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第一話 なんか、ゴメン

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 七月三十日、家出十一日目の朝七時前のことだ。
 七月二十日の一学期の終業式の朝、式には出ずに青春18きっぷで在来線を乗り継いで、広島県廿日はつかいち市から二十四時間以上かけて東京に辿り着いた。東京にした理由は、まったく知り合いのいない場所で、しかも日本一の大都市ならば、簡単にはみつからないだろうと思ったからだ。 
 所持金は二十六万五千五百三十円。これが僕の全財産だった。十七歳にしてはけっこうな額だと思う。けれど、十月十九日の十八歳になる誕生日までの九十二日間をしのがなければならないとなると余裕はない。ホテルに連泊なんて、カプセルホテルでも一泊三千円が相場だから絶対に無理だ。夏だし野宿をしても風邪を引くことはないだろうけれど、全財産を所持しているので安全面を優先したい。
 足が付くからスマートフォンは捨てると決めていた。なので生活に必要なことは学校の図書館のパソコンで入念にリサーチした。もちろん宿泊先もだ。目をつけたのは漫画喫茶だった。けれど大きな問題があった。東京都の条例で漫画喫茶は十八歳以上しか宿泊できないことになっていた。がっかりしたが、捨てる神あれば拾う神あり。コンビニエンスストアでコピー機を使おうとしたときに、専門学校生の学生証が置き忘れられていたのだ。その学生証にICチップはなく、学校名や氏名や学生番号が記載された台紙に顔写真をラミネート加工しただけのものだった。これならばと思った僕は、こそっと両面をカラーコピーした。手先は器用な方だったので自分の写真を使って、オリジナルと遜色のない十八歳の学生証を作った。
 もちろん犯罪だ。発覚したら有印私文書偽造罪で三ヶ月以上五年以下の懲役だと調べて知った。捕まれば家に連絡される。だとしても、懲役になれば母親からは離れられる。世に戻る頃には確実に十八歳になっているはずだ。ならばそれもまたいいかもしれない。
 とにかくこれで身分証明書問題はクリアしたとして、漫画喫茶についてさらに調べた。
 同じチェーン店でも新宿や渋谷などの大きなターミナル駅の店舗よりも、足立あだち区や練馬ねりま区などの住宅街の店舗の方が価格設定が低いし、ガードも緩そうだ。
 捜索される身で考えると、一箇所に留まるのは危険だ。都内でも移動には交通費が掛かる。まして毎日ともなれば馬鹿にはならないだろう。選んだのは徒歩圏内に同じチェーンの店が二店舗、違うチェーンの店が一店舗ある練馬区だった。
 一店舗のみのところは午後七時以降に入店すれば九時間パックで千九百九十円。二店舗あるチェーン店は時間指定なしの九時間で二千百円という格安だった。しかもどちらもリクライニングシートやフルフラットシートが利用出来るだけでなく、フリードリンク、フリーソフトクリーム、さらにはモーニング食べ放題のうえに、シャワーが無料という充実したサービスがついていた。
 誕生日に区役所で分籍届を出して、その先の生活の相談をしたとしても、すぐに住まいや仕事が得られるとは思えない。だから出来るだけ多くお金を残しておかなくてはならない。そうなると一日に使えるのは三千円が限度だ。
 サービスのモーニングをお腹いっぱい食べて、昼食と夕食を格安で済ませれば倹約できる。しかもシャワーも無料となったら、当面のねぐらとしてはこれ以上の場所はない。
 身長は百七十センチあるけれど、僕はやせっぽちで、地味な顔だ。実年齢の十七歳相応に見えると思うが、華やかな東京の人たちの中では幼く見えるかもしれない。
 住宅地の多い練馬区で、深夜や早朝に所在なげにうろうろしていたら悪目立ちしてしまう可能性もある。安全に、しかもお金をかけずに一日を過ごすには、しっかりした計画が必要だった。
 漫画喫茶に夜十時にチェックインして朝の六時前にチェックアウトする。最初の数日は夜の十一時頃にチェックインしていたが、時間が遅いとフルフラットシートが満席になってしまうし、夏休みでも深夜近くともなれば、路上で警官とか生活指導員とか、誰かしらに声をかけられる可能性も高くなりそうだ。なので十時前にチェックインするようになった。
 漫画喫茶を出たら、日中は図書館と大型ショッピングモールを適度に移動して過ごす。図書館は平日は朝九時から夜八時までで、土日は夜七時まで。休館日は月曜日。ショッピングモールは朝十時から夜九時まで開いていて、ほぼ年中無休。
 冷房の効いた建物の中に無料でいられるだけで天国だ。さらに本は読み放題だから、かなり有効に時間が過ごせる。もともと読書はする方だったけれど、話題作でも興味が湧かずに手を出さなかった本も読むようになった。お蔭で新書やエッセイが面白いと知ることが出来た。
 ショッピングモールには大型スーパーが入っていて、閉店間際になると総菜や弁当を半額で買うことも出来た。倹約生活には絶大なる味方だ。
 図書館とショッピングモールを巡り、漫画喫茶で寝泊まりする。これでけっこう安全で快適な一日を過ごせていた。けれどエアーポケットみたいな時間がある。それが漫画喫茶をチェックアウトしてから図書館が開く九時までの時間だ。この時間帯にお金をかけずに時間を潰すとなったら、街中をうろつくか公園にいるしかない。
 そんなこんなで十日を過ごし、七月三十日の朝六時に漫画喫茶をチェックアウトして、図書館の開く九時までの時間潰しに街中を歩いていた。前日までは公園に直行していた。でも朝六時から八時まで公園内は早朝ウォーキングをする人が多く、さらにはご老人の社交場になっていた。
 フレンドリーなのか、それとも新参者への警戒心からなのかは分からないが、すれ違う人のほとんどが挨拶してくれる。中には話しかけてこようとするご老人もいた。だから彼らが帰宅する八時過ぎに公園に行くことにした。そうなると二時間近くを、なんとなく移動してやり過ごすしかない。
 七時過ぎに駐車場つきのコンビニの前に差しかかったとき、店の自動ドアが開いた。何となく目をやると、中から作業着姿の三人の若い男が話しながら出て来た。手にペットボトルを持っている。作業着と言っても、僕が地元で目にしたねずみ色とか紺色のこれぞ作業着みたいな代物ではなく、デニム地っぽいお洒落しやれな物だ。さすがは東京と感心する。
「ちょっと早いから、そこいらで時間を潰していくか」
 先頭のたぶん僕よりちょっと背の低い三十歳にはなっていなそうな男が言った。黒髪をツーブロックに刈り上げて、前髪は全部上げて額をすべて出している。目鼻立ちのはっきりした彫りの深い顔で、お洒落な作業着も相まってダンスボーカルグループのメンバーだと言われても違和感がないくらいだ。
 同じ作業員でも東京は違うものだななんて考えていたら、視線を感じた。先頭の男が僕を見ていた。目が合うと、男が視線を外した。進行方向に僕が立ち止まっていたから見ただけだったようだ。
 七月末の太陽は朝七時半だというのに容赦なく照りつけて、むき出しの腕や首筋はすでに熱を持ちだしていた。何も買わないのは申し訳ないけれど、店内を一周して涼を取らせて貰うことにする。店に向かって歩き出すと、自然に三人組に近づく格好になった。
「マジでヤバいかも。いやホント、マジで」
 二番目を歩く僕よりも少し背の高い伸びた金髪にニュアンスパーマをかけた男が顔をしかめてぼやく。一番目の男より若そうだ。
「だから、とっとと謝れって」
 先頭の男が少しだけ振り向いて言った。
「謝りましたよ。けど、ガチオコで。たかがアイスであんなキレるなんて」
「何度目?」
「三度目っす」
「三度目だからだろ。自分の言うことをちゃんと聞いていない。軽んじている。だから同じミスをするんだってキレているんだよ」
「いやそんな、軽んじてるとかじゃなくて」
「現場で同じミス、三度もするか?」
 それまですぐに言い返していた金髪が、今度は詰まったらしくすぐには答えなかった。
「けどヨウヘイさん、現場は仕事で仲間の命が懸かっているし」
「でもアヤちゃんのアイスはそうじゃない。食べても怒られないだろうって思っている。だから三度も同じ事をした。やっぱり軽く見てるんじゃないか?」
 奥さんか彼女かは分からないけれど、金髪はアヤさんという女性のアイスを無断で食べた。それも三回。それでキレられた。
 なんか平和だな、と思う。それとヨウヘイさんはなかなか良いことを言うな、とも。そのヨウヘイさんとすれ違いかけたとき、とつぜん「家出だろ」と言われた。
 ギクリとして立ち止まる。
「腹減ってないか?」
 ヨウヘイさんが重ねて訊ねてきた。
 朝食なら漫画喫茶のフリーサービスで食べてきた。ここ数日のタイムスケジュールだと、今頃が一番お腹がいっぱいだ。いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、この場から逃げ出そう。
 敷地の外へと目を向けると、いつの間に移動したのか三人目の少し伸びた髪を無造作にかき上げたように見える黒髪の男が出口を塞ぐように立っていた。僕より頭一つ背が高く、細身だけれどがっちりした体格をしている。歳は金髪と同じくらいだろうか。その男と目が合った。切れ長の目は鋭く、無言の圧を感じた。
 目の前にヨウヘイさん、その横には金髪。背後には黒髪。三方を囲まれて逃げようがない。
 ――どうしよう、どうすればいい?