『君の話』や『さくらのまち』などの話題作を描き、美しい文章で唯一無二の世界観を作り上げてきた三秋縋さんの新作が双葉社より刊行されました。

 本作では自分をこよなく愛する絶世の美男子が、鏡の中から自分の「分身」ともいえる"女”と出会います。彼女との奇妙な共同生活から始まる、切なさの詰まった恋の物語です。

 

かがみよかがみ

 

■『かがみよかがみ』三秋縋 /吉田大助 [評]

 

「何もかもが完璧な女」と出会えた経験が彼にもたらしたものは​

 

 代表作『恋する寄生虫』や『君の話』などで、主人公の青年と「運命の女の子」の出会いの物語を描いてきた三秋縋。本作はその究極系と言える。

 

 むかしあるところに……式の、神の視点が語りに採用されている。20歳の大学生の片平伊織は、絶世の美男子だ。ナルシストで他者をルックスで見下す悪癖があり、のちに女誑たらしである事実も嫌というほど披露される、いけ好かない男。《でも安心してほしい。これから語られるのは、基本的には彼が不幸になる話だ。彼が否定される話だ。彼が失う話だ。/ある意味では、彼がまともになる話とも言える》。

 

 7月のある日、伊織が一人暮らしのアパートで自撮りをしたところ、部屋の鏡に面識のない女が映り込んだ。当初はストーカーが入り込んだと考え女を特定すべく奔走するが、友人の「これ、お前だろう?」の一言で現実が歪み出す。鏡の中に写真の女が現れて……伊織は彼女をこちら側に引き寄せ、抱き留める。

 

 伊織にとって美の理想を体現する「何もかもが完璧な女」は、性別の異なるもう一人の自分だと推察された。記憶喪失だという彼女──のちに自らを詩織と名乗る──との奇妙な二人暮らしが始まるのだが、そこから恋に溺れるといったありきたりな展開には向かわない。自分と恋するなんておかしいという忌避感情を軸に、意外な展開が次々に連鎖する。男にとっての「何もかもが完璧な女」とは、恋愛や性愛以上に、実は友情を完璧に満たしてくれる存在なのではないかという視点には目を開かされた。

 

 読みながら、村上春樹の初期短編「四月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて」を思い出した。ただ、村上作品は女の子との出会いが一瞬で終わり決定的に擦れ違う、後悔と人生のままならなさについての物語だった。本作における出会いは、様々な喪失を経た主人公が、これからも生きていく、と決意する種火となる。結末の忘れがたさはきっと、読み手にとっての種火ともなることだろう。