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 昴は鷹揚おう ようで穏やかなタイプだが、真面目すぎるほど真面目な面がある。小学生の頃、体調が悪くて早寝した翌日など、宿題をやっていないからと、学校に行くのを嫌がった。先生に理由を伝えればいいと言っても、頑として首を縦に振らずに結局休むこともあった。
 妙なところで自分に厳しい面もある。五年生のときの合唱コンクールでピアノ伴奏をやることになり、毎日何時間も練習していたが、本番で一箇所ミスってしまった。それはミスともいえない程度のミスで、毎日聴いていたみゆきはかろうじて気付いたが、おおかたの人はわからなかったはずだ。にもかかわらず、昴はその日以降ピアノを弾くことはなかった。
「私立中学のほうが合ってるかもしれない」
 そう昴が言い出したのは、ピアノを辞めて少し経ってからだった。選択肢の一つとして、地元の公立中学以外にも中学校があるということは事前に伝えてあった。
 ちょうどその頃、昴は一時的に学校に行けなくなっていた。伴奏のミスが原因なのか、他にも理由があったのかはわからない。
 昴にたずねても行きたくないと言うばかりで、先生にも不登校になる理由は見つけられなかった。学校に行ったり行かなかったりを一ヶ月ほど繰り返したあと、中学受験について自ら言い出したのだった。
 抑え込んでいた不安がふくらむ。やはり昴は、なんらかの事件に巻き込まれたのではないだろうか。生真面目で繊細で不器用な息子。第一志望で入った朋聖を無断で休むなんて。まったく昴らしくない。
 と、そこまで思ったところで、みゆきは新たな不安に襲われた。不穏な二文字のワードが脳裏に浮かんだのだった。
 自殺……?
 まさか、それはないだろう。
 いや、ない、だなんて断言できやしない。指先が一気につめたくなる。
 ここにきて桃ちゃん先生に嘘をついてしまったことを、みゆきはひどく後悔した。ついつい保身に走ってしまった。正直に白状すべきだった。そうしたら、桃ちゃん先生がなにかしらの手立てを講じてくれたかもしれないのだ。
「……そんな悠長に構えてていいの? 子どもが行方不明なのよ」
 不安が口を衝いて出て、思わず夫の顔を見そうになったが、テーブルの上を拭きながら巧妙に避けた。最低限の会話はもちろん、まともに目を合わせることもしばらくしていない。夫の顔は、みゆきの視界の隅に、モザイクがかかったようにぼやけて存在しているだけだ。
「大げさだなあ。誘拐でもされたって言うのか? ハッ」
 なぜここで笑うのかわからない。昴が不登校になった五年生のときも、「そういう気分なんでしょ?」のひと言で終わりだった。
 みゆきは、昴がいったん帰宅してから出て行ったらしいことを、ひと息に伝えた。
「ほらな」
 なにが、ほらな、だ。ばか。
「行方不明じゃなくて家出だな」
「家出って……」
 反芻はん すうしてつぶやいてみたら、今度は家出としか思えなくなってくる。
「やるなあ、あいつも」
「そっちからも昴に連絡してみて」
 苛立いら だちを押し殺してあごをしゃくると、「り」と返ってきた。「了解」となぜ言わない。
 なにやらスマホの画面に入力しているようだが、その呑気のん きな様子に苛立いら だちが募る。
「自殺してたらどうするのよ」
 みゆきは、一人で不安を抱えきれずについ口に出してしまった。夫はぎょっとしてみゆきを見たが、すぐに目をそらして、
「縁起でもないこと言うなよ」
 と、つぶやいた。
〈今どこにいるの? 心配してます。これ以上連絡がないようだったら警察に電話しようと思います〉
 みゆきはさっさと入力して、今日何度目かになる昴へのLINEを送信した。
「スマホから位置情報で、居場所を割り出せないわけ?」
 夫が眉を上げる。そんなのとっくに試しているが、昴のほうで切っているのか、情報がつかめない。他にやり方があるのかもしれないが、いまだにスマホの機能を使いこなせていないみゆきにはハードルが高く、途中で挫折していた。
「おれのほうで位置わかるかな……」
 当てつけがましいひとり言を繰り出しながら、夫がスマホを操作する。みゆきは唇を噛んだ。一体どうしたらいいのだろう。
「スマホ貸して」
 夫がこちらに手を伸ばす。
「は?」
「おれのじゃわからないから」
 位置情報のことを言っているらしい。
「知り合いに頼むからいいわ」
「知り合い?」
「そういうの、わかる人がいるそうだから」
「そういうの?」
「特殊能力的な、アレよ」
 しばしの沈黙のあと、夫がむせたように咳き込む。
「おい、こんなときに冗談はよしてくれ」
 もちろん冗談だ。同僚から聞いた、霊視ができるという人の話を思い出しただけだ。夫に自分のスマホを操作されるぐらいだったら、そちらに依頼したい。
〈警察に電話します〉
 と、みゆきは同じ文面を昴宛てに三連投した。LINEを開かなくても、待受画面に入るLINEのポップアップ通知を目にしてくれることに期待する。警察という文字を見たら、スルーなどしていられないだろう。けれど、それも昴が生きていたらの話だ。スマホを見られない状況にいるとしたら、いくら送っても無駄だ。
 あまり親しくはないが、朋聖中の何人かのママ友の連絡先は知っている。彼女たちに連絡をとって、昴の行方をたずねてみようか。いや、子どもたち全員がスマホを持ち歩いているのに、そんな連絡をわざわざ親御さんにするのはいかがなものか。行方不明という言葉だけが一人歩きして、大騒ぎになるかもしれない。
 学校に連絡しようかとも考えたが、今さら頼ることに躊躇ちゅう ちょする。なんで嘘をついてしまったのか。選択を間違えたのだと、みゆきはまた唇を噛んだ。いや、メンツなどどうでもいい。事件の可能性だってあるのだ。警察に電話すべきだろうか、いや、でもまだ八時だ、中三男子が帰ってこなくてもセーフの時間帯だ。みゆきは部屋のなかを行ったり来たりしながら、悶々もん もんと考える。
 そういえば、小学一年生のときの自転車転倒の際の選択も失敗したのだったと思い出す。あのとき、地面に顔面をぶつけるよりは有刺鉄線をつかんだほうがいいと、幼いみゆきは判断した。有刺鉄線といっても先が鋭くとがっていたわけではなかったし、とげが出ていない箇所もあったからだ。
 転倒する直前のコンマ何秒かでみゆきは有刺鉄線を選んだが、そのまま自転車ごと倒れた。結局、手のひらに切り傷を作り、地面で鼻を強打し、両方の災いを受けたのだった。

 トゥルルルルルル、トゥルルルルッ

 突然の電話の呼出音に飛び上がった。家の電話だ。みゆきはここでまた、思わず夫のほうを見そうになったが、強い意志で踏みとどまって電話機に向かった。
 スマホへの連絡がほとんどの今、家にかけてくるのは、セールスか親類縁者ぐらいだ。親類縁者の場合、訃報の連絡の可能性が高い。が、今は昴のことだ。昴になにかあったのだ! 警察からかもしれない!
「もしもし安納です」

 

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