どうしてだ。「一般女性」と書かれていたときはおめでとうと思えたのに、それが「年上のEカップ元グラドル」になるだけで、なぜこんなに心の中が曇っていくんだ。職業や体形で人に抱くイメージを変えるなんて、そんなの偏見まみれの最低な人間じゃないか。くずだ、くず人間だ、だけど、EEEEEE……。
 元グラビアアイドルの名前にはなんとなく見覚えがあったが、顔は思い出せない。記憶をたどっていると、タイミングよく記事中にリンクが現れた。
〈【写真で見る】 弾ける笑顔! 三橋朝日のお相手はこちら〉
 大写しになったのは、胸元を強調した水着姿の写真だった。驚いて素早く画面を暗転させ、周りを見渡した。
 以前、一般紙の朝刊にあんな感じのイラスト広告が掲載され、煽情的すぎるのではないかと新聞も広告主も批判されていたのを覚えていた。公共の場で見てはいけない写真だと本能が判断したようだ。
 運よく右隣の女性は眠っていて、左隣の男性と前に立っている女性は、それぞれ自分のスマホをいじっていたが、私はもう電車の中ではスマホを見られなかった。
 居てもたってもいられず次の駅で下車した。背後から誰かに覗かれないよう、ホームのエスカレーター沿いの壁に背中をぴたりと付けた。画面を片手で覆うようにしながら、もう一度あの画像を開く。大きかった。百人見たら九十人以上が大きいと言うはずだ。女性の私でも最初に目がいくのはそこだった。水着も、表情も、ポーズも、なんというか、思っていたより本格的なグラビアアイドルだ。
 冷静になろうと言い聞かせながら、彼女の名前を検索した。水着写真をかき分けるようにスクロールして、Wikipediaにたどり着く。
 生年月日や出身地などと合わせて身長やスリーサイズが書かれたあとに、私の力すべてを奪っていく文言が、現れた。
「なお、胸はEあるいはF」
 F! 今度はFが頭を埋め尽くしていく。FFFFFF……。Fはダメだ。EならまだしもFはいけない、絶対にいけない。
 Wikipediaには補足説明が書かれていた。「所属事務所の公式プロフィールにはEと記されているが、ファンイベントで本人がFと公言したこともある。ファンの間では『彼女の胸はEあるいはF』が共通認識であり、それをきっかけに『EあるいはF』というタイトルのイメージDVDも発売されている。EかFかをはっきりさせたい彼氏の目線で彼女とのデートを楽しめるストーリー仕立てになっており――」
 やめてくれ。Fだけは、やめてくれ。なぜならFは私にとって、いや私と三橋朝日にとって、思い出の特別なアルファベットなのだ。
 ポーと聞こえて上を見る。電車の架線にとまっているハトたちが、私を笑っているように見えた。ハトの言いたいことはだいたいわかる。私だって、おかしいと思う。だけどFはだめなのだ。
 鳩胸、という言葉を思い出す。彼らが自慢げに突き出している胸元をにらむ。
「大丈夫ですか?」
 年配の女性に声をかけられ、慌ててスマホをかばんの中に隠した。リクルートスーツを着た女がホーム上で思いつめた顔をしていたので、放っておけなかったのだろう。
「気分でも悪いのかしら? お水、買ってきましょうか」
「ありがとうございます、大丈夫です。ちょっと考えごとをしていて」
 笑顔で答えながら、優しそうなその人に、三橋朝日のお相手の写真を見せて聞きたくなった。
 これはEあるいはF、どちらだと思いますか? 
 かばんの中のスマホを取り出そうとしたとき、次の電車が近づいてきて、ハトが一斉に飛んだ。
「じゃあ、暑いですから、くれぐれも気をつけてくださいね」
 女性は言うと、その電車で行ってしまった。
 ハトはまた架線に戻ってポーと笑った。ハトが正しい。ほんとうにばかげている。でも、止められなかった。元グラドルの情報をネットで漁っているあいだに、面接の集合時間は過ぎていた。
 その日は面接をキャンセルして帰宅した。こんなことをしている場合ではないのだと、自分を張り倒したくなる。失業保険は、永遠ではないのだ。このままでは私は、〈Eカップ元グラドル〉ならぬ〈Aカップ無職〉になる。わかっているのに結局ベッドにもぐり、スマホの画面ばかり見続けた。相手の女性の名前を検索し、写真を探し出し、ブログとインスタグラムの投稿を数年前までたどり、その間を縫って例の女性専用ネット掲示板を巡回した。
「えっ、なんかショック……」
「事務所に反対されなかったのかな?」
「うわ~、すぐ別れそう」
「デキ婚?」
「三橋朝日のイメージ変わっちゃった」
「どう見ても豊胸」
「顔も整形してると思う」
「騙されたか」
「見る目ないよね」
 前日まで好意的なコメントがほとんどだった三橋朝日結婚トピックの空気は、私の心の中と同じように一変していた。
 私だけじゃなかったとほっとする気持ちと、だめだ、だめだ、どうして祝福してあげられないのだと恥じる気持ちが、行ったり来たりする。すべてにグッドボタンを押したい波と、すべてにバッドボタンを押したい波が交互にやってきて、私はどちらも押せないまま、最新コメントを求めてリロードし続けた。
 掲示板には三橋朝日の熱心なファンだけ残っているらしい。相手の女性の写真を時系列に並べ、どの時点で豊胸手術を施したのか、ヒアルロン酸・シリコンバッグ・脂肪吸引&注入といった施術のうちどれを選択したのか、などの考察が始まっていた。
「三橋朝日ファンって怖い」
「豊胸してたって別にいいでしょ」
「嫉妬おつかれ」
 迷い込んだ部外者が真っ当な意見を書き込もうものなら、またたくまにバッドボタンが二十ほど押される。私はそれも傍観していた。
「EあるいはF」に注目している三橋朝日ファンは、掲示板にもいないようだった。誰もその件にかんしては、書き込んでいない。
 一体ぜんたい、EなのかFなのか。
 私が一番気になるのは、そこだった。どうかEであってくれ、せめてEで――。