マリモとこういう関係になった一年半ほど前は、それこそ会うたびに彼女の体を貪るようにセックスしていたが、半年もするとマンネリ化してきた。孝志がそう思っているのだからきっとマリモも同じように感じているに違いない。
マリモとは孝志が講師を務めた三日間の演技のワークショップで出会った。マリモは当時二十七歳で、売れない女優としては微妙な年齢だった。胸や臀部の肉付きが良く、ムッチリ系で、演技は下手だったが、性格が明るくて良い子だなと孝志は思った。
そのワークショップの打ち上げで、マリモは露骨に孝志に媚を売ってきた。同じくらいのキャリアの子が、口コミでヒットした映画に出ていたり、ビール会社のCMに決まって「チョー焦ってます、私! だからもう堂々と媚売ります!」と他の子が胸に秘すような言葉を平気で言っていた。それが孝志には好印象で、打ち上げでLINEを交換してからも相談事と称した連絡が頻繁に来て何度か会っているうちにこういう関係になってしまったのだ。出会いの形まで妻の恭子と同じであることに、自分という人間のつまらなさを孝志は感じており、それが映画監督としてここ三年、新作を撮れていない自分の現状を物語っているような気がしていた。だが、その現状をどうにか打破しようという気力というか創作意欲が今の孝志にはなかった。
マリモとの関係がマンネリ化してきたことを、孝志はそう深くは考えていなかったし、いずれこの関係は終わりにせねばならないとも思っていたが、その終わりが近づいていることを感じ始めたのはひと月ほど前、マリモから映画のオーディションの最終審査に残ったと聞いたときからだ。その映画は、演劇界で有名なとある若手演出家の初映画監督作品で、オーディションでヒロインを探すというネットニュースは孝志も見ていた。ハードな濡れ場もあるらしい。
マリモがそのオーディションに応募したことは聞いていたが、どうせいつものように書類審査か次の二次審査あたりで落とされるだろうと孝志は思っていた。だから最終審査に残ったと聞いたときは、正直かなり驚いた。その驚きは軽い動揺と言ってもいいくらいだった。演技力などないと思っていたマリモが才能溢れる演出家のオーディションの最終審査に残ったという事実に何か敗北感のようなものを覚えた。そして万が一そのオーディションにマリモが受かれば自分は間違いなく捨てられてしまうだろうと思うと、孝志は急にマリモの身体を手放すことが惜しくなり、同時に彼女がその若手監督の映画に出ることへの強烈な嫉妬心に見舞われた。
そこから孝志はマリモの前で饒舌になった。今まではセックスが終わればさっさと一人になりたかったが、近頃はセックスが終わったあとも、最近見た映画や読んだ小説のつまらなさなど、主に何かの悪口をマリモにペチャクチャとしゃべってしまう。
かつて世間から少しはそう思われていたように、自分は才気溢れる人間だということをマリモに見せたかった。だから孝志は今日もセックスが終わったあとに、昨夜DVDで見た、最近売れ線の若手監督のとある日本映画への批判をついつい熱のこもった口調で話していた。
「ああいうのがトンガってるって言われちゃうと、もう俺なんか出番ないって言うか、ほんとにトンガってるってことがどういうことかみんな分かってない気がすんだよなあ。作り手も批評家もさあ。あんなのぜんぜんヌルいけどね、俺なんかから見ると。まあでも俺みたいなのが今はヌルいって言われちゃうけど、一見ヌルい振りしてるだけなんだよね。本来なら俺の作品なんかトンガりまくってんだけど、なんかもう今は表面上トンガってるのが本物みたいになっちゃってるからさぁ。客も評論家も作り手もみんなバカだから」
耳に入っているのかいないのか、マリモはそんな孝志の戯言に相槌を打つこともなく黙ってスマホをいじっている。その沈黙が孝志をさらに不安にさせた。オーディションの最終審査に残ったマリモは、孝志のことをつまらない人間だと気づき始めているのではないかという不安だ。だから孝志は、マリモにそんなことに気づく隙を与えないように唾を飛ばさんばかりの勢いで批判し続けたが、話しながら自分のしょうもない正体をどんどんさらけだしているような気もしていた。そして話すことがなくなってしまうと、他に話題は何もなかった。
マリモは孝志の演説が終わるのを待っていたかのように、
「お話、終わった?」と幼児に聞くように言った。
孝志はマリモのその言い方に、つまらない人間だという自分の正体はほとんど見破られているのだろうと思った。孝志が何も言わずに黙っているとマリモは言葉を続けた。
「あのね、もう会うの、やめない?」
「え……」
近い将来にそう言われることを予期していたとはいえ、まさかそれが今日とは思わなかった孝志は、実際に言われると想像以上のショックを受けた。そして想像以上のショックを受けている自分にもショックを受けた。
孝志はその受けたショックをどうにか胸の奥に押し込んで、うまくできているかどうかは分からない、うっすらとした笑みを無理矢理浮かべ余裕のある振りをして「どうしたの、急に」と言った。
「私、受かっちゃった」
「え……。なに受かったって?」
例のオーディションに受かったのだということはすぐに分かったが、孝志はとぼけてそう聞いた。
「オーディション。最終に残ってたやつ」
「あー。あの演劇の人が撮る映画?」
「うん」
「あ、そう! 良かったじゃん!」
ちゃんと笑顔を作れているかどうかはまったく自信がないが、いや、ひどい笑顔になっていることは百も承知だが、孝志はどうにか引きつった笑顔を張り付け、声を上ずらせて言った。
「うん。信じられない。昨日、事務所の社長から電話があったんだけどね。ほんとは真っ先に大山さんに伝えたかったんだけど、直接言いたかったから。もー、ほんと昨日は興奮して全然眠れなかった!」
それはそうだろう。孝志にもそういった類の喜びは分かる。今から十二年前、孝志が三十歳のとき、過酷な助監督の仕事に見切りをつけて、その助監督の仕事で貯めたお金で自主製作の映画を撮った。かなりの覚悟で撮ったその作品が評判になり世に出ることができたのだ。いくつかの映画祭で新人監督賞ももらった。そのときの嬉しさは昨日のことのように心と身体が覚えている。昨夜のマリモはそういった嬉しさに包まれていたに違いない。孝志がもう何年も得られていない感情だ。