「喫茶ドードー」の庭に色とりどりの葉が散る季節になりました。
竹箒を片手に、そろりは庭の真ん中に突っ立っています。昨年は、積もる落ち葉を、庭全体に敷き詰めていましたっけ。落ち葉の絨毯にお客さんが座ったりもしていましたね。月日の経つのは早いものです。
さ、箒で均すのを見守りましょう。と思っていると、あれ、どうやら違うようです。箒を使って、ひとところにまとめています。
「うーむ。たき火をしたいところだな」
しかし、ここはたき火をするには少しばかり狭い敷地です。風も強く、火が大きくなっては危険です。そろりもそれはわかっているのでしょう。
「ここに集めておくか」
と、庭の片隅に置かれた木切れで作った箱の中に、器用に手で掬いながら入れていきます。葉はずいぶんたくさんあったように見えましたが、箱の半分にもなりません。そろりは覗き込んで、「まだまだだな」と、肩を落としました。
この箱を目一杯にするのでしょうか。それにはしばらくかかりそうです。
通販サイトに妙な書き込みがあったのは、都内にも銀杏の葉が舞いはじめた頃だった。夕葉はいつもよりも早い秋の深まりを実感していた。
「原料の産地での状況をご存じですか?」
開発中の美容オイルの紹介記事を掲載したときだ。
サイト内のブログページはコメントが書き込めるように開放してある。問い合わせ専用フォームがあるので、成分や納期、在庫状況などの具体的な質問はそちらに来る。誰も読めるブログには、たいてい新商品を掲載すると「パッケージかわいいですね」とか「プレゼントにしたいです」といった当たり障りのないコメントが付く。
こうした踏み込んだ書き込みは珍しいが、わが社がコスメに使用している原材料は、無農薬の農場で作られたものを使用している。
「コメントありがとうございます」のあとに、包み隠さず産地名を明記した返信をアップした。
「現地での労働環境に問題があるかもしれません。それに配送と製造段階にかなりのCO2が排出されているはずです」
と瞬く間に返信コメントが付いた。
クレームではなく、あくまでも意見というスタンスの言葉遣いに救われたが、すぐに社長案件となった。取引先の商社が調べると、書き込みのとおりの実情が判明した。
グリーンウオッシュ。それは環境に配慮していると謳っている商品が、原料の調達から廃棄まで全ての過程に於いて見たときに、エコではなく、消費者に誤解を与える事例を言う。
例えば、「エコバッグ」と呼ばれる布のトートバッグ。このバッグを製造販売するまでに生ずる二酸化炭素量は、プラスチックのレジ袋の五十から百五十倍だという。夕葉もテレビ番組でそれを知った時には驚いた。
「自分がエコだと思っていたものが見せかけなんて」
愛用していたコーヒーショップのリユースカップを手放した。
それがまさか自分の会社の商品でも行われているとは思ってもみなかった。ショックだったのは当然、社長の水上も同じだったようだ。
「含まれる成分や材料のことばかりに目を向けていて、実際に加工する段階に至る過程にまで神経が行き届いていなかった」
サイトで陳謝するだけでなく、急遽開催されたオンラインの全社会議上で、我々従業員にまで頭を下げた。対応が早かったのと、これまでの企業イメージのおかげで、大きなダメージにはならなかった。丁寧な説明に、ユーザーからはクレームよりも、励ましや応援のコメントが寄せられた。
当面はコスメの扱いを自粛し、雑貨のみを展開することとなった。開発中の美容オイルもいったん白紙に戻した。誠意のある素早い対応は水上らしかった。
ただ水上から、「話がある」とメッセージが届いたときは、なんとなく嫌な予感がした。通販サイトでもコスメの扱いはなくなる。人員が余剰なことは明らかだった。
案の定、オンライン越しに「通販は坂口さんだけに残ってもらう」と通告された。経費の削減や流通コストの見直しなど、人員を減らさない方策を懸命に考えたという。それでも人員整理をせざるを得なかった事情は夕葉にもよく理解できた。最善案として、夕葉にはイラストやデザインを継続してお願いしたいとフリーでの契約を打診され、受け入れた。通販以外の部署でも数名に退職勧告がされているという。
「僕の力不足だ」
水上は顔を歪ませた。苦渋の決断だったのだと伝わった。
その後、妙子を含めた三人でのオンライン会議が開かれた。
コスメは夕葉の担当だったからこうなるのは仕方ない。でも、もともとは夕葉ひとりで仕切っていた通販部門に、妙子が途中から入ってきたのではないか。やりきれなさが画面越しに伝わったのだろう。
「ごめんなさい、私がこんなで」
妙子が神妙に目を落とした。
「実はね、社内では公表していないんだけど。坂口さん、いま、シングルなんだよ」
水上が深刻な表情で声を潜める。
「シングル?」
全く知らなかった。驚いて夕葉は聞き返す。
「子どもが生まれてすぐに離婚したんです」
実家の援助を受けながら、ひとりで子育てをしていると妙子は言う。
「シングルマザーなんていまどき珍しくないですよ。隠す必要もないのに」
夕葉は励ますつもりで咄嗟に口にする。
「それはそうじゃないから言えるんです。それに徳永さんは絵が描けるからいいじゃないですか。私なんて他に能力もないし」
妙子に投げやりな口調で返された。絵で食べていけるほどに実力があったら、自分だってとっくに独立していたはずだ。嫌みにも聞こえ、行き場のない想いが込み上げてくる。
「お子さんを育てなきゃいけないから、定期的な収入が必要なんだよ」
水上が妙子の肩を持つ。なだめられているのが悔しかった。
「なんで子どもがいるってだけで優遇されるんでしょうか。うちだって夫ひとりの稼ぎでは、ゆとりもないんですよ」
同情を買いたかったわけではない。ただ夕葉の実情も理解してもらいたくて、自然と口調が強くなった。
「でもそれって食べていかれないほどではないですよね。子どもがいなくてダブルインカムなんて私から見たら贅沢ですよ」
険しい顔で妙子に言い放たれ、夕葉は返す言葉がなかった。
引き継ぎに関しては、後日改めて調整する、という水上の言葉を合図に画面は閉じられた。
退職するのは夕葉だ。オンラインじゃなかったら顔色を見ながら、お互いもっと気遣う言葉がかけられたのだろうか。それともオンラインだから浅い傷の付け合いで済んだのだろうか、画面を閉じれば日常に瞬時に戻れる。でも傷はそれなりに痛む。
夕葉はいつか見た出産する夢のことを思い出していた。あのときの夢から覚めたあとの心の揺れのように、何とも整理のつかない気持ちだけが浮遊していた。
今夜も大志は出張で不在だ。
スーパーに行ったら、店頭にさまざまなキノコが山積みになって売られていた。
値段は手頃だが、調理法が思いつかない。惣菜売り場を回っても、魅力的に感じるものがない。
「きのこのアヒージョ……か」
ふとそんな料理が頭をよぎる。梓への手土産を買いにいった時に目に入ったカフェの看板に書かれていたメニューだ。
フリーランス契約になれば収入は減る。他にバイトを探さなくてはならない。退職金や失業保険が貰えるかもしれないが、しばらくは節約する必要がある。でも一人分だけ作る材料費と手間を考えたら、外食のほうがかえって安上がりな場合もある。
いったん腕にかけたスーパーのカゴを置き場に戻し、店を出る。ターミナル駅に向かった。
駅ナカの衣料店に人の列ができていた。何だろうかと近づくと、店頭に〈エコ週間〉という大きな張り紙が出ていた。
使いかけのコスメや着古した洋服を持参すると、クーポン券を貰える仕組みらしい。いくつもの紙袋や膨らんだエコバッグを抱えて並んでいる人たちの多くは若い世代だ。
シンプルさがよりファッショナブルさを醸し出すような装いに、自信が漲っている。ショップのポスターにスマホのカメラを向けている人も多い。自分が地球に優しいことをしている。そう信じて疑わない彼らの姿を遠巻きに見ながら、夕葉はグリーンウオッシュのことを考えていた。上辺だけのエコを防ぐには、それが本当に正しいエコなのかと、疑問を持つことが大事だという。消費する際のことだけでなく、製造や供給過程にまで考えを巡らす必要がある。夕葉は、自社製品に対するユーザーの書き込みをきっかけに、改めてグリーンウオッシュに関する本を読んだり記事を検索したりした。それによって自分がこれまでいかに見せかけだけのエコでいい気分になっていたかを知った。
駅を出て坂道を上る。アヒージョを出していたカフェは、確か大通りから横道を入ったところだったはずだ。記憶を頼りに歩いていくと看板にぶつかった。
「『喫茶ドードー』っていうんだ。かわいい名前」
店名の下には〈おひとりさま専用カフェ〉と添えられている。子連れはどうなるのだろうか、などと余計なことを考え、おそらくお子さまお断りだろうな、と都合よく解釈する。
いくつかのメニューとともに書かれた本日のおすすめは、先日同様に〈きのこのアヒージョ〉だ。目当てのメニューにほくそ笑んで、店に続く路地を入ろうとして、「あれ?」と、改めて看板を見る。
〈きのこの〉ではなく〈きのうの〉となっていた。
「きのうのアヒージョ? 書き間違えかな」