最初から読む

 

 神社のすぐ脇、雪華せつか堂という和菓子店に寄り、自宅への土産に、昔みそまんじゅうと苺大福を買う。
 それから自分の楽しみに、半生だというめずらしい「あまなっとう」を選んだ。
 素材も大納言あずきやうぐいす、お多福や黒豆から、変わったところで落花生、生姜しようがなんかもある。
 そのうち三袋を選んで買い求めた。
 店を出て浅間神社の側へ戻り、富士塚の奥に面した通りを下る。
 通りから見上げれば、フェンスの向こうに窺える塚のサイズは、大体さっき思ったとおりで、ますます次の機会には登ってみたくなった。
 もっともその信仰の頂点、富士山頂にある浅間神社には、神話の女神、木花このはな咲耶姫さくやひめがまつられているのではなかっただろうか。
 たしか神武じんむ天皇へとつながる女神さまだ。
 安産のお祈りに訪れるのだったかもしれない。
 三兄弟、だれひとり結婚せず、子どももいないのに、安産や子育ての神様に祈願してどうするのだろう。それともいないから、祈願するのだろうか。

 細い路地から、小さな商店の並ぶ界隈に入ると、もう閉店したのか、定休日なのか、可愛らしいイラストがかかれたシャッターが、いくつか降りているのが見える。開いているのはラーメン店や寿司店など、飲食系のお店が多い。
 商店街の路地一本向こうが住宅地で、そこをふらり、ふらりと歩く。
 九十二歳になって、新平だって、決してこれまで通りということはない。
 以前からじーじー、じーじーうるさかった右の耳鳴りはどんどん大きくなっているし、左目の緑内障が進み、視界が狭まっているのを感じる。膝の関節がひどく痛む日もあったし、トイレはガマンしづらくなっている。いくら体を鍛えても、どうしても鍛えきれない部分はあるのだろう。
 でも、とにかく歩き、とにかくものを食べる。
「よく歩くね~」「よく食べるね~」と人から感心されれば、「歩けなくなったら終わりだよ」「食べられなくなったら終わり」と新平は必ず答えるのだったが、最近、ますますその気持ちは強くなった。
 もちろん誰しもが、スタスタ歩けるわけでも、バクバク食べられるわけでもない。何ごとにも、それぞれにちょうどいい速度がある。ただ新平自身は、これまでそうやって生きて、ずっと家族を守ってきた。
 妻と三兄弟がどう感じているかは知らないけれど、新平本人はそのつもりだった。



 ツタのからまった民家の前に、若い人が三人ほど並んでいるのが見えた。
 入口にだらりと長いのれんがかかっているから、住宅地にあるお店らしい。
 和風な青のれんに、白抜きで「パーラー」の文字が見えた。
 列のうしろにつき、ガラス戸の中を覗くと、おいしそうなパンを売っているようだ。さらに戸の貼り紙をよく見れば、カフェも営業しているようで、新平は店内でコーヒーを飲むことにした。
 民家を改造したのだろう、板張りの落ち着いた店内だった。
 若いスタッフが大勢立ち働いている。キッチンスペースの手前に薪ストーブが置かれ、小さな木のテーブルが四つ、五つほど。それとカウンターがある。カウンター席側のむき出しの天井から、細長い、しゃれたかたちの電球が吊り下がっている。一方、テーブル席のほうは、きれいなシャンデリアが照らしている。
 テーブル席に案内され、手書き文字のメニューを開くと、自家製ハムのサンドと、コーヒーのセットがあったので、新平はそれを注文した。
 若い女性店員から、パンを選ぶように言われ、メニューのそのページを開いてもらって適当に決める。
 コーヒーも同様だった。
 周りのお客さんのテーブルを見ると、ずいぶん大きなお皿に、サラダと、サンドの具もたっぷりな、分厚いパンがのっているので、楽しみになった。
 目を閉じると、ふと眠ってしまいそうになる。

 もしあのまま看取っていたら、と新平だって思ったことはある。
 そうすれば、妻も自分も楽だっただろうか、と。
 倒れたのは英子が八十八歳のときだったから、もしあのまま亡くなっても、世間からは「よく生きた」と言われる歳だっただろう。
 つらいリハビリを重ねてなお、自分ひとりでできることの少ない暮らしをつづけることもない。
 そもそも無理に生かすのがいいことではないと、新平自身は思うのだったが、それでも考え方の違う建二の強い要望で胃瘻の手術をうけさせたあと、「どうだった~?」と明るく感想を問う自称長女の次男に、「いたかった~」と童女のように泣いてアピールする妻の姿を見れば、不思議と「生きてこそ」とも思うのだった。
 なによりその甲斐あって、嚥下えんげの訓練もすすみ、食べたがりの妻が、念願の食事を口からもとれるようになった。
 食べたいというのは、つまり生きたいということだろう。
 だったら自分も、あとしばらく付き合おう。妻が食べたいのなら、食べさせてやる。
 コーヒーは食事といっしょに、と頼んだので、テーブルには水しか届かないまま、十五分ほど待った。もしかしたら、少し眠っていたかもしれない。
 そしてようやく届いた自家製ハムのサンドは、ハムが層になった分厚いもので、大量、と言いたくなる人参の千切りもいっしょにはさまっている、
 砂糖をたっぷり入れ、よくかき混ぜたコーヒーに、新平は口をつけた。
 うん、うまい。
 それから、予想外に固いパンに挟まれていたサンドイッチにかぶりつく。パンもそうだったが、ハムも想像とはまったく違う。むかし谷中やなかで見た観音寺の築地塀ついじべいのように薄い層を重ねたハムは、全体で一センチほどの厚さになり、ジューシーな肉のかたまりといったほうが近い。
 ほどよい脂と、レアっぽい食感の部分もまじるのが、肉好きの新平には好ましかった。
 人参は酢漬けになっているようだ。
 うん。うまい、とこれもうなずき、小麦の香る素朴な固いパンを噛みしめながら、甘いコーヒーを飲み、新平はまた目を閉じた。

 

この続きは、書籍にてお楽しみください