序 章
男の一番古い記憶に、島が燃える光景があった。月のない真っ暗な夜だ。冷たい海風に煽られて、火が次々と山の木々へと燃え移り、さらに強い西風で広がっていく。
島の人々にはなす術がなかった。北にある海特有の、紺色の海面に浮かぶ緑の島。その緑が、自分たちの山が、燃えていく。それを呆然と見ているしかなかった。
もともと、昆布や鰊といった海産で生計を立てている者がほとんどだ。燃え続ける急勾配の山に分け入って火を消す技術はない。また、そのための道具もなかった。
山火事の原因は誰も知らない。燃料用の木材を切り出しに行った者が火の不始末をしでかしたのかもしれなかったし、山沿いの草原で野焼きをした火が風で飛んだのかもしれなかった。
しかし、原因はともかく、山が焼けていくことを望む者はこの島に一人もいないはずだ。当時まだ少年だった男は、集落の大人たちが『せめておらとこの家に燃え移りませんように』と願っているその陰で、暗闇の底で火があかあかと燃え盛る様を見ているしかなかった。
幸い、風向きのお陰で集落に煙は流れてこないが、少年の鼻は確かに木が焦げる臭いを嗅いだ。焼け出されて夜中だというのに飛び回る野鳥の声を聞いた。熱を感じられる距離ではないのに、前髪が、睫毛が、ちりちりと焦げていくような気がした。
火は翌日に鎮火した。燃えるものがあらかた焼き尽くされたせいだ。変わり果てた山はみすぼらしいものだった。少年が兄姉に連れられて遊んだあの緑溢れる森が、喉を潤す石清水が流れ落ちていた斜面が、妙にすっきりと見通しのきく丘陵へと焼け果ててしまった。
数日経つと、黒焦げの地面からは早くも瑞々しい緑色をしたわらびの芽が出始めた。島の者たちは皆、籠を手にそれらを採りに出た。他の子どもたちは思いがけぬ食料を無邪気に喜んでいたが、少年はわらびをぽきりと折りながら、燃え落ちて炭になった木々を暗い目で眺めていた。傍では、大人の男たちが山火事の被害を項垂れた様子で確認していた。
「また、木、植えねば」
「ああ、何年かかっても、木、戻さねえと、燃料に困る。水も困る。風も吹きっ曝しになって難儀だ。木だ、とにかく木ば植えねば」
男たちは口々にそう言い合っていた。
少年は周囲を見た。焼け果てた木々からは未だ焦げくさい臭いが立ち昇る。また木を植えれば。そうしたら、時間はかかるがあの緑の山は蘇るだろうか。わらびだけが生える焼け跡で、少年はいつか取り戻す光景を夢想した。
『清浄島』は全3回で連日公開予定