片平伊織がアルバイトの最初の給料で買ったのは大きな姿見だった。その姿見は近所にあるリサイクルショップの売り場の片隅で埃を被っていた。長いあいだ買い手が現れなかったのだろう。フレームは木製で、指で叩くと芯の詰まった音がした。余裕を持って全身を映せるサイズで、見たところ鏡面に歪みもない。何より素っ気ないデザインが気に入り、その場で購入を決めた。

 以来、その姿見は伊織の生活の一部となった。彼は一日に何度も姿見の前に立ち、自分の肉体を心ゆくまで観察し、毎回新鮮な喜びを覚えた。

 鏡を見るのが何より好きだった。そこに映っている自分が誰よりも好きだった。この世界に鏡というものがあって本当によかった、と彼は折に触れて思った。鏡がなかったら、僕は僕の美しさに出会えないままだった。そんな人生考えられない。

 姿見に向かって彼は今日も問いかける。かがみよかがみ。世界で一番美しいのは誰?

 いや、答えなくていい。それが僕じゃないことは知っている。

 だが世界で百番以内には入るのではないか、というのが彼の率直な自己評価だった。少なくとも国内の同時代人に限定すれば、自分以上の美貌を持つ男はいないように思えた。

 一般論。人は自分の容姿を過大に評価するものだ。そこには必ず認知の歪みが入り込んでくる。人の目は見たいものを見るようにできている。見たくないものは見ないようにできている。自称世界百番以内の男は、たぶん世界に百万人くらいいるだろう。

 美しさを数値化できるわけでもないので、伊織の美貌が世界で百番以内であると断言できるだけの証拠はない。ただ確かなのは、彼が物心ついた頃から何かの冗談みたいに女性からもてたということだ。

 さながらパン屑に群がる鳩のようだった。

 街を歩けば芸能人と間違われた。初対面の女に連絡先を尋ねられ、様々な業界の人間から名刺を渡された。あちこちで盗撮され、写真を無断でSNSに載せられた。

 高校の修学旅行では六人から告白された(一人は教員だった)。学校行事のたびに他校の女子生徒が伊織を一目見ようと押しかけた。毎年欠かさずストーカー被害に遭い、何度も警察に頼ることになった。

 主観を抜きにしても、絶世の美男子ではある。

 主観に絞れば、伊織にとって伊織は掛け値なしに世界一の美男子だった。

 美男子と一口に言っても様々なタイプがあるが、彼は限りなく中性的な美しさの持ち主だった。色素は薄く、髪は艶やかで、すべてのパーツが優美な曲線で構成されている。過度に主張する要素は一つとしてなく、あらゆる要素が相互に引き立てあっている。

 自分がこのタイプの顔立ちで本当によかった、と鏡を見るたびに彼は感謝した。この顔なら男にも女にも負けない。その気になればどちら側にも寄せることができる。

 自分より美しい人間には出会ったことがなかった。テレビで毎日のように目にするアイドルや俳優も、大騒ぎするほどの美貌には見えなかった。直接会えばもっと綺麗に見えるのかもしれないと思い、芸能人を生で見られる機会を探して何度も足を運んでみたが、彼の認識が変わることはなかった。鏡の中にいる男の方がよほど美しく感じられた。

 芸能人ですら見下しているのだから、世間一般の人間は、美しくないを通り越して醜く見えた。伊織は内心で彼らを気の毒に思い、不愉快にも思った。どうして彼らは平然としていられるんだろう? どうして一丁前に胸を張って生きていられるんだろう? そんな顔で出歩いて恥ずかしくないんだろうか? 幼い頃から伊織にはそれが不思議でならなかった。

 もし僕が彼らのような顔に生まれついていたら、きっとその顔を誰にも見せないようにうつむいて日々を過ごしていただろう。毎朝鏡を見るたびに新鮮な絶望を覚え、生きていく気力を失っていただろう。極力他人と関わらないようにして、自分の殻にこもっていたことだろう。

 そうならない彼らはたぶん、よほど逞しいか、頭が鈍いか、身の程知らずに違いない。

 いずれにせよ、僕が僕で本当によかった。

 それが片平伊織という男だった。

 いけ好かない男だと思ったことだろう。でも安心してほしい。これから語られるのは、基本的には彼が不幸になる話だ。彼が否定される話だ。彼が失う話だ。

 ある意味では、彼がまともになる話とも言える。

 寛大な心で見届けてほしい。

 

 

 

2 心霊写真

 

 鏡を愛する人間は当然カメラをも愛している。

 二十歳の夏、伊織は平均して一日に百枚程度の写真を撮っていた。被写体はもちろん彼自身だ。

 無論、ただ撮って終わりではない。毎週末、平均七百枚の中から選び抜いた数枚の自撮りを、彼は写真共有SNSに投稿していた。アカウントは自撮りの投稿専用につくったもので、なんの肩書きも持たない一大学生としては異常な数のフォロワーがついていた。ほとんどは若い女のアカウントだ。

 自撮りを本格的に始めたのは十三歳の誕生日だった。誕生日祝いにスマートフォンを伯父夫婦からプレゼントされた。初めてスマートフォンを手にした多くの人間がそうするように、彼も試しに数枚の自撮りを撮った。そして、世の中にはこんなにも素晴らしいものがあるのかと感銘を受けた。何しろその装置があれば、自分の美しさを切り抜いて半永久的に保存できるのだ。どうしてもっと早く僕にこれを与えてくれなかったのだろう?

 それからは取り憑かれたように自撮りに没頭した。しかしSNSを通じてそれを発信しようと思いつくまでには一年近い間があった。身近な人間からの賞賛だけで十分に自尊心が満たされていたので、もっと大勢に自分の美しさを見せたいという発想に至らなかったのだ。

 SNSを始めたのは、女友達の言葉がきっかけだった。伊織が自撮り好きで、にもかかわらずSNSのアカウントを持っていないことを知ると、彼女は呆れたように言った──あのね、伊織くんみたいな人は、自撮りを世界に共有する義務があるんだよ。ほら、先週の授業で言ってたやつ。ノブレス・オブリージュだよ。

 美しさは義務を伴う。

 彼女の言う通りだ。この美しさを世界に共有しないのは、なんらかの罪にあたるだろう。

 試しにSNSのアカウントを取得して自撮りを載せてみると、その時点では数人しかフォロワーがいなかったのに、百倍以上の人数から反応があった。新たな写真を投稿するたびにフォロワー数が雪だるま式に増えていくのを見て、伊織は考えをあらためた──SNSなんてくだらないと思っていたが、なるほど、これは病みつきになる。評価が純粋に数字として表れるのがいい。薄っぺらい褒め言葉を投げかけられるより、こちらの方がよほど褒められている気分になれる。

 それから一体何枚の自撮りを撮ったのか、伊織自身にも把握できていない。ゆうに十万枚は超えているはずだ。何しろ興が乗ったときは一日で千枚以上撮ることもあるのだから。

 しかしどれだけ枚数を重ね、フォロワーを喜ばせるのが上手くなっても、自分自身を満足させられる自撮りは撮れなかった。七年も撮影を続けていれば知識や技術は向上するもので、自撮りに限って言えばセミプロのカメラマンと比較しても遜色ないくらいの品質の写真を撮れるようになっていたが、それだけの能力をもってしても、究極の一枚を撮影するには至らなかった。

 表情やポージングなどの問題ではない。撮影技術や機材の問題でもない。それらの自撮りは、伊織が彼自身の中から引き出そうとしている核心を捉えきれていないがゆえに、究極の一枚たり得なかった。

 一体僕は僕に何を求めているのだろう?

 撮り続ける中にその答えがあると信じて、彼は撮影を重ねた。息をするように自撮りをした。友人や恋人と過ごしているときも、常に自撮りの機会を探していた。寝る暇もないくらい多忙なときも、体調を崩してベッドから動けないときも、自撮りだけはやめなかった。

 宗教的と言っていいほどの情熱を自撮りに傾けていた。

 そのうちに、彼のカメラは写るはずのないものを写してしまった。

 

 七月一日の夜、ついに伊織は限りなく理想に近い自撮りを撮ることに成功した。究極の一枚とまではいかないが、ここ数年では一番の出来映えだった。

 それは特別なフォトスポットで撮った写真ではなく、アパートの部屋で撮った写真だった。アルバイトを終えて帰宅し、何気なく姿見を眺めたとき、くたびれた自分の顔がやけに魅力的に見えた。反射的にスマートフォンを取り出し、ろくに画面も見ずに鏡に向けてシャッターを切った。そしてベッドに腰を下ろして写真を確認した。

 シャッターのタイミングは完璧だったようだ。意識的にはつくれない中間的な表情が浮かんだ一瞬を、その写真は捉えていた。引き伸ばして壁に飾っておきたくなるような美しさだ。表情がいい。髪型がいい。シャツがいい。肌の調子がいい。何もかもがいい。

 厳選した自撮りを週末に投稿するという習慣を破り、伊織はその自撮りを即座にSNSにアップロードした。

 翌朝、昨夜の自撮りの反響を確認しようと思いSNSを覗くと、大量のコメントが届いていた。しかしその大部分は、困惑や怒りを示すコメントで占められていた。

 フォロワーの女たちのコメントを要約するとこうなる。

 その女は誰だ。

 伊織は慌てて写真を見直した。朝の光のもとで眺めると、昨夜は見逃していた異変が彼の目にもはっきりと捉えられた。

 その女は笑っていた。

 姿見に映った伊織の背後に立ち、口元に淡い微笑みを浮かべていた。

 咄嗟に伊織は部屋の中に目を走らせた。立ち上がってクローゼットの扉を開け、ついで浴室と手洗いのドアを開けた。誰もいなかった。安全を確認し終えると、彼は再びベッドに腰かけて写真の観察に戻った。

 面識のない女だ。二十歳前後というところだろうか。背は高くも低くもなく、髪は長くも短くもない。グレーのキャミソールにショートパンツという部屋着のような格好。夕陽の陰に入る位置に立っているせいで顔はぼやけていて、目鼻立ちの細かいところまでは判別できない。

 一見心霊写真のようだが、心霊の存在を信じるよりは、昨晩この部屋に自分以外の人間がいたと考える方がいくらか現実的だ。

 留守のあいだに忍び込んだのだろう。だが、どうやってこちらに気づかれることなく身を潜めていたのか。

 この部屋に隠れられるような場所はほとんどない。クローゼットは衣類ではちきれそうになっているし、カーテンは薄手だ。ベランダに通じる窓は建てつけが悪く、開閉する際耳障りな音を発する。

 伊織の意識は今腰かけているベッドの下に向かう。そこには小柄な人間が潜り込むには十分なスペースがある。

 彼女はベッドの真下に潜んでいたのかもしれない。僕が帰宅したときも、彼女は気配を殺してそこから僕を見張っていたのかもしれない。

 だが、それがどうした?

 ストーカー被害は慣れたものだ。小学生の頃から幾度となく経験している。尾行してきたり家に押しかけてきたりするほど熱心なストーカーは年に一人現れるかどうかだが、深夜の無言電話、差出人不明の手紙、SNSの執拗な中傷コメントといったものは日常茶飯事だ。今までに一体何件の番号を着信拒否し、何通の手紙を破り捨て、いくつのアカウントをブロックしたことか。

 部屋への侵入を許したのはさすがに初めてだが、いずれそういうことも起きるだろうと予測してはいた。オートロックも警報装置もない安普請のアパートだ。侵入もたやすい。

 問題はSNSの方だ。伊織に恋する女たちは、写真に写り込んだ女を伊織の恋人か何かだと思い込んでいる。すでにフォロワーは千人近く減っている。

 何か手を打たなければならないが、おそらくどのように弁解したところで逆効果になってしまうだろう。留守のあいだに忍び込んだストーカーが写り込んだだけだと正直に説明してもまず信じてはもらえないし、かといって、ただの友人だとか身内だとか言っても苦し紛れの言い訳にしか聞こえない。

 有効な解決策があるとすれば、それは本人に自白させることだ。このストーカー女を捕まえて、彼女自身に事情を説明させた動画をSNSに上げる。そのあとで伊織から詳細な経緯を語れば、よほど疑り深い人間以外は信じてくれるだろう。

 それ以外に手立てはないように思えた。

 さて、どうやってあの女を捕まえよう? 普通に考えたら警察に任せるのが一番だ。不法侵入は立派な犯罪だ。手元に証拠写真があるのだから話は早い。

 だが交番に行って事情を説明する自分を想像すると、途端に気が滅入った。これまでにもストーカー被害の件で何度か警察を頼ったが、面倒な手続きが必要だった割にろくな対応をしてもらえなかった記憶がある。

 それ以上に、この女は直接自分の手で捕まえて罰してやりたいという気持ちもあった。不法侵入よりもフォロワーを減らされたことへの怒りの方が遥かに大きい。

 女の写った部分をトリミングし、コンビニに行って写真をプリントした。言うなれば手配写真だ。まずはこの写真を知人に見せてまわり、見覚えがないか尋ねてみよう。

 見たところ女は伊織と同年代だった。同じ大学の学生であってもおかしくない。そして侵入時に部屋着のような格好をしていたということは、近所に住んでいる可能性も高い。ストーカーというのは往々にして身近な人間がなるものだ。

 本気で探せば、案外すぐに尻尾を掴まえられるかもしれない。

 

『かがみよかがみ』は全4回で連日公開予定