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 長男の孝史は、昔から引っ込み思案で、神経が細く、高校を中退してから、ずっと働かないで家にいる。
 家にいるまま、五十代も半ばを過ぎた。
 たいていは自分の部屋でラジオを聴いているか、クロスワードのパズルを解いているのだけれど、べつに攻撃性はなく、食事はきちんと一階の食卓でとる。むしろ、きちんと食事が出ないと様子がおかしくなるのが厄介なのだけれど、長年、世話を焼いてくれた母親に介護が必要になり、ほんのいくらかは、これまでより家のことを手伝うようになった。
 人の多い時間帯は嫌がったけれど、コンビニや近くのサミットにお弁当を買いに出るくらいのことは定期的にしているし、新平が、やれ、と命じれば、「雄三がやればいい」とか「なんで、俺ばっかり」とか文句を言いながらも、三回のうち二回、ないし一回は、洗濯機を回して、庭の物干しに、おそろしく雑な干し方をしている。
 あとでそれを留め直し、パンパンと手で叩くのが九十二歳の新平の仕事だった。
 それがかえって面倒で、はじめから自分で全部してしまうことも多かったけれども。
 新平が二階で開脚運動をしている間、居間で英子とテレビを見ているようにと頼めば、孝史はきちんと離れずにいてくれる。
 ただ、それ以上に気を利かせたり、なにか責任を持つことが苦手らしかった。
 これまでに事故はなかったけれど、英子にとつぜん問題が起きて、そばにいる孝史が判断できずに固まっている場面を想像すると、やはりあまり長い時間は任せられないなと新平は感じるのだった。
 それともこうやって、いつまでも面倒を見てしまう姿勢が、親として甘いのだろうか。まさか九十歳を過ぎて、まだ親の役目をするとは思わなかったが。

「あら、お父さん、運動終わったの?」
 三男を二階に残して下に戻ると、自称長女の建二がいた。
 LGBTの「T」だ。ずいぶん大きな、淡い桜色のセーターを着ている。
「ガシャンガシャン、やってたんでしょ」
「ああ、来てたのか」
「うん。時間が空いたから、ママのお見舞いに」
 長男の孝史と、車椅子の英子と一緒に、食卓に向かっている。もう、お茶をいれて飲んでいたようだ。
「いつも元気だよね、お父さん。相変わらず。九十二?」
「そ。十月で、九十三」
「びっくりだよね、九十代って、そんな歳には全然見えないもん」
「そう? 運動してるからな」
森光子もりみつこも、舞台ででんぐり返ししてたよね、九十歳近くまで。放浪記だっけ、はやし芙美子ふみこの。あと、スクワットは、ずっとつづけてたんでしょ、確か」
「スクワット?」
「うん。亡くなるまで。あれ? スクワットは黒柳徹子だっけ? ん。両方かな? え、どうしたの? お父さん。なに笑ってるの?」
「ふん、兄弟だな、やっぱり」
 新平は鼻を鳴らし、
「建二、おまえ、しばらくいるだろ」
 と言った。
「え? 今来たばっかりだし、本当は人に会う予定が急になくなって、ひまになって来たから、今日は全然平気だけど」
「じゃあ、ママを見ててくれよ、俺、ちょっと散歩してくっから」
 新平は言いながら、もうジャンパーを羽織り、グレイのニットキャップをかぶっている。「あと、ついでに洗濯しといて。雄三がポイポイ放り込むばっかりで、だいぶたまってんだ……」



 ちょっと散歩と言いながら、新平は最寄りの椎名町しいなまちから西武線に乗り、下り方向へ二駅で降りた。
 二階の自動改札を抜けると、少しだけキョロキョロして、北口、と書かれたほうのエスカレーターを使う。
 駅舎を出ると、すぐ右手に神社の石の柱が見えた。
 富士塚があることで有名な、江古田えこだ浅間せんげん神社だった。
 江戸時代の富士山信仰から、都内にはたくさんの富士山を模した塚があり、ここの富士塚は、そのうちでも大きなもののひとつとのことだった。
 本物の富士登山のかわりに、ミニチュアの富士塚を登り、山の神様にお参りしたことにする。
 今より宗教が身近で、旅が大変だった時代の、庶民の娯楽だったのだろう。
 柱を抜けて石畳の参道を歩けば、石の鳥居の向こうに、区の名木らしい大きなケヤキの木がある。ただ、暦の上では春といっても、まだ三月のはじめでは、葉はすっかり落ちたままだった。
 新平は手水舎ちょうずやで手と口を清め、がらんと広い敷地のわりには小さくも思える、木造の社殿に向かった。
 小さくも思える社殿に、ずいぶん立派なしめ縄がかかっている。
 九十代とはにわかに信じがたいほど、ぴん、と背筋をのばし、恰幅のいい新平は、からんからんと鈴を鳴らし、お賽銭さいせんを投げてから、深く二礼をし、大きく二回手を打つ。
 そのまま目を閉じて、手を合わせた。
 家族のこと、とくに妻の健康のことをしっかり祈る。
 目を開けると、新平はまた深く礼をした。

 富士塚はその右手奥にあった。
 年に三回、お正月三が日と、七月一日の山開き、九月第二週の例大祭の土日にだけ、登山することができるそうで、そのどれでもない今日、もちろん入口はふさがれていた。
 それでも白木の柵ごしに、先の様子が少し窺える。
 木の生い茂った丘を真ん中にして、左回りに進むようだ。入ってすぐ、小さな猿の石像が向かい合うのが一合目。
 そこから石の段を三つほど登り、細い山道を数メートル行った先、赤い鳥居が立つあたりに、二合目の石碑が見える。
 その先は奥に突き当たるようだったけれど、木の高さなんかから丘の全体像を推し量り、ぐるりと登山コースを想像して首を回すと
「うん。これくらいか」
 と、新平は納得した。
 これくらいの高さと距離ならば、まだ自分の足でも登れそうだった。
 さすがに今から本当の富士登山はできないだろうから、いよいよ足が衰えないうちに、いつか登山できる日を狙い、ここの富士塚をまた訪れたいと思った。

 以前は毎日のように、椎名町から池袋界隈まで歩き、好きなコーヒーを飲んだり、洋食を食べたり、顔見知りの女性店員のもとを訪れて挨拶をしたり、気になる建築物を眺めたりと、ひとり気ままな長距離散歩をしていた。
 帰りには、決まって明石建設の事務所にも立ち寄った。といっても、建築の仕事は七十代に入ってやめていたし、そのあとではじめた不動産の仲介業も、十年足らずで畳んでいたから、事務所とはすでに名ばかりで、そこは新平自身が設計施工したアパート、上下三室ずつの「あすなろハイツ」の一〇一号室、大家兼管理人の部屋だった。
 そしてもう一つ。
 大切な趣味を楽しむ部屋として、そこを新平は長く利用していた。
 趣味というのは、エッチな本やビデオの収集だ。
「いやらしい! なんでそんなに見たいの? バッカじゃない?」
 娘気取りの建二には何度も呆れられたけれど、新平からすれば、それはごく健康的な範囲で、女性への関心を持ちつづけているだけだった。
 関心が肉体面に偏りすぎなのと、年月が長いせいで、コレクションが膨大になっているのは否めなかったが。
 事務机の横に大きなスチール棚があり、そこにびっしりと写真集や小説、専門書やハウツー本なんかが詰め込んである。性、という文字を見れば、書店でも必ず手に取るほど、つねにアンテナを張っている新平は、何事につけ、コツコツと学び、努力を惜しまないタイプだった。
 探究心が強いのかもしれない。
 池袋で買った大好物、白くてねっとりした三原みはら堂の薯蕷じようよ饅頭や、揚げパンにあんこと求肥ぎゆうひのはさまったタカセのあんみつドーナツなんかをお茶うけに、煎茶をいれ、ひとり集めた本を開く。そして次男に選んでもらったMacのパソコンを達者にあやつると、世界につながるインターネットで、お宝の画像や動画を心置きなく楽しんでいた。
 それが新平の、八十代だった。
 今思えば、ずいぶん平和で、のどかな日々だった。
 けれど、英子が倒れ、自宅での介護が必要になってからは、なかなかそこまでの時間はとれなくなった。
 一応、管理人らしく、ピンポイントでアパートの様子を見に訪れても、階段や廊下、郵便受けやゴミ捨て場あたりの掃き掃除をするのに精一杯で、夏場の草とりや、万年塀のメンテナンス、小さな植え込みの枝葉を整えるのも、ままならなくて不満だった。
 かといって、人に頼めば、余計な出費がかさみそうで悩ましい。
 三兄弟がいて、まったく役に立たないものだ……と今さらのように苦々しく思うことは正直あったけれど、その不満をなるだけ顔に出さないのが、新平の生き方、スタイルだった。
 不満は顔にも、そして口にも出さず、ただ散歩の時間が減って、脚力が衰えそうなぶんだけは、二階に置いた健康器具で、キーッ、ガシャン、キキッ、カシャン、と補っている。
 それが大正末に生まれ、大きな戦火もくぐり抜けた新平のプライド、矜持きようじのようなものかもしれない。