EとFは、生活のさまざまなことを侵食していった。そのうちなんだか、もう全部が、どうでもよくなってきてしまって私は面接に進んでいた企業を含め、転職活動をすべて白紙に戻した。
 こうして私はAカップ無職になった。万が一、私が三橋朝日と結婚することになったとしても、
〈三橋朝日が結婚! Aカップ無職と〉
 という見出しにはならないのだろう、と思うとむなしかった。
 それから私は、引っ越しを決めた。行き先は、二年前に三橋朝日が脇役で出演した映画のロケ地だった町だ。都心に通勤するには時間がかかりすぎるからと、諦めていたのだけれど、無職となれば話は別だ。
 その二年前の映画は、Fが特別なアルファベットになったきっかけの映画でもあった。
 都心にある大型の映画館で公開初日に行われた舞台あいさつイベントに、私は姉を誘って参加していた。チケットを発券すると座席が「F列7番」だったので、私はその時点でごきげんだった。
「三橋朝日の誕生日は、六月七日なの。Fは前から六列目だから六月と変換すると、私は彼の誕生日に着席することになるの」
「へえ」
 のん気な相づちを打つ姉には、ことの重大さが全然伝わっていないようだった。これだけの人がいる中で、三橋朝日が生まれた日をお尻の下に感じながら生の三橋朝日を見つめているのは、私ただひとり──。
 私の幸運は、そこで終わらなかった。舞台挨拶の最後は、登壇者が中にメッセージを手書きした紙飛行機を客席に向かって飛ばす演出があった。F列7番は、脇役の三橋朝日が立っている側とは反対にあったので、彼の紙飛行機がここに飛んでくることはないだろうと、私は完全に気を抜いていた。もともと興味がない姉も、ぼうっとしていた。
 もっと目をかっぴらいて見ておくのだったと思うが、それでもあの奇跡のような光景は、今もスローで焼き付いている。三橋朝日の手を離れた紙飛行機は、きれいな弧を描いた。まるで飼い主のもとへ舞い戻ろうとする小鳥みたいにF列7番へ引き寄せられ、どんどん大きくなり、消えた……と思った瞬間に、私の頭をこつんとつついた。小さく甘い痛みだった。舞台上の三橋朝日へ目を凝らす。そのとき三橋朝日は、私と目を合わせ、少し舌を出した……、ような気がした。
「ごめんね」
 私だけに向かってそう合図をするみたいな仕草が時間を止めた。その間、私は夢を見た。周りの人が消えて、スクリーンも舞台も座席も消えた。劇場はただの天国になり、私と三橋朝日の二人だけになった。耳元でもう一度、三橋朝日が囁く。
「ごめんね」
 突然、何もかも許せるような気がした。それだけでなく私まで、すべてから許されたような気がした。あなたはそこにいていいと、言われたような気がした。短い短い夢だった。
 紙飛行機は私の頭にぶつかった勢いで前方へ落ち、E列に座っていた人の手に渡ったようだったが、それはもう、どうでもよかった。
 その舞台あいさつの様子を取材していたワイドショーやネットニュースを、私はくまなくチェックした。
 しかし、どのカメラも主演の俳優とヒロインの女優のほうばかり向いていて、紙飛行機のシーンでも三橋朝日はフレームの外にいた。
 私と三橋朝日の世界が交わった一瞬。あれがまぼろしじゃなかったと証明してくれる映像や写真は、どこにもなかった。私は、前向きに捉えることにした。あの瞬間は私と三橋朝日の記憶の中だけにある特別なものなのだ、と思うことにした。客席の一人と目が合うくらい、三橋朝日にとってはささいなことで、すぐに忘れてしまうかもしれないけど、私はずっと覚えている。Fの奇跡を、守り続けてやる。そう決意した。あの思い出さえあればこれから何があってもやっていける。あんなごほうびのような瞬間がふいに訪れることがあるのなら、人生捨てたものじゃない。
 それからFが、宝物のような記号になった。私は生活の中で偶然Fに出会うたび、あのF列の奇跡を、そしてF列で見た夢を、鮮やかに思い出すことができた。デパートの階数表示の「F」に、巨大マンション群の「F」棟に、パスポート性別欄の「F」。フッ素の元素記号や、楽譜で「強く」を意味するフォルテもFだと気づいてからは親しみがわいた。
 だから、三橋朝日の結婚相手の「EあるいはF」は簡単には見逃せない表記なのだった。
 Fだけは、守りたかった。この先Fに出会うたび、あの胸のことを思い出すようになってしまうなんて、その代わりにF列での光景が薄れていくなんて、耐えられない。私と三橋朝日の大切なFにそんな意味を加えないでください、どうか思い出だけは奪わないでください、と私は祈った。
 掲示板は、豊胸疑惑でまだにぎわっていた。コメントにつくグッドボタンの数から予想するに、まだ二十人ほどの三橋朝日ファンが残っているようだった。
 この約二十人の中には、最初は静かに三橋朝日の幸せを祝えた人もいるのだろう。その感情が、「EあるいはFカップの元グラビアアイドル」との結婚だとわかった途端、こうも捻じ曲がってしまうなんて、美しい胸には想像以上の魔力があるのかもしれない。
「私も昔、豊胸しかけたことある」
 と打ち明ける者も現れた。続きを知りたい私は、グッドボタンを押した。
「しかけた、ってどういうこと?」
「何がきっかけ?」
「したの? 痛い? 乳がん検査とか、ちゃんとできてる?」
 数人が書き込むと、返信がついた。
「カウンセリングを受けたんだけど、結局、怖すぎてできなかった。だから、あの元グラビアアイドルが仕事のために豊胸したんだとしたら、その努力とか勇気? は、すごいなって思うかも」
 それには次々とバッドボタンが押されていった。
「え、待って、豊胸って努力なの? 笑」
 という冷笑的なコメントには、グッドボタンが十五ほど積み重なっていく。はたから見れば、三橋朝日ファンの元グラビアアイドルへの嫉妬は滑稽なほどだったけれど、EかFかで悶々とし続けている私だって同じ穴のむじななのだと、ふと思った。
 嫉妬は苦しくて、みにくい。もしも私自身がFレベルの胸の持ち主だったとしたら、こんな気持ちにならずに済んだのだろうか。静かに幸せを祈ることができたんだろうか。そう思うと、たかが胸のサイズといえど、小さいのは不公平だという気がした。
 豊胸しかけた人の、書き込みが続いた。
「きっかけは単純で、小さすぎてコンプレックスだからだよ。そのとき付き合ってた人は『そんなこと気にしなくていい』って言ってくれていたけど、でも、それ、みんなは信じられる? 世の中は、その言葉を信じられるようにはできてないよね?」
 私は、一回分しか反映されないと知りつつ、グッドボタンを連打した。
 そうだった。コンビニエンスストアの雑誌コーナーに行けば、男性誌の表紙には水着姿のEやFレベルが並んでいる。人気アニメの女性キャラクターは、重力に逆らった形状の胸を誇っている。さりげなくその部分を強調する写真や動画が、SNSで拡散される。インフルエンサーは、バストアップ効果があると謳ったサプリをPRする。映画で脱いだ女優が控えめなサイズだったときには、「がっかり」とネットが沸く。
「そんなに気にする必要ないって」
 そういえば前に付き合っていた人も、私に言ったことがあった。仕事熱心で、尊敬できる人だった。けれど自然に会う頻度が減っていって、
「結婚したい相手ができたから別れてほしい」
 と告げられて別れた。立ち直りかけた一年後、彼がSNSに新しい恋人の写真を載せた。ウエディングドレスの試着をしている写真だった。その胸元には私にもあれがあったらよかったのにと思う深い谷があった。私はおめでとうとは思えなかった。
 そのときは思い至らなかったのだけれど、そうだ、一般人の自分にも豊胸手術という手段はあるのだ。
 大好きな人に心からのおめでとうを言えるようになるのなら、私は大きい胸がほしい。
 願わくば、Fがほしい。