遊歩道を抜けた坂の向こう側には高校があって、そのすぐそばに、まだ段ボールだらけのアパートがある。
 物件は先月、ネットで見ただけで決めた。
「ここはすぐ近くに高校があって、イメージされているより結構にぎやかだと思うんですけど、大丈夫ですか」
 電話で、事前に不動産仲介の担当者から念を押されたとき、大丈夫ですと答えた。
「そうですか、よかったです。こちらの物件は一階にご高齢の大家さんご夫妻も住まわれていて、とても親切な方々なのでおすすめなんですよ」
 はじめて現地を見たのは、引っ越しの日だった。最初に驚いたのは、このアパートの外壁に大きな「F」が掲げられていたことだ。レトロなフォントの存在感ある「F」の看板は、しゃれているとは言い難い木造二階建てアパートから浮いていた。書類を見返すと、アパートの名前は「ファミーユ藤田」だった。三橋朝日の飛ばした紙飛行機が右手側から、結婚相手の胸元が左手側から、同じくらいの大きさでぶつかってきた気がして、くらくらした。少し前の私なら、あのFを見るたびによみがえる紙飛行機の光景に、ただただうっとりできただろうに。
 やっぱり私は、私のFをどうにかして取り戻さなければいけない――。
「あのFの看板はね、フランス旅行に行ったときに蚤の市で見つけたのよ。すてきでしょう、ぴったりでしょう」
 と、年配の上品な女性が近づいてきて、教えてくれた。それが大家である藤田さんご夫妻の、奥さんのほうだった。高齢と聞かされていたが、奥さんはまだ六十代くらいに見えた。
 次に驚いたのが、音だ。想像していたにぎやかさとは、だいぶ種類が違った。夕方になると、いろんな楽器の音が飛んでくるのだ。パーンと突き抜ける金属質な音、ぴろぴろ繰り返される笛の音、地面を割るようなバリバリした低い音、おなかの底に響く打楽器の音。陸上競技部が走り回るグラウンドと、大家さん夫妻が趣味で手がける畑をひとつ隔てただけの二階のワンルームに、それは容赦なく届く。
 引っ越しの最中も、鳴っていた。トラックが去り、大家さん夫妻へ改めてあいさつに行ったとき、奥さんは、
「気持ちのいい音ね」
 と、高校の校舎のほうの夕空を見上げた。奥さんが続けて言うには、その高校の吹奏楽部は、この地域ではよく知られた強豪だということだった。全国大会まで進出するのが当然だそうだ。
「あの子たちはみんな練習熱心で礼儀正しいし、伝統で制服も校則どおり、きちっと着るのよ」
 数年前には防音の練習室を作る計画もあったそうだが、近隣住民の「そんなこと気にしなくていい」という寛大な声で、立ち消えになったという。地域の温かいバックアップを受けながら、彼らは存分に屋上や中庭まで校舎全体を活用し、のびのび音を出せるらしい。
「夏はコンクールの季節だから、これからますます熱が入るはずだわ」
 まるで我が子を誇るような顔で教えてくれた。
 けれど、引っ越しの数日あとだった。畑の草むしりをしていた奥さんは、私を見かけると悲しそうな顔で手招きし、あの吹奏楽部が地区大会でまさかの敗北を喫したと耳打ちした。
「本当に信じられない。何があったのかしら。こんな田舎まで、吹奏楽部に入りたいからって遠くから通っている子も多いのよ。かわいそうに」
 奥さんは、あってはならない悲劇だとでもいうように落ち込んでいて、
「静かな夏になるわね」
 と寂しそうにつぶやいた。
 それはそれで助かると私は思ったのだが、練習が止むことはなかった。それどころか、彼らはますます暑苦しい曲を奏でるようになったのだ。野球の試合の応援席で演奏される、応援曲だった。
 実家の父も母も祖父も、テレビはとりあえず野球中継をつける人だった。おさないころの夏の居間と一緒に記憶されているいくつかの曲を、繰り返し繰り返し、彼らは練習するようになった。大太鼓が、がぜん張り切っている。応援団員なのだろうか、声出し要員もいるようで、合間に掛け声が挟まれるときもある。
「今年は野球部の調子がいいらしいわ。十八年ぶりに二回戦を突破したらしくって。二年生に、プロのスカウトも注目しているくらいいい投手がいるらしいの」
 情報をもたらしてくれたのは、やはり奥さんだった。
「甲子園だって狙えるかもしれないわよ。吹奏楽部の子たちも野球部の応援でいきいきしているみたいで、もう、ほんとうによかった……」
 目にうっすら涙を浮かべながら言うと、採れすぎたというキュウリとゴーヤの束を私に抱かせ、行ってしまった。
 野球部の練習場は校舎の向こう側にある。姿が見えないからか、私にとってはどうも存在感が薄い。気になってしまうのはだんぜん、吹奏楽部だった。
 士気を高め、闘志をあおる使命を持っている応援曲は、無職でEかFかが最大の悩みの私にはただ、暑さを助長する効果音だった。「We Will Rock You」と「必殺仕事人」のテーマ曲が繰り返し演奏された日、私は「防音効果あり」と謳われたカーテンをネットで注文した。
 演奏自体は上手いような気がしないでもない。けれど、自分たちが敗れたすぐあとにもかかわらず、他人の応援を、しかもその練習を、こんなに一生懸命にできるなんて。まぶしすぎて、きれいすぎて、まっすぐすぎて、そんな清らかな熱さから、世界一おきらくな悩みでへたっている私は逃げたくなる。
 どうして、そんなに他人のことを応援できるのだろう。
 思えば私がこれまで、純粋に応援できた存在は三橋朝日だけだったかもしれない。顔が好き、声が好き、話す言葉が好き、佇まいが好き、演技が好き、それは全部あてはまる。だけどそのどれかが欠けていても、私は三橋朝日を好きになったと思う。これだ、という大きな決め手は特にないのだ。ないのに、たまたま見かけたあるバンドのミュージックビデオに映っていた三橋朝日は、私の心に住むようになった。
 私はファンクラブに入った。出演ドラマを録画し、映画に出れば舞台挨拶に応募し、ネットニュースに登場すればコメントを読み込んで、ネット掲示板に彼のトピックが立てば巡回して、グッドボタンもしくはバッドボタンを押した。
 ファンと名乗るには課金も熱量も足りていないように見えるかもしれないけれど、私でも他人に無償の愛を持つことができるのだと、三橋朝日に出会ってからは思えるようになった。
 それなのに。EあるいはFカップの元グラビアアイドルと結婚するというだけで、勝手にがっかりしてしまうなんて。こんな私には他人を心の底から応援できる日などやっぱり、来ないのかもしれなかった。

 

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