ポワへ嫁げば、心置きなく勉強できるだなんて。浮きたつポドゥルの心を、ホンジュの存在が抑えた。ポワにお嫁に行けば、友達ともお別れだ。ポドゥルにつられて入学し、勉強より学校の前のお店に心を奪われたホンジュは、ポドゥルが辞めたあとも引き続き学校に通った。ホンジュは、ちょうど酒泉に所帯を構えた次兄の家に下宿した。長期休暇にも、金海や釜山に住む兄たちのところへ遊びに行き、実家には帰らなかった。ポドゥルは、ホンジュが都会へ遊びに行くことよりも、学校に通えることが羨ましかった。まるでホンジュが本物の両班のお嬢様で、自分は身分の低い家の娘になったようだった。
四年制の普通学校を卒業すると、ホンジュは女学校には進学しなかった。本人が勉強に興味がないうえに、両親も、息子たちが門前にも行ったことのない上級学校へ娘をやろうとは思わなかった。ホンジュは学校があり市が開かれる都会から、田舎の家に戻って退屈していたが、ポドゥルは友達が傍にいることが嬉しかった。ホンジュといると、母と共に暮らしを支えなくてはならない現実を忘れることができた。ポドゥルが夜の散歩を許されるのは、ホンジュの家に行くときだけだった。縫い物を持って、暇さえあればホンジュの家に飛んでいった。
退屈な縫い物も、母と向き合ってするより、ホンジュとおしゃべりしながらするほうが苦にならないのだった。
ホンジュは、母屋の個室を一人で使っていた。その部屋で、ポドゥルは干し柿や茶菓をつまみながら、ホンジュが衣装箱に隠している『秋月色』や『血の涙』、『牡丹峰』のような小説を読んだりした。本を読み終えると、胸をときめかせながら自由恋愛について語り合い、口紅を塗ってホンジュと主人公の真似をしたりもした。
昨年、十六になったホンジュの嫁ぎ先が決められた。馬山にある相手の家は、由緒正しい両班の家柄だった。
アン長者夫人は、娘が嫁ぎ先でいびられないように家事を教え込もうとした。ホンジュは、じっと座っていなくてはならない針仕事を一番嫌った。内職を手伝ううちに母の技量に追いついたポドゥルは、夜な夜なホンジュの隣で、友が嫁入りに持参する枕やら座布団やらに刺繍を入れた。
ホンジュは、母が仕事を言いつけて部屋を出ていくと、刺繍布を放り出しておしゃべりに精を出した。オジンマルを脱出し、都会の馬山で暮らす想像で頭がいっぱいのホンジュとは裏腹に、ポドゥルはすでに友の不在が寂しかった。ホンジュが学校に通うために村を離れていたのとは、また違うのだ。あれは卒業すれば帰ってくるという時限つきだったが、結婚は永遠に離れ離れになることを意味した。
一年前、自宅の庭で婚礼の儀式を終えたホンジュがオジンマルを離れるとき、ポドゥルはアン長者夫人よりも悲しげに泣いた。すべてを打ち明け合う友と、その友と戯れ、生活の重荷を束の間でも下ろせる時間の両方を失った。自分は父の不在が落とす影から、生涯抜け出せぬまま生きるのだろうと考えた。ところがホンジュは、婚礼から二か月で寡婦となってしまったのだ。婚家側が、新郎がもともと病弱だったのを隠していたという話と、アン長者が両班と姻戚関係を結びたいばかりに、相性が「相剋」だということを隠していたとの噂が広まった。親友のポドゥルにも、ホンジュ自身にも真相はわからなかった。
女が一度嫁いだら、そこに骨を埋めるというのが朝鮮の掟だった。ポドゥルはホンジュを思い出すと、指先を針で刺してしまい、血の滲んだ刺繍布が頭に浮かんだ。どんなに立派な刺繍でも、血がついていてはだめなのだ。ホンジュ自身に何の落ち度もないのに、あっという間に血のついた刺繍布のような身の上になってしまった。女の一生が、せいぜい刺繍布程度だという事実が悔しく、納得できなかった。その一方で、もしかしたら親友の結婚を嫌がっていた自分が、縁起の悪いことを招いたのではないかと心配した。
「子供もおらんのに、どないして一生向こうの家で生きていくんやろうか」
ポドゥルが針仕事をしながら、溜め息をついた。子供たちがいなかったら、とっくに妹峰山の龍沼に身を投げていたというのが、母の口癖だった。
「溜め息ついても、どうもならん。それがホンジュの持って生まれた運命や」
ユン氏が縫い終わりの糸を、歯で噛み切ってから言った。
ところがホンジュは、夫の死後しばらくすると実家に帰ってきた。年若い寡婦を家に置いておくとさらに大きな災いが起こるだろうという、スリジェ峠の巫堂クムファの占いのおかげだ。婚家はもちろんホンジュの実家の家族までが、新郎が死んだのはホンジュのせいだと考えた。世間の人々も同じだった。世は開化されたと騒がれているが、人々の考え方は変わらなかった。村には、アン長者がホンジュを連れ戻す代わりに、ひと財産渡したという噂が広まった。
家に戻ったホンジュに初めて会いに行く夜、ポドゥルの心と足取りはとても重かった。ポドゥルは寡婦である母を見ながら成長した。夫を亡くした当事者の苦しみよりも、夫を食いものにした女という世間の陰口のほうがずっと長く続く。生涯逃れることのできない軛のような寡婦という名は、重大な罪名と同じだった。その罪名は、子供たちにも引き継がれる。同じように悪さをしても、寡婦の子は父無し子のろくでなしと後ろ指をさされるのだ。ユン氏が子供たちを情け容赦なしに厳しくしつけるのも、外で悪口を言われないようにするためだった。
ホンジュの不幸に自分の悲嘆を上乗せしたポドゥルは、アン長者家へ向かいながら、悲しいことばかり考え続けた。親友を抱きしめて泣く用意ができていた。表門をくぐりアン長者夫人の憂いに満ちた顔を見ると、思わず身が縮んだ。アン長者夫人は口を開く気力もないというふうに目で会釈すると、ホンジュの部屋のほうを顎で指した。部屋の前の踏み石に揃えて置かれたホンジュの唐鞋を見て、涙が込み上げてきた。唐鞋の隣に藁の沓を脱いで、部屋に入った。
髪を後ろでまとめ上げ、白い喪服のチマチョゴリを着たホンジュが、薄暗い部屋の隅で片膝を立ててぼんやり座っていた。ホンジュはポドゥルが来たのを知りながら、振り返りもしなかった。結婚してふた月で、夫を亡くすなんて。絶望のどん底にいるに違いない。友の不幸が自分のことのように感じられて、まともに息もできないまま隣に座った。後ろからついてきた女中が、干し柿の皿を置きながらホンジュの顔色を窺った。部屋を出た女中の足音が遠ざかると、ポドゥルは何か言わねばと思い、口を開こうとした。その瞬間、ホンジュがチマをひるがえし、片膝を立てていた姿勢を崩した。胡坐の膝に拳を載せたホンジュは、ポドゥルが話す隙も与えずに怒りを爆発させた。
「もともと、病弱な男やったらしいわ。あたしが殺したんと違うのに、なんで家に閉じ込められて罪人みたいにしとかなあかんのか、わけがわからん。婚家に追い出されへんかったら、どないなっとったか。あの家でずっと暮らしとったら、息が詰まって死んでるわ」
ホンジュは、ポドゥルが今まで見てきたどんな寡婦とも違っていた。ポドゥルが心の中で思っていたことを、ホンジュがぶちまけてくれてすっきりした。その通りだ。母が寡婦になったのも、自分たちが父無し子になったのも、私たちのせいではない。
「ほんま、それや。よくぞ、追い出されてきた」
ポドゥルとホンジュは抱き合い、泣く代わりに笑った。
そんなこととは知らないアン長者夫人は、わが身を悲観した娘が最悪の選択をするのではないかと、ユン氏に頼んで毎日のようにポドゥルを呼び出した。
ポドゥルとホンジュは、また以前のように一緒に刺繍をしたり、おやつを食べながら小説を読んだりした。変わったことといえば、男性を経験したホンジュの言葉が勢いを増したことだ。
「あっちもこっちも初めてやから、初夜はあたふた終わったんよ。病弱で乳臭い新郎より、恋愛小説でも読んでたあたしのほうが、まだましやったわ。ぷるぷる震えちゃって、胸の紐も解かれへん……アイゴ、あたしはもう、イライラして……」
ポドゥルは顔を火照らせ、目をキラキラさせながらホンジュの話を聞いた。