちひろが息を弾ませている。
「ちょっと待って、理世さん。わたし、この坂道をそんなに早く歩けないわ」
 苦笑する千紘は、今では若妻らしく丸髷まるまげを結っている。つい二月ほど前、幼馴染おさななじみの矢島やじま龍治りゆうじとついだのだ。祝言しゆうげんを挙げたのは、梅雨つゆ五月さつきの晴れ間の吉日だった。
「すまないな。理世は久しぶりにゆっくり出掛けられるとあって、はしゃいでいるんだ」
「はしゃいでいるのはわたしもよ。気持ちだけはね」
「長崎は坂の町なんだそうだ。理世はこういう道に慣れているんだろう」
「身が軽いわよね、理世さん。踊りか何か、ずっと稽古けいこしてきたのではないかしら」
「ああ、そのとおりだ。踊りをやっていたらしい。今はやめてしまっているが、体を動かすのは好きなんだとか」
「それに引き替え、わたしは踊りや剣術の稽古をしたことも体をきたえたこともないし、筆子ふでこたちの相手でくたびれ果てているんだもの。ゆっくり行くしかないわ」
 やれやれと頭を振る千紘の顔つきはほがらかだ。
 千紘は、将太とともに手習所「勇源堂ゆうげんどう」で筆子たちの師匠を務めている。今年の正月に突然、二人で手習所を取り仕切ることになったときは大変だった。余裕などあるはずもなく、お互い暗い顔ばかりしていた。
 あれから半年ほど手探りを続け、筆子たちとも話し合いを重ねた。手習所に勇源堂という名をつけた近頃になって、ようやくうまくいき始めた手応えがある。
 千紘とは同い年の幼馴染みで、気心が知れている。その気安さがあればこそ、どうにか力を合わせてここまで来られたのだ。
 理世は、足を止めてこちらを向いた。くるり、くるりと日傘を回しながら、将太と千紘が来るのを待っている。
 湯島天神にもうでてきたらしいどこぞの若旦那わかだんなとお供の小僧が、吸い寄せられるように、理世へまなざしを向けていた。
 無理からぬことではある。が、将太は眉間みけんしわが寄るのを感じた。
 なるほど理世は人形のように整った姿かたちをしている。それが笑ったり動き回ったりすると、はっと胸を打たれるほどに愛らしいのだ。
 しかしながら、理世は見世物ではない。見も知らぬ者がじろじろと無遠慮なまなざしを投げかけてくるのは、将太にとって気分のよいものではなかった。
 将太は声を上げた。
「理世、この兄からあまり離れるな!」
 若旦那と小僧がぎょっとしたのが目の端に映る。さもありなん。小さくて愛らしい理世とは裏腹に、兄と名乗った将太は六尺豊かな偉丈夫いじようふである。将太より背の高い者、胸板の厚い者など、めったにいない。
 鬼のような大男、と将太は自分を評している。
 だが、理世はそんな兄を少しも恐れない。
「はい」
 鈴を鳴らすように可憐かれんな声で返事をして、くるりと日傘を回す。
 姿かたちが似ていないのも当たり前だ。将太と理世は、血のつながった兄妹きようだいではない。理世は、江戸の旗本はたもとと縁づくことが決まったため、生まれ故郷の長崎を離れ、たった一人で江戸へやって来た。そして将太の家の養女になったのだ。
 結局のところ、縁談は相手方の事情のために反故ほごにされてしまった。行くあてのなくなった理世は、そのまま将太の義妹ぎまいとして、一つ屋根の下で暮らしている。
 新たな縁談が調えば、理世はそちらへ嫁いでいくことになる。将太は、理世の兄として、めぐり会ったばかりの義妹の行く末の幸せを願っている。
 だから、理世が本当に心を寄せる男が現れるまでは、将太が理世を守るのだ。
 かわいい義妹であればこそ。
 千紘が息を切らしながら、せかせかとした早足で理世のほうへと急ぐ。
 理世と千紘の荷物を持った将太は、千紘から遅れず、理世から目を離さないようにして、ずんずんと坂道を上った。

 将太は、本所亀沢町に屋敷地を拝領している御家人ごけにん、大平家の三男坊である。文政ぶんせい七年(一八二四)の今、年は二十。
 大平家は御家人の家柄であるが、三代前の当主、将太の曽祖父そうそふの頃からご公儀のお役にはいていない。曽祖父は医者として大成した。以来、大平家は腕の立つ医者を輩出はいしゆつする家柄として知られるようになっている。
 将太の父を筆頭に、大平家に連なる男は医者ばかりだ。
 唯一のはみだし者が将太である。
 将太は自分自身のことを、まだ何者でもないと思っている。二十になり、体のほうは抜きんでて大きいのだが、中身はいまだに中途半端なのだ。
 学問をかじりはしたし、手習所で師匠と呼ばれる身ではある。しかし、子供たちを教え導くどころか、子供たちから教わることばかりの毎日だ。
 いつになったら、自分を一人前だと認められるようになるのか。いや、そもそもそんな日など来ないのだろうか。
「何せ、俺は大平家の鬼子おにごだから」
 鬼子というのは、将太が幼かった頃、父が将太に向けて放った言葉だ。物心つくのが遅く、十を数えるあたりまでの思い出はほとんど曖昧あいまい模糊もことしているのだが、「大平家の鬼子」と将太を呼んだ父の声だけは、妙にくっきり頭に刻まれている。
 確かに、その頃の将太は、人の言葉の通じない子供で、鬼と呼ばれても致し方なかった。
 この口から飛び出すのは怒鳴り声かうなり声ばかりだったそうだ。じっと座って字を書くことも、ぜんの前から一度も立たずに食事を終えることさえ、ままならなかったらしい。
 しかも体ばかりは大きく、力の加減というものがまったくできなかった。じっとさせようにも、大人のほうが力負けして怪我けがをするありさまだった。
 言葉でいても駄目。力で押さえ込むこともできない。こんな将太に人間の知恵が備わっているなど、家族には信じられなかったのだろう。
「大平家の鬼子。人間の父と母から生まれた、化け物のような子供」
 そう呼ばれていた頃のことを、手習所や剣術道場の恩師たちに尋ねると、言葉を選ぶようなそぶりで「幼い頃の将太はなかなかの暴れ者だった」と言う。
 当時はどれほどまわりに迷惑をかけたことか。今となっては恥じ入るばかりだ。将太が教える筆子には、そこまで手を焼かせる暴れ者などいないというのに。
 だから、将太はきもめいじている。
「俺は、恩にむくいたい」
 あの頃の将太から迷惑をこうむりながらも、見放すことなく世話を焼いてくれた人たちには、必ず報いなければならない。家族にさえ見限られていた将太は、師と呼びうる人たちとの出会いによって救われたのだ。