韓国YA文学界を代表する作家イ・グミ氏が、歴史に埋もれた朝鮮の「写真花嫁」に息を吹き込み、その半生を鮮烈に描いた長編小説『アロハ、私のママたち』。韓国でベストセラーとなった感動作が待望の邦訳化!
「小説推理」2023年8月号に掲載された書評家・瀧井朝世さんのレビューで『アロハ、私のママたち』の読みどころをご紹介します。
■『アロハ、私のママたち』イ・グミ[著]/李明玉[訳] /瀧井朝世[評]
何度も押し寄せる人生の荒波に、懸命に乗ろうとする女性たちの姿に圧倒される。読む人を力づけてくれる、「写真花嫁」の半生
一冊の中に、これほどまでの変遷が詰め込まれているとは驚いた。イ・グミ『アロハ、私のママたち』(李明玉訳)はページをめくるごとに読み心地を変える、コンパクトな大河小説のような長篇だ。
朝鮮の「写真花嫁」の半生の物語である。1918年。日本統治下の朝鮮の貧しい集落で育ち、父の死後は学校も辞めて家の手伝いをしていたポドゥルは、18歳でハワイで暮らす朝鮮人男性と写真だけで見合いをし、結婚を決める。ハワイに行けば勉強ができる、と言われたのも大きな決め手だ。一緒に出発したのは幼馴染みで寡婦のホンジュ、地元で蔑まれていた女性の孫娘、ソンファだ。
神戸を経て、長い船旅を終えてようやくホノルルにたどり着いた時、彼女たちが知ったのは過酷な現実である。ホンジュやソンファの夫は写真よりもはるかに老けており、ポドゥルの夫は比較的若かったが、愛想がなく彼女に興味を示そうとしない。他の2人と離れ離れになったポドゥルは、学校に通うという期待も打ち砕かれ、サトウキビ畑で働く夫テワンと身体の不自由な舅の世話や家事、洗濯場の仕事に追われていく。
夫は無愛想だが若くて働き者で、舅は優しく、労働は過酷だが経済的に困窮しているわけではない。他の花嫁に比べたらポドゥルはまだラッキーなほうだろう。テワンと少しずつ距離を縮めていく様子はちょっぴり甘酸っぱい恋愛小説のようでもあり、作者がYA文学の作家なだけに、移民の悲惨さよりもポドゥルの成長や移民の逞しさに重点を置いて描かれているのだろうな──などと思っていたら、そこからがもう波乱万丈であった。
ポドゥルと家族が農園を出てホノルルに居を移してからの悪戦苦闘、朝鮮独立の運動に傾倒していくテワンに対する不安、ハワイの朝鮮人社会の中での対立、異文化交流、それぞれの祖国への思い……。仕事小説、家族小説、歴史小説などの側面を盛り込み物語は起伏をみせる。その中で一貫して描かれるのは、女性たちの連帯だ。ホンジュ、ソンファはもちろん、農園で出会った女性たちとも支え合ってポドゥルは生き抜いていく。タイトルの〈私のママたち〉の意味は、終盤で驚きとともに明かされる。時代と場所によって変容する価値観に時に戸惑い、時にその波に乗って自分の生き方を獲得していく女性たちの姿に、力を分けてもらった気分。韓国でベストセラーとなったのも納得だ。